元・遠征1日目
「九十二……九十三……九十四……」
静かな空間に、回数を数える声だけが響く。地下に設置されているマテリアルでできた鍛錬場。そこに毎朝足を運ぶ凪は、いつもと同じ筋トレメニューを今日も行っていた。
「九十八……九十九……」
いつまで経っても鍛錬場から出てこない自分を呼ぶために、バンッと大きな音を立ててドアを開けた同い年の男。
「おい弥重。時間だぞ」
聞き慣れたチームメイトの声に凪は指立て伏せをピタリとやめ、視線を向ける。
生まれつきの褐色肌に、完全に色を抜いてから染めた鮮やかな銀髪がよく映える青年、杵島流星。彼は少し長めの横髪をかきあげながら、持ち前の切れ長の目で凪を不機嫌そうに見ていた。
「あと一回だからちょっと待って」
「ダメだ。あと少しで出発の時間になる。それにもうみんな集まってる」
「ダメは僕のセリフだよ、星ちゃん。ルーティーンって大事なんだ。百パーセント、いつも通りの力を出すためにね」
ヘラヘラと笑いながら流星に「お願い」と言うと、彼は更に不機嫌そうな顔をした。
「その星ちゃんってのはやめろ」
「じゃあ、りゅーちゃん?」
「流星」
「きーちゃん?」
「杵島」
「りゅーきーちゃん」
「杵島流星!」
あははと笑って、凪はぐっと体を地面へと近付ける。ゆっくりとまた体を元の位置へ親指の力だけで押し返し、最後の数字を数えた。
「百」
満足したところでニッコリと笑い、凪は流星を見る。はーぁというわざとらしいため息をつかれ、尖った八重歯が顔を覗かせた。
「大体さ、今からヤベー奴らと戦いに行くっていうのに、なに体力減らしてんだよ。死にてぇのか?」
「やだなぁ。そのヤバい奴らと戦うためにしてるんだよ」
壁に掛けてあった真っ白なタオルが投げられる。ありがたくキャッチして汗を拭った凪は、軽い口調で理由を述べた。
「少しぐらい手加減してあげないと、可哀想でしょ」
「……おっそろしいヤツ」
その言葉に凪は笑う。いつも通りの、何一つ変わらない笑顔で。
「じゃあ行こうか」
そう言って、戦闘服という名だけの服を着た。防具も、能力用に強化する布地も、自分には必要ない。全てが『無駄なもの』であるために、最初から用意などしていない。ただの真っ白なTシャツとズボン。あとは体温維持用に一応持っていく上着のみ。
流星の隣を無言で通り抜けると、彼は横目で見ながらボソッと言った。
「自分が一番用意してるくせに」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……と、いうことで。今回の遠征の説明は以上です。何か質問はありますか?」
三十人ほどの男女のかたまりに向けて、凪は問いかける。しんとする一行に、彼は一度頷いて続けた。
「今回の遠征……みんな名乗りを上げてくれてありがとう。感謝してる。ここからは完全な戦争だ。生きるか、死ぬか。その二択だけだ。一瞬の気の緩みが命取りになる。だから生き残りたければ常に気を張り続けなさい」
皆の上に立つ者として、つらい命令を下す。
「何があっても、誰が敵であっても、例え仲間が死人に乗っ取られて敵になっても。どんな状況下に置かれようと殺し続けなさい。自分の命を脅かす存在は、全て断罪していきなさい」
緊迫する空気の中、凪は一層声を低くして言った。
「この国が、簡単に壊滅させられるなんて奴らの思い上がり……叩き潰してあげよう。いいね」
「はい!!」
そこにいる全員が返事をして、前衛部隊は凪のもとへ、後衛部隊は流星と小山内湊のもとへ集まってくる。
「後衛は五分後に追いかけてきてね」
そう指示したのち、凪は腰に着けたキューブを展開させる。ピキピキ、キリキリ、形容し難いその音は彼の左腕へと深く印を刻み張り付いていく。手のひらに浮かぶその文字は、『光』。
「凪」
すぐにでも動き出しそうな凪に、湊が声をかける。
緊張しているわけでは無いし、特段ワクワクしているでもない。いつも通り。だからこそ、湊は凪を牽制する必要があった。
「飛ばしちゃダメだよ?」
「……肝に銘じておくよ」
微笑を浮かべ、そう答えた凪は片手をグッと握り、真上に上げる。
「ではこれより、『九州地方奪還計画』を始動する」
彼の手に光の輪が浮かぶ。それがその場にいる全員を照らして包み込んでいく。
「全員にもう一度命令するよ」
彼の顔にあった優しさが消え、その目が鋭く光った。そして、ゆっくりと諭す。
「ここから先、誰ひとり死ぬことは許さない。家族のもとへ帰れないなんて許さない。愛する人のもとへ帰れないなんて、僕は絶対に許さない」
悲しむ人がいる。
泣いてくれる人がいる。
自身を待ってくれている人がいることを、忘れてはならないのだと伝えるために。
「どんな状態でもいい。腕がもげようが、両足が無くなろうが、例え五感が全て奪われたとしても」
己の体がどれだけボロボロになっても。
「死ぬな。全員生きて帰りなさい」
何があっても、生きて帰る。
その命令は、難しく、つらく、残酷なもの。
それでも絶対に破らせはしない。
先導者は誓う。
死なせはしない。誰ひとり、絶対に。
「人間の業は人間が始末する。いくよ!!」
「おおおおおおおッ!!」
雄叫びをあげる彼らは凪の光に照らされて、瞬時にその場から消え去った。彼の移動手段【光速】。光の速さにより、彼らはもう既に九州のどこかへと降り立っているのだろう。
「……五分も要らねーな」
その場に残った後衛の流星はぼやきながら湊に目を向けた。
指定された五分とは、後衛部隊が安全に降り立てるよう周辺の死人を片付けるための時間なのだが。
「うん、二分でいいね」
そう返してくる湊は、自分と同い歳とは思えないほど冷徹な目で凪がいた場所を見ていた。
「全く、あの調子で一ヶ月も持つとは思えないよ」
「まあ弥重だし。早く終わって早く帰って来れんならそれでいいんじゃねーの」
九州地方奪還計画。それは、マダーが倒しきれなかった死人が増え続け、溢れかえってしまっている九州の死人を全て討伐するというもの。期限は一ヶ月。その間に、全ての敵を消さなければならないのだ。
「向こうはどんな状態になってると思う?」
「さーな。でもまあ……最悪な状況だろうよ」
「二十四時間ずっと死人が彷徨く街か。嫌だね」
ふー。と長く息を吐いた湊はすぐに目を見開いて、おかっぱ頭を上に向ける。赤とブラウンのメッシュが動きに合わせてさらりと揺れた。
「来たね」
湊の言葉に流星は無言で頷いて、キューブを展開する音を鳴らす。戦闘態勢に入った姿を見て、周りの後衛マダーもざわつき始めた。
「なかなか大量じゃねーか」
「えーやだぁ」
言葉とは裏腹に、湊もキューブを展開しながら不敵な笑みを浮かべる。
「みんなぁ、ちょーっと待っててね。すぐに僕たちで片付けるから」
湊が見ていた空からは、無数の死人がこちらに向けて急降下していた。
「九州にいた死人だろうね? 討伐されるのがわかってて先回りしてきたわけだ」
「同意。弥重のヤツ、これも視野に入れての五分って縛りかよ」
流星は文句を言いながら自分の左手を大きく開いて真上に上げる。奴らから見えるであろうその文字は、『血』。
「【血まみれ】」
その言葉の刹那、半数の死人が突然血を撒き散らして奇怪な声を上げ、死した証拠の大量のガラス玉を落としていく。いや、奴らに『血』という概念は無いから、細かく言えば『体液』だが。
「信頼してくれてるんだねぇ。僕たちなら五分で大丈夫だって」
「チーム歴長いからな」
話しながら湊も手を掲げる。浮かぶ文字は、『拘』。
「【拘泥】……殺戮」
その言葉に、残る半数の死人がこちらへ向かう動きをピタッとやめた。いや、動けなくなった。その数秒後、奴らは何一つ逆らうことはできず、内臓のようなものを吐き出してガラス玉へと変わる。
「本当、恐ろしい技だよなそれ」
「流星もでしょ?」
その言葉に、お互いニヤリと笑う。
選択した者の血を全て出血させる【血まみれ】。
そして、こだわることを意味する【拘泥】。殺戮という言葉と組み合わせることで、自分よりも弱い相手なら確実に殺せるいうもの。
己よりも強いものには、『自分のこだわりを相手に押し付けられない』ために効果が無いのだそうだ。
落ちてきたガラス玉を後ろにいたマダーたちが力を使って集めていく。その数、二百十五個。実に、二百体以上の死人が今の一瞬で討伐されたのだ。
「さて、五分も経ってないけど……」
「行っていいだろ。多分こっちに来たのは今の奴らだけだ」
流星は後衛部隊に集まるように言う。
「それに、もし第二陣が来たとしてもガキんちょがいるからな。東京がやられることは無い」
「……そのガキんちょって呼び方、やめた方がいいよ。凪が怒る」
「今更名前で呼べるわけねぇだろ。ずっとそうなんだから」
聞く耳を持たない流星の様子を見て、「全く」と言いながら湊はここにいる全員に【拘引】をかける。
「そろそろ球技大会だし、未来ちゃん楽しんでるといいね」
そう言った瞬間、後衛部隊が消える。連行を意味する拘引により、凪が居るところまで移動したのだ。
そして流星たちは数秒後、九州に辿り着いた。
だけどそこは、とても人間が生きているとは思えない、壊滅した街並み。建物も、地面も、一切形を保っていない。ただただ赤い、赤い、とてつもない量の赤と、腐敗してぶちまけられた人間の成れの果て。
「……弥重」
流星は小さな声で話しかける。
そこにいる自分たちのリーダーは、前衛部隊の一番前に立ち、鋭い眼光で赤い街を見ていた。彼の足元には、流星たちが討伐した倍以上。五百を超えるガラス玉が散らばっていた。
「いくよ。本日をもって、この県を奪還する」
後ろを見ることなく彼はそう告げ、赤い街を歩き始めていた。




