DIVE2「セカンドインプレッション」1
無数の本に見守られ、レンと少女はしばし見つめ合う。先に沈黙を破ったのは少女のほうだった。
「……だれ?」
小首を傾げながら澄んだ声で訊ねられ、レンは狼狽した。どう答えればいいか分からなかったからだ。まさか素直に強盗ですと打ち明けるわけにもいくまい。
「あ、ええと、俺はだな……なんと言ったらいいか、自分でも知らないうちにここに迷い込んで……。とにかく、怪しい者じゃない」
「……迷子?」
「そう言われると恥ずかしいものがあるんだけど……。まあ、そんなところかな」
冷静に考えるとかなりいい加減な説明なのだが、少女が警戒心を抱いている様子はない。かといって友好的なわけでもなく、ただひたすら全く感情の読めない無表情でこちらをじっと見つめている。
「ええと……俺、レンっていうんだ。レン・シラヌイ。君は?」
「……イヴ。……そう、呼ばれてる」
イヴ。不思議な名前だな、とレンは思う。もちろん、名前に限らずなにもかもが不思議なのだけれど。アバターのカラーリングは自由に変更できるため、青い髪や赤い瞳自体はそう珍しいものではないが、もっと根本的な無機質さというか、存在感の透明さをこの少女からは感じる。
「じゃあ俺もイヴって呼ぶな。イヴはここでなにしてるんだ?」
イヴは黙って本を持ち上げる。愚問だった。
「本、好きなのか?」
「……普通」
返答の素っ気なさにレンはいたたまれなくなる。やはり怪しい奴だと思われているのだろうか。こんなことならもっと女の子と話す場数を踏んで気の利いた話題をストックしておくべきだった。むさくるしい男達とばかり過ごしていたことを軽く後悔したくなる。
気まずさがピークに達しようとしたところで、予想外にイヴの方から口を開いてくれた。
「好きとか嫌いとか、考えたことがない。ここではほかにできることがないから」
「まあ、確かにここには本しかないからな。俺は本とか苦手だから、多分10分と保たず別の場所にムーヴしたくなるんじゃないかな」
「……別の、場所?」
仮面のように微動だにしなかったイヴの表情ががそこでわずかに変化する。ぴくっと瞼が動き、自分の話に興味を持ってもらえたのだろうか、とレンは嬉しくなる。
「電脳なら世界中のどこにだって一瞬で行けるし、スタオンもあるしな」
「すたおん……?」
「知らないのか? 〈スターダスト・オンライン〉」
電脳にダイヴしてる人間でスタオンを知らないなんて。
「わたしは、ここから出たことがないから」
「ここからって、このエリアからか? どうして」
「出ないように言われてるの」
「ええと……それは、親の言いつけとか、そういうこと?」
「そんなところ」
いまいち要領を得ないが、出逢ったばかりでずけずけ他人のプライベートに踏み込むのもためらわれた。きっと、ものすごく厳格な家庭なのだろう。
「そっか。なんだかもったいないな、せっかく電脳の中にいるのに」
「外は、楽しい?」
「そりゃもちろん。世界中からいろんな人が集まってくるし、現実では味わえない刺激がある。それこそ、スタオンとかな。あ、スタオンってのはヴァーチャロイドってロボットを使って戦うゲームなんだけど……」
レンはひとしきりスタオンについて説明した。やはり自分の好きなことになると口の回りも滑らかになる。質問の答えとして相応しくないかとレンが気づいたのは、たっぷり5分ほども語ってからだった
「って、こんなことが聞きたかったわけじゃないよな。ごめん、退屈だっただろ?」
イヴは首を振った。「あなたがとってもそのスタオンのことが好きなのが伝わった」
「なんか、恥ずかしいな」レンは鼻の頭を掻き、「でも、最近俺全然ダメなんだよ。焦ってるからなのかもしれないけど、どれだけ努力しても結果に結びつかないんだ。昔はやればやるだけ上達したのに。正直、ちょっとだけスタオンが嫌になりそうだ」
こんなことを初対面の女の子に言っても仕方がないのは分かっているが、止められなかった。愚痴を聞かされてもイヴは不快そうにするでもなく、無表情で返した。
「結果が出ないと、どうして嫌になるの?」
「え?」
「結果が出ないから嫌になるってことは、努力に見返りを求めてる証拠だと思う。昔はやればやるだけ上達したって言ったでしょう? それは、結果なんて気にせずただ純粋に楽しんでいたからだと思う。あなたは、たぶん大切なものを忘れてる」
レンははっとした。確かに、近頃の自分はランクを上げることだけに躍起になって、漫然と作業のようにスタオンをプレイしていたように思う。昔はそうじゃなかった。目の前の敵を倒すのがただ面白くて、努力を努力だなんて思っていなかった。イヴの言う大切なもの、それはきっと、あの頃のようなひたむきさだ。
「ありがとう、イヴ。思い出したよ、一番大切なもの。イヴは頭がいいんだな」
イヴは首を振り、「本に書いてただけ。よく知りもしないのに、勝手なことを言った」
「いいよ、全然気にしてない」
「そう。ならよかった」
イヴの声からは、わずかな安堵を感じ取ることができた。表情に出ないだけで、きちんと相手の心を思いやれる子なのだと思う。ますますレンはイヴのことを気に入っていた。
とはいえ、さすがにこれ以上長居するのは迷惑だろう。それに、自分に欠けていたものがはっきり自覚できた今、無性にスタオンをやりたい気分だった。
「じゃあ俺、そろそろ行くよ。イヴのおかげで、久しぶりにスタオンでいいバトルができそうな気がするんだ」
イヴはこくりと頷いた。引き留められるのをひそかに期待していたのだけれど、いくらなんでもそれは高望みが過ぎるというものか。レンはしばし逡巡し、意を決して言った。
「あのさ……またここにきてもいいかな? その、イヴがもし迷惑じゃなかったらだけど」
イヴは首を傾げ、「……迷子なのにまたこれるの?」
レンは笑い、「この場所のURLを登録すれば、いつでもこれるんだ。どうかな?」
「……構わない。どうせ本を読むぐらいしか、することがないから」
「次は本より面白い話を用意してくるよ」
レンはそう言って、その場所をあとにした。
―――――ムーブ――――――――――――――――――――――――――――――――
レンがムーヴしたのはスタオンのセンターだった。不測の事態が発生したらムーヴ可能な場所まで退避してここで落ち合うと、あらかじめ3人で申し合わせていたのだった。
2人はすでにセンターに戻っていて、レンに気づくと安堵の表情を浮かべ近づいてきた。
「レン! 無事だったんですね。よかった、安心しましたよ」
普段はクールなウィスパーがこのときばかりは心底から胸を撫で下ろしているようだった。自分の提案した計画でイレギュラーが発生したのを気に病んでいたのだろう。
「一体どこに行ってたんです? ムーヴしてきたということは、電脳の中なんでしょうが」
「まあ、いろいろあってな。とにかく、危ない目には遭ってないから心配すんな」
「なんかお前、やけににやけてるな。なにかいいことでもあったのか?」
とB・Bが訝る。妙なところで鋭い勘を発揮させる奴。こいつは俺の彼女かなにかなのだろうか、とレンはげんなりする。イヴとのことは、二人には黙っていたかった。詮索されるのが面倒だし、それ以前に信じてもらえない可能性のほうが高いように思われたからだ。ワームホールに呑み込まれた先に図書館のような電脳空間があって、そこで絶世の美少女に出逢っただなんて。正気を疑われるのがオチだ。
「あるわけないだろ」レンは話をそらしにかかる。「それより、そっちはどうだったんだよ。ちゃんとPT社の内部に潜り込めたのか?」
「もちろん」ウィスパーが胸を張る。「僕は天才ですから。ワームホールの先は確かにPT社のデータベースに繋がっていました。まあ、レンがああいうことになったのでとんぼ返りでしたが」
「それにちょっと見ただけでも警備がきつそうだった。無人哨戒機がうじゃうじゃいなすったよ。三人揃ってても、今のおれ達じゃ無傷で済みそうもない感じだったな、ありゃ」
「へえ、流石は天下のPT社ってことか」
「ワームホールの存在が気取られない限りはいつでも侵攻できますから、もう少しスキルと機体を強化してから着手するのが無難なミッションでしょうね」
もともと慎重な性格のウィスパーはともかく、豪放磊落で大雑把な性格のB・Bまでもが尻込みしているということは、本当に難攻不落の要塞なのだろうとレンは想像した。
「じゃあ今夜のところはやることがなくなったわけだな。これからどうする?」
「あ、僕は今からちょっと予定が……」
レンの問いにウィスパーが答えようとしたときだった。
「あっ! 見つけた、ウィスパーくーんっ」
と声が聞こえ、一人の女性がセンターの人垣を縫って近づいてきた。ピンク色の髪の、グラマラスで蠱惑的なその女は、自然とウィスパーの手を取った。
「……と、こういうわけです」
頬を紅潮させ自慢げに言うウィスパーに、レンは嘆息した。
「お前、また愛玩用AIと恋愛ごっこか。飽きないな」
人間と遜色ない立ち振る舞いをAIが獲得したある意味当然の帰結として、AIは疑似恋愛、もっと率直に言えば性欲の対象となり、そうした需要に応えるビジネスが生まれた。いかなるときでも男を傷つけず、どんな欲望でも受容してくれる愛玩用AIの存在は、ウィスパーのようなリアルの女性に虐げられてきた男にとってはこれ以上ない救いなのだ。
「なぁに、わたしとウィスパー君の仲に妬いてるの? レン君もお金さえ出してくれたら遊んであげるわよ、うふ」
「黙れ腐れ売女。とっとと俺の前から消え失せろ」
売春AIの流し目をレンが一蹴すると、2人はいずこかへとムーヴしていった。
ウィスパーと穴兄弟などぞっとしないし、だいいちAIと恋愛したりあまつさえ関係を持つなどレンにとっては考えられないことだった。自身の境遇のこともあるが、そればかりでもない。
不気味の谷、という言葉がある。これだけ人間に近い挙措を体得している〈サザーランドMkV〉であるが、それでも人間との間にはまだ微妙な隔たりがあり、対面して接すれば両者の判別は誰にでも容易につく。AIと人間を間違える者はいない。そして不思議なことに、具体的にどこが異なるか誰も説明ができない。ある学者は、その差異を心の有無によるものだと大真面目に論じた。
ともあれ、そんな得体の知れない相手に体を預けるなどレンからすれば論外だった。
「さて、男2人が残されたわけだが、どうする?」とB・Bはニヤリ。「おれ達もホテルにでも行くか?」
「やめろ気色悪い。お前が言うと冗談に聞こえない」
「なんでだ、冗談に決まってるだろ。おれはノンケだし、15歳以上の女の子には興味がないんだ」
胸を張って言うようなことではない。レンだけではなくB・Bも愛玩用AIを利用したことがないのは、未成年をモデルにしたAIとの性交渉が電脳法で禁じられているからだ。
「普通にスタオンやるぞ。ついてこい」
「……今日はやめといたほうがいいんじゃないのか? 休息も大事だぞ」
ミノルとの一件でプライドをずたずたにされたレンを慮っているのか、B・Bは乗り気じゃなさそうだった。いろいろ性格に問題はあるが、心優しい男なのだ。
「大丈夫だ。大事なことを思い出したから、忘れないうちに感触を確かめておきたいんだ」
「……そうかい。ほんじゃま、いつも通り行くか」
確信めいたレンの言葉になにかを察したらしいB・Bは、レンの肩をひとつ叩いてともにセンターの奥へ向かった。
運命の一夜は、そうして更けていった。




