DIVE1「ファーストコンタクト」1
「――きて。起きて、レン」
自らの名を呼ぶ声と、肩を揺さぶられる感触でレンは目を覚ました。窓から差し込む朝日の眩しさに目をすがめ、寝ぼけ眼で自分を起こした声の主を確認すると、幼馴染のスミカ・サイオンジだと分かった。
「スミカ……か?」
「なんで疑問形なのかな。登校の途中に家に寄ってまで起こしてくれる女の子なんて私以外にいないでしょ。それとも、そういうことをしてくれる女の子がほかにいるのかな?」
「残念ながら、今のところ候補者すらいない状況だな」
「だよね、私が一番よく知ってるもの。さ、早く起きて着替えて。学校遅れちゃうから」
スミカはそう言い、制服の上からエプロンをつけてキッチンのほうへと向かった。
レンは重い瞼をしばたたかせ、状況を把握しようと試みる。辺りを見渡すと、六帖一間の狭い室内に衣服や食べかけの菓子などといった物が雑然と転がり、天井にはアクセルローズ・ヴァレンタインが可憐な笑顔を浮かべたポスターが張られている。ここは自分の部屋だ。高等学校に進学してから一人で暮らしているアパートの自室だ。
何故そんな分かり切ったことをわざわざ確認するのか、と思われるかもしれない。意識が覚醒したときに自分がいる場所なんて、自宅以外ありえないではないか、と。
しかし、こうして意識が外界と接続されたときまず周囲の状況を検めるのは電脳依存者の習性のようなものだ。電脳空間に自分の分身をアップロードする際の主観的感覚は現実における目覚めの感覚ととてもよく似ている。だから、意識が覚醒したらまずそこが現実であるのかネットの中であるのか確かめるのが、いつの頃からかレンの習慣になっていた。
ここは現実だ、とレンは判断を下す。自分にとっては、行き場のない、くだらないほうの世界だ。
「そろそろ朝食できるから、着替えたら座ってて」
とキッチンからスミカの声。キッチンといっても1Kの間取りなので、器用にフライパンを操る後ろ姿がレンの位置からでも見える。
まあ、美人の幼馴染に起こしてもらえるだけ俺の現実はまだマシなのかもしれないな、と思い直しレンは制服に袖を通した。
床に置かれたテーブルに対面して二人は朝食を摂った。
食べている最中しきりにレンが目をこすったり欠伸をしたりするので、スミカが訊いた。
「ずいぶん眠そうだけど、また夜中までスタオンやってたの?」
「まあ、な」
レンはおざなりな答えを返し、昨夜の記憶を思い返す。ランスとカトラスで串刺しにされた光景が生々しく脳裏に甦った。思えば昨日の戦果は惨憺たるものだった。あのあとも何度か別の戦場へと出撃してみたはいいものの、その都度目立った活躍はできず、毎回同じチームとして参戦していたB・Bとウィスパーの足を引っ張る結果になってしまった。
「いつもの二人も一緒でしょう? 三人とも飽きないよね、ほんと」スミカの苦笑に込められているのは非難というよりは呆れだった。「で、レンはあんまり活躍できなかった、と」
レンは少々驚き、「なんで分かるんだよ」
「顔を見たらわかるよ、長い付き合いだもの」
そう言ってスミカは柔らかく微笑む。不意打ちにレンの心臓は少しだけ跳ねた。スミカの容姿はここ数年、特に高校に入ったあたりから急に大人っぽくなった印象がある。幼い頃一緒に砂場で遊んだりかけっこをしたりしていた少年のようなスミカの姿が思い出に残っているだけに、なおさら現在の女の子らしさが際立つ。当時ショートカットだったやや茶色がかった髪は腰の辺りまで伸び、首の後ろで緩く結ばれている。体にもすっかり女性らしい起伏ができた。そりゃ、天井でポーズを決めているアクセルローズ嬢のような華やかさはないが、日本人としての奥ゆかしい魅力を備えた、誰が見ても認めるような美少女へと成長したのだった。
内心の動揺を悟られたくなくて、レンは強がりを言う。
「昨日はたまたま調子が悪かっただけだ。今日は負けない」
嘘だ。昨日に限った話ではなく、本当はこのところ長く不調が続いている。国内ランキングは上がるどころか下降する一方だ。しかしスミカが指摘したのはその点ではなかった。
「今日も電脳に行くつもりなの? このところ毎日行ってるじゃない」
「スタオンはスポーツと同じで、日々の積み重ねが大事だからな」
「レンもすっかりスタオン廃人だね」
スタオン――スタ―ダスト・オンライン――は、電脳空間内における大規模参加型オンラインゲームだ。電脳空間内で活動するためのインターフェースとなるアバターを、ヴァーチャロイドと呼ばれる専用の戦闘ユニットへと換装し、設定された戦場内で銃火器や近接兵器を用いて戦う、次世代体験型シューティングゲーム。――要約すればそんなところ。
「廃人ってのは寝るときと飲み食いするとき以外常に電脳にいる奴のことをいうのさ。俺なんかが廃人を名乗るのはおこがましいってもんだ。それはそうと、今夜は久しぶりにお前もやるか、スタオン」
実はスミカもスタオンのプレイヤー、いわゆるパイロットなのだ。女の子にしてはかなりの腕前で、中学時代はよく一緒にプレイしたものだが、このところご無沙汰だった。
「私はいいよ、勉強しなくちゃいけないし」
「勉強って、中間テストはまだだいぶ先だろ?」
「そうだけど、模試の結果も微妙だったしね。勉強こそ日々の積み重ねが大事でしょう?」
それはその通りだ。スミカの将来の夢は幼稚園の先生になることらしく、そのために進学するのが目下の目標のようで、とりわけ二年生に進級してからはもともとの勤勉さに拍車がかかっている。
「電脳に入り浸るのもいいけど、レンはもう少し現実での生活を大事にしたほうがいいと思うよ。やりたいことを実現させるには現実で努力するしかないんだから」
「分かってるよ、そんなこと。でも、そもそもやりたいことが見つからねえんだよ」
正確には、やりたいことというよりも、できること、だ。レンやスミカのような貧困層の学生にとって、将来は必ずしも明るく心躍るものとは限らない。そのあたりのレンの複雑な心情はスミカにも理解が及ぶので、それ以上発破をかけるのはやめ冗談でお茶を濁すことにする。
「ううん」スミカはレンの部屋を見回し、「とりあえず部屋の掃除でもしたら?」
「なんだそれ」レンは破顔し、「いいよ面倒だし、どうせ寝るだけの部屋だ。スミカがやってくれよ」
「やですー。なんでもかんでも私に頼らないの。自分の身の回りのことくらい、少しは自分でしなきゃ駄目だよ。私だっていつまでもレンと一緒にいられるわけじゃないんだから」
そう言ってスミカは空になった二人分の食器を重ねてキッチンに持っていく。皿を洗い始めたスミカの背に向かってレンは言ってみた。
「俺はずっとスミカに面倒見てもらいたいけどな」
遠回しな告白ともとれる発言に、スミカの手が止まる。背を向けたままスミカは言った。
「レンが本気で言ってるなら考えるけど、ただ彼女が欲しいだけでしょう? レンはちゃんと、自分が本当に好きだと思える人を見つけたほうがいいよ」
レンの本音はしっかり見透かされていた。確かに、彼女の一人でもいればここ最近の鬱屈が紛れるかもしれないと思ったのは事実だ。スミカならお互いに気心も知れているし、容姿も性格も文句なしである。ただ、スミカの言う通り、本当に異性として彼女のことが好きかといえば、実のところよく分からなかった。もちろん今のところ一番大切な異性であるのは間違いないが、その気持ちは恋愛というよりも家族に対する親愛に近い気もする。
そもそもレンは、男女の恋愛というものをあまり信用していなかった。それにはレンの複雑な出自が起因している。もともと家族同然のスミカならともかく、赤の他人と一から関係を築けるのか自信がなく、また億劫でもあった。
「見つかるかねえ、そんな人が」
「見つかるよ。レンはぶっきらぼうでものぐさでゲームぐらいしか取り柄がないけど……」
「おい、正直すぎるぞ」
「あはは。でも、根は純粋で優しいってこと、私はよく知ってるから」
欠点に比べて長所が弱すぎる気もしたが、レンはそれ以上反駁しなかった。冷静に自分のことを省みると反論の余地があるようには思えなかったからだ。考えてみれば、こんな自分が才色兼備のスミカと付き合うなんておこがましいだろう。
「それに」スミカが振り返って笑う。「世界は広いからね」
そう言われ、レンはあてどもなく思いを馳せる。こんなふがいない自分を必要としてくれる、この世界のどこかにいるかもしれない誰かに。
今のところ、そんな運命的な出逢いの予兆は、まるでない。
スミカと肩を並べて通学する途中、異様な光景に出くわした。20メートルほど前方、2階建てアパートの2階部分の軒に何者かがぶら下がっていた。身の丈2メートルに届くかという巨体のその男は、タンクトップのシャツから丸太のように太く黒々とした腕を伸ばし大きな体を上下に揺らしている。
ちょうど街路の向こうから犬のリードを引いた貴婦人がやってきたのだが、往来で懸垂しているガチムチの黒人を見るや否や飼い犬ともどもぎょっと身をすくませ、それ以降そちらを見ないようにしてそそくさと通過していった。関わってはいけない人種だと直感で気づいたらしい。賢明な判断だ。
「ほんとにB・Bはどこにいても目立つね」
「明らかに悪目立ちだけどな。朝っぱらからなにやってんだあいつは……」
苦笑を交わし合い、二人は男に近づいていく。レン達の接近に気づいても男はパンプアップのペースを緩めることはない。
「おいB・B、なにやってんだお前は」
「見て分からんか」野太い声が流暢な日本語で応じる。「筋トレだ」
「見りゃ分かる。なんで他人の家の軒下で筋トレなんぞしてるのかって訊いてんだ。ちょっとは自分の見てくれを考慮しろよ。通報されるぞ」
レンが呆れ混じりに言うと、男はようやく手を放し着地する。
「悪い悪い。手頃な場所を見つけるとついぶら下がりたくなるんだよな。よく言うだろ、馬鹿とマッチョは高いところが好きって」
「言わねえよ。というか、自分で馬鹿って言ってりゃ世話ねえぜ」
「遺憾ながら事実だからな。いつか脳味噌まで全部筋肉にするのがおれの目標なんだ」
「お前は一体なにを目指してんだよ……」
レンは掌で顔を覆い10年近くの付き合いになるもう一人の幼馴染の今後を憂えた。
スキンヘッドの黒人という洋画に出てくるギャングのような風貌のこの男が、B・Bことブライアン・バースだ。アメリカ人の両親のもとに生まれたが、生後まもなく日本にやってきて以来この国の教育を受けて育ったため、完全に日本の文化に馴染んでおり、日本語以外は一切話せない。まあ、日本語だって満足に扱えているかは微妙なところだけれど。
ともあれ、見た目ほどは悪い人間ではない。温厚で情に篤いナイスガイである。
「さて、行こうじゃないか二人とも。空気椅子のトレーニングをしにな」
「お前は学校を一体なんだと思ってんの?」
「おれにとってはあまねく場所が鍛錬の場だ。スタオンでより多くの敵を屠るためのな」
補足しなくてはならないのは、スタオンのヴァーチャロイドの性能に現実での身体能力はあまり影響を及ぼさないということだ。もちろんB・Bもそのことを重々承知しているので、筋トレは単なる趣味ともいえるし、ほんの少しでもスタオンでの戦闘力を上げたいというB・Bの涙ぐましい努力ともいえる。いずれにせよ、B・Bもレン同様スタオンを中心に生活している電脳依存者だということだ。
「そういえば、サトル君は? まだきてないみたいだけど、一緒じゃないの?」
スミカが周囲を見回してB・Bに訊ねる。サトルというのはウィスパーのことだ。スーパーハッカー・ウィスパーというのは本人の自称に過ぎず、実態はレン達と同じ学校に通う高校生だ。本人曰く自分は政府や警察に目をつけられ追われる身なのでみだりに本名で呼ばれるのはまずいのだとか。……若干誇大妄想の気がある奴なのだ。レンやB・Bは付き合いで、というよりは半分面白がってウィスパーと呼んでいるが、スミカは容赦なく(?)本名で呼ぶ。女に免疫がない奴でもあるので、本人も甘んじて受け入れているようだ。
「あいつならサボりだな。AIプログラミングの最大手、パーフェクト・ティアーズ社のセキュリティに穴を開ける世紀の大仕事で忙しいらしいぞ。成功すればウィスパーの名を歴史に刻むことができるのだとか。……まあ、あれだ」
「あれだな」
「いつもの、だね」
と三人は頷き合う。ウィスパーの空想癖には三人とも慣れっこなので、否定したり馬鹿にしたりといったような無粋な真似はしない。
「それじゃ、今日は三人で登校だね」
スミカがまとめ、三人で通学路を歩き始めた。今日も一日が始まる。




