最終話「妖精姫が選んだ未来――そして新たなる王国へ」
王宮の大広間には、国王ローデリックをはじめ、主要な貴族たちが集められていた。
本日は、第一王子エドワードとハーゼル公爵令嬢との婚約について、正式な発表が行われる予定だった。
壇上に立ったエドワードは、満足そうに会場を見渡した。
「本日、私はハーゼル公爵家との新たな婚約について発表する!」
隣には、美しく着飾ったハーゼル公爵令嬢が立っている。
「これにより、王家とハーゼル公爵家はより強固な関係を築くことになる!」
貴族たちの間に、ざわめきが広がった。
そのときだった。
「お待ちくださいませ」
澄んだ少女の声が、大広間に響いた。
人々が一斉に振り返る。
そこに立っていたのは、黒髪に紫水晶の瞳を持つ少女。
ベルベット・フォン・グランツだった。
その隣には第二王子アレクシスがいる。
「何だ、ベルベット! もうお前に用はない!」
エドワードが怒鳴った。
しかしベルベットは動じなかった。
「殿下。新たな婚約を発表なさる前に、確認していただきたいことがございます」
「何をだ!」
アレクシスが一歩前へ進んだ。
「ハーゼル公爵家に関する不正の証拠です」
「なっ……!」
会場が静まり返った。
アレクシスは側近に合図を送った。
運び込まれたのは、何冊もの帳簿と大量の書類だった。
「こちらは王宮財務局から持ち出された記録です。ハーゼル公爵家は、ヴァルド公爵家と協力し、国防費や地方支援金を不正に流用していました」
「馬鹿な! そんなものは偽物だ!」
ハーゼル公爵が叫んだ。
「では、こちらをご覧ください」
ベルベットが一枚の書類を掲げた。
「五年前、国境の砦へ送られるはずだった食料の購入記録です。帳簿上では全量が納入されたことになっておりますが、実際に届いた量は半分にも満たしておりません」
「それが何だというのだ!」
「納入されなかった食料は、ハーゼル公爵家と関係する商会へ売却されております。さらに、その商会からヴァルド公爵家へ資金が流れていることも確認できました」
ベルベットは次々と資料を示した。
兵士の装備品。
地方への食料支援。
孤児院への補助金。
そのすべてに不正な資金の流れがあった。
そして、それらの帳簿には、関係者たちの署名が残されていた。
「こ、こんなもの……!」
ハーゼル公爵の顔が青ざめた。
そのとき、一人の老人が前へ進み出た。
「証言いたします」
かつて王宮財務局に勤めていた元監査官だった。
「私は長年、この不正を調べておりました。しかし、告発すれば家族に危害を加えると脅され、声を上げられなかったのです」
老人は震える手で書類を差し出した。
「こちらが、ハーゼル公爵家から不正に資金を受け取った者たちの記録です」
会場が騒然となった。
もはや、言い逃れのできる状況ではなかった。
***
「ふざけるな!」
エドワードが叫んだ。
「どうして僕の婚約発表の場で、こんな話をするんだ!」
ベルベットは静かに答えた。
「殿下。こちらの問題は、婚約発表よりも重要なことです」
「黙れ! お前はもう僕の婚約者ではない!」
「存じております」
「ならば口を出すな!」
「わたくしは、国民の暮らしに関わる問題について申し上げております。婚約者であるかどうかは関係ございません」
エドワードは顔を真っ赤にした。
「僕は王太子だぞ! この国の次の王になる人間だ!」
その言葉に、アレクシスが口を開いた。
「兄上。王太子とは、偉そうに命令するための地位ではありません」
「アレクシス!」
「国民を守り、国の未来に責任を持つための立場です」
「お前に何が分かる!」
「少なくとも、兵士たちが凍える夜を過ごしていることも、食べ物を失った村があることも、私は知ろうとしてきました」
アレクシスの声は穏やかだった。
しかし、その言葉には揺るぎない意志があった。
「兄上は、一度でも彼らの暮らしを見ようとしましたか?」
「そんなものは臣下に任せればいい!」
その瞬間、国王ローデリックが立ち上がった。
「もうよい、エドワード」
「父上……?」
「私は今まで、お前を王にするために育ててきたつもりだった」
国王は悲しげに息子を見つめた。
「だが、私は間違っていた。王になる者に必要なものを教えず、ただ甘やかしてきた。その責任は私にもある」
「何をおっしゃるのです!」
「エドワード。お前は王太子の地位にふさわしくない」
ーー大広間が静まり返った。
「本日をもって、第一王子エドワードの王位継承権を剥奪する」
「……え?」
「王太子の地位も解く」
「父上! お待ちください! 僕は王子ですよ!」
「王子であることは、責任を免れる理由にはならぬ」
エドワードは膝から崩れ落ちた。
彼は初めて、自分が本当に何も持っていないことを知った。
母の権力も、叔父の財力も、グランツ辺境伯家の軍事力も。
すべて、自分のものではなかったのだ。
***
その後の調査によって、ハーゼル公爵家の不正はさらに明らかになった。
関係者は次々と拘束され、ヴァルド公爵家とつながる商会も解体された。
王妃マルグリットは王妃の地位を剥奪され、関与した犯罪について裁判を受けることとなった。
ハーゼル公爵もまた、国家財産の横領と不正取引の罪によって裁かれた。
そして、第一王子エドワードは王位継承権を失い、王宮の外で自らの行いと向き合うことになった。
かつて彼が見下していた兵士たちや民衆の苦しみを、ようやく知ることになるのだった。
***
数か月後。
王宮では、新たな国政改革が始まっていた。
第二王子アレクシスは、王位継承者として正式に指名された。
彼はまず、財務局の監査制度を改め、地方への支援金や軍事費が正しく使われているか、定期的に調査する仕組みを整えた。
さらに、グランツ辺境伯家の協力のもと、国境の砦は修復され、兵士たちには新しい装備と十分な食料が届けられた。
地方の孤児院や貧しい村への支援も再開された。
その改革の中心には、いつも一人の少女がいた。
ベルベット・フォン・グランツ。
彼女は貴族たちの会議に出席し、領地の状況を報告し、必要な政策について意見を述べた。
最初は少女の発言を軽んじていた貴族たちも、彼女の知識と判断力を目の当たりにし、次第に耳を傾けるようになった。
ある日、国境から帰還した兵士たちが、王宮へ報告に訪れた。
彼らはベルベットの姿を見つけると、深く頭を下げた。
「ベルベット様。あの冬、私たちに新しい防寒着を届けてくださったこと、決して忘れておりません」
「皆様が無事に帰還されて何よりですわ」
「あなたのおかげで、家族のもとへ帰ることができました」
兵士の言葉に、ベルベットは優しく微笑んだ。
「いいえ。皆様が国を守ってくださったからです。どうかこれからも、ご自身の命を大切になさってくださいませ」
そのやり取りを、少し離れた場所からアレクシスが見ていた。
彼は静かに彼女の隣へ歩み寄った。
「あなたは本当に、兵士たちに慕われていますね」
「皆様が国を守ってくださっているのですもの。感謝するのは当然ですわ」
「あなたらしい答えですね」
アレクシスは微笑んだ。
「ベルベット嬢。あなたにお願いがあります」
「何でしょうか?」
「これからも、この国のために力を貸していただけませんか?」
ベルベットは少し考え、紫水晶の瞳を彼に向けた。
「もちろんです。わたくしは、この国が好きですから」
「ありがとうございます」
「ただし、ひとつ条件がございます」
「何でしょう?」
「これから先、どれほど偉い立場になられても、国民の声を聞くことを忘れないでくださいませ」
アレクシスは真剣な表情で頷いた。
「約束します」
そして、少しだけ照れたように付け加えた。
「それと……いつか、あなたともっとゆっくり話をしたいと思っています」
「まあ。お仕事のお話ですか?」
「最初はそうなるかもしれませんね」
二人は顔を見合わせ、穏やかに笑った。
それは、まだ幼い二人が交わした、小さな約束だった。
***
さらに時は流れた。
ベルベットは成長し、剣術と知略に優れた女性として、国中にその名を知られるようになった。
彼女は王宮の華やかな舞踏会よりも、領地の兵士たちや民衆のもとへ足を運ぶことを好んだ。
困っている者がいれば手を差し伸べ、理不尽なことがあれば相手が誰であろうと立ち向かった。
いつしか人々は、彼女をこう呼ぶようになった。
――妖精姫。
美しいだけではない。
剣を持てば騎士を凌ぎ、知略では優れた将軍たちを驚かせ、何よりも弱い者のために迷わず立ち上がる少女。
その名は、国境を越えて広がっていった。
そして、アレクシスが正式に国王として即位した日。
王宮の大広間には、かつてないほど多くの民衆が集まっていた。
新王アレクシスは、国民の前で宣言した。
「この国を支えるのは、王族だけではない。兵士も、農民も、職人も、すべての国民だ。私は彼らの声を聞き、誰もが安心して暮らせる国を築くことを誓う」
大きな拍手が広間を包んだ。
その壇上の近くには、ベルベットの姿があった。
式典の後、アレクシスは彼女のもとへ歩み寄った。
「ベルベット」
「陛下」
「その呼び方は、少し寂しいですね」
「ふふ。では、アレクシス殿下とお呼びしましょうか?」
「できれば、以前のように名前で呼んでほしいのですが」
ベルベットは微笑んだ。
「アレクシス様」
彼は嬉しそうに笑った。
「ありがとう。ベルベット。あなたと出会えてよかった」
「わたくしもです」
かつて、王宮で誰よりも美しいと称えられながら、王妃に見た目だけで選ばれた少女。
その少女は、誰かに選ばれることを待つのではなく、自らの意志で未来を選んだ。
王家のためではなく、国民のために。
地位のためではなく、正義のために。
そして彼女の名は、いつまでも人々の記憶に刻まれることとなった。
――妖精姫ベルベット。
彼女こそ、この国に新しい時代をもたらした、真に誇り高き令嬢だった。
完




