第一話 「あの子がいいわ」――妖精姫と呼ばれた最強の令嬢
これからはじまるお話は大分長くなりますのでお時間のある時に暇つぶしにどうぞ目を通して下されば幸いですm(__)m
王宮の大広間には、王国内の有力貴族の令嬢たちが集められていた。
今日は王家主催のお茶会。
表向きは王妃が幼い令嬢たちとの親睦を深めるための催しとされているが、その実態は違う。
目的はただひとつ。
今年六歳になる第一王子、エドワードの婚約者を選ぶことだった。
「ふふ、皆さん、とても可愛らしいこと」
王妃マルグリットは、黄金の刺繍が施された豪華な椅子に腰掛け、令嬢たちを眺めていた。
その隣には、退屈そうに菓子を頬張る第一王子エドワードの姿がある。
「母上、まだ終わらないの?」
「もう少し待ちなさい。あなたの未来のお妃様を選んでいるのですよ」
「ふうん。可愛い子なら誰でもいいよ」
王妃は満足そうに微笑んだ。
この母にして、この息子あり。
マルグリットにとって、王妃とは国を治める者ではなかった。
美しい衣装を身にまとい、華やかな夜会で称賛され、誰よりも美しくあること。
ーーそれこそが王妃の務めだと信じていた。
政治や軍事、財政などという面倒なことは臣下に任せればいい。
国母となる女性に必要なのは、ただひとつ。
誰もが見惚れる美しさだった。
「……あら?」
ーーそのとき、王妃の視線が一人の少女に止まった。
艶やかな黒髪。
透き通るような白い肌。
長い睫毛に縁取られた大きな瞳は、深い紫水晶のように輝いている。
淡い水色のドレスをまとった少女は、周囲の令嬢たちの中でもひときわ目を引いていた。
まるで絵本から抜け出してきた妖精のようだった。
「あなた、お名前は?」
王妃が声をかけると、少女は優雅に一礼した。
「ベルベット・フォン・グランツでございます。王妃殿下」
その名前を聞いた侍女の一人が、わずかに顔を強張らせた。
しかし王妃は気にも留めない。
「まあ、なんて美しい髪なの。瞳も素敵ね」
「ありがとうございます」
ベルベットは微笑んだ。
その笑顔は、六歳の少女とは思えないほど落ち着いていた。
王妃は隣に座る息子の肩を叩いた。
「エドワード、この子はどう?」
「うん。可愛いね」
「そうでしょう?」
王妃は満足げに頷いた。
そして、まるでお気に入りの宝石を選ぶように告げた。
「あの子がいいわ」
その一言で、王宮の空気が変わった。
ベルベット・フォン・グランツ。
彼女こそが第一王子エドワードの婚約者に選ばれたのだった。
だが、このとき王妃は知らなかった。
自分が選んだその少女が、どのような家の娘なのかを。
いや、正確には知ろうともしなかったのだ。
ーーグランツ辺境伯家。
王国の北部に広大な領地を持ち、隣国との国境を守る武門の名家。
その軍事力は王国軍の半数以上を占め、王国の防衛を事実上担っている。
王家が贅沢な暮らしを続けられるのも、国境が平穏であるのも、彼らが長年にわたり血を流して国を守ってきたからだった。
そしてベルベットは、その家の一人娘である。
父は歴戦の将軍として知られるグランツ辺境伯。
母は王国でも屈指の剣技を誇った元騎士団長の娘。
その血を色濃く受け継いだベルベットは、幼いながらもすでに剣術、戦術、歴史、算術において大人顔負けの才能を発揮していた。
ちなみに、先月のこと。
騎士団の訓練場で剣を握ったベルベットは、新米騎士を相手に十を数える間もなく勝利した。
騎士の喉元に木剣の先を突きつけたまま、彼女は首を傾げたという。
「どうして目を閉じてしまったのですか? 相手の動きを見なければ危ないですよ?」
その場にいた騎士たちは、幼い少女の言葉に何も言い返せなかった。
そんな少女が、王妃の目にはただの美しい人形に見えていた。
お茶会が終わったその日の夕刻。
グランツ辺境伯邸には、王宮からの婚約内定通知が届いていた。
執務室で書状を読んだ父、アルベルト・フォン・グランツは、眉間に深い皺を寄せた。
「……なるほど。王妃殿下は、我が娘を第一王子の婚約者にお選びになったか」
隣に座っていた母、エレノアは静かに紅茶を置いた。
「理由は?」
「書状には、ベルベットの容姿と気品が王妃にふさわしいとある」
「まあ」
エレノアは微笑んだ。
しかし、その目はまったく笑っていなかった。
「つまり、我が家の軍事力にも、領地経営にも、何の関心もお持ちでないということね」
「そういうことだ」
二人の視線が、部屋の中央に立つ娘へ向けられる。
ベルベットは小さな手で書状を受け取り、丁寧に読み終えた。
「お父様、お母様」
「どうした?」
「王妃殿下は、わたくしがグランツ家の娘だとご存じなのでしょうか?」
父は苦笑した。
「名前は伝わっているはずだ。だが、我が家についてどれほど理解されているかは分からんな」
「そうですか」
ベルベットは少し考え込んだ。
そして、静かに口を開いた。
「では、王家はわたくしたちを必要としているのではなく、わたくしの顔を必要としているのですね」
六歳の少女から出たとは思えない言葉に、両親は顔を見合わせた。
「ベルベット。お前はどうしたい?」
父が尋ねた。
ベルベットは紫水晶の瞳をまっすぐに向けた。
「婚約をお受けいたします」
「本当にいいのか?」
「はい。ただし、王妃殿下がわたくしに何を期待されているのか、よく見ておきたいのです」
そして、可憐な少女は微笑んだ。
「それに、王家がこの国を正しく治めているのなら、何も問題はございませんもの」
一拍置いて、ベルベットは続けた。
「もし、そうでないのなら……グランツ家の娘として、見過ごすわけにはまいりません」
父は思わず笑った。
「ははは! さすが私の娘だ!」
母も優しく娘の頭を撫でる。
「あなたは本当に、私たちの自慢の娘ね」
その夜、グランツ辺境伯は古くから仕える家臣たちを集めた。
王家から届いた婚約内定通知を机に置き、静かに告げる。
「我が娘が王太子妃候補となった。だが、勘違いするな。これは我が家が王家に忠誠を誓うという意味ではない」
「では、いかがなさいますか?」
古参の騎士が尋ねた。
辺境伯は窓の外に広がる夜空を見上げた。
「王家が正しくある限り、我々は国を守る。だが、王家が国を害するのであれば……」
そこで言葉を切った。
「我々が守るべきものは王家ではない。国土であり、民だ」
家臣たちが一斉に頷いた。
その日、グランツ辺境伯家はひとつの決意を固めた。
ーーそして王宮では、王妃が新しいドレスの注文に夢中になっていた。
「ベルベットなら、きっと美しい王太子妃になるわ。あの子が王妃になれば、王宮も華やかになるでしょうね」
その隣で、エドワードは菓子を頬張りながら笑った。
「早く大きくなって、僕の言うことを聞いてくれるといいな」
二人はまだ知らない。
自分たちが選んだのは、従順な飾り人形ではない。
王家の腐敗を見逃さず、必要とあらば王家そのものに剣を向けることさえ辞さない、グランツ辺境伯家の跡取り娘だったということを。
妖精姫ベルベット。
彼女の小さな一歩が、やがて王国の歴史を大きく変えることになる。
――すべては、王妃の「あの子がいいわ」という一言から始まった。




