第6話
荒涼としたコンクリートの平野を、甲高いモーター音を響かせて二輪のタイヤが疾走する。
アオイが駆る黒の大型バイクが、砂埃を巻き上げながら先頭を走り、その後方にはユウナギたち作戦班が乗る装甲トラックが重々しいエンジン音を立てて続いていた。
復興の活気に満ちていたシブヤの中心部から離れるにつれ、風景は徐々に色彩を失っていく。
再建されたビル群はいつしかひしゃげた鉄骨の残骸に変わり、整備された道路はひび割れ、アスファルトの隙間からは有害物質を吸って紫に変色した雑草が顔を出していた。この先は、人の生活圏ではない。過去の戦争と企業の狂気が産み落とした、死の領域だ。
『――聞こえるか、アオイ。そろそろ境界線を越えるぞ。最終の作戦チェックだ』
ヘルメットのインカムから、トラックに乗るユウナギの声がノイズ混じりに響いた。
「えぇ、聞こえてるわ。続けて」
アオイはスロットルを緩めることなく、前方を見据えたまま短く返す。
『本陣からの後方部隊は、有害区域のラインギリギリでトラックと共に待機する。汚染エリアである第零セクター内部へと潜入するのは、俺とアオイの二人だ』
『偵察とマッピングは俺に任せろ。旧式の軍用ドローンに俺の意識をリンクさせて、お前たちの先導をする』
ユウナギの言葉を引き継ぐように、トオルのクリアな声が回線に割り込んだ。
肉体を持たないトオルは、本部から遠隔でドローンを操り、擬似的な「目」と「耳」となって二人をサポートする手はずになっていた。
『さて、ここからが重要だ。耳の穴かっぽじってよく聞けよ』
ユウナギの声が一段と低く、深刻なトーンに変わった。
『第零セクター内部の潜入タイムリミットは、作戦開始からジャスト「5時間」とする。環境スーツのフィルターの限界時間と、俺たちの体力的な限界を加味してのギリギリの数字だ』
「……えぇ」
『地下深層に進めば進むほど、分厚い隔壁と電磁波の影響で、後方部隊との通信は完全に途絶する可能性が高い。だから、ルールを設ける』
ユウナギは一度言葉を区切り、回線に繋がっている全員に言い聞かせるように、重い事実を告げた。
『もし5時間が経過しても俺たちが戻らず、通信も繋がらなかった場合――後方待機組は、俺たちの生死を問わず、直ちに作戦区域を離脱しろ。救助は絶対に向かうな』
『なっ……待ってくださいよ、ユウナギさん!』
インカムの向こう側で、トラックに乗る若手メンバーが弾かれたように声を上げた。
『見捨てるってことですか!? 5時間経って戻らなければ、俺たちに隊長たちを置いて帰れって言うんですか!』
『そうだ。そういうことだ』
『そんなの納得できません! 俺たちはNOVAの時から、仲間を見捨てたことなんて一度も――』
「――聞きなさい」
反発する若手の声を、アオイの凛とした声が遮った。
バイクの風切り音の中にあっても、彼女の声にはリーダーとしての絶対的な威厳が宿っていた。
「これは、私とユウナギで決めたことよ。第零セクターの有毒ガスは、一度吸えば数分で肺が壊死する。素っ裸の増援が来たところで、死体が二つ増えるだけ。二次被害を防ぎ、これ以上の犠牲を出さないための、部隊を守る『命令』よ」
『アオイさん……しかし……』
「もちろん、通信が繋がっている状態なら状況を確認して指示を出すわ。でも、もし完全に途絶して時間が過ぎたら……その時は、私たちのことは忘れてシブヤに帰りなさい。復興を、お願いね」
回線越しに、トラックの中の重苦しい沈黙が伝わってくる。
彼らとて、頭では理解しているのだ。これは感傷で動いていい任務ではない。だが、共に死線を潜り抜けてきたリーダーを見捨てろという命令は、彼らの心に重くのしかかっていた。
『……おいおい、お前ら。まるで俺たちが死にに行くみたいに言うなよ』
重い空気を吹き飛ばすように、トオルが明るい声で割り込んだ。
『アオイもユウナギも、そして俺も、死ぬ気なんて微塵もない。5時間以内に絶対にあの義体を回収して、生きて帰ってくる。後方組は、帰ってきた俺たちを温かく出迎える準備だけしといてくれ。……頼んだぞ』
『……ッ。了解しました! 後方の見張りは、俺たちが死ぬ気で死守します!』
トオルの言葉に背中を押され、メンバーたちが次々と決意に満ちた声を上げる。チーム全体の士気が、限界まで高まっていた。
「……見えてきたわ。ここね」
アオイがバイクのブレーキをかけ、鈍い摩擦音と共に停止した。後続のトラックも砂を巻き上げて停まる。
目の前に広がっていたのは、異様な光景だった。
空を覆う雲は淀んだ鉛色に濁り、大気は薄く緑色に霞んでいる。
行く手を阻むように、サビついた巨大な鉄のバリケードと有刺鉄線のフェンスが幾重にも張り巡らされていた。かつて軍の車両だったと思われる残骸が放置され、その奥には、崩れかけた巨大なコンクリートの建造物群が、墓標のように立ち並んでいる。
立ち入り禁止区域、第零セクターの境界線。
ここから先は、命の保証はない。
「やれやれ、相変わらずひでぇ空気だ。フィルター越しでもオゾンの腐ったような匂いがしやがる」
トラックから降りてきたユウナギが、持参した計測器の数値を睨みながら顔をしかめた。
「アオイ、あそこを見ろ。一番奥にある、半分崩れた円柱形のドーム施設。あれが旧ミラ=コアの地下研究所の入り口だ。……あそこの地下深層に、目的の義体が眠ってる」
「かなり深く潜ることになりそうね」
アオイは目を細め、廃墟を見据えた。
「あぁ。当然、旧時代の施設だ。まともに電気が通っているかも怪しい。完全にブラックアウトした迷路を進むことになる」
「そうね。大容量のバッテリーを持ち込むのも重量的に困難だし、照明はスーツのライトとトオルのドローン頼みになるわね」
『暗闇と毒ガスか。最高のシチュエーションだな』
トオルの軽いジョークに、アオイはふっと笑みをこぼした。
「でも、行くしかないわ」
アオイは振り返り、トラックの周囲で展開の準備を進めている後方部隊のメンバーたちに向き直った。
「各員、持ち場について! これより作戦区域周辺の封鎖を行う。見張り組は、暴徒や野盗、あるいは旧式の防衛兵器の残骸が動く可能性もあるから、絶対に警戒を怠らないで! 後方の安全は、あなたたちに懸かっているわ!」
「おう!!」
怒号のような力強い返事が響き渡る。彼らの目には、もう迷いはなかった。
「さて、私たちも着替えるわよ」
「あぁ」
アオイとユウナギは、トラックの荷台から引きずり出した重厚なケースを開け、対環境スーツの装着に取り掛かった。
旧ミラ=コアの軍事規格品。分厚い特殊なゴムと金属繊維で編まれたスーツは、鉛のように重く、着るだけでも体力を奪われる。最後に、ガスマスクのような巨大な防毒ヘルメットを被り、首元のロックをカチン、と回して密閉した。
シューッ、という音と共に、背中のタンクからフィルターを通した酸素が供給される。
視界は狭く、自分の荒い呼吸音だけがヘルメット内に反響する。圧倒的な閉塞感。一歩間違えれば、このスーツ自体が棺桶になるという恐怖が肌を粟立てた。
「……通信チェック。アオイ、聞こえるか?」
インカムから、ユウナギのくぐもった声が聞こえた。
「えぇ、クリアよ。酸素の供給フローも問題ない。正常値だわ」
「よし。準備はいいか」
「えぇ。行くわよ。……作戦開始ね」
アオイの号令と共に、作戦の火蓋が切って落とされた。
「トオル、先行してマッピングと索敵をお願い」
『わかった。先に行ってるぞ。後からゆっくり来な』
ブゥゥン、という低いモーター音と共に、トラックの屋根から黒い小型ドローンが飛び立った。赤いセンサーアイを光らせたドローンは、有刺鉄線の隙間を抜け、真っ暗な円柱形の建物の中へと吸い込まれていく。
「よし、私たちも続くわよ」
アオイとユウナギは、重い足取りで有害な土を踏みしめ、バリケードの隙間を潜り抜けた。
シブヤの未来と、相棒の魂の器を取り戻すため。二人は、静まり返った死の領域――第零セクターの暗闇の中へと、その足を踏み入れた。
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