39. 『帰らない』という選択
「あの、エイジさ――」
「はい、アールのおかわりお待ち!」
店員さんがジョッキを2つテーブルに置き、私の声はかき消される。
まぁまだ時間はあるので、ゆっくり話そう。
私はエイジさんとミネアさんにジョッキを渡した。
その間にも別の店員さんがお皿を運んできて、テーブルの上はあっという間にいっぱいになる。
そして、私はエイジさんに料理の説明を受けながら色々と食べ始めた。
「……あの、エイジさんはいつからこっちの世界にいるんですっけ」
一通り食事を楽しんだところで、私はエイジさんに訊いてみる。
エイジさんは「あー、いつだっけ……」と首を傾げ、その隣でミネアさんが「もう10ヶ月くらいかと」と答えた。
ちなみにエイジさんもミネアさんも結構飲んでいるはずなのに、二人ともあまり顔色が変わっていない。
いや、強いて言えばエイジさんは少し酔っ払った気配を感じるけれど、ミネアさんは普段と完全に同じテンションだ。
「結構長いですね。いつあちらの世界に戻れるか聞いていますか?」
「いや、別に。俺急いで帰る必要ねぇし」
エイジさんはさらりと答える。
ジョッキの中身はアールから透明な液体に変わっていた。
焼酎みたいなもの、らしい。
「それより、アカリちゃんとかシンが先に帰った方がいいんじゃねぇか? 俺はもう暫く――つうか、ずっとこっちにいてもいいし」
「「えっ」」
思いがけない言葉に私とミネアさんの声がかぶる。
ミネアさんは驚いたように目を見開いていた。
「エイジ、帰らないんですか?」
「うーん、そんな希望が通るのかわかんねぇけど、こっちの世界の生活も悪くないと思ってるよ。仕事もまぁまぁ楽しいし、メシもうまいし――たまに日本食も食べたくなるけど」
エイジさんがお皿の上から肉串を取ってかじりつく。
これは焼鳥のようなもの、と言っていた。
味付けはかなり洋風だけど。
「そういう意味だとアカリちゃんみたいにあっちの世界の食べものが入手できるのが理想なんだけどな。言い方あれだけど、海外駐在ってこんな感じだろ、きっと。アカリちゃんの家は日本人向けスーパーっつうか……日本食レストラン?」
「な、なるほど……」
そういう考え方をしたことがなかったので、エイジさんの発言は目から鱗だった。
そんな会話をしている内に、店員さんがテーブルの上に新たな料理を置く。
お皿の上には緑色のゼリーのようなものが載っていた。
「あの、これは?」
「あぁ、これはよくわかんねぇやつ。でもミネアが好きなんだよ」
「えっ、エイジが好きだからいつも頼んでるのかと……」
「ん? いやいや、おまえが好きなんだろ。いつも嬉しそうに食ってるじゃん」
そう言って明るく笑うエイジさんに、ミネアさんが「……まぁ、嫌いじゃないですけど」と呟き――そして、ふっと表情を緩める。
――あれ?
なんだかこの二人って……。
私は赤いジュースを飲みながら二人の様子を窺った。
エイジさんが食べるように勧め、ミネアさんがスプーンをくわえてもくもくと頬を上下させる。
普段の冷静なイメージと違って、柔らかい雰囲気を纏うミネアさんに、私の胸はドキドキと高鳴った。
甘酸っぱいジュースが口の中からおなかの中へと滑り落ちる。
「アカリちゃんも食べてみる? まぁまぁうまいよ」
「えっ、あ、はい!」
私は緑色のゼリーに手を伸ばした。
口に入れてみたら甘い……と思いきや、意外にしょっぱい。
イメージとしては煮こごりみたいな感じだろうか。
うん、でもおいしい。
「アカリさん、いかがですか?」
「想像と違う味でしたが、おいしいです」
「そりゃよかった。なんか謎な食いもんだよな」
「エイジ、普通に『おいしい』でいいじゃないですか」
「はいはい、うまいうまい」
エイジさんとミネアさんは息ぴったりのやりとりをしている。
確かにいつも仲がいいとは思っていたけれど――特に今日は酔いも手伝っているのか、ミネアさんの可愛らしさが更に増している気がした。
一方で、私の中でさっきのエイジさんの言葉が引っかかる。
「ずっとこっちにいてもいい」と言うけれど、あちらの世界に心残りはないのだろうか。
例えばご家族とか、他にも帰らなければいけない理由は特段ないのか――そんな私の思考を察知してか、エイジさんが「どしたの、アカリちゃん」と声をかけてくる。
私はミネアさんの様子を気にしながら言葉を選んだ。
「いえ、その……エイジさんがさっき帰らなくてもいいって言ったのが結構驚きで。私は漠然といつか帰るんだと思っていたので」
「あー、まぁそうだよな。俺も当然最初は帰ろうと思ってたし……ちなみにアカリちゃん、ご家族はいる?」
「はい、両親がいます」
なるほどね、とエイジさんが頷く。
「そういう意味じゃ、俺もう気にしなきゃいけない家族もいないんだよ。親は亡くなってるし妹とは疎遠だし、離婚してて子どももいないし」
「……あ、えっ、そうなんですか?」
思いがけず飛び出してきた言葉に返事が乱れてしまった。
ちらりとミネアさんを見ると、店員さんと何か会話している。
その様子だけでは、エイジさんがバツイチであることを知っているのかどうかよくわからなかった。
「だから俺、絶対帰らなきゃっていう思いがないんだよなー」
エイジさんがその焼酎のようなものを飲みながら続ける。
私はこれまで考えもしなかった『帰らない』という選択肢を飲み込むように、グラスを傾けた。




