狐憑き編
まどろみそうになる気持ちの良い午後、つむぎはデスクワーク中のある日、気がつくと王子になっていた。
先程まで苦手なパソコンに向き合ってフライヤーを作成していた筈だった。
だが、今目の前にあるのは古臭いデザインの机と、ちょっといやかなり質の悪い紙に書かれた書類を手にしている。
隣にはなんと羽ペン。
見渡すと重厚な扉と絨毯も真紅のやけに高級そうな品だ。
「王子、聞いているのですか?」
隣の男が眉を顰めて覗き込んでくる。
黒髪に目に鮮やかな紫の瞳をしている非現実的なカラーの男だ。
歳は二十代ほど、中世の格好をしていて、黒髪を赤いリボンで束ねている。
日本人離れした顔は彫りが深く、イケメンといって差し支えないだろう。
見下ろすと自分も同じような中世の格好をしていて、つむぎは即座にこれは「夢」だと判断した。
どうやら仕事中に寝てしまったらしい。
フライヤーを作成するのがよほど苦痛だったようだ。
「駄々をこねている場合ではありません!ここは民の命を優先してください」
状況把握に努めている間も、隣の男は畳みかけてくる。
どうやら書類の内容のことを言っている様子だ。
民の命とは穏やかではない。
知らない文字が並んでいるが、なんと、つむぎでも読むことができる。
書類は治水工事について書かれていた。
「…ここに押印すればよいの?」
「王子!やっとわかってくれたのですね。そうです。この工事に国庫を開けることは舞踏会を開くことより優先すべきなのです」
男は感極まったように声を上げた。
王子はどうやら舞踏会を開催したくて治水工事を渋っているらしい。
いや、王子クズだな。
「民の命が優先だよ。舞踏会など今後十年開かなくて良い」
つむぎが発言すると隣の男はそれもちょっと、と言った顔をする。
王子、王子というからにはきっとこの男は従者か何かだろうに、随分態度のくだけた従者である。
「そんなことより、この書類には堰を作るとあるけど、治水は何を目的としているの?」
書類には工事内容は書かれていても、何故その工事をするのかは書かれていない。
「それはこちらの書類です。この時期になると雨が大量に降りたびたび土石流が発生するのです」
横につまれた書類には年間を通した被害についてまとめられている。
綺麗にまとめてあるが、とにかく多い。
「堰を作るのも良いけど、これだと経費もかかるし毎度壊れやすい。これだけ被害がたびたび出ているなら、こう…ええっと、あのさ、砂防ダムって知ってる?」
くだけた従者が怪訝な顔をするので、つむぎは書類の一枚を裏返しすると羽ペンを取った。
「砂防ダムっていうのはね、石をこう積み上げて段差を作るんだよ。何段にも細かくね。そうするとね…」
「王子、大切な書類には落書きはやめてくださいッ」
慌てて止めようとする従者を宥めて、つむぎは書類の裏に説明の図解を描く。
「こうすると堰を作るよりお金はかからないし、自然の作りなので壊れるといったこともない。穏やかな水の流れの中でまた土が流れて再利用もできる。この工事をなるべく細かく段を作って川に施すんだ。仕上がるまで舞踏会なんて開かなくて良いよ」
ぽんっと判子を押したところで目が覚めた。
つむぎは現代人である。歳は三十五歳。女性。未婚。
父親の家業を継いだカフェ雑貨の店長である。
だから、パソコンの前でお店のフライヤーを編集している最中にまどろんだとて、叱りつけてくる上司は存在しなかった。
ましてや父親は死別。母親の顔は見たこともない。
つむぎに残された唯一の肉親は、同居中の父方の祖母のみだった。
チャキチャキの元気の塊みたいな祖母は、現在お店に出ている。
変な夢をみた。
クズ王子になる夢。随分と印象的なというか、夢を見ている時から夢だなとわかる不思議な、まるでこれは明晰夢とやらではないだろうか?
隣には随分と失礼な従者が、クズ王子の事を包み隠さずクズ王子として接していたのが面白かった。
その夜は楽しい夢を見た。
従者のことが忘れられなかったのだろう。
従者と共に馬車に乗っている夢だった。
「王子、メアリー様はそろそろお切りください。お戯れも大概にしないとクララベル様に見捨てられますよ」
従者は安定の失礼さで王子に物申している。
「状況が読めない」
いきなりすぎて、つむぎは従者に言い返した。
「なんの、…状況は最悪ですよ!王子は婚約者でもない庶子の男爵令嬢に夢中で、婚約者である公爵令嬢を、蔑ろにしているともっぱらの噂になっております」
なんと、すごいな。一瞬で王子のクズさと状況がわかる説明だった。
「なるほどな…。それでこの馬車はどこに向かっているの?」
つむぎは感心して従者に尋ねた。
「あなたの命令で男爵家に向かっていますよ。王子、ご自身の言ったことも覚えてらっしゃらない?それとも私共を試しておいでですか?」
従者は王子を嫌味ったらしい言葉で、せせら笑うように吐き捨てた。
よくも首を刎ねられないなと思うくらいに不敬である。
「わかった。男爵家に行くのは中止にしよう。…それで、公爵家には私から何か謝罪は必要かな?」
「は?」
まじまじと正面から従者を見ていると、深い皺を刻んだままの眉で目つきの悪いまま睨まれる。
びっくりしているというより状況を理解できずに固まっているように見えた。
あまりにも長い時間凝視されているので、目の前で手を振ってみた。
「………あなた、王子なのですよね?」
怪訝な顔で従者がつむぎに向かって問いかける。眉間には皺が刻まれたまま。
「うん、ええっと…」
名乗ってわかるはずもないのでつむぎは困った。
これは憑依?夢で別人になるのってなんて言う?
「…そう、なんていったら良いか説明ができないから、もう王子のもう一つの人格とでも認識してくれたら良いのだけど、あの、それとは別に気になっていることがあって、あのさ、…治水工事はどうなったかな?」
つむぎの言葉に、従者の顔が驚愕に見開かれた。
今度こそ従者は立ち上がりつむぎを、王子を指さした。
「あの時の狐憑き!」
馬車の屋根にぶつかって悲鳴をあげた従者は、素直にもう一度席に座った。
つむぎが王子になっていた時は、狐憑きだということになっていたらしい。
「…あの後、正気に戻った王子は取り消しだなんだとごねていましたが、判子をいただきましたので無事に治水工事に着手できました。ただ、その書類の落書きについては施工業者がこぞってやってみたいと申しており、いくつか施工された川があります。未だ壊れず川の氾濫もありません。…一体、あれはどこの知識からのものです?」
探るような目つきで従者が尋ねてくる。どうって説明しても理解されるものなのだろうか?
「私の知識は、この世界よりもきっと豊富で進んでいると思う。何か知りたいことがあれば私でよければ力になるし…」
つむぎは続けて言った。
「王子にして欲しいことがあるなら今のうちだよね?」
つむぎの言葉にはっとした従者は慌てて王子の手を取った。
男同士手を取り合って、…まあ絵面がひどい。
「狐様!どうかお願いいたします!一旦、婚約の白紙を!」
「え?白紙?謝罪ではなく?」
「だって、狐様はずっと王子でいてくれるわけではありませんでしょう?でしたら王子に戻ればまたメアリー様と浮気をするだけです。せめてクララベル様との婚約を白紙にしていただけるなら、メアリー様とのことは浮気にはならないのです」
従者が言うには婚約者がいるのにフラフラするのは外聞が悪いが、フリーであればただの恋愛と見做されると。
むしろ、身分の低い庶子との恋愛であれば世間も応援してくれるかもしれない打算も従者にはあった。
賢い従者である。
「よし、婚約解消の手続きをしよう!」
つむぎは膝を打った。
浮気王子有責で進めよう。なんなら、これを機に王位継承権を…待てよ?
「なあ、従者」
「え?じゅう…??あ、いえ、はい、なんでしょう?」
「クズ王子って王位継承権ってあるの?…ああ、いや、違うな。国には王太子はすでにいるのかな?」
つむぎの質問にすぐにピンとくる従者。
クズ王子発言には触れない。
「はい、それは優秀な王太子がおります。狐様は第二王子です。公爵令嬢クララベル様との婚約により後ろ盾を得て王太子と継承権を争えるまでとなりました」
従者がスラスラと答える。
「ええ、それって…従者。つまりさ」
婚約解消するってなると王子は王位継承権を捨てるも同義だよね?
もっというと従者は確信犯だよね?
流石に腹黒くてつむぎは震えた。
「つまり…臣下降格の嘆願書も書くべきだね?」
馬車の方向が即座に王宮へと変わった。
本日も良い天気だ。
カフェもポカポカの陽気の中、珈琲の良い香りとほんのり食べ物の良い匂いが漂っている。
正確には祖母の代からの古き良きカフェは、今の時代人気のあるノスタルジックな佇まいをしている。
最近はSNSの活用によって若い層にもぼちぼち人気のあるカフェとなった。
「あれ?」
昼下がりのカフェに白い猫が入り込んできた。
良い陽気なので、若干開けておいた扉からのっそりと入ってきたのは、いつも裏路地で餌をあげていた野良猫だった。
「ありゃりゃ、ごめんね。店の中はダメなんだ」
抱き上げて、外へと連れて行く。
飲食店である以上、生き物は厳禁である。家に置いてあげたいのはやまやまだが、店舗兼住宅であるつむぎの家では難しい。精々が裏路地で餌をあげることぐらいだった。
「ばあちゃん、ちょっとごめん。少し出るね」
奥にいる祖母に声をかけて、つむぎは外へ出た。
いつもの裏に回って餌でもあげようと一歩踏み出したところで、そこは野原へと変わっていた。
「え?」
一面に広がる野原。
いつの間にか腕の中にいた白猫の姿は消えて、呆然と掌を見下ろすと中世の格好。
また王子の夢らしい、、、。
らしいが、流石にこれはおかしいのではないだろうか?今、つむぎは夢をみるような状況にあっただろうか?
ふと影ができて、見上げると白猫がつむぎを正確には王子の見下ろしていた。
何か大きな建物の上にいたとか木に登って見下ろしたわけではなくて、白猫自体がとてつもなく大きくなってつむぎを見下ろしていたのだ。
その大きさ、恐竜並みである。
…やはり夢なのだろう。
顔はいつも通りの白猫で、呑気でほわんとしており、サイズはおかしいがつむぎを見つめる瞳は「ゴハン」である。
手を伸ばすとすりすりと擦り寄ってくる。図体がでかいので全身で受け止めるが、つむぎは受け止めきれずよろめく。
「王子!」
猫と戯れていると、安定の従者が現れた。
遠くから必死に走ってくる従者が腰にある剣を抜こうとしているのがみえる。
「ダイジョウブ、この子は馴染みのネコちゃんだから」
モフモフしながら答えると怪訝な顔で従者が尋ねてきた。
「…もしや、王子…、狐様ですか?」
「……」
その呼び方、なんとかならないかな。
「この子の食べるものあるかな?」
つむぎがきくと、従者が剣をしまいながら答える。
「聖獣様の食べ物はありません」
「いや、セイジュウとかじゃなくて、魚とか肉でも良いし」
「聖獣様は聖なる炎を食べると言われています」
「え、絶対止めて。炎とか、いや、聖なるって何?」
火傷しちゃうし、聖なるとかなんの炎?
つむぎがキッパリと断ると、従者は懐からパンを出してきた。
「こんなものしかありませんが…」
なんで、懐にしまってあったのかはおいといてつむぎは若干温かいパンを受け取った。猫に見せると喜んで食べ始める。
嬉しすぎてか、猫の口から炎が噴き出た。
「ほらあ!従者が聖なる炎とかいうからあ」
連想しちゃったんだろう、私が。夢の中で。
「違いますって。聖獣はそういう生き物なんですって」
従者がつむぎに言い返す。
そんなわけないもの。生き物としてファイヤーブレスはおかしいもの。喉火傷しちゃうもの。
「うちで飼っても良い?」
つむぎがきくと、従者はかしこまって答えた。
「王子が責任を持って世話をするのであれば」
意外とこちらの常識と変わらないことを言う。
白い猫を撫でながら、つむぎは嬉しくて顔が綻ん
だ。実はずっとずっと飼いたかったのだ。
お店があるから飼えなかっただけで。夢の中くらいは許して欲しい。
「え、かわ…。ちょっと…王子の顔でその表情、やめていただけます?」
無礼な従者が無礼なことを言う。
「ところで、婚約解消はうまくいったの?」
ゴロゴロとすり寄る猫に半分埋もれつつ、つむぎがきくと従者は悪い笑顔で答える。
「全て順調に進んでおります。順調に進みすぎて、王子は男爵令嬢に振られました」
それはお気の毒である。
なんでも、男爵令嬢は王妃になるという野心があったそうだ。一代公爵では満足できなかった様子。
王子は臣下降格の嘆願が叶って、一代公爵の地位を賜りクララベル公爵令嬢との婚約も円満に解消されたようだ。
「従者は王子が失脚してしまっても良いの?」
臣下降格は王子にとって失脚と何も変わらない。
「何を言うんですか。王子があのままであれば一代公爵どころかクララベル様の実家の力で、悪くて廃嫡か幽閉、良くて男爵家に婿入り、が一番マシな選択肢となっていたでしょうね」
この従者はてっきり王子のことが嫌いなのかと思っていた。
失脚すら望んでいたのではないかとつむぎは思っていたのだか、どうもそうではなかったらしい。
「てっきり王子を失脚させて、王子の元を去れるチャンスを伺っていたのだと思ってた」
つむぎがいうと従者は、一瞬険しい顔になったけれど思い直したのか口を閉じて首を横に振った。
「王子は性悪女に騙されただけなのです。本来は素直で気弱で優しくて優柔不断な王子なのです」
半分くらいは悪口だったが、従者は王子を大切に思っていることが伝わってくる。
失脚してもこの従者は王子の元を去らなかっただろう。
「ふーん、…王子は性悪女に振られて目が覚めた?」
「いえ…、未だショックで、遠乗りしては泣いております」
どうやらこの野原は王子の嘆きの場所であったらしい。
目が覚めると路地裏で一人頬杖をついていた。
白猫はどこにもいない。
明晰夢に加え白昼夢の疑いまで出てきた。
それともつむぎはそもそも路地裏で寝ていて、猫など店内に入ってきていなかったのかもしれない。
疲れているのかも…。
つむぎはそっと頭をさすると店へと戻っていった。
夜になってつむぎは早々に眠ることにした。
最近眠くて眠くて仕方ないらしい。自覚はないが。
今回の夢は会議中だった。
円卓に、王様らしき人物がいる。王冠は被っていないけどわかりやすい王様っぷりだ。
その隣にはよくわからないが身分の高そうな二人。
甲冑を着ている人は将軍か何かだろうか。部下らしき鎧を着た人物も三人ほど王様と向かい合うように座っている。
つむぎこと王子はその間に陣取っていて、対局には金髪碧眼のイケメンが鎮座していた。まだ年若そうなイケメンは、…誰だろう?
とても緊迫した空気である。
隣を見ると安定の従者が立っていた。
安心する。
「ねえ、従者」
小声で呼びかけると、従者がハッとする。
「狐様」
「これ、どんな状況?」
問いかけると、従者はしゃがみ込んで耳打ちする。
「イスタール国…、我が国の西隣の国が、我が国の辺境伯領を取り込む戦争を仕掛けてきました。甲冑を着ている人物が辺境伯で、対座は王と宰相、狐様の対局には王太子が座っております。今回の戦にて聖獣様を前線に出すべきだと辺境伯は申しております。それで王子も呼ばれました」
「え?ネコちゃんを?それは無理だよ」
「それはわかっております。聖獣様は誰の言うことも王子の言うことも聞きません。ただ王子のそばを離れないので…、王子は聖獣様を手懐けたと皆に思われております」
こそこそ従者と話をしていると、甲冑を着た中年がよく通る声で言った。
「イスタールは今、聖獣を手に入れて、辺境でやりたい放題です。かの国の聖獣は我が領土の作物を食い荒らし、蔵を破壊し兵糧攻めを仕掛けてきているのです」
多分辺境伯だろう中年の話に王は唸った。
「辺境は我が国の国庫といっても過言ではありません。我が国の食糧難にも直結いたします」
そして多分宰相なる人物が捕捉した。
どうして辺境とか攻められやすいところに大半の食糧を納める役割を担わせたの。
「聖獣はシャルル.アンリ.モンテワール様よりも小柄ですが、数も多くすばしっこい。どこにでも入り込み食い物を齧り汚染いたします」
うん?どこかで聞いたような行動をする獣だな。
ところでシャルルなんちゃらって誰?
「聖獣様です」
コソッと従者が耳打ちする。
「聖獣には聖獣を、か…。アンリ、其方はどう思う?」
イケメンがこちらに向かって問いかける。
「狐様、王子の名前はアンリです」
従者が捕捉する。
そんなこと言われてもお猫様がこちらの言うことなぞ聞くわけもないし、そんな凶暴な獣に近寄らせるのは可哀想だ。
「獣はどのような姿をしているのか、わかりません。わからなければ答えようもありません」
つむぎの発言に周りがどよめく。
なぜどよめいているのかつむぎにはわからないが、つむぎの問いかけに辺境伯が答えてくれた。
「耳が丸く歯は前歯が二本一際大きく口からのぞいています。体毛は薄汚れた茶か黒灰色をしております尻尾は長く体毛がありません。手足も毛がなく五本あります」
それはもしや、あいつではないだろうか?
「鼻先は尖っていて、髭が長く目はつぶらで丸い?」
つむぎが言うと、辺境伯が椅子を跳ね除けて立ち上がった。
「そうです!アンリ王子は聖獣をご存知なのですか?」
辺境伯が驚いて王子に迫ってくる。落ち着いて。
椅子に座っていて欲しい。
暑苦しいから。
「従者、紙とペン」
また、落書きとぼやきながら従者が紙と羽ペンを持ってきた。
サラサラとネズミを描くと、それを辺境伯に見せた。
「そう、そうです。まさしくそんな姿です」
辺境伯の言葉に周りがどよめく。このどよめきは理解できた。
この国にはネズミがいないらしい。
ネズミが大量発生しているなら、確かに辺境の作物は壊滅的と言わざるを得ないし、猫ちゃんを前線に出すべきだろう。
「従者、ネコちゃんは何処?」
「王子のそばにいますよ。会議室には入れないので外に」
窓の外に目を向けると中庭が見えた。
猫の姿が見えない。
もどかしくて窓に近寄り開け放つ。白猫は窓の真下に寝そべっていた。
気持ちよさそう。
「ネコちゃん」
つむぎが呼ぶと、ナンと小さく鳴いて猫は起き上がった。
ググッと伸びをして窓に頭を擦り付けてくる。
窓から入れないので頭だけ突っ込んでつむぎにすりすりしてくれた。
頭が入りきらなくて建物がミシミシと音を立てている。
「ちゃんとゴハンもらえてる?」
触ると以前よりも毛並みが良いくらいにみえた。
「魚とか肉とかをあげていますよ」
呆れたように従者がいう。
あまりにもつむぎに擦り寄れない猫が焦れて、窓に手を突っ込んでくる。
「ネコちゃん、ネズミ捕りに付き合ってくれる?」
よくお店にプレゼントしてくれていたので、ネズミ捕りはお手のものだろう、
くるりと振り返ってつむぎは宣言した。
「今から辺境へ行きます」
つむぎの宣言に、周りは驚きの声を上げた。
辺境伯だけは「いってくださるか」と感涙している。
「辺境伯、道案内をお願いします」
辺境がどこか知らんし。
つむぎが言うと、辺境伯は感動のあまり王子の手を取って頷いている。
非常に顔が近い。
従者が間に入って王子と辺境伯を引き剥がした。
「王子、辺境は今、混戦していて危険です。ましてや未知の聖獣が跋扈しているところに王子が自ら赴くなど」
心から心配した声で従者が訴える。
大きなネズミが怖くないわけではないけど、ただモタモタしているとつむぎは夢から覚めてしまうかもしれない。
「従者、協力して。今からすぐに行かなきゃ」
従者だってわかっているはずだ。王子に戻ってしまえば、きっと辺境には行かないだろう。
「大丈夫、ネコちゃんはネズミを駆除してくれるから」
「シャルル.アンリ.モンテワール様ならその聖獣を殲滅できると?」
長いよ、その名前。後、言いにくいわ。
「うん!ネコちゃんはネズミ捕りの名人だよ。危険はない、わけでもないけど早く対処しないとその獣、ねずみ算式に繁殖して増えるよ」
隣から辺境伯の悲鳴があがった。
つむぎの移動と共に白猫がついてくる。
王都から馬車で一日半かかるとかで、つむぎはきっと途中で目覚めてしまうだろうと思われた。
まあ、目が覚めたところで王子はもはや後戻りできないだろうし、猫は王子の後をついてきてくれるようだ。
ネズミ捕りは猫に任せておけば問題ないので、後は任せて辺境伯が用意してくれた部屋で全てが片付くまで引きこもっていたとしてもなんとかなるだろう。
懸念点があるとしたら、捕った獲物を猫が見せにくるぐらいだ。
「どうして従者までついてきちゃったのかな?」
馬車の中、向かい合う二人。
手配だけ協力してもらったらそれでよかったのだけど、従者は王子のそばを離れなかった。
心配そうに見つめる従者にそっと手を握られる。
「もしかして、従者は王子と良い仲だったり?」
従者が王子を恋愛対象にしている疑惑浮上。
王子は男爵令嬢には振られてしまったけれども、男性にはモテるのかもしれない。
辺境伯もだけど、みんな気軽に王子の手を取るよね?
「王子と良い仲とか虫酸が走ります」
従者は毒を吐いた。
ツンデレかな?
「じゃあ、この手を繋ぐ行為はこの国特有の何かかな?決闘とか、畏怖の念を表すとかそういう…」
「ないですね」
即答である。
「狐様の…」
ポツリと従者が呟く。
「お名前をお伺いしても…?」
目線は繋いだ手のままに、従者は遠慮がちに問うてくる。
「つむぎ、岩井つむぎ」
従者は思ったより紳士だった。
ただ、絵面的に今手を取り合っているのは王子と従者なのだけど。
「つむぎ様」
従者は大切そうにつむぎの名前を呟いた。。心に刻むように噛み締めるように。
そんな大切そうに名前を呼ばれるとこそばゆくなる。
岩井つむぎ。三十五歳。モテ期もなく、青春も両親がいないので全てをお店と生活に捧げてきた。
今、夢の中でモテ期(王子の)。
「従者、よく見たらイケメンだよね」
「イケ…?」
愉快な気分になってつむぎが笑う。
この従者が待ってくれているなら夢も悪くない。
むしろ夢を見るのがこれから楽しみだ。
みなさま、幸せな夢を




