有名アイドルとお忍びデートにいこう
彼女はまるで買い物帰りにふらっとコーヒー・スタンドに立ち寄るかのようにごく自然に、私たちの元へとその姿を現した。
レナード橋を通過した目と鼻の先。
非指定地区──エンゼル通りの裏路地。武装した監視所の守衛たちが束の間の「失神」によって腑抜けになっている先で、恐らくはその原因となった車がやってきた。
黴臭い隘路にすっと差し込まれ、その鉄塊は停車した。
私たちが今まで体験したことのない、禍々しいオーラを纏いながら。まさに、私たちの宇宙が誇る旧世代の遺物。小さな赤いコルヴェットのレプリカ車から降り立った、あの指定認可地区を代表する有名アイドル。そして私たちと同じ多元宇宙の出身。
運転席で恐らく、自動運転のスイッチを切る音がした。非指定地区でこんな車に乗れる人間などいない。全てがあけすけで、警戒心の欠片もない。
だがそれは、この世界を思いのままに操れる力を保持している自信の表れなのかもしれなかった。
「飛んでくるって言ってたから、まんまあんな感じで空を飛んでくるかと思ってました」
「……まあ、現実はそう簡単にいかんよねえ……」
やがてドアが開き、上下を黒いナイロン製のジャージに包まれた、琴音ナナが私たちの目の前に現れた。
「……いや、ダサっ!」
「はいはい……君も普段、家じゃあんなもんだろ」
私たちをその地点へと誘いざなった機械鳥がどこかへと飛び立った後の空を見上げながら、琴音ナナは静かにそのサングラスを外す。
人前に出ている時とは全く違う髪型──茶色のロングパーマのウィッグを風に翻しながら、その有名アイドルは私たちに向かって素っ気なく呟いた。
「そうだよなー。でもチエちゃんのは、ああみえて大昔のスポーツ・ブランドのレプリカだったりするだろ? やっぱりあーしらがいた『同根』──『元々の宇宙』ってのは、本当の意味で豊かな文化があったんだろうな。こんなクソみたいな世界に分岐する前はよー」
瞬時にチエが臨戦態勢に入るのを感じた。
そしてそれが、こうも容易く──この琴音ナナが差し出した右手の放つ梵の光によって、ただその場での硬直を強いられていることも。
「梵天のナナ」
「梵天」──現身。
この宇宙の理そのもの。
この女は、端から私たちには到底及ばない領域にいたのかもしれない。
「ごめん! 落ち着いて聞いてな! 勿論、そっちのプライベートは尊重してるし、監視なんて殆どしてねえ! そもそもそんな時間ねーしよ。こっちも他のことで、色々忙しいんだよ」
チエは血走った目をひん剥いたまま、全身を震わせながら琴音ナナを睨み付けている。
私は自分とちょうど同じくらいの背丈をした、その人目を忍んだ有名アイドルに言う。
「……君は私たちと同じ次元から連れて来られて、あの実験施設で育った。そして戦死。脳の記憶中枢をあの『ホルマリン漬けの胎児』に移植されて、あの時──最悪かつ最高の被検体だった私の遺伝子情報を組み込まれて再度育てられた私のクローンなんでしょ? 成長速度は常人の数倍っていう、最新型のやつ。だから梵で繋がってる者同士、細胞レベルで、やろうと思えばこっちを覗き見だって可能だと……」
すると人目を忍ぶ有名アイドルは頷いた。
「そういうこと。レア物を戦場から持ち帰ってリサイクル成功! ってことよ。それにそっちが、あーしの記憶を盗みにくる未来だって視えてた。だから予め、この力でちょっとした細工をだな……全てはこの日のために」
思い切りビンタを張った。
まずは軽いご挨拶。本当は、そのまま頭をどこかに落っことしてくれれば手っ取り早かったのだけれど。
「……まあ、そんなやべーのが何で今、指定認可地区でキャピキャピぶりっ子アイドルちゃんを宜しくやってて、方々に愛想振りまいてんのかは意味分かんないけど。あれ? なんか? 金とかしょーもない承認欲求のため? 指定認可地区のアホ共は何考えてんだ? ああ?」
「うん。いい反応。やっぱ合格だよルカちゃん──で、取り敢えず落ち着いてな! そんでさ、ほんとごめんなんだけどよ。あの鳥、実は体内時計がバグっててな。チエちゃんの方は……実は不合格だったんだよ。コンマ零秒の差でさ。ほら! そんだからよ、チエちゃん。ちょっとばかし、余所で待っててくれや。大丈夫! ルカちゃんには、最低限の必要事項だけサクッと話して、今日はそのままお開きにすっから!」
右手の指先を微かに震わせる琴音ナナ。
その金縛りを必死に振り解こうと、全身を震わせながら、依然として目玉をひん剥いたまま阿修羅の形相でその場に固まっているチエ。
横からチエを抱きしめた。強く、何よりも強く。
「(大丈夫、大丈夫だよ。安心して)」
そして琴音ナナに向き合って、毅然と言い放った。
「分かった。すぐに解いてやって。じゃないと殺す」
人目を忍ぶ有名アイドルは口元の端に微かな笑みを浮かべた後、眩い金色のオーラを放っている左手を数回、左右に振った。
次の瞬間、私の腕の中にいたチエはどこかへ消えていった。まるで煙のように、風のように。
「安心しろ、いつもの家だよ」
「……なんでもありだな、ほんと」
その茶色いウィッグを外して、限りなく最短まで刈り込まれた、赤い坊主頭を見せながら微笑む。
紛れもなく私と同じ、死に絶えたドス黒い静脈の赤。
「ほんとなー。こんなんになんの、マジでめんどくせーよなー。特に女の子はよー」
「……そんで二つ、嘘を吐いたんだな。あの鳥は故障なんかしてなかったし、今日の密会はどうせ夜までかかる」
「うん! そゆこと! 察しがよくて助かるわ。じゃ、よろしくな」
「……でもそれは、うちの婚約者を侮辱している」
「いやだってな! あいつ嫉妬深くてだりーじゃん! クローン同士でそういうことになる訳ねーのに! しかしな、『フィアンセ』って単語。男用のFiancéでも、女用のFiancéeでも発音は同じなのは面白いよな」
「……やっぱこの場で殺っちまうか」
「無理無理、今ので分かったろ──想像力の差だよ」
この力は、イメージの世界だ。
私たちは想像力で天地をひっくり返す。
「あーしはさ、君らと違ってこの宇宙、この次元について知り尽くしてる。だから、何だって出来るってことなの。どうよ? ますます興味持ってくれた? これからあーしが垂れる御高説に」
赤い坊主頭の美少女は静かに微笑んだ。
「それとこっちも色々と必死なんだからさ。いい加減、従ってくれよ。折角、未来を読んでスケジュールもそっちに合わせたのに。さ、早く乗った乗った! あと、あーしが吐いた嘘はもう一個あんぜ。これは密会ではなく、広義の意味でのデートだ。ごめんな! アイドルってのは、嘘吐くのが仕事なもんで」
琴音ナナは茶色のウィッグを片手で振り回しながら、その小さな赤いコルヴェットのレプリカに乗り込んだ。
少しの間を置いて、私も後に続く。
この世界から少しでも前に進むには、今はそれ以外の選択肢は存在しないような気がした。




