氷河期ベイビー
ザ・クラッシュの「ノウ・ユア・ライツ」を頭の中で聴きながら、木枯らしの吹き荒すさぶ指定認可地区の公道を自動車で駆け抜ける。
あれから二人で聴くのはパンクばかりになった。だから何だという訳ではない。ただの気分だ。私たちはいつでも、これからも。
「髪、伸びました?」
「……うん。また切ってね。またいつもぐらいの長さで」
少しだけ視界の先を塞いでいる、赤い前髪越しの車道を見つめながら欠伸を噛み殺す。
肩の辺りまで伸びた、襟足を片手で触る。走り続ける鉄塊。心地よい静かな振動。
横からチエが腕にしがみついてくる。
「だからですね、ちゃんと日々のケアを怠らなければ、私みたいに伸びっぱなしでも平気な訳ですよ」
「……うっさい。あとさ、何でそんなプリプリしてんの? 今日」
「してないですよ!」
「してんじゃん」
「してないです!」
いつものリスのような膨れっ面。
あの日、梵に覚醒して以来、私たちの髪は朱色に染まった。今まで殺してきた人たちの返り血を浴びるように。それらの業を背負うように。
「大体、何時に行けばいいんですか? って話ですよ。本当に知覚出来るんですか? そいつは。時間も指定せずに非常識ですよ。デートする資格なしです」
「いやデートじゃねえよ」
ハンドルを切っていると、チエがまた、あれこれと大声で喚き出した。外行きのメイクもばっちり。オリーブ色、八分丈のサブリナパンツに白いリネンシャツ、更に厚めの黒いシャツジャケットを合わせてカジュアル・スタイル──らしい。知らん。私とのデートでもないのに、なぜにここまで気合いが入っている服装をしているのか、尋ねても答えてくれなかった。
「……あのさあ、本当に勘違いしないでほしいんだけど……そういうことじゃないからね?」
「『そういうこと』って、一体どういうことなんですか! 皆目見当付きません!」
「……もういいわ、めんどくせえ。でもうちらにマウントを取って、一体何がしたいんだろうねあちらさんは。本当に、何から何まで……あの『市長の頭パッカーン事件』も」
「知らないです! あんなあざと匂わせ女は!」
「……前は可愛いっつってたじゃん」
「言ってないです!」
「……まあいいや」
「まあ、それより……今日、タワーの内部構造情報が手に入ったのはでかいよ! うん」
私は黒のカーゴパンツから発信器やディスク等を取り出し(だから大きいポケットの付いたズボンは重宝している)、八十七番街の指定地での諜報任務の成功を自画自賛した。といっても真の功労者はここ数年に渡って内部へと潜伏し、それを子細に調べ上げたディアンジェロさんであって、今日の私たちはそれを受け取っただけなのだが。
これから我々レジスタンスの息のかかった一二〇番街のガソリンスタンドで車を乗り捨てた後、そのまま別の車で帰りのレナード橋へと向かう予定だ。途中で七十五番街の繁華街にも寄りながら。あそこのレストランのステーキはいつだって絶品だから。
その橋は九つの区画に細かく分けられた指定認可地区の中で、大河を隔てた非指定地区との間を結ぶ唯一の吊橋である。
全長は約二キロ、横幅は三十メートルほどで、かつてジャポネスと呼ばれたこの島国が中華連邦に飲み込まれる以前の、トーキョーラマが世界に誇る観光名所でもあった。
今では富裕層と労働者を分かつ格差社会の象徴ではあるが、こうして私たちを素通りさせてくれるザル警備には感謝してもしきれない。
たまにデートだって出来るし。
「──指定認可地区にネズミが二匹〜♪──」 「──私らおめかし都会のネズミ〜♪──」
「──危険を乗り越え、美味いもんほうばり〜♪──」
「いいじゃん、前のより」
「本当ですか?」
「都会のネズミーってのがいいよね。詩的ぶってて」
「……それって褒めてるんですか?」
脳内放送が終わった後、チエの自作曲である「恋するネズミたち」のアカペラを聴きながら、私は車のハンドルを切り続けた。
午後二時過ぎの外光と光のプリズムは妙に心地よく、車両もそれほど混み合っていない。皮肉なことに格好のお出かけ日和だった。
先月、「演習」が行われた一一〇番街を通り過ぎたが、どこの通りも人気がない。
流石に規模が大き過ぎて政界でも非難があったらしいが、通信社はそれらの僅かな反対意見すら封殺し、粛清してしまう。
ふと脳裏に、この前の谷川マクロという男の顔がチラついた。
「(お前たち。本当に大丈夫なのか? 一応、出来る限りの援護はするつもりだが)」
気付くとディアンジェロさんから無線が入っていた。私は流れる景色を横目に車を走らせ続ける。
「大丈夫ですよ。GPSもドローンも要らないです。ご飯がてら会って、話すだけです」
「……ご飯がてら?」
「あのですね、こちとら普段は非指定地区で霞……というか主にコオロギを食べて、労働者たちを支援するなどしてる訳ですよ。ディアンジェロさんみたいにその気になれば、毎日何でも好きなもん食べ放題って訳じゃないんです」
「……まあいいが」
「大体、ナメられすぎでしょ。私たち。記憶データもわざと盗ませるとか。こんな回りくどいことするなら、わざわざ向こうも取って食うような真似はしないですよ。コミュニケート。コミュニケートこそが文明を築くんです」
しばし無言。私は再び呟いた。
「まだ心配ですか? 無茶しすぎって?」
車内に返答が響く。とても落ち着いた声色だった。
「……実のところ、頼りにしている。本当だ。現に、我々はこんなにも即座には動けないからな。虎穴に入らずんば──てやつだ。それじゃあな、幸運を祈る。『元気です。ありがとう。どういたしまして』」
通話終了。どうせ小言の雨霰を浴びせられると思っていたのに、何だか拍子抜けだ。
今まで演習の行なわれたことのない平和な区域を通り過ぎ、ようやく七十五番街の繁華街が左手に見えてきた。人気の少ない大通りを直進していると、前方に黒いスーツ姿の男女を確認。二人とも若い。しかしカップルではないだろう。走行中のフロント・ガラス越しにでも、ただならぬ雰囲気を感じる。殺気が、飛んでくる。
すると車体を震わす凄まじい振動と共に、チエの座っていた助手席の景色がひび割れていった。凍りついた一瞬。それは拳だった。
男の拳がガラスをぶち破ろうとしている。擦り切れるような金属と金属の共鳴りが私の鼓膜を劈いた。
考えるより先に、ドアを開けて外へ出る。その発射された右腕が嚆矢となって、私たちは戦闘態勢へと入る。宙空で車体側面を蹴り上げて浮遊。身体を捻りながら後方確認。チエは既に遥かに先の方で着地を済ませており、周囲の情報を確認している。相変わらず反応が早くて安心。いや、逃げ足が早いだけか。
「(ルカちゃん! ザ・ボーイズの『シック・オン・ユー』お願いしまーす!)」
たまには自分から流せや──と思いながら前方を見やると、男は私へ目掛けて突撃を開始し、女は懐から何やら長方形の貴金属を取り出している。恐らく爆弾だろう。
私は梵を念じては男を動きを食い止め、女の手元をしようと試みる。
男はゆっくりと停止し、女は貴金属を懐へとしまう──成功。同時進行する二つの複雑な操作だが、上手くいった。絶好調だ。
頭の中でザ・ボーイズの「シック・オン・ユー」を再生。
違和感があった。上手くいかない。私とチエの意思疎通の思念の間に、確かな夾雑物が感知される。
「(まずはレッスン1ね。そいつら残り三分で殺れたら合格。はい頑張ってー)」
頭の中で、あの声が──琴音ナナの声が、鳴り響く。 後方でチエが苛ついているのを感じる。向こうも同じか。
コマ送りになった知覚。
もう一度深く、深く念じる。
瞬発的に乗り捨てた車を──いまや半壊しつつあるその鉄塊を──停止中の男に向かって高速で吹き飛ばした。
中が無人であれば、今やそれはただの物体でしかない。自在に操作出来る。鈍い爆発と共に、男は前方のアスファルトの地面へと吹き飛ばされる。
刹那の攻防で間延びしていた意識は一気に収縮し、時間感覚が順行へと呼び戻される。
「(車飛ばして、大丈夫なんですか? 橋渡れます?)」
「(どの道、途中で乗り変える予定だったでしょ)」
「(ああ、そ──)」
雑音が、私たちの思念を再び掻き乱す。 私はチエの──『眼』を視る。チエの視点から世界を視る。
女の方が、これまた猛スピードで自分の元へと突進してくる。
オーバーサイズの黒いスーツが突風に波打ち、四肢の駆動に合わせて揺れる。
「(だから駄目だっての。それぞれの相手に集中しなさい。もう片方のこと気にしてる暇なんかないよ。あと二分四十七秒しかないんだから)」
これもまた、ノイズと共に強制解除。
腸が煮えくり返る。
何がしたい? 何が目的だ?
「筋トレ直後のアイシングー♪」
「筋トレ直後のアイシングー♪」
「何が良いのか悪いのかー♪」
「キネシオロジーの日進月歩ー♪」
爆炎と粉塵が四方に飛び交う中、模造人間特有の頓珍漢な自作曲を歌いながら、男はその身を高速で変形させてゆく。
「氷河期ベイビー! 氷河期! 氷河期! ベイビー! 氷河期ベイビー! 氷河期! 氷河期! ベイビー!」
両肩を突き破って現れたキャノンから、野球ボールほどの大量の氷塊が次々と高速で発射される。
男の皮膚は酷く汗ばみ、スーツ越しにもその蒸気が立ち上っているのが遠目にも視認出来る。その内、鼻の穴からも煙を吹き出してしまいそうな勢いだ。
しかし、ガン・クラッパー二号のあの厄介な光線とは違う。銃弾を外部機能に頼らない体内生産型。燃費もこっちの方が遥かに悪いだろう。一旦距離を詰めてしまえば対処は簡単だ。所詮、こいつは旧型だった。 時空間を移動した挙げ句に、特大のビームや重火器を乱射したりはしない。
発射された無数の氷塊の間をくぐり抜けながら突進。
また更なる異形へと変形しつつある男の胸元へと、オーラの込められた右膝蹴りを入れる。
この感触──一発で充分だ。
男はスーツの胸元を抑えて蹲る。いっそのこと、生身の人間らしく内臓から口元へと血反吐を逆流出来た方が楽だろうに。苦悶の表情を浮かべるながらこちらを見上げた男の顔を、私は右腕で鷲掴みにし、そのまま胴体から切り離した。
案の定、軽い。
男は機能を停止した。
爆炎が風に揺れる中、またまた指定認可地区で面倒事を起こしてしまった後悔と正当防衛の自己弁護の間で揺れながら、およそ数十秒間、私は待った。場所が場所、そして時期が時期だけにグループの後処理偽装班を呼ぶのも気が引ける。
やがてチエが煤けた煙の中から現れた。
「ルカちゃん。こっち、生身の人間でしたよ? 拳法家みたいな奴で。ちょっと弱過ぎでしたけど、何ででしょうね?」
チエの右腕はどす黒く染まっており、恐らく死体を内臓まで隈なく調べ上げたことが伺えた。
私は彼女のそのお気に入りのシャツが穢れたことに一瞬、酷く動揺した。
強烈な罪悪感を覚えながらも、必死に思案を巡らせる。
「向こうも近頃はリソース不足、焼きが回ったってよりは……この状況に応じて仕向けられたテストって感じか。直で『撃たれた』のは助手席だし、甘くしてもらったってことかもね……まあ、君の逃げ足には誰も敵わないから関係ないだろうけど」
「咄嗟の判断能力が早い、と言って下さい」
チエは訝しげに辺りを見渡した。
「あいつ……一体どこで『視てる』んでしょうね」
すると私たちの間を、一陣の風が通り抜けた。
同時にオレンジ色の派手な羽根を震わせている、小さく鮮やかな極楽鳥が上空からとこからともなく舞い降りてきた。
あの悪夢の中で、視たものと同じだった。
そして鳥は喋り始める。
「流石です。合格です、お二人様。この『事故』の後処理は我々の作業員にお任せ下さい。この先の道で、この宇宙の法であり、そして救済者である『梵天のナナ様』がお待ちです」
その救済者様の使いである模造ペットは、人工知能をフル稼働させながら更に私たちに向かって言った。
「玉依ルカ様、そして山田・キートン・チエ様……あなた方に、この世界の真実をお教えします」




