梵
無人のタンクローリーが二台、向かってくる。
高圧ガスの敷き詰められた銀色の貯槽の表面が、真夜中の外灯を跳ね返す。人気のない郊外の高速道路に轟々と燃え続ける、軽自動車の群れがアスファルトに熱を溜め続けていた。
風が、心身を吹き抜ける。額に浮かび上がる汗の玉を右手の甲で拭った。手首には、いつもの青いミサンガがある。
大丈夫だ。恐怖や不安は尽きないけれど、私にはまだ帰るべき場所がある。
私は今まさに、この乾いた風の中に梵の意志を確かに感じ取った。
「……非指定地区の労働者階級がこっち側でちょっとおいたしただけ。何もそんな大袈裟なことじゃないよ」
トーキョーラマの指定認可地区にあるぎらつくネオン街と、その中央部に屹立する総監視塔を遠目に見ながら、輝く梵のオーラをまずは右手に、次第に全身へと集中させる。
そして、飛ばす。
選ばれし者の目にしか見えない、そして使えない神々しい宇宙の光。
猛スピードで迫りくるタンクローリーは大破した。
無骨な鉄塊を凄まじい勢いで地面へと叩き付ける爆風は、私の身の周りを避けて通る。
母なる宇宙の大いなる梵の光に包まれた私の身体は、この世の全ての不浄から護られる。
危険物積載車に掲載された標識が足元に転がってきた。
暗闇の中でエメラルド色に光る大型外灯のひとつへと飛び乗る。それぞれには監視カメラが設置されていたが既に破壊済みだ。 遠くに更なるガソリン車の大群が見える。相変わらずこれだけの数を遠隔操作出来る、向こうの機敏な対応には感心する。
赤いミリタリージャケットの右ポケットの中へ手を入れた。確かにそこには奪取したデータの容れ物である、京系の小型メモリー・スティックの感触があった。 迎撃のために更に外宇宙の梵との交信を試みるも、脳内に思念が送られてきた。
それは、いつものあの声だった。
「(ルカちゃん? 起きてます? どうです? 今どんな感じですか?)」
外灯を飛び移りながら全身に集めた梵を全方位に放射し、次々と巻き起こる爆風の中でそれに応える。
「(ごめん、立て込んでるわ。もうちょいかかるかも)」
「(了解です!)」
耳を聾する程の爆音。地上に降りても依然として猪突猛進を繰り返すタンクローリー、トラック、軽自動車の雨霰は依然として止む気配がない。
「(てかチエちゃんさあ、君は『視えない』ってのは分かるけど、今はやめてくんない? 気、散るんだわ)」
「(え、いいじゃないですか別に。あと出来たら、帰りに豆乳買ってきてください!)」
身体の半径約一メートルに球体結界を張りながら、敏速に走り続けた。 焼け爛れた鉄塊と炎を跳ね除けながら、まだ破壊出来ていない外灯やドライブ・レコーダーに仕掛けられた監視カメラの死角を探しつつ、脱出の機会を伺う。
「(なんで? 一昨日ぐらいに買ったばっかじゃん)」
「(もうなくなったんですよ)」
「(ガブガブ飲み過ぎなんだよ。それ逆に身体に悪いよ? ただでさえ貴重品なのに)」
「(だっていっぱい飲まないと、効いてる気しないじゃないですか。それに豆乳って……お胸の方にも……)」
「(もう充分あるだろ。嫌味か貴様。帰ったらシバく)」
文明の利器の衝突は止まらない。
だだっ広い道路の端から端までジグザグに走り抜けながら、爆発を掻き分けてとにかく走り続ける。 黒い太めのカーゴパンツのポケットに火が燃え移る。叩き売りしてくれた非指定地区の露天商の顔を思い浮かべながら、それを手刀で払い除けては消火する。
「(この前の差し入れの納豆だって、一日五、六パックは食べてたでしょ?)」
「(はい)」
「(だから身体に悪いんだって! あんなのは一日一個でいいんだよ。納豆とかああいうのはさ、薬みたいなもんなんだから。ランボー先生だってあんなん食えたもんじゃないって言ってたじゃん)」
「(先生はイーグリス人だから分かんないんですよ。それに私、納豆の味好きなんで! やはりなんか自然的でありながら、どこか科学的な感じもするというか……その両面性が良いというか……)」
人工芝の植えられた央央分離帯に差し掛かったところで結界を解き、爆風を避けるため身を伏せた。
もう一度、神経を集中させる。中々に難儀だ。
結局、いつもこうなのだ。 こいつの甘ったるい声は。 いつだって、どうしても──安心してしまう。
私は目を閉じ、息を深く吸って一気に吐き出した。
そして、全身に秘められた梵を解き放つ。
「(だから、何度も言ってるでしょ! 納豆なんて、発酵した腐り豆なんだよ! あんなん今度ご飯に出したら、あたしマジで怒るから!)」
背骨の芯に伝わる凄まじい震動。
全身の肌を切り裂く冷たい風。
眩いオーラの波動が周囲に拡散する。
ビリビリ震える神経と、こめかみの辺りでジンジンと疼く思考回路。
私の内宇宙と、遠い銀河の果ての外宇宙が繋がる。
私は四方八方に衝撃波を発射しながら、道路の辺り一面を破壊した。
そして非認可地区のスラム街、「ポープ・マテリ・一一〇番街」へとそのまま転がり落ちていった。




