第3話 黒い蛇
王都の路地裏深く、光の届かない廃倉庫の一室。
そこに、怯えた三人の男たちがひれ伏していた。先日、うどん屋台で政宗に叩きのめされた街のごろつきたちだ。
「ぼ、ボスに直訴を……! 手土産になる凄ぇネタがあるんだ……!」
必死に訴える男たちの前に立っていたのは、王都の裏社会を牛耳る『黒蛇会』の幹部だった。幹部は冷ややかな目で見下ろすと、静かに手を横に振る。
「下っ端の分際でボスに直接口を挟もうなど、身の程を知れ。それに、たかがうどん屋相手に逃げ帰ってきた挙げ句、組織の名を騙るとはな」
「ひっ……た、助け――」
短い悲鳴を残し、男たちは暗闇の中へ引きずり込まれて消えた。
幹部は部屋の奥、重厚な革製椅子に腰掛ける男――黒蛇会のボスへ深く一礼した。
「失礼いたしました、ボス。ゴミの始末は完了しました」
「……待て」
煙草の煙を紫煙とともに吐き出しながら、ボスが低い声で制した。
「奴らが最後に言っていた言葉だ。『黒髪黒目の妙なガキがいた』とな」
「……何か気になることでも?」
「王政府が極秘裏に行った『異界の勇者召喚』。召喚された者は、黒髪黒目の特徴を持つと聞く。……暗部に命じて、そのうどん屋とガキの身元を急ぎ洗わせろ。もし本物の勇者なら、王政府を揺さぶる最高の札になる」
「ハッ、直ちに」
闇の中で、冷酷な陰謀が静かに動き始めていた。
◇
「はあぁ~……今日も死ぬかと思った……」
夕暮れ時。王都の隅にあるうどん屋台のベンチに、政宗が魂の抜けた顔で倒れ込んでいた。
王城での騎士団との訓練を終えた帰り道、彼は吸い寄せられるようにこの屋台へやってきたのだった。
「はい、お疲れさん。きつねうどん大盛りね」
ナギが差し出した丼を受け取ると、政宗は「生き返る……」と涙目で出汁をすすった。
「王城の騎士ども、マジで手加減を知らねぇんだよ!『勇者様だから』って、鉄の塊みたいな剣でガチンコで打ち込んでくるんだぜ!? ステータス画面もないから自分がどれくらい強くなってんのかも分かんねぇし……」
「そりゃ訓練なんだから当然でしょ。甘えてんじゃないよ」
ナギが呆れ顔で器を洗う横で、巨大ペンギン――ペンちゃんが静かに政宗の隣へ腰掛けた。
政宗は箸を止め、ペンちゃんを見上げる。
「なあペンちゃん、聞いてくれよ。俺がいた世界じゃさ、剣なんかで戦うのはゲームや漫画の中だけだったんだぜ?」
ペンちゃんが、どこか興味深そうに首を傾げた。
「向こうの世界には『科学』ってのがあってさ。魔法なんか使えなくても、小さな金属の筒から火薬の力で弾丸を飛ばす『銃』って武器があったり、ボタン一つで世界中の人間と話せる『スマホ』って板があったりしたんだ」
政宗が熱弁を振るうと、ペンちゃんの目が怪しく光った。
ペンちゃんはどこから取り出したのか、メモ帳とペンを手に取ると、凄まじい手つきで文字を書きつけて政宗の目の前に突きつけた。
「え? ……何、『火薬の調合比率は?』『金属筒の内部に腔鈑ライフルはあるのか?』って……ペンちゃん、字書けるの!?」
「ペンちゃんは賢いからね。まあ、細かい仕組みまでは知らないでしょ?」
ナギが横から口を挟むと、政宗は対抗心を燃やして胸を張った。
「甘いなナギちゃん! 俺はこう見えてミリタリーと科学雑学オタクだぞ! 火薬は硝石と木炭と硫黄! 銃身の中に螺旋状の溝を彫ることで、弾丸に回転を与えて直進性を高めるんだ!」
政宗がドヤ顔で熱弁を振るうと、ペンちゃんは猛烈な勢いでメモを走り書きし始めた。その瞳は探究心と好奇心で爛々と輝いている。
「お、おう……なんかすごい食いつくじゃん、ペンちゃん……」
「ペンちゃん、昔からそういうヘンテコな道具とか構造の話が大好きなんだよね」
ナギがふふっと笑う。
「まあ、何はともあれさ。ここに来て二人の顔を見て、うどん食って、こうやってくだらない話してる時だけが、俺の癒やしなんだよな」
政宗は照れくさそうに頭を掻きながら、残りの麺を豪快にすすり上げた。
政宗にとって、この屋台は過酷な訓練と重圧から逃れられる、唯一の「ホーム」になりつつあった。
◇
その夜。
客足も途絶え、屋台の周りはすっかり静けさに包まれていた。
ナギは丼を重ねながら片付けを進め、ペンちゃんは寸胴鍋の底を丁寧に磨いている。
「ねえ、ペンちゃん」
ナギがふと手を止めて口を開いた。
「随分あいつを気に入ったようね。確かにあいつのいた世界の科学文明とやらは興味深いけどさ」
ペンちゃんは磨く手を止め、ナギの方を見た。そして、ゆっくりとメモ帳を開き、文字を書きつけてナギに見せる。
『政宗は良いやつだ。戦闘はまだまだだろうけど、向上心と強い意志を感じる。昔のあんたを思い出すよ』
「あたしを……?」
ナギが目を丸くする。
ペンちゃんはさらに文字を書き足した。
『少々馬鹿だけど。あたいは好きだね。あの真っすぐな所とか』
「ふふ、それは否定できないね」
ナギが小さく吹き出す。
だが、ペンちゃんはそこでペンを止めず、もう一言書き足した。
『ただ素直すぎるがゆえに足元をすくわれかねない。あんたも気にかけてやりな』
その一文を見て、ナギの表情から笑みが消えた。
「……あたし?」
問い返すように呟くが、ペンちゃんはそれ以上は答えず、静かに鍋磨きへ戻ってしまった。
ナギはしばらくメモ帳の文字を見つめていたが、やがて小さく息を吐き、空を見上げた。
夜の帳が下りた王都の空に、満月が静かに浮かんでいる。
(あたしも……素直すぎる、か)
その言葉の意味を、まだこの時のナギは深く考えていなかった。
◇
数日後。黒蛇会の本部。
「ボス、調査が完了しました。あのうどん屋に出入りしている黒髪の少年……間違いなく、王政府が召喚した勇者『マサムネ』です」
報告を受けたボスは、口元に凶悪な笑みを浮かべた。
「フッ……上出来だ。勇者を身代金代わりに奪い取れば、王政府に闇ルートの完全容認と巨額の免罪を呑ませられる。精鋭を集めろ」
「はっ。ですが、あのうどん屋には巨大な魔物と少女がおりますが……」
「邪魔者はすべて消せ。勇者だけを生かして連れてくればいい」
黒蛇会の精鋭部隊が、静かに夜の闇へと溶け込んでいった。




