第01話 無鉄砲なアラサーリーマン。
「エレベーターが開くとそこは異国だった」
まったく情緒の無い川端康成状態――『異国情緒』って意味では満載なんだけどさ。
「……俺、出張中とかじゃなかったよな?」
少なくともほんの数分前までは普通に商談してたはず――あっ。
目の前の光景に思わず一歩踏み出した、踏み出して『しまった』俺の後ろからエレベーターの扉が閉まる気配に思わず『バッ!』と音がするほどの勢いで振り返るも。
「エレベーターの入口どころか、ビルの壁すら消えちゃってるんだけど……」
愕然とした表情でしばらくフリーズ。
「……まぁこのままジッとしてても何も解決しそうにないしな」
アフリカの某国でパスポートを盗まれた経験がある俺。
この程度のことで……絶対に『この程度』で済む状況じゃないけれども!
ため息をつきたくなるのをグッと我慢、改めて周囲を見渡す。
商人たちが賑やかに呼び込みをする声。道を行き交う人たちの雑多な話し声。
日差しはきついが湿度は低いらしく、乾いた風が汗ばみそうな肌を乾かす。
「……市場っていうかバザールって感じかな?」
日焼けしてしまったのか、それとも元々の染めが甘いのか。
煤けたような、味わいのある色味の反物。
『さぁ買っていって頂戴! こっちもあっちも全部今日の採れたてだよ!』
南国っぽい、色とりどりの果物。ツンと鼻を刺激する香辛料のスパイシーな香り。
『おばちゃん、そこをもう一声!』
乱雑に並べられているのは陶器の入れ物や金属製の細工物の数々。
「買い物してる人、着ている服の雰囲気だけ見れば中央アジアから中近東ってところか」
あちらこちらから漂ってくる、焼けた肉の脂の匂いに俺の腹が『クゥ……』と小さく鳴る。
「うう……そこそこ腹もへってるし、何か摘んでみたいけど……さすがにカードも日本円も使えそうに無いしなぁ」
濃紺の、それなりのお値段のスーツの下には白いワイシャツ。
ネクタイを締めた革靴姿でアタッシュケースをぶら下げた、いかにもビジネスマンという見た目のアジア人。
この市場には場違い過ぎる格好をした俺に集まる、珍獣を見るような視線。
「知らない街に知らない建物に知らない言葉――あれ?」
確かに、看板らしき板に描かれてる文字はまったく読めないけど……あの人達って日本語で喋ってないか?
目から耳に意識を移し、聞こえてくる言葉に集中する。
『どうして男がこんなところに一人で……』
『肌の色が白いわね。他所の国の人なのかしら?』
『……攫うか?』『さすがにここじゃ目立ちすぎる』
まさかの人攫い!? とりあえず大通りから離れるのはヤバいってことは分かった!
……じゃなくてだな!!
えっ? 一人、二人じゃなくて、聞こえてくる全員がネイティブな日本語で喋ってるんだけど? 日本人街でもない外国でそんなこと……ある?
「もちろん言葉が通じること自体はありがたい限りなんだけど……何にしても、どうにかしてこの国の通貨を手に入れないと身動きがとれないよな」
どこかにATM……さすがに露店ばかりのこんなところに置いてあるはずもなく。
誰かに尋ねられればと、キョロキョロと首を動かし辺りを見渡す。
「……てか何あのアラビアンナイトの世界から出てきたような、ディ○ニープリンセスのコスプレしてるようにしか見えない美人さん」
歳の頃なら二十歳くらいだろうか。
赤みがかった長い髪を高めの位置でポニーテールにまとめ。
上半身はフリルの付いた半袖――いや、半袖っていうか! もうあれ、袖が付いただけのブラだろ!?
健康的な褐色の肌。肩とお腹を惜しみなく晒し、その一方で下半身はゆったりとした長ズボンで完全防備。
「袖っていうか二の腕と腰回りをを包んでる薄手のヴェール? が妙に色っぽいし。金糸で縁取られたドレス? がゴージャスでお高そうだし」
髪飾りにイヤリング、幅広の飾帯。
金属――というか金製の装飾が、彼女が動く度にしゃらりと小気味良い音を鳴らす。
うん、オッサンがヘソ出し肩出しギャルに話しかけるとか絶対に無理……あっ、目が会った。
というかニコリと微笑まれた。
知ってるか?
自然界では笑顔って友好の表現じゃなくて威嚇なんだぜ?
さすがに不躾な視線を向けすぎたかと、慌てて頭を下げることに。
そんな俺を見て、何故かポカンとした顔になるお姉さん。
「もしかしてこれ、ワンチャンある?」
自分の歳を棚に上げ、そんなど厚かましいことを考えている三十二歳独身男。
そんなオッサンなど知ったことではないと、混み合っていた大通りの向こう側。
何かに押されるように右へ左へと割れていく人並みの奥から。
「マーラン様のお通りである!」
「邪魔だ! 道をあけろ!」
よく通る女性の怒鳴り声が聞こえた。
「いや、一体何事だよ」
ざわめいていた市場の雰囲気の『質』が変わり、道の奥からゆっくりと姿を現したのは。
「台座……っていうか神輿かな?」
もちろん『祭りだワッショイ!』という明るい雰囲気では無いんだけどね?
その上に乗っているのは、派手な衣装の女性を侍らせて膝枕で寝そべるデb……コホン、恰幅の良い男性。
「何だあの、一昔前の『ステレオタイプなマハラジャ』って感じのオヤジは」
ゴージャスも度が過ぎるとここまで滑稽に見えるものかと思わず苦笑い。
とはいえ、さすがにあんな集団に巻き込まれたら色んな意味で大怪我をしそうだし。
近づいてくる御輿を避けようと、通りの端へ寄ろうとした俺から十メートルほど離れた道の上。
屋台の手伝いでもしていたんだろう、荷物を抱えていた小さな女の子が目に止まる。
人の波に押されたのか、それとも何かにつまずいたのか。彼女の身体がぐらりと傾き。
「あっ……」
『危ない!』思わず小さな声を漏らした俺の目の前で、抱えていた品と一緒に地面に投げ出されてしまう。
「ああっ!!」
『ガランガラン』という金属音と、砂埃を立てながら転がっていく幼女が抱えていた銀色の大皿。
そして、その転がった先にあるのは『マハラジャ(仮)』の大名行列。
あれほど騒がしかった市場が水を打ったように静まり返り、それを見つめる人たちが一斉に顔をこわばらせる。
……これ、絶対にマズイ状況だよな?
誰かが喉を飲み込んだ『ゴクリ』という音が大きく聞こえたその時、御輿の脇から一人の使用人らしき女性が前に出てきたかと思うと幼女を睨みつける。
そして無言のまま、右手に握った細長くしなる鞭のような物を握り直したかと思うと――
「いやいやいや! さすがにそれはシャレにならんだろ!!」
地面に座り込んだまま、声も出さずに震えている幼女。
何かを考えるともなく、条件反射のように走り出す俺。
その小さな身体を包み込むように抱きしめ、幼女をかばうように女性に背を向けるとともに聞こえる『ヒュン!!』という風切音。
その場の勢いだけで何してんだ俺……。
今すぐにでも訪れるだろう痛みに目を閉じ、歯を食いしばり、体に力を込める。
一秒、二秒、三秒。
「…………」
五秒、十秒。
「…………?」
いや、さすがに振り下ろすまでの時間が長すぎじゃね?
いくら待っても訪れない背中の衝撃に、恐る恐る薄目をあけると……そこには鞭を振り上げたまま、何故か恐怖に怯えた顔の女性の姿があった。




