序章
ログリタリナ魔皇国。人、妖精、精霊、そして自然が共生している魔法国家で、魔皇国を北と南に分断するかのように巨大な森が存在している。幻迷の森と呼ばれるその地の中心にはユグドラシルという妖精や精霊達を生み出す巨木があり、常に高濃度の魔力に満ち溢れていて只人の侵入を許さない。
しかし、何時の世も例外というものは存在する訳で。森を管理する魔女のタイテニア・マッブ・フェアリンクとその夫のアルベリヒ、そして彼女らの養い子兼弟子の二人が、ユグドラシルが聳える空間にある屋敷で暮らしていた。この内二人は仕事の都合で皇都に住んでいて、今はタイテニアと弟子の内の一人、エヴァンジェリーン・エラマーことイーヴァだけだ。
イーヴァは幼い頃に師である魔女夫婦に兄弟子のネオハルト・バンフィールドと共に拾われた。とはいえ、イーヴァにそれ以前の記憶はなく、正直興味もなかった。それよりも彼女の興味を引いたのは植物研究で、中でも種の研究だった。そして、何処からともなく現れるこの世の淀み、高濃度の淀んだ魔力である瘴気についてで、瘴気に有効な種の開発及び研究がイーヴァのしたいことになったのだ。
「家にある本は全部読んだし、ハルにぃに皇都の本を持って帰ってきてもらうのも限度があるしなぁ。あ、そうだ! 私が皇都へ就職すればいいんだ!」
思い立ったが吉日。イーヴァはさっそく森の魔女で師のタイテニアに皇都で就職して研究がしたいという話をした。
「ということで、皇都へ行きたいんです!」
いきなり言われたにもかかわらずタイテニアは慣れた様子で、優雅に紅茶を嗜んでいる。
「そうだな。イーヴァがしたいのならばやってみると良い。ただ、お前様にはこの妾が直々に魔法について叩き込んだとはいえ、妾も人の親。幾ら成人はしていても、まだ十六のお前様が妾の眼を離れて一人皇都で暮らすのはやはり心配だ。故に、皇都での住居は妾が用意しよう。それまではネオハルトと共に暮らせ。就職先に関してもネオハルトに聞くが良いだろう。ルベル……アルベリヒは出張で皇都にはおらぬからな。イーヴァよ、しっかりと励むのだぞ」
「師匠、ありがとうございます!」
タイテニアの了承を得たイーヴァはさっそくネオハルトに魔導水晶玉で連絡を取る。
「てことなの。良い就職先とかない?」
水晶玉に映っているのは赤いく長い髪を高い位置で一つに纏め、灰色の瞳をしている一人の青年、ネオハルトだ。
〈いきなり水晶で連絡して来たかと思ったら……また突拍子もないことを〉
「突拍子がないって何よ! これでもちゃんと考えたんだから」
〈はいはい。で、師匠の許可は貰ったんだっけ?〉
「うん。やりたいならやってみなさいって。ただ、皇都での住居の指定はされたけどね。それは仕方ないわ。私も幻迷の森の関係者で森の魔女タイテニアの弟子だもの。ハルにぃも住居は指定されたんでしょ? だったら私が我儘なんて言えないわよ」
〈なら、俺から言うことはないな。それで、就職先だろ? ならまずは、種師になる所からだな。俺が宮廷魔法剣師として引き抜かれたみたいに、種師試験で優秀な成績を残せば宮廷植物研究科への就職できる可能性もあるから、とりあえずはそれを目指すのはどうだ?〉
種師とは主に錬金術と魔法を掛け合わせた技術を使って、種を生み出したり品種改良などを専門に行う職のことを言う。それだけでなく、生み出した種を販売することもできるから、それ目的で取る人も少なくない。
しかし、種師にも初級、中級、上級の三種類があり、研究職に就けるのは上級種師のみ。一次試験と最終試験、研修を行ってレポートを提出し、合計点が一定以上なければ上級種師にはなれない。そこからさらに上位が宮廷植物研究科へと引き抜き就職となるのでさらに狭き門となっている。
「分かった。それがやりたいことへの近道なら、絶対に試験に合格して宮廷植物研究科に就職してやる!」
〈お~頑張れ頑張れ~〉
気の抜けそうなネオハルトの声援を聞きながら、イーヴァは決意を固めた。
そこからは勉強漬けの日々だ。ネオハルトから試験に役立ちそうな本を何冊か送ってもらい、家にある本を最初から読みなおしていく。試験は半年後で、試験勉強と共に引っ越しの準備も並行して行わなければならなく、忙しい毎日が続いた。
時は過ぎて試験の数日前、イーヴァはネオハルトが住んでいる皇都のアルベリヒの屋敷へ引っ越した。屋敷には自動洗浄魔法がかけられているおかげで常に綺麗な上、強固な防衛魔法まで施されている。
「本当に此処に住むの? 過剰防衛過ぎない?」
「言うな。俺だってやり過ぎだって言ったけど、師匠達が悪乗りしたんだよ」
呆れながらも仕方がないとイーヴァとネオハルトは溜息を吐いた。それから、試験に必要なもの一式や研修に来ていく服などをネオハルトと共に買いに行ったりと、皇都に来てからも慌ただしく過ごした。
「それじゃ、行ってくるね」
「おう、頑張って来いよ」
試験会場前でネオハルトに見送られ、イーヴァは気を引き締めて試験に臨んだ。試験が終われば研修が始まる。試験は大変疲れるものだったが、研修は驚くほど楽しかった。本の中でしか得られなかった技術が目の前で行われ、実際にそれを行えるのはイーヴァにとって幸せでしかなかったからだ。
それから数日後の事。
「やった! やったよ! 私、宮廷植物研究科に就職できる!」
研修も終わり、遂に合否の通知が屋敷に届いた。封を開けて中を見ると、合格証明書と共に宮廷植物研究科への引き抜きの承諾依頼書が入っていたのだ。
「何々……エヴァンジェリーン・エラマー様、上級種師資格取得おめでとうございます。貴女様は今年の種師試験において最優秀得点を獲得され、宮廷植物研究科においてその才を是非とも発揮していただきたく、種師試験合格通知と共に宮廷植物研究科への内定受諾書をお送りさせていただきます。期日までに下記の住所まで可否をお送りいただけますと幸いです。何卒、よろしくお願い申し上げます……おお~、すげーすげー」
「……あのさ、もっと何かないの?」
あまりにも軽いネオハルトの反応に、イーヴァは思わず問いかける。
「何かって?」
「もっとこう、あるでしょ? 凄いなとか、よくやったとか」
「頑張ってたのは知ってるし、俺も引き抜かれた立場だからな。それに、森の魔女タイテニアと宮廷魔法剣師長アルベリヒの弟子で、俺の妹弟子が宮廷種師になれないなんてありえないからな」
「うぅ……」
イーヴァはネオハルトの言葉に頬を赤らめて唸るしかなかった。
昔からネオハルトは、意地悪かと思ったらこうやって当然というかのように褒めてくるのだ。それも、本人は何気なしで当たり前のことを当たり前として言ってくるので余計に質が悪い。
「ま、まぁ? 別に良いけど……って、早く引っ越さないと!」
「? 何処にだよ?」
「だって、師匠が言ってたよ。『皇都での住居は妾が用意しよう』って。だから、試験の間はこの屋敷で暮らすけど、合格したら一人暮らしを始めるんだって思ってたんだけど……」
「……はぁ」
「何で溜息なんて吐くのよ」
「いや……だから師匠はあんなことを」
「?」
ネオハルトの呆れた表情に、まるで馬鹿にされているように感じる。すると、彼が一通の手紙を差し出した。
「これは昨日の夜、師匠から届いたものだ。イーヴァが試験に合格して研究科に配属することになった時に渡してくれと言われた」
イーヴァは封を開いて便箋を取り出した。
「イーヴァへ。試験合格、そして研究科職員となったことおめでとう。心の底から喜ばしい。さて、お前が住む家の件だが、アルベリヒの屋敷にネオハルトと共に住み続け、ろ……はぁ⁉」
タイテニア曰く、世間知らずのイーヴァを一人で暮らさせるのはやはり心配だという。
「アルベリヒの屋敷なら安全で、妾も手を加えているから用意したのと同義だ。それにその屋敷にはネオハルトも住んでいて、イーヴァも今暮らしていることだから引っ越す手間も省けるだろう、って……し、師匠!」
イーヴァは手紙を読み終えると急いで居間へ行き、通信用水晶を起動させた。
しかし、幾ら呼び出しても通信が切られていて繋がらない。
「師匠‼ もう!」
「そんなにカリカリするなよ。師匠だって心配しているだけなんだから」
「だからって!」
「別に支障はないし、師匠は嘘を言ってないだろ。それに、研修中の服を一人で買いに行けないお前が、一人暮らしなんてできる訳ないだろ」
「うぐ……。だって、研修に相応しい服なんて分かんないし……そもそも、教えてもらったけど皇都が複雑で、何処にお店があるのか分かんないし……」
「ま、俺も一人で暮らすよりお前と暮らした方が色々と助かるしな」
「ハルにぃ……分かったよ」
イーヴァは不服に思いながらも、アルベリヒの屋敷でネオハルトとの生活を続けることになった。




