女狐との思い出【レナス目線】
「貴方がいくらフィリシアを好きでもレンジに勝てないのはわかってるでしょ?」
白髪の女が囁いたそれに動揺して、隙を作ったと言ったら彼女は笑うだろうか。
おれは物心ついた時にはもうフィリシアの側にいて、当然のように彼女に育てられた。両親は勿論いたが、魔法塔の中で生まれた子どもは塔の研究員みんなが家族だった。愛情がなかった訳ではないけれど、本で読むような親子関係ほど密ではないと思う。子どもは好きな研究室に出入りしてよかったし、塔のみんなが先生だった。そのうちお気に入りの研究室を見つけて、いつの間にかそこに入り浸る。そして師匠を決めるのだ。
ただ、禁断の十三階に足を踏み入れたのはおれだけだった。長老議会すら悩ませる恐ろしい女狐が、十三階に研究室を構えているとは有名な話だ。塔の研究員誰もが名を聞くだけで震え上がる魔女。
フィリシアの研究室を開けた時、おれは不様に気絶した。
「まあまあ、ごめんなさいね。薬品を爆発させてしまったものですから」
隣の空き部屋で目を覚ましたおれに、桃色の巻き髪を揺らしてフィリシアはにこにこと言った。仰天するほど美しいフィリシアは確かに魔女だと思った。しかしいつまでも驚いてはいられず、ここまで来たのだからという理不尽な理由で、三秒もしないうちに鼻が馬鹿になる異臭を放つ爆発跡の掃除を手伝わされたりもした。
が、彼女は確かに強かった。塔の誰よりも強かった。
同時にいくつも魔法展開できる能力、しかも詠唱を省略しているのに莫大な威力を保つときた。際限を知らぬ知識は頭の中に図書館がまるまる一つ入っているのではないかと疑う程。気がついたら彼女に師事していた。弟子というより人使いが荒い彼女の下僕になったと言うべきか。度々爆発させる薬品の掃除を手伝い、好物のロールケーキを買いに走らされ、十年経って長老議会の一員になっていた。最年少だというのに長老達は「フィリシアの弟子なら問題あるまい」とか緩いことを言っていた。
……十年経ったのに、フィリシアはなにひとつ変わらなかった。塔の誰もが察するように、おれも彼女の正体に気がついていた。魔獣と人間の混血児、永い時を生きる忌み子と呼ばれる存在だと。
『わたし達が塔に辿り着いた時、既に彼女はいた。……諦めなさい。彼女は約束をしてはくれないわ』
『約束をする度胸がねぇから独り身なんだろ。傷に塩を塗り込むようなもんだ。悪いことは言わねぇからあの女狐だけはやめとけ』
白猫も、あの黒猫ですら止めてきた。わかっているんだ。フィリシアが月に一度訪れている裏山の石碑。そこに刻まれた名前、二百年前に亡くなったレンジという人物こそがフィリシアの想い人だって。あんな切なそうな顔で見つめるのに、死んでしまったということはそういうことなんだって。
フィリシアは絶対に、おれに永遠を約束してはくれない。
『レナス!』
ピリッと頬に走った痛みで意識が浮上する。怠い上体を起こすと、顔の上に乗っていた黒猫が飛び降りた。頬に手をやれば、僅かに朱がつく。
『馬鹿だなお前』
「……ん」
まさかあの女からフィリシアの名前が出てくるなんて、とか言い訳はしていられない。動揺して魔法防御が疎かになるなんて馬鹿としか言いようがない。
周囲を見回す。白猫が他の面々を肉球で叩いて起こそうとしているが、おれ程魔法に耐性がある者はいないだろうしすぐには目を覚まさないだろう。そしてアレクサンドラがいないことに気がついたが、二匹に問うのは無駄だ。黒猫はおれと白猫以外どうでもいいと思っている節があるし、白猫はおれを含み人がバタバタ倒れているこの状況を放って彼女を追いかけるなんてできやしないし。
いや、白猫には別の思惑があるか。
「アレクシアはどこだ」
それはおれに負けず劣らずぼんやりしていた白銀の魔族の声だった。だがその声音は為政者の響きを持っていた。誰もがはっと息を呑み、背筋を正してしまうような強制力。キンと張りつめた空気の中、白猫が口を開いた。
『行方不明です。そもそも、貴方がさっさと約束をしていればわたし達にそう問わずとも済んだでしょうに』
「……ルシア」
ギロリと白猫を睨んだ視線は発動を待つ高威力の魔法が込められているかのようで、白猫が消し飛ばされるのではないかとハラハラした。なのに白猫はツンと鼻を持ち上げた。
『いい加減お認めになってはいかがです? 旧知のわたしから見ても、貴方が彼女を特別扱いしているのは明白です』
凍りついた長い一瞬の後、白銀の魔族が小さく息を漏らした。
「私は、他者に指摘されるのが嫌なだけだ」
何気なく、ダンスでも申し込むように差し出された掌の上、どっと汗をかくくらい膨大な魔力が集まる。
「白銀に燃ゆる炎、其れ即ち太陽なり。……然り。炎への畏怖・信仰依りし我は太陽の主導権持ちし者。太陽の下なれば行方知らずの蝶のひとひらすらも隠すこと能わず。さあ、私が知らない情報を白日の下に曝すがいい」
カッ、と白銀の魔族の掌で擬似的な太陽が輝くと同時、黒猫の呑気な声がした。
『なんだ、人間に同情したのか? やけに丁寧に指定するじゃねぇか』
黒猫の指摘は最もだ。情報という指定さえなければ、あの掌の太陽はアレクサンドラのみを残してこの国を消し炭にしていたに違いない。
光が収まった時、白銀の魔族はそこにいなかった。
レナスは別にぼんやりさんという訳ではありません。
口にするのがだるいと思ってるだけです(笑)
魔法のことは口に出して頭を整理したいのだと思います。
フィリシアとレンジのことはまた今度別の作品にして書きまーす。




