第16話「見送り」
その時だった。
背後から、控えめな咳払いが聞こえた。
「……やっぱり、二人ともここにいたんだ」
振り返ると、そこにはシスティーンが立っていた。その隣にはブリシンガーもいた。
そして、さらにその後ろから、短い足音を響かせながらドゥガルが姿を現した。肩には小さな酒瓶を提げ、髭を撫でながら、にやりと笑っている。
「やっぱりここにおったか。家の中におらんから、てっきり姫さんを連れて駆け落ちでもしたのかと思ったぞ」
「するかっ!!」
バルダーが即座に叫ぶ。ドゥガルは腹を揺らして笑った。
「その返しの速さ、図星を突かれた時の声だな」
「違ぇよ!」
レオナは一瞬きょとんとした後、口元に手を当ててくすりと笑った。
バルダーは眉をひそめ、三人を見回す。
「……まさか、聞いてたのかよ」
ブリシンガーは首を横に振った。
「全部ではない」
「どこからだ」
「“俺も、ちゃんと見る。君のいる場所を”あたりからだ」
「ほぼ一番聞かれたくないとこじゃねぇか!」
バルダーが顔を赤くして叫ぶ。
するとドゥガルが、さらに愉快そうに髭を撫でた。
「ほうほう。“君のいる場所を”か。いやあ、若い。炉の火より熱いわ」
「うるせぇ!」
「いいではないか。自分から姫さんの世界を見に行こうと思えるようになったんだろ。昔のお前なら、そんなこと言わんかったぞ」
その言葉に、バルダーは一瞬だけ黙った。
ドゥガルの声音は、先ほどまでのからかいとは少し違っていた。旅を共にし、戦場を越え、彼の不器用さも傷も知っている仲間の声だった。
「……まあな」
バルダーは照れ隠しのように視線を逸らす。
システィーンは口元を押さえて、柔らかく微笑んだ。
「でも、素敵だと思うよ。バルダーが自分から王都に行きたいって言うなんて」
「別に、そういうんじゃ……」
「カリスさんにも会いたいんでしょう?」
システィーンが優しく言う。
「うん。それも、きっと大事だと思う。カリスさんも、バルダーに会えたら嬉しいんじゃないかな」
ブリシンガーも静かに頷いた。
「いい機会だ。カリスも今は王都で自分の居場所を作ろうとしている。お前が会いに行けば、励みになるだろう」
「カリスか……」
ドゥガルも腕を組み、少し懐かしむように目を細めた。
「あの若造も、随分と難儀な道を選んだもんだ。魔族でありながら人の王都に仕えるなど、並の覚悟ではできん。お主が顔を見せてやれば、あやつも少しは肩の力が抜けるだろう」
バルダーは少しだけ視線を落とした。
「……そうか」
「そうだ。ついでに、王都の飯でも食ってこい。姫さんの案内付きなら、変な店に連れて行かれることもあるまい」
「俺をなんだと思ってんだよ」
「放っておくと、干し肉と硬いパンだけで済ませる男」
「……否定できねぇ」
その返答に、レオナがくすっと笑った。
「なら、王都ではちゃんとした食事を用意するわ。料理も、礼儀作法も、私が見てあげる」
その横で、ドゥガルがふんと鼻を鳴らす。
「食器の順番くらいで怖気づくな。剣や槍よりは噛みついてこん」
ブリシンガーは真顔で首を振った。
「いや、あれは難敵だ」
「お主まで何を言っとる」
ブリシンガーは少しだけ眉をひそめた。
「以前、晩餐会で妙な順番で食器を使って、ロズベルグ王に静かに笑われた。皿の左右に武器のように並べられていたからな。どれを使えばいいのか、さっぱり分からなかった」
自信満々に言うブリシンガー。
「武器扱いすんなよ……」
バルダーが呆れる。
システィーンはとうとう声を出して笑った。レオナも、堪えきれずに笑みをこぼす。
その後システィーンはそっと微笑み、レオナに向き直った。
「じゃあ明日、私の転送魔法で王都まで送るね。バルダーも一緒に」
「ありがとう、システィーン。助かるわ」
「ううん。こちらこそ……レオナさんが来てくれて、楽しかった」
「私もよ。また来るわ。今度はもっと上手に変装してね」
「ふふっ。じゃあ、次は私が服を選ぶね」
「お願いするわ。ブリシンガーに見破られないくらい完璧なのを」
「無理だと思う」
システィーンが即答すると、ブリシンガーは静かに頷いた。
ドゥガルも頷く。
「俺もそう思う。姫さんは立っておるだけで姫さんだ。畑の案山子に混じっても、一人だけ王城の庭に見えるわ」
「ちょっと!あなた達、失礼ではなくて!?」
レオナが頬を膨らませる。
その隣で、バルダーは小さく笑った。
「……悪くねぇな」
誰にも聞こえないくらい小さな呟きだった。
けれど、レオナだけでなく、ドゥガルもまた、その言葉を聞き逃さなかった。
「ふん」
ドゥガルは酒瓶を肩にかけ直し、満足げに笑った。
「その顔ができるようになったなら、王都でも大丈夫だろう」
ブリシンガーが静かにバルダーを見る。
「行ってこい、バルダー。王都には、お前がまだ知らないものがある。カリスもいる。レオナ王女の世界もある。……見て損はない」
システィーンも頷いた。
「うん。きっと、いい旅になるよ。明日、転送魔法で、王都まで送るね」
レオナは、そっとバルダーを見上げた。
「なにか言った?」
「いや」
バルダーは少しだけ笑って、夜空を見上げた。
「明日、早いんだろ。そろそろ寝ようぜ」
「ええ。そうね」
レオナは頷き、そして少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
「ちなみに、今夜もベッドは私が使うわよ?」
「わかってるよ。俺は干草でいい」
「一緒でもいいのに」
「だから寝ねぇって!」
そのやり取りに、システィーンが顔を赤くして口元を押さえ、ブリシンガーが静かに視線を逸らした。
「……若いな」
「お前に言われたくねぇよ!」
夜風の中に、また笑い声が広がる。
そして翌朝。 ファルデン村から王都へと続く、新しい小さな旅が始まろうとしていた。




