現物担保で帝国を買った男
王国の前線基地。冷房用の魔導器が静かに稼働する軍需省の仮設天幕に、その男は丸腰で現れた。
東方帝国・遠征軍情報将校ザイード。
3万の軍勢を率い、王国を滅亡の淵まで追いつめた天才。彼は今、水と食料を王国に握られた包囲軍の敗将として、俺のデスクの前に立っていた。
「歓迎しよう。……水を一杯どうだ?」
「遠慮する。交渉の席で弱み(渇き)を見せる趣味はない。すぐに本題に入ろう、王国の監査官殿」
ザイードは一切の卑屈さを感じさせない、冷徹な将校の顔のまま言い放った。
俺は小さく笑い、机の上に用意していた分厚い束を滑らせた。
「では、精算を始めよう。これが君たち帝国に突きつける、最終的な戦後賠償の請求書だ」
【戦後賠償および最終清算書】
・王国領土への不法侵攻に伴うインフラ復旧費
・包囲軍3万名の『ホテル代』および環境維持費(※日額10万ゴルド×滞在日数)
・商業連合の調停撤回に伴う特別違約金
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合計:金 45,000,000 ゴルド
支払期限:降伏文書調印から30日以内
宛名:東方帝国 遠征軍特命全権大使 ザイード 殿
「日額10万のホテル代など、全体から見れば端数にすぎない。本丸はインフラ復旧費と、大国を巻き込んだ特別違約金だ」
俺の言葉に、ザイードは忌々しそうに請求書を見下ろした。
「天文学的だな。帝国の国庫を空にしても、3割も払えないだろう」
「だろうな。払えなければ帝国は国家破産だ。だが、あんたの本国は『すべての債務を現地で処理しろ』と、全権を丸投げしてきたと聞いているが?」
俺の皮肉に、ザイードは微かに目を細めた。
「ああ。本国の老人共は、我々を見事なまでに損切りした。だからこそ、私の一存で決裁できる。……監査官殿。帝国に現金はない。だが、この負債を『現物担保』で相殺する用意がある」
ザイードは懐から一枚の契約書を取り出し、俺の前に置いた。
「『東部・バルド港湾の99年間の独占使用権』。そして『ガーラン魔晶鉱山の無期限採掘権』だ。この二つの利権の譲渡をもって、賠償金全額の支払いとする」
俺の視界で、《解析簿記》が猛烈な速度で数字を弾き出す。
港湾の関税収入と、魔晶鉱山の埋蔵量。そこから算出される現在価値に割り引いても、利権の総額は請求額の4,500万ゴルドを優に上回っている。現金化には時間がかかるが、権益価値としては圧倒的な『黒字』だ。
俺は契約書を一瞥し、そして——思わず、監査官らしからぬ声で笑い声を上げてしまった。
「……くっ、ははははッ! なるほど、そういうことか」
「何がおかしい」
「いや、見事な計算だと思ってね。バルド港湾とガーラン鉱山……どちらも、帝国本国でふんぞり返っている『タカ派(主戦派)』の連中が握っている最大の資金源じゃないか」
俺はザイードの恐るべき意図を正確に読み取った。
「あんたは、自分たちを切り捨てた政敵の財布を、敗戦の賠償金代わりに俺に売り渡す気だ。王国の借金取り(俺たち)を使って、本国のタカ派の首を資金源ごと落とそうというわけか」
「……前線の3万を失えば、帝国という国そのものが崩壊する。私は腐った右腕(タカ派)を切り落としてでも、帝国の胴体を残す道を選んだだけだ」
ザイードは表情を崩さず、ただ静かに俺を見据えていた。
「王国としても、非現実的な現金を取り立てて我が国をデフォルトさせるより、未来のキャッシュフロー(利権)を確実に握った方が得なはずだ」
「ええ、その通りです。極めて合理的で、反吐が出るほど美しい損得勘定だ」
俺はペンを取り、ザイードが提示した利権譲渡契約書にサインを書き込む。
「『戦時緊急調達権限の延長に伴う、軍需省名義での暫定管理契約』として、確かに仮受領した。文句のつけようがない適法手続きだ」
俺が王国軍需省の最高監査印を叩き押し、ザイードもまた、降伏文書に流麗なサインを刻む。
これで決着だ。弾薬ではなく、契約書と担保による、泥沼の戦争の完全なる終結。
「取引成立だ。あんたの3万の部下には、今日から腹一杯の食事と水を食わせてやる」
「……感謝する、とは言わないでおこう。貴様とは二度と交渉の席に座りたくない。最悪の債権者殿」
ザイードは静かに一礼し、敗将としての誇りを一切失うことなく、天幕を後にした。
敗北すら値札に変え、帝国の未来を売り捌いた男の背中は、敗者ではなく次なる盤面を見据える政治家のそれだった。
***
ザイードの背中が天幕の外へ消えてから、数秒後。
地鳴りのような歓声が、陣地全体から沸き起こった。帝国軍の完全武装解除が伝わったのだ。
「ユージン! やったな、帝国が完全に降伏したぞ!!」
幕を乱暴に跳ね除け、レオナが熱気と共に飛び込んでくる。
「見たかあの条件! 東部の港も鉱山も、全部王国のものだ! ……でも、いくらなんでも帝国から取りすぎじゃないか? これ、後で何か言われないか?」
手放しの歓喜の中に、前線の将らしい鋭い直感が「危うさ」を嗅ぎ取っていた。
俺は手元に残された『利権譲渡契約書』を見つめながら、冷たく乾いた息を吐いた。
「ああ。俺たちは勝ちすぎたんだ、レオナ。他国の最大の利権を、一介の監査官(官僚)が独断で握り込んでしまった」
「え……?」
「巨大な武力を懐柔し、大国の物流ルートを裏で操り、敵国の莫大な資産を私物化している……。平和ボケした王都の老人共(上層部)から見れば、今の俺は国家に対する最大の『脅威(クーデターの火種)』にしか見えないはずだ」
レオナが言葉を失った、まさにその時だった。
天幕に、王都からの急使が転がり込むように入ってきた。
「ゆ、ユージン監査官殿! 王都の最高評議会より、親書が届いております!」
急使が差し出したのは、厳重な真紅の封蝋が押された一通の書状。
そこには、極めて官僚的で、暴力的な一文が記されていた。
『——軍需省特任監査官 ユージン・オースティン。職権濫用および反逆の疑いにつき、【戦後調査委員会】への出頭を命ず』
レオナが「なっ……ふざけるな! 国を救った英雄を裁くっていうのか!?」と激昂して剣の柄に手をかける。
だが、俺は赤い封蝋を指で弾き、微かに口角を上げた。
「ルールを作る側(権力者)は、自分たちで管理できない数字を極端に嫌う生き物だからな。……予想通りだ」
俺は新たな白紙の帳簿を開き、静かにペンを落とした。
戦争は終わった。だが、精算はまだだ。
「外の敵は片付けた。次は中(味方)の無能の腹をかっさばいて、胃袋の数字を数える時間だ」
王国の悪魔の帳簿は、いよいよその矛先を、腐りきった「身内」へと向ける。




