エッシャーの城>>刺激>>2
「予算は丼勘定としてさ、今のところ何が必要なわけ?」
先住者の忘れ物で二日をなんとか乗り切ったが、どれも保存状態がよいとは言いがたい。着替え、シーツ、枕、タオル、シャンプー、あればポットと、ティーパック。一つ一つ確認しながら露店の間を縫って歩き、二人は日用品を揃えた。
「一通りは揃ったな」
これであの廃墟も、少しは住みやすくなるだろう。レフは紙袋を降ろしてから、右奥の服屋を指さした。
「アレクくぅ~ん、君は寝巻とツナギだけで生きてくつもりかい? 余所行きも用意しないと、女の子にはモテんぜ」
桃色のラインを纏った被服課のトラックを、色とりどりのマネキンが囲んでいる。鮮やかなシャツ彩る、見たこともない派手な模様。革紐のペンダントからぶら下がった青い羽。一体地球上のどこにこんな格好の人々が住んでいるのだろうか。
「あれ? レフだ。またサボってんの? アレクまで付き合わせちゃってさ……」
アンタ、あんましコイツの真似しない方がいいよ。スカーフの物色を止めて、リイファが二人に声をかけた。一日またいでいるが、アレクのことを覚えていてくれたらしい。黒いブラウスの下に二重の肩紐が見え、アレクは僅かに目を逸らした。
「誰が来たって?」
パイプハンガーの間から、アグラーヤとタチヤーナが顔を出した。当たり前だが、着たきり雀はアレクだけらしい。二人とも一昨日とは違う服を着ている。
「お久し振り。皆、今日もキマってるな」
溜息まじりに話かけると、アグラーヤは拳で牙を隠した。獲物を見つけたせいなのか、こめかみに目じりが深々と食い込んでいる。
「ねえねえ、二人とも、なんでツナギなわけ?」
歪んだ青い眼差しが、じっくりとアレクを舐め回した。何もやましいことがあるわけではない。服ならさっき貰った金で買えばいい。アレクは、あっさり白状することにした。
「仕事が早く終わって、その足で来たんだ。部屋に戻っても、着られる服がないしな」
ターニャは両手で水色の柄シャツを広げながら、振り向かずに相槌を打った。
「そっかぁ、こっち来たばっかだったもんねー。私も夜逃げ同然だったから、初めはブラ3枚で強引に回してさ……」
ターニャの気怠い思い出話は、うわ言にも、独り言にも聞こえる。レフはアレクとタチヤーナの首を抱き寄せた。
「酷い話だな。あまねく女の子には、おしゃれを楽しむ権利があるってのに。よぉし、ターニャもアレクも、今夜は服をとっかえひっかえしまくろうじゃないの」
二人は小さく抗議したが、レフは二人を店の奥に連行していく。白いサマーニットの裾を翻し、アグラーヤは二人の後を追った。
「なに~? 今日は妙に太っ腹じゃん。何か怪しいの~」
また悪い小遣い稼ぎ? 原色のシャツを震わす重たい電子ドラムに紛れて、アグラーヤはレフを冷やかした。
「これが違うんだな~。今日のヒーローはアレク君だもんね」
レフがアテにしているのは、どうやらアレクの財布らしい。それも財布どころか茶封筒なのだから、随分と胡散臭い話だ。
「嘘!? アンタ文無しじゃなかったの?」
ツナギのポケットから出てきた札束を見て、リィファはうっかり声を上げた。店に流れるポップスでは、叫び声を埋められない。パイプハンガーの間で買い物客が一斉に振り向いた。
「いや、義援金みたいなものなんだ。ニコライが新生活を応援してくれてさ……」
眠たげな目がふらつくのを、アグラーヤが見逃すはずもない。あっという間に間合いを詰め、気が付けば喉本を抑えつけられている。
「あの守銭奴が? ありえなくない?」
水色の鋭い爪がツナギの下に滑り込み、柔らかな掌が懐をまさぐった。アレクの隠した危うい秘密に、アグラーヤの指先が次第に近づいてくる。
「ねえ、ホントのところはどうなの?」
答えたところでケチが付くわけではないが、アレクはとぼけることにした。
「ニコライは、その、ケチなんじゃなくて……拗ねてるんじゃないか? ラーニャが相手をしてくれないから」
苦し紛れの一言が、レフ達のツボに当ったらしい。皆腹を抱えて体を巻き、息がきれるまで笑いこけた。
「ヤダ、なんかそれキモカワイィし!」
アグラーヤはタチヤーナを小突き、硬いヒールで地団駄を踏んだ。刻まれる足音は鋭く激しいものの、飛び跳ねるアグラーヤの仕草はどこか軽い。
「ハァ? 死ぬ! 死ねるんですけど!」
こりゃ一本取られたな。取られたのは親方だけど。レフはアレクの背中を叩き、これ幸いと仕切り直した。
「というわけで、アレク君にも人並みにおしゃれをさせようと思うんだけど、どうする?」
アレクには、アジートのトレンドなど分からない。アグラーヤ達に丸投げするのが賢明というものだ。
「体細いから、シャツとスラックス基調で纏めたら? この店にはそんなのないけど」
リィファは白いバミューダパンツと2,3着の柄シャツを手に取り、アレクの手に押し付けた。
「ああ、確かに白なら何かと使い回しが利くな。ありがとう、リィファ」
アレクは奥の店員に声をかけ、一通り試着させてもらった。油臭いツナギを紙袋に押し込み、そのままカウンターへ。ベルトと麦わらを付けるとそこそこの値段になってしまったが、これでひとまず格好はつくだろう。レフ達は少し離れたところで、のんびりと世間話をしている。
「ところで、なんか珍しい模様だけど、これはなんて言うんだ?」
訊きながら、アレクはハイビスカスの踊るシャツをつまんだ。
「アロハだけど……見たことないの?」
リィファは目をしばたかせ、しげしげとアレクを見つめた。アグラーヤ達も含み笑いを浮かべているが、ついこの間まで全うな市民だった男にアジートの常識が分かるはずがない。
「西側からの密輸品だ。ハワイという地名くらいは知っとるだろう?」
答えを教えてくれたのは、アロハ姿のコルレルだった。太平洋の真ん中にアメリカ領の島があり、それがこのシャツのふるさとなのだという。
「せいぜいゆっくり回っていけ。アロハ以外にも、西側の密輸品は色々ある。普通に暮らしとったら、まずはお目にかかれない代物がな」
コルレルは、エントランスホールの奥を見やった。ざらついた胡麻塩頭には、一筋の弾道が光っている。コルレルはそのまま歩き出し、レフは後ろから呼び止めた。
「先生、いつも来ないのに、今日はどうしたんすか?」
答えるまでもない。コルレルの向かう先から、男の子が二人駆け寄ってきたのだ。




