しだれ桜と涙ふたつ(2)
二日ほど経って、ミサキが復調したと聞かされた。
ミサキは格納庫にいるはずだとアーニャから教わって、何となくそちらに足を向けていた。
格納庫の入り口に立つと、怒鳴り合う声が聞こえてくる。
「トマス! あんたまた駆動限界まで関節回したやろ! 訓練でレッドゾーンの挙動はやるなゆーたやん! パーツがへたるやんけ!」
「はぁ? 僕、レッドまでは回してないぞ。先にログを確認してくれよ。イオリの調整ミスだろ!?」
イオリとトマスが、いつも通り仲良く口論している。もはや風物詩といっても過言ではない。
「このところ暇ねえー。まー、何事も起きないのが一番なんだけどー。サキちゃん構ってー。退屈―」
「あぁもう! べたべたするな! ホノカ、邪魔!」
「だってー。サキちゃん、このところ訓練ばっかりなんだもんー。ほんと、倒れるまで訓練するとか、やめてよねー。労災の処理、大変なんだからさー! 聞いてるー?」
ホノカは軟体生物のようにうにょうにょとミサキに絡みついている。ミサキは床にあぐらをかいてイメージトレーニングに励んでいるようだが、集中できず怒っている。
すっかり元気そうな顔色に戻っている様子を見て、胸をなで下ろす。
「お。ハルキか。なんか用か?」
最初にハルキの来訪に気が付いたのはトマスで、イオリとの口論を切り上げて声を掛けてきた。何だかんだ言って、一番気が回る男である。
ミサキの様子が気になったから顔を出した、と言おうとして、思い直す。彼女の機嫌を損ねそうな予感がした。
「あー……。特に用事はないんだ。暇だったから、ちょっと寄っただけで」
「ふーん……暇なんだー?」
暇、という発言を敏感に拾ったホノカが音もなくにゅるりと這い寄ってきて、いつの間にか背後に立っていた。
ごく自然にホノカから肩を組まれて、耳元で囁かれる。
「暇なハルくんに、ちょっと耳寄りなお話があるんだけどー。聞きたくないー?」
「は、はいっ?」
吐息が耳にかかって反射的に声が出ただけだったが、それを同意と受け取ったのかホノカが勝手に話を進め始める。
「おっ、さすがー。実はねー、もうじきリっちゃんの誕生日なのよねー。せっかくだから喜ばせてあげたくてさー。ハルくん、協力してくれないー?」
「誕生日? リゼの?」
それが彼女の『製造日』を指すであろうことは、想像に難くなかった。
「そう、十七歳になるのよー。お祝いしてあげようと思うんだけど、いつもと同じだと面白……新鮮味がないからさー。ちょっと趣向を変えてみようと思ってー。
ハルくん、リっちゃんとお出かけしない———?」
***
ホノカの提案は、思いのほかまともだった。
リゼは、ラボの外に出ることがない。だからこそ、誕生日という節目はお出かけするにふさわしい。
しかし、リゼが外出できるのは原則半年に一度の検診のときだけだ。しかも、常緑なる武装組織が暗躍している今、リゼを現実で外出させることは絶対にできない。したがって、準仮想現実で外出させる。
完全な仮想現実ではないのは、『リゼにとっては現実に近い方がお出かけ感が出るから』という理由だ。
あとは、準仮想現実でどこに出かけるかが問題である。
しかし、その問題も強力な助っ人の登場によって解決した。
「お任せください。完璧なデー……もとい、行楽プランをご用意いたします。マスターは必ず説得して送り出しますので、ご安心ください。ふふっ」
外出先は、助っ人のアーニャがプロデュースすることになった。マスターにメリットがありそうな話だと判断したようで、全面的な協力が約束されている。彼女ならリゼにとって最善の選択をしてくれるに違いない。
ちなみに、グリーフ・ブレイカーとBMIの干渉を避けるため、ハルキが登校以外の準仮想現実の利用を制限されている点は、アーニャがどうにかすると断言していた。実際どうにかしたようで、外出許可が出ていた。
準備は整った。
「さてー。そういうわけで、いってらっしゃーい!」
ホノカとアーニャに送り出されて、BMIを使って準仮想現実に接続する。
接続が完了して意識が浮上するとともに、ハルキはゆっくりと目を開く。
「……とんでもない人混みだな」
開口一番、率直な感想が口をついて出た。右も左も見渡す限り人、人、人、だ。
現実での時刻はすでに午後七時。だが、この空間では、まだ午後五時頃に設定されている。空は明るく、傾いていく太陽が西の空に顔を見せている。
天気は快晴。天候は空間の運営者の自由自在だ。ただ、このイベントに限れば、快晴以外の設定はありえない。
入り口に浮かんでいるホロモニタには、こう書かれていた。
納涼花火大会———
これから花火の開催時刻に向けて、夏祭りの風情を演出しながらゆっくりと夜の風景に切り替わっていくはずだ。
現実で食事を終えた人々が、続々と接続してこの空間に入ってきている。
全国から人が集まってくるので、会場の入り口付近は特に人混みがひどい。収容人数に応じて会場が拡張されているためパンクするような状況にはなっていないが、快適とは言い難い。
この人混みの中で、リゼと落ち合わなければならない。
(ま、そうは言っても合流するのは簡単だけど)
現実と違い、ポータルの近辺であれば、合流相手を指定して接続することで近くにお互いのアバターが出現するように調整できる。合流に難はない。
リゼは少しだけ遅れて接続すると聞いていた。
待っていれば、近くに現れるはずだった。
ところが、五分経ってもやってこない。
(……アーニャさんがついているのに遅刻するってのも、考えづらいんだけどな)
さらに五分待つ。やはり見つけられない。何かあったのかもしれない。
「……直接リゼに連絡を取ってみるか」
と、チャット用のコンソールを呼び出したところで、服を後ろから引っ張られる。
振り返ると、見知らぬ浴衣姿の少女が立っていた。長い黒髪を結い上げてかんざしでまとめていて、色白な肌と黒い髪のコントラストに目を奪われる。くりっとした黒い瞳も愛らしい。
小柄で、深い藍色の浴衣がとてもよく似合っている。左手に持っている巾着袋は、心細そうにゆらゆらと揺れていた。
「……えっと、いま俺を引っ張ったの、君?」
その問いかけに、少女はこくりと頷いた。
「俺に、何か用かな」
少女が口を開くと、聞き覚えたっぷりの声で答えが返ってきた。
「リゼ、ハルキと待ち合わせ」
「———リゼか!?」
銀髪でもなければ、青い瞳でもなく、いつもの白衣も羽織っていない。リゼ要素が皆無である。
「あっ! そうか。学校に来たときもそうだったっけ。忘れてた……」
イオリとリゼとアーニャが学校に乗り込んできたとき、リゼは黒髪黒目のアバターだった。今回も防犯目的で見た目は変更済み、ということだろう。
「来てたんだったら声をかけてくれよ」
思い返すと、浴衣姿のリゼを、待っている間に何度も視界に捉えていた。ただ、無意識に銀髪を探していたせいで、黒髪の少女がリゼだと気付いていなかった。
「黙ってたの、ホノカとアーニャの指示。ハルキ、気付くまで、声かけるな、って。意図、不明」
「アーニャさんは純粋にサプライズのつもりだろうけど。ホノカさんは絶対に面白がってるな……」
そもそも、今日はホノカが言い出しっぺという時点で、どこかから監視されている可能性が高い。前回、ミサキと外出したところを『警備課総出』でストーキングしてきた前科があるのだ。
(この様子を見て笑っているに違いない……ぐぬぬ)
そう思ったところで、着信の通知が鳴って視界の端にメッセージがポップアップする。
『今日は後を付けていないから、心配しなくても大丈夫よー』
ホノカからだった。
「……タイミングが良すぎる。やはり監視されているのでは……いや、考えすぎか」
「?」
リゼは事情をよくわかっていない様子だが、説明するのも野暮だ。主賓には気にせず楽しんでもらった方がいい。
「まあいいや。見られていてもやることは変わらないし。リゼ、行こうか」
「うん」




