少女の正体(9)
三分かかって指定場所にたどり着くと、いかにも不満そうに頬杖をついて座っているミサキと、ばんばんテーブルを叩いて抗議しているホノカが待っていた。
「おーそーいー! 二分って言ったじゃないー!」
「あのなぁ、僕はともかくハルキもいたんだから、これでも早い方だっつーの。ろくに片付けもせずに飛んできたんだぞ?」
トマスはほとんど呼吸を乱していなかったが、こちらはそうもいかない。
「はぁ、はぁ、俺の、せいで、遅れて、すみません」
全力に近いスピードで走らされたのだ。膝に手をついて呼吸を整えている様子を見て、ホノカが「やべっ」とつぶやいたのがわかった。
「あ、あー! 齋藤くんもいたのねー! それは、その、ごめんねー?」
いつもの調子でトマスを呼び出したら、意図せずゲストが巻き添えを食らったというわけだ。
ミサキがわざとらしくため息をついた。
「別に、盛大に遅れたってよかったのよ。仕事でもなんでもないんだから」
トマスも大きく首を縦に振って「違ぇねえ」と同意している。
ラウンジは、落ち着いた雰囲気の格式あるホテルのような内装だった。壁面一杯の大きな窓を模した環境投影スクリーンには、どこかのリゾート地を再現したであろう水平線に沈みゆく夕焼けが立体投影されており、ここが高い壁に囲まれたラボの中であることを忘れさせてくれる。
一同が席に座って一息ついたことを確認すると、気を取り直したホノカが両手を打ち鳴らしてから宣言する。
「えー、偶然ではありますが、せっかくなので齋藤くんの歓迎会といきますかー。ランチも一緒に食べたような気がするけど、ま、それはそれでー」
トマスは調子を合わせてしっかり拍手で盛り上げているが、ミサキは嫌そうな顔でぺちぺちとやる気無く手を叩いていた。付き合わされている感が露骨である。
「というわけで、飲むぞー! あ、未成年の二人はアルコールはだめよー!
ちなみに本日の食費は、ゲストの齋藤くんがいるので経費で落とーす! 好きに食えーっ!」
それを聞いたミサキの目に光が戻った。タダメシなら俄然やる気が出るらしい。急にホロのメニューを手に取って指折り注文するものを数え始めている。
ホノカは、と言えば手慣れたもので、メニューなど見ずに自分の端末から「ホノカちゃんのいつものアフターファイブセット」なる組み合わせを呼び出して注文端末に投げ込んでいた。この女、デキる。
その隣に座っているトマスも、もはや百戦錬磨と言える速度でガンガン注文している。鬼気迫るものが感じられた。そんなに頼んで食べきれるのだろうか。
「このふたり、いつもこんな感じなのか?」
「ハルキ。ここは戦場になるから、覚悟して」
そう告げたミサキの横顔には、私だけは生き残るという決意が見て取れた。気がする。
二時間後。
「あはははははは! あははははははははっ! たーのしー! トマちゃんほんとバカーっ!」
ヤバい笑い上戸と、
「うっ、うっ……僕だってね、本当はミサキみたいに戦いたいんっすよ……いくらジャケットがカッチョイイっていってもね、ミサキと戦ったらまず勝てないし……うっ、うっ……」
ひどい泣き上戸が、正面に並んでコラボレーションしていた。
ディナータイムに入ったので店内は他の客も入って騒がしくなっていたが、このテーブルほどありのままに混沌を体現している空間は他にはない。
大人という生き物は、アルコールがあると無限に飲み食いできるらしく、未成年二人組がとうの昔に食べ終わってからも、ひたすら飲んで食って飲んで食ってを繰り返し、気が付けばこの有様である。
さながら深夜のテンションであるが、時計はまだ十九時半であることを告げている。
ちょっと、待って欲しい。冷静になろう。
「ミサキ、ひとつ聞いていいか」
暇を持て余したのか、隣で目を閉じて何らかのイメトレに取り組んでいる様子のミサキに話しかける。
ミサキは特に返事をするでもなく、片目だけを開けてこちらを見た。
「これさ、いつまで続くの?」
「さぁ。『これ』を持って帰るまでが仕事だから」
彼女は目の前に座っている「妖怪、笑い袋と化した女」と「恐怖、目から永遠に水が出続ける男」のふたつを指さしてそう言った。
ホノカ、トマス、ミサキは三人とも敷地内の宿舎に寝泊まりしているらしい。ここから宿舎までは決して遠くはないが、足下のおぼつかない酔っ払いを二名連れて帰るには気が進まない距離である。
「おう。持って帰るまでが仕事。そういうことね? オーケーオーケー。このふたりがくたばるまで待っているということだね?
……うん、普通に嫌だよ? もう部屋に帰りたいよ?」
「へぇ。私にふたりを抱えて帰れって言うなら、そうしたら?」
ミサキなら二人を抱えかねない気がしたが、その選択はノーだ。ジャケットを素手で粉砕する女を敵に回したくはない。
「とりあえず、お手洗いに行ってきます……」
トマスに着いてきたことを激しく後悔しながら、席を立った。
用を足してから席に戻ろうとしたところで、まさかの事態である。
トイレの手前にある薄暗い廊下で、妖怪に遭遇してしまった。
「あはははーっ! あー! 齋藤くんだー! 楽しいー? 楽しいよねーっ?」
ホノカはパッと見、酔っ払った美人のお姉さんである。それゆえの色香らしいものも感じられる。これはこれでいいかも、と思える程度には。
———が、完全に目が据わっている。その精神は、ここではないどこかにある。
(やべえぇぇぇっ! なんか知らんけどヤバい気がするぅー!?)
初対面ならともかく、これまでに見てきたホノカの言動から考えると、一刻も早く離れるべきだ。嫌な予感がビンビン自己主張している。
狭い廊下ゆえ、逃げ道はない。強いて言うと男子トイレに逃げ込むことはできるが、この誘導炸裂弾はその程度のバリアは突破してくる予感がした。
そんな危機感はつゆ知らず、ホノカは真っ赤な顔をしてウネウネと蠢いている。
「あー、でも齋藤くんってのも、ちょっと他人行儀よねー!?
そうねー、ハルくん! うん、ハルくんで行きましょー! ハルくんよろしくねーっ!」
どういう身のこなしなのか理解できないが、数歩あったはずの距離がぬるりと詰められ、あっという間にゼロになった。反応すらできない。
「はい、ハグぅー!」
がばっ。
———えっ。なぜか抱きつかれておるのですが?
肩に両腕を回される形で抱きしめられていた。
長身のホノカとは背丈がほぼ変わらないため、彼女の顔が真横に来る。
なにもかもが、近い。
(は、はいー!? なんでー?!)
繰り返すが、黙っていればスタイル抜群の黒髪ロングの美女である。
「ちょっと、黒峰さん? あの、これは、そのいろいろとまずいというかですね?」
「だめーっ! ホ・ノ・カ・さ・ん! でしょー! 黒峰さんとか堅いから禁止ー! こんど言ったら踏み潰すー!」
なにを踏み潰すつもりなのか。
突き放そうと考えるが、この体勢からだと、どこをどう突き放そうとしてもボディへの濃厚接触は不可避である。
(いや、むしろ落ち着け。いっそ永遠にこのままでも良いのではないだろうか?)
悪魔の囁きが聞こえてくる。
いけない。
強いて言えばかなり酒臭いのが問題ではあったものの、鎌首をもたげてくる何かしらの欲望の化身らしき存在が「でも酒臭いとか関係なくね?」と心の中で叫んでいる。
女性らしい甘い香りが、ふわりと鼻をくすぐる。
(あ、あ、ああー……あー……)
そうして思考回路が焼き切れる寸前。
天国と地獄は唐突に終わりを告げた。
ミサキが割り込んできて、ホノカをべりべりっと引き剥がしたのだ。
「ホノカ! いつの間にか席にいないと思ったら何やってんのっ! 離れなさいってば!」
甘ったるくて酒臭かった温かさが、離れていった。
我に返る。
(俺は……俺は……ッ!)
安堵だか後悔だか判然としない感情の津波に襲われ、一瞬だけこの世界のすべてを恨み、同時に感謝した。
剥がされた方のホノカはなおも抵抗を続けている。
「えー、サキちゃーん! 嫌ーっ! じゃあ代わりにサキちゃんにハグするぅー!」
「ええい! 寄るなこのハグ魔め! 酒臭いっ!」
ミサキが合気道か何かの要領で、ホノカが向かう先をくるりとひっくり返す。
「えっ、それだとまたこっちに」
再び、ホノカが捕食者の動きで襲いかかってくる。
「あははははーっ! ぐるぐるするー! たのし———ウッ」
オボロロロロロロロロ。
「「ギャアアアアアアーッ?!」」




