表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/23

ルシフの慟哭による変奏曲

 ユーリナは部屋の窓辺で、外を眺めていた。

 愛しい彼がどこへ行ってしまったかは知らない。

 だが、きっと帰ってくる。


 そう信じながらまだ膨らみの見られない下腹部を優しくさすった。

 この中には彼との結晶。


 念願の"我が子"がいる。


 家族という存在に憧れていた彼女にとって、この子の存在はかけがえのないもの。

 例えどんなことをしても守り抜いて見せる、そう誓った。


「……でも、折角の休暇なのに用事だなんて。世の中上手くいかないわね」


 踵を返し大人しくベッドに戻ろうとした直後、異様な気配を感じる。

 ユーリナは思わず、恐怖で肩を震わせた。

 ヴェニンではない、かといって兵士や召使達ではない。


 万が一の為に近くに置いておいた剣に手を伸ばす。

 鞘から引き抜き、警戒を強めた。


「誰……?」


 そう呟くと、部屋の扉がひとりでに開いた。

 蝶番の軋む音が小さく響く。


 ユーリナは緊張のあまり生唾を吞んだ。

 部屋に不穏な空気が立ち込める。


 すると、どうだろう。


 どこからともなく、ヴァイオリンの音色が聞こえてきた。


「……?」


 この部屋のすぐ隣の部屋であることはすぐにわかった。

 そこは屋敷内に特別に設けた"礼拝堂"。


 気が付けば、ユーリナの足はその方向に向かって歩き始めていた。

 音楽に誘われている、こっちにおいでと。


 部屋を出て、すぐ隣にある扉をゆっくりと開いた。

 フィリア城の中にある礼拝堂と同じ広さで、造りも同じだ。


 神の像の真ん前で優雅に演奏する謎の男を除いて……。


「何者かしら? 演奏家を呼んだ覚えはないわ」


 こちらに背中を向けながらも、綺麗な調べを奏でる男。

 彼女が声を掛けた直後、ピタリと演奏を止め、ゆっくり振り向く。


「……あぁ、髪を下ろした所を見せるのは初めてでしたね。ユーリナ」


「……ッ!!?」


 一瞬にして驚愕に染まった。

 それは、かつて愛を誓った男。

 自分を守る親衛隊のひとりとして、ずっと自分に尽くしてくれたかつての……。


「……ルシフ?」


「お久しぶりです、ユーリナ。お身体の調子は? 今は大事な時期であるというに、剣など持ち歩いて大丈夫なのですか?」


 彼の笑顔を見るのは久しぶりだった。

 だが、見開いた目はまるで虚空の影のようにドス黒い。

 以前のルシフが向ける慈愛に満ちた眼差しではなかった。

 彼が今頃なにをしに来たのかわからない。

 恐る恐る聞いてみることに。


「どうして……ここに?」


「……アナタに会いに、ですよ」


「……恨んで、いるの?」


「えぇ、もちろん」


 だが、ルシフの口調は以前と同様穏やかで、昔のままだった。

 ユーリナは恐怖の中に少しだけ安心感を覚える。

 だが、今となってはルシフでさえも信用は出来ない。

 恨んでいて尚且つこうして会いに来たと言うのなら、なんらかのアクションを示すはず。


「ユーリナ……私はアナタに、復讐をしに来ました」


「……私を、殺す気!? そんなことしたら、ヴェニンが黙っていないわ」


 愛する人にして自らの魂の拠り所。

 この言葉からユーリナがどれだけヴェニンに心酔しているかがわかる。

 だが、敢えてルシフはヴェニンがもうこの世にいないことは伏せておいた。

 言った所で信じるはずがないし、それで長々と言い争いをするのは面倒だ。


 そんなことはどうでもいい。

 自分は自らの思いを彼女に打ち明ける為にやってきたのだ。


「復讐しに来た……はいいものの。そう簡単にはいかないのですよ」


「……え?」


「ユーリナ、私はアナタを心の底から憎んでいます。……私の大事な家族を滅茶苦茶にしたアナタをね?」


 そのことを告げると思い出したくなかったかのように彼女は目を背ける。

 実際苦い顔をして、罪の意識に囚われているのがわかった。

 ルシフは静かな口調の中に怒りを滲ませながら続ける。


「そんな顔をしてもダメだユーリナ。……あの勇者が来てからというもの、誰も彼もが狂ってしまった。君も王も、そして私も……」


「やめて、彼を悪く言わないで!!」


「いいや、言うともさ。……しかし、なんと私の愚かな所か。……ユーリナ、私はアナタが憎いッ! ……それと同時に、いつか誓った愛がこの胸から離れようとしないのだ」


 ユーリナを確かに恨んでいる。

 殺したいほどに。

 だが、そこには相反する意思があった。

 いつか誓った愛と、彼女との思い出が……まだルシフの中にまとわりついているのだ。


「私を……?」


「そうです。ユーリナ、今の私に、アナタを殺すことは出来ません。そればかりか裁縫の針1本をその綺麗な肌に突き刺すことすらも出来ない。……アナタに理解できるか? 敵を愛することが、いかに悍ましく、悲しく、そして腹立だしいか?」


 普段見られることのなかった彼の雰囲気に圧されそうになりながらも、ユーリナは切っ先を向け身構える。

 確かに自分はルシフの全てを踏みにじった。

 でも、こうするしかなかった。

 ヴェニンにずっと見ていてもらうには、ヴェニンの得も言われぬ快楽と寵愛を受けるにはこうする他なかったのだ。

 ユーリナは今を捨てなくない、ゆえに過去から目をそらす。


「私と、彼の邪魔はさせないッ!」


「やはり剣を向けましたね。先ほども言いました通り、私はアナタになにひとつ出来ない、復讐を誓ったはずなのに。ですが……」


 すると、素早い動作で魔楽器ムラマサを構え演奏の体勢に入るルシフ。

 ユーリナは怪訝な表情で見ていたが、すぐに魂が凍り付くような感覚に支配される。


「――――胎内はらにいる、奴との子供は別だ」


 無機質な声が響き、彼の楽器が不気味な音色を奏で始める。

 それはヴェニンが聴いたのと同じ、悍ましくも美しい調べ。


 思わず聞き入ってしまいそうになった直後。


「あ゛ッ! あぐぅうッ!?」


 腹部に凄まじい激痛が伴う。

 立っていることすらままならぬほどに鋭く重いものだった。

 それはもう体の中を剣でかき回されているかのよう。


 その間にもルシフの華麗な演奏は続く。

 苦しみ喘ぐユーリナの姿を無表情で睨みつけたまま、一寸の狂いなき旋律を礼拝堂に響かせていった。


 ルシフの狙いはユーリナではなく、彼女の中にいる新たな命。

 なるべく彼女は傷つけずに、中にいる命を狙いたいが、そこまで都合よくはならないらしい。


 だが、手を緩めるわけにはいかない。

 まず最初にやるべきは、胎内の子をいい塩梅まで成長させること。

 それが出来ねば、自らが考えた復讐が成し遂げられない。


「こ、この……、ルゥゥシィィフゥゥウウ……ッ!!」


 しかし、彼女の胆力のなんと凄まじいものか。

 痛みをこらえながらなんとか体勢を直し、剣を振り回してきたのだ。


「やぁあッ!!」


 ルシフはムラマサでの演奏で両腕が使えない。

 ゆえに、逃げ回る他なし。 


「まぁてぇえええ!!」


「ぐッ!」


 ユーリナの鬼のような形相、最早戦場ですらもみたことがないほどに歪む。

 横薙ぎの一閃を身を退いて躱し、唐竹の一撃を横に転げるようにして受け身をとり回避。

 しかもそれを演奏をしながらこなすというのだから、一瞬の気も抜けない。

 

 調べはほんの少しでも乱れてはダメだ、でなければ曲として成立しない。

 恐らく、逃げ回りながら楽器を演奏する人間など世界で自分1人しかいないだろう。

 自分がもしただの音楽家だったりしたら、きっとこの地点で死んでいるかもしれない。


「演奏を……やめろぉお!!」


 痛みをこらえ、両手持ちによる刺突。

 ルシフは体捌きでそれを躱したが、代わりに背後の壁が轟音を立て、刺突により砕け散った。


 狙いを胎の子に定めている為、ユーリナに対しての制約は少ない。

 膂力においては圧倒的に勝る彼女が相手では、長引くほどにジリ貧だろう。

 だが、ユーリナの勢いは長くは続かなかった。


「うぐ……ッ! あぁぁああッ!!」


 腹がみるみる膨れていく。

 有り得ないほどの速さで。

 胎の子がもう産まれてもおかしくないほどに成長しているのだ。


 フィナーレは近い、ルシフは畳みかけるように曲調をヒートアップさせていく。

 

「ルシフゥゥゥァアアアア……ッ!!」


 両膝をつき、腹部にかかる激痛でもう満足にも動けぬユーリナの最後の一手。

 剣をルシフに向かって思いっきり投げた。

 宙で回転する剣はルシフの顔の横を掠め飛んでいったと同時に……。


(楽器の弦が……ッ!)


 魔楽器ムラマサの弦が切っ先に触れ、1本のみを残して弾けるように切れてしまう。

 剣が壁に当たった虚しい音と同時に、ユーリナの身体が少しだけ軽くなった。

 痛みもひいて、少しだけ動きやすくなる。

 お腹の子供に良いことはないが、この苦難をどうにか出来るのは自分だけ。

 

 先ほど砕いた壁から、尖った壁片を持つ。

 

「この……悪魔めッ!」


 そのまま彼の胸に突き立てようと疾走する。

 

 だが、そこでルシフは思いがけない行動に出た。



 ()()()()()1()()()()()()()()()()()()()()()()()


 通常そんなこと出来るはずがない。 

 弦1本でその曲を再現することは不可能だ。


 だが、彼はすでに『自らの行いはいつか運命となって返ってくる』というこの曲をマスターしている。


 言うなれば、ここからは即興で創ったアレンジ。


 弦1本の強烈な勢いで弓を操る彼の、悪魔的演奏である。


「ぎゃあああああ!?」


 演奏の再開と同時に、今度は今まで以上の激痛が彼女を襲った。

 思わずその場にうずくまり悶える。

 もういっそこの場で殺してくれと言わんばかりに。


 胎の中がドクドクと脈を打つ。

 中で子が懸命に蹴り上げているのがわかった。

 だが、あまりにも強すぎる。


 演奏が終わると同時に、痛みは臨界点を越えた。

 ユーリナは意識を失い、その場で気絶する。






 目が覚めると、ユーリナは部屋のベッドで寝かされていた。

 起き上がろうにも眩暈とふらつきで身体の自由がほとんど効かない。

 咳込みと嘔気が激しく、鉛のような意識の中、部屋を見渡すと……。


「ひっ!?」


「あぁ、起きられましたか。ユーリナ」


 咄嗟に掛布団を握りしめるユーリナ。

 バルコニーの入り口前の月明かりが灯る場所で、ルシフがこちらに背を向けてしゃがんで、なにかを包んでいる。


「な、なにを……アナタ、私になにをしたの!?」


「……どうぞ、ご覧ください。こういうことです」


 ルシフは立ち上がり月光に照らしながら包んだものを見せる。

 それを見た瞬間、ユーリナは一瞬息を詰まらせ、瞳孔を最小限まで収縮させた。


「……お喜びください、元気な男の子ですよ?」


 布に包まれていたのは予定を遥かに越えて生まれた、否、生まされた自分の我が子。

 心なしかややグッタリとしているようにも見える。


「いや、やめて……その子を、返して……ッ!」


 弱弱しく懇願する彼女に、一種の憐みの色を含んだ眼差しを向けるルシフ。

 だが、そこに慈悲などは一切ない。


「申し訳ありません。私は……我が復讐を成し遂げるために、この子を連れていかねばなりません。アナタがサフレを騙し、ヴェニンに捧げたようにね?」


「そんなことをしたら、アナタ、ヴェニンに殺されるわよ!?」


「それはない。……奴はこの世にはもういません。我が旋律にて、勇者ヴェニンは葬りました。もう2度と、生まれ変わることも生き返ることもないでしょう。……ですのでご安心を。この子を連れていくことに、なんの憂いもございませぬゆえ」


 ユーリナの背筋が一瞬にして冷たくなる。

 

 ヴェニンが死んだ?


 嘘だ。


 信じられるはずがない。

 だが、ルシフのこの自信。

 そしてあの楽器の恐ろしい力。


 それらを照らし合わせてみても、合点がいく。

 まさか、本当に。


「では、失礼いたします。お身体にはお気を付けください……もう、会うことも無いでしょう」


「待って!」


 赤ん坊を抱えたままバルコニーへと出たルシフを呼び止めるユーリナ。

 彼女の心は完全に壊れかけていた。

 演奏の影響か、果ては子供もヴェニンも奪われたこの恐怖ゆえか。


「お願い! その子を連れていかないで! ……私が、私が代わりになります! 奴隷でも娼婦でも……なんでもいい……! 私を殴るなり蹴るなり犯すなり、どんなことをしてもいい! その子が助かるなら、私はどんな運命も引き受けます! やっと、やっと出来た家族なの……ッ! やっと出来た愛の結晶なの。……お願い、連れていかないで! まだ愛しているのでしょう私を……? なら、お願い……その子にだけでもいい。どうか御慈悲を」


 彼女の言葉は深くルシフの心に刺さった。

 思わずボロボロと止めどない涙が頬を伝う。

 だが、同時に怒りすらも湧いてきた。

 

 これ以上彼女と話すことなどない。


 面倒くさい駆け引きもごめんだ。


 ――――ただ、言うとなれば、ひとつだけ。






「……ユーリナ。裏切られない愛など、この世には存在しないのです。アナタが私にそうしたように。そして、私が今アナタにそうしているように」


 あれほど輝いていた月に、黒い雲が覆っていく。

 光が途絶えると同時に暗黒が部屋を塗りつぶし、ついにはルシフの存在もバルコニーから消していった。


 ユーリナの慟哭が外まで響く。

 同時に打ちのめす勢いの大雨が降り注いだ。

 

 慟哭は雨音でかき消され、闇へ、そのまた闇へと葬られていく。

 そんな中、ルシフは赤ん坊を抱きながら屋敷の外をユラユラと幽鬼のように歩いていた。


 そう言えば、アルマンドはどうしただろう?

 屋敷に侵入する際に、"あること"を頼んでおいたのだが……。

 ……大丈夫、きっと今頃は彼女も向かっているはず。

 

 もう、復讐は終えたのだ。


 雨にも涙にも濡れながら辿り着いたのは、濁流となって流れる川の上にある石橋。


 赤ん坊と魔楽器ムラマサ。

 この2つを、川へと投げ捨てた。


 一瞬産声と弦の音が微かに聴こえた気がしたが、そんなことはもうどうでもいい。


 最早、無情の悪鬼と成り果てた今の自分には、取るに足らない問題だ。



 ルシフは歩く、雨の中を幽鬼が如く。

 ずぶ濡れの身体を揺らしながら、彼は道のその先を進んでいった。

 目指すは北の街、愛しいサウレを迎えにだ。

 


 降りしきる雨はいつまでも、彼にそっと寄り添うように。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 生殖機能ごと奪っていけや温いな
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ