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神様のごちそう  作者: 石田空
祭り囃子編
58/79

祭りの宵に

 あたしは何度も何度も御先様に報告をしてから神社を出ると、神輿が神社を目指しているのとすれ違う。

「らっせいらっせい」と言う掛け声を聞きながら、あたしは自然とにんまりとする顔を抑えきれないでいた。桜の花びらが、ふんわりと舞っている。それは御先様が喜んでいるからなんだろうなと思う。あの卑屈な顔がちょっとは緩んでいたらいいなと思うんだけれど、同時に今の御先様はどんな顔をしているんだろうとも考える。

 会いたいなあ……。

 そう思ったけれど、またその時じゃないからと、あたしは家へと向かった。お父さんと話をしないと駄目だもの。多分夜になったら打ち上げ会が始まっちゃうから、酔っぱらったお父さんとじゃ話になんてならないもの。

 家に帰ったら、屋台だと足りなかった人達がぽつぽつ入っていたみたいだけれど、これだったらもうそろそろお父さんを捕まえても大丈夫そう。あたしは厨房で掃除を済ませているお父さんを捕まえる。


「お父さーん、そろそろお客さん引いたけれど、ちょっと大丈夫?」

「ん、梨花。祭りはもういいのか?」

「神社にお参りしてきたし、もういいよ」

「そうか」


 布巾を端に寄せると、お父さんはそのまま厨房からうちの裏口のお茶の間に入ってくれた。


「今日はお祭りで、人多かったね」

「この辺りで祭りなんて久しぶりだからな。定着すればいいが、どうなるかなあ……」

「多分するんじゃないの? うちの商店街に年一でもいいから人がたくさん来るイベントした方がいいと思うし」

「そうだなあ……それで梨花。なんだ、いきなり話って」

「ああ……ううんと、あのね。前にお父さん言ってたじゃない。あたしが学校卒業したら、どうしたいのかって。あれからいろいろ考えたの。あたしも」


 嘘はつかないけれど、本当の事だって言えないし、普通の人だったら信じてもらえない。だからあたしは必死で言葉を探しながら、お父さんに言ってみる。


「……多分、専門学校だけだったら、全然あたしの勉強は足りないって思ったんだ。うちの外に出たら、あたしなんかよりも技術がある人だって、腕がある人だっているし、ほとんど調味料使わなくってもおいしい料理を作る術だって、まだまだあたしは全然知らないもの」

「まさかと思うが……留学か?」

「留学とか、そんなんでは全然ないよ。でも、あたしはこのままじゃ全然満足しないし、あたしのご飯を食べて欲しい人がいるの」


 それにはお父さんはぎょっとしたように目を丸くさせる。そして気まずそうに目線をふいっと逸らされる。


「梨花……まさかと思うが、お前行方不明になってる間に男でも」

「そんな訳あるかぁ!? 一番食べてほしい人イコール彼氏とかいう発想古いよっ!」

「ああ、そうだな……そうだな……でも、修業するんだったらそりゃ構わんが。だがお前ちゃんと免許は取るんだろうな? もし今すぐに修業を始めるっていうんだったら、俺ぁ反対だ」


 そうびっしりと言ってくれるのがありがたい。あたしは軽く首を振る。


「専門学校は出るし、免許は取るよ。だって、専門学校じゃなかったら勉強できない事だってあるし、現場に入らないと勉強できない事だってある。調理師免許取らないと駄目な事だってあるんだから、あたしはそれを全部やってから、行くよ」


 お父さんはあたしがしゃべっている間も、じっとあたしを見ている。あたしが下手な嘘をついていないか、また行方不明になるんじゃないか、それを見極めるように。

 しばらくは緊張したような空気が流れたけれど、それも一瞬。お父さんはちゃぶ台にあぐらをかいて、ふっと笑った。


「そうか……それだったらもう、俺が言える事ぁないな。元々お前の料理は、食堂の料理からは大きく離れている。割烹のそれだしな」

「……っ、やっぱりお父さん、あたしのご飯を食べて」

「俺ぁお前が「料理習いたい」って時からずっと教えてるしなあ。味は悪くはないが、疲れてスタミナ欲しい人間に出す料理と、特別な日に正装して食べに来る料理が同じな訳ないだろ。……食べさせたいって相手の舌を、せいぜい満足させるんだな」


 お父さんが目尻に皺を寄せて笑うのに、あたしはしんみりとする。そうだよ、ね。あたしが今、ここにいるまでの間に、どれだけ親孝行できるかな。

 ここを出て行くって決めたんだもの、できる事は全部やってからじゃないと、きっともったいないもの。


****


 商店街中に吊るされた提灯がオレンジ色の光を点して、緩やかな風に揺られている。あたしはそれを自室の窓からそっと覗いてから、カーテンを閉めようとしたら、コンコンと窓を叩かれたので、窓を開けたら烏丸さんが入ってきた。


「親父さんに言ったんだな、行く事を」


 烏丸さんはしみじみした声で、そう言う。赤ら顔でほんのりと酒のにおいがするのに、あたしは思わず半眼になる。


「どこでお酒飲んできたんですかっ、まさか兄ちゃんとこの造り酒屋の酒を盗んできて……」

「おいおい、そんな事はしないさ。ただ、神社に久々に酒が供えられてなあ、嬉しくって一本もらった」

「ああ……それだったら。御先様の分は取ってないですよねえ?」

「きっと今頃は、本当に久々にこじか以外の酒を楽しんでるだろうさ」

「それなら、いいんですけど……」


 あたしは屋台を練り歩く人達の影を眺めながら、そう言う。

 お祭りが定着したら、きっともう神隠しなんか起こらない。悪い噂は払拭されて、皆いい思い出だけを持って帰ってくれたら万々歳だ。

 しみじみしながら、あたしは口を開く。


「うん、お父さんに言いました。あたし、学校を卒業したら、御先様の元に戻ります。約束は忘れてませんよ」

「本当に驚いたんだがなあ……お前さんの事だから、てっきり御先様に会うのは別れを告げるためだとばかり思っていたんだが」

「あたしそこまで薄情に思われていましたか?」

「薄情というよりも、ご飯の事以外何も考えていないと思っていた」


 それはちっとも否定できない。

 痛いところ突かれたなあと思いながらも、あたしはしみじみした顔で、台所から取ってきたお茶を飲んだ。


「だって、神域でいろんな人達に会いましたもの。御先様もですけれど、火の神にも、ころんにも、くーちゃんにも、海神様にも、氷室姐さんにも。出雲でだって、いろんな人達に会いました」


 料理の上手い人達はいっぱいいる。それは専門学校や一つの店だけでだったらまず出会わないような人達だ。そんな人達に出会ったのに、その人達にまた習わないでどうするんだ。認めてもらわなくってどうするんだと思うし。

 柊さんにあたし、ちっとも勝ててない。

 あたしの話を、烏丸さんは腕を組んで楽しげに聞いている。あたしはなおも口を開く。


「全部は、御先様にお腹いっぱいになって欲しいからです。お腹が空くと、それだけで気持ちはネガティブになりますし、イライラしますし、それでますますお腹が空きますもの。悪循環です」

「おいおい、随分な言い方だなあ……」

「そんな性分なんですもの」


 うん。やっぱり料理は好きだ。切ったり焼いたり混ぜたり蒸したり……。ただでさえおいしいものが、ひと手間加えるだけで味が変化する様も、より一層風味が増すのも、やっぱりいい。

 でもそれって、食べさせたいって相手がいなかったら成り立たない。仕事で料理を作っても、「まずい」のひと言で落ち込んだりもする。「おいしい」のひと言で幸せになったりもする。

 あたしは「美味い」の一言で、世界が色付いて見えたんだから。

 人波の喧騒を耳にしながら、あたしは窓縁に腰かける。今晩はきっと、喧騒は終わらないだろう。


****


 桜、梅、つつじ、百日紅。

 神域の畑の向こうで花開く艶やかな色をした花はどれもこれも季節感が滅茶苦茶で、それがこの神域では普通だった。いや、本当は普通ではない。

 春には桜が咲き、夏には蛍が飛び、秋にはすすきが揺れ、冬には雪が積もる……神域でも四季折々の美しさを醸し出すのが通常であり、このぐちゃぐちゃとした季節は、とにかくものを発酵させるのには不得手であった。


「うう……どうにかなったとはいっても」


 ここでは「こじか」と呼ばれる雲雀は、今日も酒造りに難儀していた。本来だったら冬に酒を仕込み、春になったら絞って秋まで熟成さえsるものなのだが、御先の治める神域の季節は滅茶苦茶で、それに合わせていたら酒を造る事もできやしない。

 腐り神のくーや氷室姐さんに手伝ってもらっているとはいえど、毎度毎度酒を仕込むのは難儀しているのだ。

 妹分のりんがいなくなって、数週間が経っているが、未だに戻ってくる気配がない。それに「まずいんじゃないか?」と雲雀は気を揉んでいた。

 神とした約束は、破ったら天罰が下るという。実際問題、何人かはいたはずの御先をどうにかすると口約束をした者達はこぞって戻ってくる事はなく、あちこちに根回しをしている烏丸が首を振っているのが見られたんだから、失敗したのだろう。りんもそれの仲間入りするんじゃないかと、気が気じゃなくなるものだ。

 今日も仕込んだ酒を付喪神にも手伝ってもらって踏んづけて絞り終えてから、それらを樽に移して熟成させようとしている時だった。後はくーに手伝ってもらったら、何とかなるはずなんだが。そう思っている矢先。


「ん?」


 神域は、格が高ければそれだけ空気は静謐なものになる。その肌をきゅっと締め付けるものが神域に秩序を取り戻し、四季を織り成すものだが、それが御先の神域には存在していなかったものだった。

 そのはずなのだが。

 畑は無秩序に植わって伸びていたはずの野菜が、減っている。ねぎが青々と生え、水菜が伸び、ひらたけが木にこびりついているが、それ以外の物が眠るかのようになくなっているのだ。おまけに、花。

 はらりひらりと栄華を極めるのは桜ばかりで、他の花は眠っているかのように花を落としてしまっている。


「これって……」

「おやおや、りんってば本当にやったのかねえ」

「氷室姐さん。つまりはあいつ、本当に祭りを?」

「やったんじゃないかねえ。御先様も随分と嬉しそうだしさあ」


 普段から彼は自分の部屋からは滅多に出ないのだが、今日はどうした事か。桜がひらひらと舞い散る様を見ている。相変わらず着物も髪も、肌すらもまっ白な彼だが。その口元。

 緩やかに弧を描いているのだ。


「ええっと、あれ本当に御先様で?」

「何言ってんだい。愛の力だよ、愛!」

「氷室姐さんって恋バナそんな好きでしたっけ?」


 穏やかに桜が咲き、その向こうにはうっすらと蓮華の花が見える。春のうららかな陽気は、現世も神域もなんら変わりはない。

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