祭囃子が聞こえる・二
あたしが必死にしゃべっている間も、田淵さんは何やらあたしに向けてきていた。何だろうと思ってよく見てみたら、それはどうもボイスレコーダーらしい。そしてしばらくあたしの言葉を聞いてから、にこりと笑う。
「分かりました。それでは、その問題の神社に案内してもらってもよろしいですか?」
「あ、……はい!」
御先様が土足で人に入られて怒らないといいなとハラハラしつつ、あたしは田淵さんを八咫烏神社へと案内する事にした。
八咫烏神社の中にある桜の木はすっかりと葉を落として丸裸、神木と呼ばれるようなものも生えていない殺風景な神社だったけれど、その神社をまじまじと田淵さんは見ていた。意外な事に、カメラで写真は取らない。そう思っていたけれど「最初に挨拶してからじゃないと、失礼ですよね。どんな記事でも」と返してくれた。
うん、この人だったら御先様を怒らせる事はないんじゃないかな。あたしはそう言いながら「拝殿はあちらです!」と指差した。
田淵さんは賽銭を入れながら鈴を鳴らし、手を合わせて丁寧にお辞儀をした。相変わらず正しい神社のお参り方法は知らないままだけれど、田淵さんの仕草は随分と慣れたものだったから、あれは正しいやり方だったんだろうと、あたしは勝手に納得する。一緒に手を合わせながら、田淵さんは息を吐く。
「神社というのは、鳥居をくぐったらその先は神域と言いますが」
その一言にあたしは自然とドキリとさせる。……いや、田淵さんは神隠しの事を信じてはいない。世間一般的な神社の参拝豆知識だろう。田淵さんはようやくカメラを向けて辺りを撮る。
「誰が面倒を見ているのか知りませんが、随分と手入れが行き届いていますね。木も定期的に枝を落とさないと伸び過ぎて迷惑かかる事だってあるのに、枝が伸び過ぎる事もないし、雑草も生い茂っていない。不思議なものですねえ」
「そ、そうですねえ!」
あたしはそれに笑いながら返事をした。まさか言えない。御先様のお使いの烏丸さんが神社の全般的な面倒を見ているなんて。それからあたしは田淵さんの撮影を観察してから、家に帰った。
家に帰ってから、あたしはポチポチと庵さんにメールを打つ。
【地元の新聞社の人が、八咫烏神社の事を撮影に来てくれました。聖地巡礼ができるようになるといいなと思います】
短絡的かもしれないけれど、あたしはそれを祈らずにはいられなかった。だって。
誰も悪くない。悪くないのに悪循環が続いてしまうのは嫌だったから。一見わがままに見える御先様すら悪くなかったのに不幸な事になってしまうのなんて、やっぱり嫌だった。
あたしはメールを打った携帯を枕元に寄せつつ、パタンと天井を見上げる。御先様に今日のご飯、どうしよう。そう思いつつ。
ちゃんとご飯食べているかしら、あの人。また癇癪起こして皆を怖がらせていないかしら。真っ白でふてぶてしい顔をしている御先様を頭に浮かべながら、あたしは身体をぐっと起こす。
今日のご飯、お供えに行かないと。
あたしは台所まで今日のご飯を作りに降りて行った。
****
沢庵や梅干し、しらす。シソ。それらを刻んでご飯に混ぜ合わせた混ぜご飯。後でこれらはおにぎりにしよう。それにブリを大根とネギと一緒に炊いてブリ大根を合わせる。小皿はネギと梅干しを刻んで混ぜて湯豆腐の上に載せてみた。
湯豆腐は後で電子レンジでチンしないと駄目なのが風情がないけどねえ。そう思いながらおにぎりを握ってタッパに入れていたところで、庵さんからメールの返信が来た。
【聖地巡礼がはじまりました。神社の事について興味を持っている人達が足を運ぶケースが増えているみたいです。地元新聞に載ったら、もうちょっと成果が出るかもしれません】
それにあたしは「おお……」と息を吐く。
全部が全部いい方向に行くとは思っていないけれど、全部が全部悪い方向に行くとも思っていない。……うまくいくといいな。あたしはそう思いながら、メールの返信を打った。
【御先様が怒らない程度で、人が集まるといいなと思います。お祭りができたら、御の字です】
本当に……本当に。小さくって商店街に埋もれているような神社だ。そこでお祭りができたら……それはとても嬉しい事だ。あたしは神社へと急いで向かう。
タッパのお供えをしてから、あたしは鈴を鳴らして手を叩く。
「聖地巡礼が、どうにかできそうです。あとちょっとで。ちょっとで人が集まりそうです。……御先様、人が多くなっても、怒らないで下さいね」
手を合わせながら、そう言っていると、「いや、大丈夫だろ」と返される。思わずビクッと肩を震わせて振り返ると、そこには手をひらひらとさせている烏丸さんがいた。
「そうなんですか?」
「ああ。御先様は、元々は人間が好きだからなあ……今の言動を見たら信じられないかもしれんがなあ……」
「いえ……何となく今だったら分かります」
嫌だって分かってて癇癪起こしても、役割を放棄する事だけはしないもんね、御先様は。多分人間嫌いではないんだろうなあ、あの人は。あたしはそう思って納得しつつ、烏丸さんをじっと見る。
やっぱり、あたしの知っている御先様の姿に似ているような気がする。あの人みたいに近付けないほどオーラが出ている訳ではないけれど、烏丸さんも相当顔は整っている。
「あの……この間聞き忘れたんですけど」
「んー?」
「結局御先様と烏丸さんの関係って、何なんですか? 烏丸さんはいっつも中間管理職みたいにあっちこっち行ってるみたいですけど、出雲に行った時も、神様達がお使いみたいな人を連れ回しているのは見なかったんで」
「ああ……御先様には一番つらい役割を押し付けてるしなあ。俺は大分楽させてもらっているよ」
「ええっと……」
答えにはなってないような……そう思ったものの、烏丸さんはいつもの飄々とした態度を崩さないまま答えてくれた。
「御先様は、俺の兄だったからな」
「あ……社が空きを埋めるのって」
「誰かが埋めないといけないから、あの人は名前を捨てて御先様になったんだよ」
さらりと言われてしまった事の重さに、思わず目を大きく見開きながら頷いた。
「あの……あたしを神隠しした時、烏丸さんはあたしと御先様が会った事、知っていたんですか?」
「まあ、一応は。神社の世話もあったから、俺は定期的にこちらに来ていたからなあ」
「そっか。じゃあ、あの時。あたしが小さい頃、どうして御先様がいらっしゃったんですか? あの人、神域にいないと駄目だったんじゃ」
「ああ……見たかったんだそうだ」
「見たかったって?」
御先様が部屋に引き篭もっているのを思い返しながら、あたしは首を捻ると、烏丸さんがくつりと笑いながら答えてくれた。
「神社の様子、らしい。あの事故で人がちっとも来なくなったから、行っても寂しいだけだとは言ったんだがなあ……御先様はいつだって祭囃子の頃にはその様子を見て、満足して帰って行ったんだからなあ」
それに、あたしは目を見開く。神様達が皆一斉に「祭りを開けばいい」と言っていたのは、何もいい加減に言っていた訳じゃなかったんだ。お祭りは、本当に神様達にとって大切な事だったんだと、今更思い知った。
「……ちゃんと、人が来てくれるといいですよね」
「そりゃま、お前さん達が頑張ってくれたからなあ……ありがとうな」
「いえ、あたし達じゃなかったら、できなかった事だと思うんで」
信仰が集まるといい。御先様がお腹が空かなくなるといい。もう、神隠ししなくても済むようになるといい。……そこまで考えて、ふと冷たいものが走る事に気付く。
もし、神隠ししなくても済むようになったら、あたしはもう、神域に行く事は、できなくなるのかな? 御先様に必ず戻るっていう約束は、果たせるの?
冷たくなった思考は、そっと胸の奥に閉じ込めた。
****
早朝に起きて、慌ただしく朝ご飯の用意をする。昨日の混ぜご飯に魚を焼いて載せる。出汁をかけてさらさら食べられるお茶漬けに、大根の千切りに柚子の皮の千切りを混ぜた酢漬けを添えて出し、あたしも学校に行く準備をしているところで、仕込中のお父さんに替わってお母さんが新聞と一緒に何かを取ってきてちゃぶ台に置いた。
「梨花ー、あんた宛に何か来てるけど……新聞社って何?」
「え? ……ああ!」
あたしは新聞社のロゴの入った封筒をお母さんから受け取ると、慌ててハサミで封筒を切る。中に入っていたのは、新聞だ。あたしはその新聞を読み進めると、【童話で巡礼。最近の商店街事情】という特集が組まれているのが分かる。
あたしの広げている新聞を後ろから覗きこんで、お母さんが「あー……」と言う。
「ええ、何が「あー」なの?」
「うん。今日商店街の会長さんが総会開くから、お昼からお父さん出かけないと駄目なのよ」
あっさりと言い出したお母さんの言葉に、あたしは目を見開く。それは初めて聞いた話だ。
「それ初めて聞いた」
「最近あそこの神社に人が来るようになったから、放置しているのは駄目だろうって事で。昔っから住んでいる人からは、未だに反対されてるけどねえ。だって、梨花より前に行方不明になってる雲雀君、未だに行方不明のまんまでしょう? ……梨花だって、あそこで行方不明になったんだし」
「……それって、取り壊しの話?」
念の為そう聞いてみたら、お母さんが「ううん」と首を振る。
「桜の季節に、お祭りしないかっていう話。お祭りのマニュアルも大分前になくなっちゃったから、それで他の神社総代さんも呼んで、お祭りの復興をしようって。本のモデルになったから、それで聖地巡礼? それが流行り始めたけど、それが一過性のものにならないように、人を呼ぶ方法考えようって。……商店街、本当に干からびていたものねえ」
「……やった」
「梨花?」
お母さんが首を捻る中、あたしはお茶漬けをかっ食らって、タッパを持って立ち上がる。
「ちょっと行ってくる!!」
「梨花、あんた学校はまだ……」
「そこまで行くだけ! すぐ戻るから!」
急いでダウンを羽織ると、突っ掛けを履いて、そのまま走り出した。
やった、やったやったやった……。ようやく、お祭りができる……!
神社の鳥居を潜りぬけたら、そこには驚いた顔をした烏丸さんがいた。普段の格好にたすきがけして掃除をしている際中だったみたい。手にしているのは竹箒だ。
「りん?」
「お祭り! お祭り決まりましたよ!」
あたしはタッパを供えながら、鈴をガラガラと鳴らす。鈴を鳴らす紐が不機嫌に揺れるのを尻目に、あたしは手を合わせる。
「御先様、あとちょっとですよ。あとちょっとで、お祭りが始まりますよ!」
それが根付いたら、いいな。
ぽろっと涙がこぼれた理由が分からないまま、あたしはひたすら拝殿の向こうに話しかけていた。きっと近所の人から見たら変人に違いないけれど、それを気にしている余裕なんて、あたしにはなかった。




