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神様のごちそう  作者: 石田空
祭り囃子編
54/79

神様との約束・五

 思い出そうとしても、全然思い出せない。もしかしたら、小さすぎて覚えていないのかもしれないけれど。あたしは思わずぐしゃっと前髪を掻いた後、気を静めようとむかごのおにぎりを頬張った。

 塩味のむかごとご飯はよく合う。しゃがみ込みながら、あたしはぼんやりとこの場を眺めていた。

 小さい頃から、この神社に近付いてはいけませんと言われてきた。通り過ぎても「あんまりあっちに行っては駄目よ」とお母さんに言われてきたし、目を凝らして見てみても、神社は人気が全くない。誰が世話をしているのか分からないけれど、雑草が生い茂って埋もれる事もなく、桜の季節になれば、いつもこの辺りで一番長い事咲き誇っている。

 そこであたしが八咫烏神社に行った事なんてなかったはずなのに……。あれ、いや。

 一度、一度だけ行った事があったはずだぞ。でも何でだっただろう。行くなって言われていたはずなのに……。


『まずい』


 ふいに耳によみがえったのは、不機嫌さを隠そうともしない御先様の声だった。あれ、あたし……神域でそんな事、一度も言われた事がない。だとしたら、一体いつ言われたんだ。


『いつかはあたしだって、料理うまくなるもん。おいしいごちそうができたら、もってきてあげる』


 こまっしゃくれた言葉に幼い声。それは紛れもなくあたしの言葉だった。……あれ、何かそんな事あったぞ。

 あたしはまたはむりとおにぎりを食べつつ、指についた米粒を舐めて取る。そして辺りを見回した。

 うっそうと生えた雑草は青臭い。でもその匂いがもっと強くなるのは……夏。


「……思い出した」


 もう過ぎた季節。汗でべたっと浴衣が貼りついた感触。暑さで朦朧として、夢だと思い込んでもおかしくない話だった。

 さんざん神様とも付喪神とも地獄の人とも会った今だったら、それは夢じゃないって分かるけれど、誰としゃべっても「夢でしょ」と言われても、しょうがない話……。


****


 地元の氏神様のいる神社は、商店街からちょっと離れた場所にある。

 何の神様を祀っているのかは、立札に書いていたと思うけど、覚えていない。今振り返ると、それは海神様の神社だろうなあと思う。神社が近かったら、それに連なって神域でも隣同士になるみたいだし。

 近所に神社があるにも関わらず、それを無視して子供の足で歩いたら随分と遠い神社に行くのが、あたしには不思議で仕方なかった。


「ねえ、あそこの神社にどうして行かないの?」


 お母さんに一度聞いた事があったけれど、それにお母さんは困り顔で笑っていた。


「あそこはねえ、行っちゃ駄目よ」

「どうして?」

「あそこの神様はねえ、留守だからよ。ほら、留守しているお家に行ったら泥棒さんと勘違いされるでしょう?」

「ふうん、分かった。神様はうっかりさんなんだねえ、おまわりさんに言わないでいなくなっちゃうなんて」

「そうねえ」


 そう言って納得してからは、あたしも好き好んで神社には向かわなかったんだ。

 普段お祭りの時は、お父さんが店を切り盛りして、お母さんはあたしとお参りしてからすぐに店に戻るっていうのが、あたしのお祭りだった。店があるんだから、屋台巡りをしている暇がなかったんだろうね。

 その日に限って、店はお客さんが多く、お母さんはあたしをお祭りに連れていく事ができなかった。あたしは折角従姉のお姉ちゃんからお下がりでもらった浴衣があるのに、それを着れないのが嫌で、何度も地団太踏んだしたら、困り果てたお母さんが「お小遣いあげるから、それで行ってらっしゃい」と、初めて一人でお祭りに行く事になった。

 友達も来ているだろうし、一人でくらいお祭りには行けるだろうと、あたしは意気揚揚と出かけて行った。いつも通り神社にお参りに行く。友達はその日は塾だったみたいでいなくって、一人でぷらぷらと見て回っていた。

 輪投げをして遊んだり、スーパーボールすくいをしたり、くじで三等の変なおもちゃをもらったり。屋台は一体なにを食べればいいのか分からず、ソースの焦げる匂いの辺りをうろうろしていた記憶がある。結局買ったのはベビーカステラで、それをもりもり食べながら家に帰ろうとした時。持って来た巾着の底が破けて、せっかくすくったスーパーボールが転がっていったんだ。


「あっ……!」


 それを追いかけて行った。既に神社の神楽も、ソースの匂いも、人の喧騒も遠くなった中、あたしは外灯を頼りに必死でスーパーボールを追いかけて行った。それが神社の鳥居を潜りぬけた事だって、その時のあたしには些細な事だった。

 青臭い伸びた草を掻き分けた先で、ようやくスーパーボールを見つけた時、あたしは心底ほっとした顔をして、それを今度こそ落とさないようにと、帯の中にねじ込んだ時だった。

 ギュルルルルル……って音を聞いたんだ。あたしは思わず振り返った時に目に入ったのは、拝殿の前に誰かが座り込んでいる姿。その人は空を虚ろな顔で見上げ、ぼんやりとしていた。

 外灯がほとんど届かないから、色ははっきりとは分からないけれど、無地の着物を着て、目は焦点を結んでいない。背中を覆うほどに真っ直ぐに長い髪をしていたけれど、それよりも驚いたのはその背中。背中には大きな羽根がついていた事だ。


「……お腹空いてるの?」

「……空いている」

「えっと、はい」


 あたしは手に持っていたベビーカステラを差し出したら、その人は顔をしかめて、ぷいっとそっぽを向いてしまった。


「貴様が作っていないんじゃ意味がない」

「え? おいしいよ?」

「我は人の手から作られたものでなければ腹が膨れぬ」


 意味はさっぱりと分からなかったけれど、手作りじゃないと意味がないんだなと思ったあたしは「ちょっと待っててね! 家すぐそこだから!」と言って、すぐに家に帰ったんだ。

 裏口から家に入り、急いで冷蔵庫にあるものを漁る。

 家にあったのは大根の漬け物。よくお母さんが店の合間を縫って晩ご飯を作ってくれるみたいに、見よう見まねで炊飯器のご飯でおにぎりを作るけれど、まず炊き立てのご飯は熱いし、「あっちあっち!」と悲鳴を上げて、どうにか握ろうとしても、全然お母さんがやるような三角にはならないし、漬け物を具にして握ろうとしても、ぐちゃっとはみ出てしまう。

 できたものは、どう見たって不格好で、人に出せるものじゃなかった。でもお腹空かせていた誰かを思ったら、何か持って行かないとという気持ちが先に出る。あたしはできたものをタッパに入れると、浴衣が着崩れるのも気にせずに走った。相変わらず、その人はお腹を空かせて虚ろな目をしていた。


「持って来たよ……!」


 その人はピクンッと跳ねた。起き上がると、あたしが開けたタッパの中身を見て、眉間に皺を寄せた。


「……何だこれは」

「おにぎり。お母さんみたいに上手くできなかったけど……」


 せめて海苔を巻いてあげればよかった。おにぎり用の型だってあるし、ラップで包んだらもうちょっとましなおにぎりは握れるんだけれど、当時のあたしはそれを思いつく事もなかった。その人は怪訝な顔をしたまま、むんずとおにぎりを頬張った。それをむしゃむしゃ食べると、そのままがっつくように、タッパに入っていたおにぎりを全部食べ終えてしまった。ご飯粒ひとつ残さずに食べてしまったのは、よっぽどお腹が空いていた証拠だろう。最後にご飯粒一つ残さずに、手に付いた糊状のご飯を舐めている。


「……まずい」

「全部食べたのにぃー」

「犬の餌よりましな程度だ」

「ひどい……!」


 あたしはその時むっとしたけれど、おにぎりを残さずに食べた人を、悪いようには思えなかった。店のお手伝いをしていたら、頼むだけ頼んで全部食べきれない人もいるし、残した残飯を捨てる時だってある。この人は全部食べたんだから、それで上等だと思ったんだ。

 それにあたしは手を腰に当てる。


「いつかはあたしだって、料理うまくなるもん。おいしいごちそうができたら、もってきてあげる」


 おにぎりが初めてで、持ち運びできるものだからと思っただけだ。既に当時のあたしは、お父さんに習って野菜を切るだけ、市販のドレッシングと混ぜるだけならできるようになっていた。

 だからといって、全然威張れるものを出せてないのは事実なんだけれど。その人は目を細めて、またふいっと視線を逸らしてしまった。


「できぬ約束はやめておけ。命はないぞ」

「できない約束はそもそもしないもんっ……!」

「やめておけ」


 なんて人だ。そう思ったはずだ。


「ちゃんとしたごちそう、ぜったいにつくれるようになるもん……っっ!!」


 あっかんべーして、そのままタッパを持って走り出したんだ。

 裏口でばたんばたんとしているし、おにぎりを作るのに必死過ぎてご飯粒を台所に飛ばしまくっているし、当然ながら店を閉めたお父さんとお母さんにさんざん怒られた。

 神社に行った事は言えないから、あたしは怒られながら「猫がお腹空かせてた」の一点張りで、それ以上は言わなかった。

 次の日、あたしはあれが本当にあった事なのか、夢だったのかを思い出せなかった。振り返ってみたら、おかしいんだ。羽の生えた人が、神社でお腹を空かせて目を回している。

 あれは行ってはいけない神社で起こった出来事だったから、あれは本当の事だったんだろうかと、あたしは学校に行く前に神社の鳥居の外から、そっと拝殿の方を見た。人は倒れてはいなかった。あたしはそれを見てがっかりしたんだ。

 あれは夢だったんだって。

 その代わり、前よりもお父さんに習って料理を作る練習をするようになった。いつかはちゃんと料理を作れるように。いつかは、ちゃんとごちそうを振る舞えるように。

 だんだんとそれは夢から目標に、目標から自分の一部に変わっていったんだ。


****


 夢だと思って閉じ込めていた記憶が溢れ、あたしは思わず口元を手で抑える。あの時に座り込んでいたあの人。あのふてぶてしい言動といい、あの姿といい、あれはどう考えても御先様だった。でも……。

 神域で出会った御先様は、いつも真っ白だった。色が抜け落ちたように、着物だけでなく、髪も目も、羽すらも真っ白な神様。あの夜に出会った人は、外灯が遠くってよく見えなかっただけで、あの人、色付いてたぞ。

 でも、あの色が付いている御先様……烏丸さんそっくりだったような気がする。

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