「帰らせて下さい」
出雲を出た牛車から、簾越しに外の景色を眺めた。荘厳だったひりひりとする程の神気は、出雲を離れたらどんどんとなりを潜め、替わりに感じるのはゆるゆるとした神気だ。
思えば、あたしも御先様の神気以外知らなかった訳だし、あの人の神気がゆるゆるとしているなんて、出雲に行くまで知らなかったんだよなあ。
「何だい、りん。浮かない顔して」
「氷室姐さん……ええっと」
「御先様に現世に戻りたいって言うの、どうしようって話だったかい?」
「うん……」
あたしが頷くと、話を知らなかった火の神は「えっ」と瞬き、ころんは大きな傘を揺らした。
あたしと一緒に牛車に乗っていた氷室姐さんはかんらかんらと笑っている。
「そぉんな難しく考える事ぁないよ。前だって、あんたの前の料理人は烏丸も間に入ってちゃーんと帰ってるんだしさあ」
「ま、前のおじちゃんの後はすぐにあたしが来たから! あたしが帰りたいって言っても、あたしの替わりに神隠しして欲しい訳ではなくって……!」
「恋って、一途で真っ直ぐで、ほぉーんとどうしようもないねえ……」
「そ、そういうのじゃなくってね!?」
だから、女の人でどうしてこうも、何でもかんでも色恋に結び付けたがるのかな!?
あたしが思わず頭を抱えそうになりながらも、ひとまず荷物に肘を載せながら、どんどん見慣れてしまった滅茶苦茶な風景になっていくのに視線を移していた。
季節通りに咲かない花、あっちこっちに住んでいる付喪神、それらにあれこれと指示を飛ばしている烏天狗は、まあ烏丸さんだよなあ……。
あたしが外を眺めていると「りんー」と火の神が声をかけてくる。
「なあに?」
「御先様が次のご飯係探さないと、御先様飢えちまうよ。どうする気だ?」
「お供えする」
「あー……」
「そもそもの問題として、誰も御先様の神社を祀らなくなったのが全ての始まりなんだよね? だとしたら、誰かがちゃんと祀ってたらこうなる事はなかった訳で」
商店街にいたら、どの店にだって神棚は存在するはずなのに。どうして御先様の神社がハブられるようになってしまったのかはあたしだって知らない話なんだ。
だから一度現世に帰って調べないといけない訳で。あたしの言葉に、ますますもって火の神は困惑した声を上げる。
「今まで、何とかするってご飯係、それなりにいたんだぞ……?」
「やっぱりいたんだ……その人達どうなったの?」
「神との約束を違えた奴は、祟られるんだぞ」
「あー……言ってたね、そんな事。何度も」
「そうなんだぞ……だから、本当だったら、おれだって危ない事はしてほしくはないんだぞ……」
火の神がそうむずむずしながら言うのに、あたしは自然と火の神が乗っているちりとりを撫でていた。流石にあたしは炎は触れない。
「心配してくれてあんがとね。でも、あたしだって御先様心配なんだから。こっちに来てさあ、いろんな人達に助けてもらったじゃない。それと一緒で、今度はあたしがどうにかしたいんだよ」
「りんー……」
「ああ、御先様の神域に着いたみたいだよ」
簾の向こうに見える景色は、霞がかった、季節感が滅茶苦茶な庭だ。ころんが荷物を傘に乗せて運び出すのを邪魔にならないように見守っていると、こちらの方に声をかけられた。
「ああ、一月振りだな。元気だったか?」
「烏丸さん! お久しぶりです! あたしいろいろ置いて行きましたけど、ちゃんとご飯食べてました?」
「あー、おかげさまでな。御先様だが、向こうでちゃんと食事取れてたか? あの人、出雲から帰ってきたらいつも体調崩されてるから」
「そうだったんです? あー……どうだった?」
ちょっと待って。出雲で何度か御先様と会ったけど、ご飯食べてないなんて聞いてないぞ。あたしも何度か出会う度にご飯出してたけど、それしか食べてないなんて事……ないよね?
あたしは思わず氷室姐さんを青褪めた顔で見ていたけど、氷室姐さんはのほほんと笑うばかりだ。
「それは心配ないさねえ。あの人、今回はりんがご飯係に混ざってるせいか、いつもよりは食べてたしねえ」
「あたし、そんなん聞いてませんよ!? 出雲に行ったらご飯食べないとかなんて!!」
「御先様にも意地はあるんだよー、意地が悪いのもたーくさんいるしねえ。でも、今回は本当にいろいろ規格外な事が多かったからね、それは気にする事ぁないよ」
いやいやいや。気にする所だよね、そこは。
あたしがむずむずしつつも、烏丸さんが「そりゃよかった」とほっとしているのを見ながら、言わないといけない言葉を切り出す。
「あの、烏丸さん。帰ってきて早々頼みたい事があるんですが」
烏丸さんが目を瞬かせている間に、あたしは一気に言う。
「あたしを、現世に帰らせて下さい」




