「必ず戻りますから」
あたしの申し出に、当然ながら烏丸さんは目を見開いてこちらを見下ろしていた。
「唐突だなあ……お前さん、御先様の所から逃げ出したいとか、望郷が強過ぎるとかはないと思ったんだが」
「女神様達と、話をしてきて、ずっと考えてたんです」
「はあ……りん。お前さんそう言えば海神様とも知り合いだったしなあ。氷室ともか」
「二人が引き合わせてくれたんですよ。いろんな女神様達と」
花神様主催のお茶会なんて、ただのご飯係が出席させてもらえる訳ないし。あたしはその時の内容をかいつまんで説明した。
そもそもあたしがここに来たのだって、御先様の神格が落ちてきているのが原因なんだから、御先様の神格を取り戻さない事には、いつまでだって神隠しは終わらない。あたしが帰れるようになったとしても、蕎麦屋のおじちゃんみたいにさらわれるかもしれないし、また誰かさらわれるかもしれない。
そんな誰かがさらわれるかもしれない神社に誰も怖くって近付けないから、ますます御先様の神格が下がっちゃう。そんなの悪循環じゃんか。
あたしの説明に、「ふんふん」と頷きながら烏丸さんは聞いてくれたけれど、同時に腕を組んでしまった。
「ふうむ……祭りなあ。確かに、元々現世の祭りっていうものは、神に対する祈りだから、御先様の神格を取り戻すって言うのには一番聞くとは思う」
「じゃあ……!」
「んー。でもりんの理屈で言ったら、次のご飯係抜きで、御先様のご飯係を一旦放棄するって言う事だろう? 理屈として通ってはいるが、それを御先様が許すかどうかと言うと、俺にも分からんなあ」
あー……。あたしは思わず前のビリビリを思い出して、身を震わせる。そうだよね、やっぱり御先様を説得しないと、帰れないよなあ……。
もしこれが、最初に誘拐されたばっかりの頃だったら、右も左も分からないんだから、とっとと帰りたいって思ったんだろうけど、でも今は違うもん。
一昔前のご飯の炊き方にも慣れてしまった。釜は重いし、時々筒を噴かないと駄目だけれど、その日の天候によって微妙に水の調整をするご飯が炊き上がった時の糸を引く感覚、一口噛んだ時の甘さは格別なんだから。
調味料だってない、便利な缶詰やフリーズドライだってない、そもそも洋食の材料も調味料もない。それでも。
ここでご飯を作って、「美味しい」の一言を聞いた時の跳ね上がる程の嬉しさは、あたしにしっかりと刻み込まれている。
さらわれてきたからここにいたくないなんて言う気は、もう今のあたしには全然ない。
「……御先様とお話してきます。御先様が許してくれたら、あたしを現世に帰して下さい!」
「そりゃまあ。御先様が許してくれるんだったなあ」
烏丸さんはそう言いながら、頭をぼりぼりと掻いた。
「そう言えば、お前さんが帰るのはともかく、こじかは帰るのか? こじかまで帰ったら、ますます御先様がへそを曲げそうなんだがなあ」
「ああ……その事も兄ちゃんに一度聞いてくる」
****
一月ぶりの御先様の篭もっている部屋。その前であたしは正座をしていた。御先様はビリビリとした雰囲気を醸し出して、真っ白な髪を電気のせいか逆立てていた。
別に言って回ったつもりはないのに、何でもう、御先様の方に話が回ってるんだ。最初に相談した兄ちゃんも、烏丸さんも、口はそんなに軽くないと思うんだけど。
「帰りたいと言うのは真か?」
そう問いかけてくる言葉が冷たい。それにあたしはぴしゃんと背筋を伸ばした。別に逃げ出すとかそんなつもりは、本当にないんだったら。
「……本当です」
「何故。そちはそこまで我が気に食わないか」
「そんな事は……ないです」
「曖昧な言葉だな」
そう言ってぷいっとあたしに背中を向ける。そのたびに、あたしの方にも電流がバチンッと弾ける。正直、無茶苦茶痛い。本当に子供みたいだな、御先様は。でも。
何もそうなってしまったのが、御先様だけのせいではないって事を、今は知ってしまっている。そうなったら、素直に怒る事だってできやしない。あたしは歯を食いしばって、びりびりとした電気に耐える。
「ちゃんと戻ってきます。嘘はつきません。だから、あたしを」
「……そう言って」
「はい」
御先様は背中を見せたまま、ぽつりと言う。相変わらずビリビリして痛いんだけれど、御先様のヒステリーも、「寂しい」と言っているように感じるのは、あたしが慣れ過ぎてしまった反動なのか。
「戻ってこなかった者も何人も見た。そのたびにご飯係は死んだ。そちまでわざわざ死にに戻るのか」
「…………っ。それって、御先様が殺し……」
「我は殺さない。だが、神と人の子の約束は違えたら死ぬ。そちはそれが分かっていて、なおできもしない約束をしようとしているのかと申しているのだ」
「あ」
何度も火の神が言っていた事だ。
神は祟るって。人間は等価交換なんてしなくっても生きていけるけど、約束だけは違えちゃいけないんだ……。
ん、待てよ?
「もしかして、御先様あたしの事心配してくれているんですか?」
「何故そう思う」
「だって。あたしが何も知らずに帰って、何かのトラブルで帰れなくなった場合、あたしが祟られるの心配して下さったのかなあと……あ、それはあたしの自惚れです?」
「……」
あたしが恐々と聞いてみると、ようやく御先様がこちらの方に向き直ってくれた。真っ白な目で、まじまじとあたしの顔を見てくる。
そして、一言。
「まだどら焼きとやらを食してない」
「あ」
出雲でしゃべった事を思い出して、あたしはポカンとした。もしかしなくっても、覚えていてくれたの? 全然、あたしになんて興味ないって思っていたのに。
「そちの夕餉を食していない。まだ食していないものが多過ぎる。それを違える事はならん。祟られたくなければな」
「あの、つまりは」
「違えぬと言うのであれば、帰っても問題はないだろう」
「~~~~~~!!」
あたしは思わずそのまま手を付いてしまっていた。
今のあたしの顔はきっと気持ち悪い。にやにやしてて、笑いが全然止まらないんだから。
「ありがとうございます!!」
「……もうよい、下れ」
「はい!!」
自然とあたしの足は浮足立って、御先様に何度も何度も頭を下げてから、ようやくあたしは御先様の部屋を後にした。
嬉しい。ぜんっぜん覚えてないって思っていたやり取りを、ちゃんと覚えていてくれた。また食べたいって言ってくれた。
あたしのご飯、食べたいって言ってくれた。
御先様の言い方はまどろっこしくて遠回しでほんっとうに冷たい言葉ばっかり並べるけれど。それでも意味が分かった時に満たされるポカポカしたものが、あたしにはたまらなく愛しかった。




