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借家幽霊  作者: 愛理 修
14/19

事件-10


  10


 ≪亜美≫は天神の西通りの先の、パブやバーが入ったビルの七階にあった。天神といってもはずれのほうで、まわりは会社関係のビルばかりである。≪亜美≫の入ったビルだけが、その近辺の歓楽街となっていた。夜ともなればネオンが灯って賑々しくなるのだろうが、いまは普通の雑居ビルでしかない。水色のポリ製のゴミ箱が並んだ横のスペースに自転車を止め、僕は狭いエレベーターで七階に向かった。

 エレベーターを降りて、通路を右に曲がった奥だった。金色の板に赤い文字で刻印された会員制≪亜美≫というプレートを見ながら、僕は扉をノックして開いた。細長い空間が、天井の橙色のライトに照らされていた。右手にカウンターで、左手に席が三つ。奥にもボックス席と思われるものが二つある。落ち着いた茶系でまとめられ、床のレッドカーペットが華やかさを演出していた。扉を開いてすぐのところに電飾看板が置いてあって、壁には掃除機が立てかけてある。いまは準備中というわけだ。

 洋酒のボトルやグラスが並んだ、鏡を利用した棚を背景に、カウンターの中に女がひとりいた。ウェーブのかかった髪を肩に垂らし、真っ白いシャツにジーンズという身なりだった。女は化粧の少ない顔を向け、僕に名を尋ねると、カウンターの正面のスツールを手ですすめた。

 僕がそこに座ると女が言った。

「一反木綿に似ていると言われたことない?」

 鬼太郎でおなじみの妖怪だ。手と目がついた白い反物がひらひらしているイメージがする。そう言われたのは初めてだった。

「そう。似ていると思うんだけど。見た瞬間、一反木綿が浮かんだのよ。生気が足りないっていうか、あなた妙に青白いし」

 僕は苦笑し、女は自分が白石毬子であることを教えた。

「涼子さんの話だと、ナオミのことを聞きたいらしいわね」

 色の白い、妙な喩えだが、大人びた子供のような顔つきをしている。童顔とか、子供みたいな顔というのとは違う。こましゃくれたとでもいうのだろうか。鼻の形がよく、目は黒目がちだった。シャツの袖を折り、水商売の女性には見えない。

 なにか飲むと聞かれ僕は遠慮した。毬子は僕にお冷やを出し、隅から丸椅子を引っ張ってきて腰かけた。

「ナオミさんはこちらで働かれていたんですよね」

 僕はそう切り出した。

「八年も前の話よ。わたしが二十八の時、この店を始めてまだ二年ほどのころよね。年齢の割に如才ない娘だったわ。確か当時は、二十一か二だったと思う。求人誌の募集を見て面接に来たの。どうも長崎の家を飛び出してきたみたいだったわ。むこうのほうでもスナックなんかに勤めていたらしく、慣れていたこともあって採用したの。馬鹿じゃなかったしね」

 毬子は僕を見て続けた。

「馬鹿は嫌いなの。新聞をまともに読めないような子はわたしは採用しないの。知識はなくてもいいけど、人の話を聞いて理解できて返事ができないとね。基本はお客の相手だから。お酒を飲ませるのが上手だとか、騒ぐのが得意というのだけでは困るの。ちゃんと相手をつとめることができないと。うちの方針よ」

 小麦色の肌で、髪を長く伸ばし、艶っぽい目をしていたと、毬子はナオミの容姿を説明した。血液型占いが好きだったとも言う。

「髪型とか体形なんかが裕子さんと似ていたから、洋介もナオミとあんなふうになったんじゃないかと思うわ。高校の時から、洋介は長い髪の女の子が好きだったしね。洋介とわたしが高校の同級生なのは知っているんでしょう」

 僕はうなずいて言った。

「白石さんは洋介さんとナオミさんの仲はご存じだったんですね。そのう、客とホステスというだけでないことは」

「知っていたわ」毬子はあっさりと肯定した。「もともと洋介は女遊びのできるタイプじゃないのよ。義父とのことで、裕子さんともうまくいってなかったみたいで、目をつぶっとこうと思ったの。それに、しょせんナオミが裕子さんの代わりだということもわかっていたから。いまも言ったように、たまたま似ていたからそうなっただけ。洋介は裕子さんに惚れていたのよ。それでナオミには言っていたの。あんたはただの代わりなんだから、本気にならないようにって。仕事さえちゃんとやってくれるなら、店の子たちの私生活には干渉しないようにしているので、それほど強くっていうわけじゃないけど」

「そのナオミさんと洋介さんがここで言い争いをしたんですよね」

「ええ、奥の席でね。洋介が突然怒鳴り声を上げたの。九時ごろに来て、一時間ほど経ってじゃなかったかな。あんなひどく怒った洋介を見たのは初めてだったから、わたしも驚いちゃった。目が据わって、顎が震えるほど歯を食いしばっているのが見てわかるのよね。それほど飲んでいたわけでもないし、なにごとかと思ったわ。あのクソ親父とか、ナオミに今後二度と俺に近づくなとか洋介は喚いていた。言い争いっていうけど、一方的に洋介が怒鳴っているだけで、ナオミはなだめようとしているばかりだったのよ。まさか裕子さんのお父さんが、ナオミを使って二人を別れさせようとしているなんてその時は思ってもいなかったし、他のお客さんの手前もあるなら店の子たちも怖がっているじゃない、頭でも冷やしなさいって一喝して、洋介を追い返したの。洋介もわたしに言われてきまりが悪くなったみたいで、黙って帰って行ったわ」

「そのあとナオミさんのほうは」

「わたしに謝ったわよ。悲しんでいるとかそういうんじゃなくって、ただただ申し訳ありませんっていう感じよ。仕事中だし、わたしも気をつけてと注意したぐらいだわね。あと帰りにもう一言いったと思うわ。経営者としての立場でね」

 質問の方向を変えてみた。

「ナオミさんは洋介さんのことをどう思っていたんでしょう」

「愛人とか言われているけど、囲われていたわけじゃないし、浮気の相手程度というのがほんとうのところだったから、ナオミにしても、洋介は良好な金蔓のひとつぐらいだったんじゃないかしら。ナオミはお金に対する執着は人一倍強いのに貯金がまるでダメな子で、適度に小遣いをくれたりバッグを買ってくれる人を必要としていたのよ。あの喧嘩のあとも、他の子に、まずっちゃったとかぼやいていたらしいわ。だからその程度ね。二人が仲良くなったきっかけも、洋介がカメラマンと知ったナオミが、ヌードを撮影してくれないかと頼んだのが始まりなのよ。だから、わりと計算づくだったと思うわ。裕子さんのお父さんの話さえなければ、簡単な手切れ金で、ナオミはいつでも洋介と別れたはずよ」

 話から察すると、洋介とナオミの間に特別な恋愛感情が介在していたようすはなかった。洋介にとってナオミは裕子の代わりで、ナオミにとって洋介はいい客ということだった。

「二人が喧嘩したのが二十八日の夜で、裕子さんが亡くなったのが翌日の二十九日ですよね。二十九日のナオミさんは、普段通りのようすでしたか」

「なんか取り調べを受けているみたいね」毬子は微笑した。「二十八日の夜以来、ナオミは店には出ていないわ。わたしもそのあとで、喫茶店で一度会ったきり。二十九日の夜は無断欠勤されちゃって、翌日の昼ごろに自宅のほうに電話があったの」

 カウンターの下からメンソール系の細長いタバコと灰皿を出すと、毬子はタバコをくわえた。カチッとライターの音がする。

「しばらく休ませて欲しいという電話だったわ。理由を聞いても答えようとしなかった。こっちもそれじゃ困ると言ったんだけど、一方的に切られちゃったの。なにかあったとは感じたんだけど、まさか裕子さんのこととは思いもよらないじゃない。それに洋介が裕子さんを探しているのも知らなかったし。すると、次の次の日にまたナオミから電話があって、今度はいまから会えないかって言ってきたのよ。しかも、少しでいいからお金を用立ててもらえないかって。虫のよい話よね。でも、あまり急な話のせいで、わたしも心配になったの。それにナオミの口調が切迫している気もして、とりあえず十万円用意して、待ち合わせの喫茶店にわたしも行ったわ」

 指定された喫茶店は、西通りの≪来来らいらい≫という名の店だった。時間は午後三時。毬子のほうが先に着いて、十分ほど遅れてナオミが来た。毛糸の帽子を頭にすっぽり被り、大きな黒いサングラスをかけて、見るからに変装しているという格好だった。毛糸の帽子を被っているが、長かった髪を肩口あたりで切っているのはわかった。服装も黒っぽいトレーナーにジーンズでナオミらしくない。その姿を見ただけで、毬子はなにか緊急を要することがナオミの身に生じたと悟った。そんな格好だとかえって目立つのではと言うと、わたしとわからなければいいの、それに人に顔をおぼえられたくないという返事だった。事情を聞こうとしたが、かたくなに首を振り、しばらく身を隠す必要があるので、いくらでもいいから用立ててくれないかと言うだけだった。ナオミのただならぬようすに、毬子は用意してきた十万円を渡した。たちの悪い連中に追われているのではないかと思った。ここで助けてやらなくて、ナオミにもしものことがあったら一生後悔するとも思った。それでもその場で借用書だけは書かせた。レポート用紙に、日付と金額、それに名前と、借用しましたという文面だけの簡略なものだった。ナオミは礼を言い、必ず返すからと告げて店を出て行った。それが失踪前の浅岡ナオミの、目撃された最後の姿だった。

「出る時もね。一緒ではまずいから、わたしが出たあとで一服してからにして欲しいと言われたの。わたしも正直にそうしたんだけど、いま考えると、あとをつけられるのを用心していたのよね。ナオミはあんがい抜かりのない子だったから。お金のほうは、まだ返してもらってないわ」

 毬子はタバコの煙りを吐いた。一本目は吸い終わり、二本目だった。

「その借用書はいまもお持ちなんですか」

「警察が履歴書と一緒に持っていったからここにはないわよ。たぶん筆跡でも調べるためじゃないの」

 涼子の話に、その履歴書からナオミの指紋とおぼしきものが、いくつか採取されたというのがあったことを僕は思い出した。

「履歴書に写真は添付してありましたか」

「ないわ。写真貼らずに面接に来たから。それに貼ってあったって、警察が持っていったんだからあなたが見ることはできやしないわ」

 ちょっと待ってねと、毬子はタバコを灰皿に押しつけて消すと、カウンターのかなり下のほうを探って白い箱を取り出し、その中からサービスサイズの写真を一枚選んで僕に手渡した。

「青い服のほうがナオミ」

 中年の、客と思われる男を中心にして両脇に女がいた。両手に花の構図だ。写っているのは全身でなく、お腹あたりから上で、三人ともカメラに向かって笑顔している。ナオミは僕から見て右側にいた。髪を長く伸ばし、大きな、それでいて横に長い目をしていた。目尻がやや上にあがり、子供のキツネのような愛くるしさがあった。小さめの唇の間から白い歯がのぞき、柔らかな感じの青いワンピースが似合っている。彼女は、僕に向かってチャーミングに笑いかけていた。

「女のその笑顔に男は騙されるのよ。あなたも用心なさいね」

 僕の表情を見て毬子が言い、写真を返しながら僕は言った。

「ナオミさんの行方なんですけど、身内のほうからなにかわからないんですかね」

「警察がどうしているか知らないから返事の仕様がないわ。ナオミが見つかってないから手がかりはなかったんじゃないの。犯人と決まったわけじゃなく、重要参考人扱いになっているらしいから、捜索のほうも進んでいないみたいよ。一度わたしも長崎の実家のほうに電話したことがあるんだけど、父親みたいな人がでて、あれはうちの娘じゃないって怒鳴られちゃったわ。それより、ほんとうになにか飲まない? お金なんか取るつもりはないわよ」

「ええ、車ですから」

 僕はお冷やを飲んだ。車といっても自転車だが。

「白石さんは、ナオミさんが裕子さんを殺したと思いますか」

 うううんと毬子は顔をしかめ、ようやく返事を思いついたようにして言った。

「洋介よりはナオミを犯人としたほうが納得がいくって感じね」毬子の目が悪戯っぽく光った。「あなた洋介を疑っているらしいじゃないの」

「そういうわけでもないんですけど」

 僕は俯いた。お冷やをまた口にした。

「裕子さんの幽霊が家にいるんでしょう。幽霊は誰が犯人だと言ってるの」

 からかうような調子が聞き取れた。そろそろ引き上げ時だった。

「≪亜美≫という名はどこからきてるんです」

 なんの気なしに尋ねた。

「フランス語でアミというのが、友人、それも異性の友人を意味しているの。それに漢字をあてがっただけよ。あみだくじのせいもあるんだけど」

 僕はきょとんとした。異性の友人からあみだくじでは飛躍しすぎてないか。

 毬子は笑って説明した。

「この店をどうするかを、わたしあみだで決めたのよ」

「あのう、仰っていることがわからないんですけど」

「そうよね」毬子は顔を下に向けて笑い、髪を手櫛ですいて僕に視線を戻した。「わたしあみだに凝っているの。中学のころからかなあ。あみだを占いに利用しているのよ。ナオミの血液型占いを笑えないわね。二者択一の、どっちにするか迷った時なんかにしているわけ。たとえば、洋服を買うか買わないかで悩むわね。そういう時にするの。線引いて〇と×つけて、どっちになるかで決めちゃうの。紙と書くものさえあればどこでもできるから便利よ。この店の時もそうで、商売は十回やって八回失敗するのはあたりまえって聞いていたから、十本線を引いてそのうちの二つに○をつけたの。それでやったら、○になったから始めたわけよ。≪亜美≫はあみだのあみでもあるの」

 信じられない話だった。でも、よく考えると占いも同じようなものかもしれない。吉か凶か、進むか退くか、基本的には二者択一である。

「やってみない」

 毬子が立ち上がり、紙と鉛筆を僕の前に差し出したのでぎくっとした。

「いま占うことなんてありませんから」

「わたしが線を引いてあげるわね」

 僕にかまわず毬子は線を描いていった。縦線を四本引き、その間に横線を入れていく。二つに〇をつけ、二つに×をつけた。

「横線を一本入れて、あなた自身が関与しないと意味がないから」

 毬子は紙を僕に向け鉛筆を渡した。

「でも、ほんとうに占うことなんてないんですよ」

 そう言いながら僕は横線を一本入れた。

「運がいいか悪いかだけでいいじゃない。深く考える必要なんてないわ。さあ今度はどれにする。目で追ったりしたら駄目よ。している意味がなくなるでしょう。直感で選ぶの」

 僕はあみだを眺めた。たかが線を引いただけのものだが、それぞれの線が違うところに必ず行き着くというのが不思議なことのように思えた。じっと見ていると怖いような気がしてきた。選ぶことによって、そうなってしまうのではないかと思えてくる。ロシアンルーレットで引き金を引く心境のようだった。

「やめましょう。怖くて選べません」

 僕は息をついた。バッグをからい、スツールからおりた。

「そう、残念ね」

 毬子は紙を掌の中で丸めた。無理強いするつもりはないらしい。

「幽霊によろしくね」

 ええと僕は言い、礼を述べて≪亜美≫を出た。


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