ⅩLⅦー3 水神殿の秘宝――ミグル最高教導師マロの決断
■ミグル最高の教導師マロ
ルナ古王国の時代から神殿に仕えた特別技能の民――ミグル族。ウル大帝国に利用され、部族を引き裂かれ、故郷を失った民だ。二千年前、ウル大帝国の滅亡とともに焼け落ちた神殿と同じく、歴史の舞台から消えた。
最高教導師マロは胸の高鳴りを抑えきれなかった。ミグルの栄光と叡智を集めた秘密の神殿。あれほど探し求めた水神殿が目の前に聳える。
秘宝庫の中央に立つ少年が振り返った。オロだ。そばに幼子が二人。マロの足が止まった。顔から血の気が引いてゆく。
――ああ、やはり、オロが〈選ばれし者〉だったのだ。
ミグル神謡は語る。
煌めく光の宮に
招き入れられし者こそ
選ばれし者
二人の童がそばに立つ
水の女童と龍の男童
女童は金笛を吹き
月の言葉を聴く
男童は銀笛を吹き
星の動きを読む
二人の童に導かれ
緋月の扉が開くとき
月は動かず
星は瞬かぬ
選ばれし者は
時を止め
時に止められ
閉ざされた世界は闇に落ちる
マロは震える足を一歩踏み出した。
――水神殿を得た代わりに、わたしはオロを失うのか……。
オロの明るい声が響く。
「父さん、これ、水神殿だよね? 父さんが探してたミグルの神殿だよね?」
マロは声を絞り出した。
「そうだ――よく見つけたな。えらいぞ」
オロはえへへと照れくさそうに笑った。
マロは改めて決意した。
――ミグル神謡のようにはさせない。この子を失ってなるものか。
ミグル最高の教導師マロは、生まれたばかりのオロのために一族を捨てた。いま、オロのために、新たな決断をしようとしていた。
一子相伝でミグル神謡を語り継ぎ、生涯をかけてミグル水神殿を探し出し、命をかけてミグルの秘密と文化を守りぬくべし――その教導師としての務めをマロは放棄した。ミグルの秘密を天月に渡すことを決めたのだ。
――オロを守るためには、銀麗月の力が必要だ。神殿に仕えた誇り高きミグルはもはや存在しない。守るべきは、過去の栄光ではない。未来を生きる子どもたちの命だ。そのためにわたしの命が失われようとかまわぬ。
■ミグルの秘宝
マロは秘宝庫からオロと双子に出るよう促し、代わりに銀麗月カイを呼び入れた。カイに向かい合ったマロはこう切り出した。
「これらは、たしかにミグルの秘宝です。中身を少し見てみますが、詳細は、櫻館で確認したいと思います。すべての確認が終わったあとは、天月で保存していただけないでしょうか?」
カイは静かにマロを見た。
「ミグルの秘宝を天月に渡すとそうおっしゃるのですか?」
マロは頷いた。
「ミグルの水神殿が失われてすでに二千年――ここに収められているのは、二千年前の記録です。これを読み解くことができる者は、もはやわたししかいません。ここに置いて朽ち果てるにまかせるか、未来に向けてミグルの歴史を残すか――選ぶ余地はありません」
カイは目を伏せた。この人物――ミグル最高の教導師――は、過去に縋るのではなく、未来を見ようとしている。
「わかりました。そのように手配しましょう」
マロは一礼し、置かれていた巻物からいくつかのものを選び出した。垣間見える文字は、カイも見たことがない不思議な絵文字だった。
ひとしきり目を通し、マロはカイに告げた。低い静かな声だった。
「ウル大神殿の虐殺の日――これが最後の記録になるだろう、と書き残されています。神殿ミグルの書記は自身が書き留めた記録をこの神殿に収めたあと、筆を措き、神殿の守り人として生涯を終えたのでしょう。ミグルの歴史は、いったんそこで途絶えたのです」
カイは黙ってマロの語りに耳を傾けた。
「神謡、歴史、地図、政治――文書は種類ごとに整理されています。ミグル神謡はわたしが覚えているものとほぼ変わりません。ですが、ウル大帝国の内政に関する記述は、口承では伝わっておりません。後日、内容をお伝えします。天月仙門の成立の背景にもつながるでしょう」
カイはふたたび深く頭を垂れて、感謝を示した。
ミグル教導師は異能者ではない。だが、数千年にわたり、部族の歴史を記憶し、語り継いできた一族だ。マロは、その中でも抜きん出た力を持つに違いない。そのためにどれほど努力してきたことか――そして、オロのために地位を捨て、知識を封印した。
マロは跪き、慎重に櫃を開けた。
「神器に使う貴重な木材や漆が保管されています。いまはどこにも存在しない木です」
秘宝庫の中にわずかに風が吹き込む。
マロは少し小さめの櫃の蓋に手をかけた。ゆっくりと笑みに変わる。
ミグル神器の原型でしょうと言いながら、マロは愛しそうに櫃に眠り続けた楽器を撫でた。優美な琵琶と端麗な琴だ。
「すばらしい楽器です。ですが、わたしには音は出せないでしょう。ミグルの神器たる楽器の音を出せるのは〈選ばれし者〉だけです」
「〈選ばれし者〉?」カイには初耳だ。
「オロです。あの子は、われらミグルが待ち望んだ〈選ばれし者〉なのです。ですが、〈選ばれし者〉の運命は過酷です。常に〈月の神〉から挑戦を受けるからです」
「挑戦とは?」
「運命を試されるということです。〈選ばれし者〉は未来を読み、時を止めることができますが、それは時間秩序を破壊すること――不用意に使えば、生身のオロの身体はボロボロになるでしょう。あの子は力を統制できません。銀麗月と九孤族宗主のお力が必要です」
「わかりました。そのために、この文書や楽器を役立てることができるといことですね?」
マロは頷いた。悲痛で暗く沈んでいた顔に、わずかに安堵の色が戻った。
「ミグルの水神殿が、なぜ、ここにあるのか――五千年前に滅んだルナ古王国の王国文書庫を守るかのように……この疑問は、きっと五千年前の秘密を解き明かす道につながるでしょう。やってみます」
「ありがとうございます」
カイは深く頭を垂れた。知恵と勇気に溢れたこの教導師ならば、きっとやり遂げるだろう。
銀製龍オロの危機は、弦月リトの危機とも通じる。マロはオロを守るためにリトを守ることに協力すると申し出てくれたのだ。
■解読と分析
新しいミッションに櫻館が沸き返っている。アイリもオロも大張り切りだ。
孤島の地下神殿はカイが結界をほどこし、ひとまず、だれの目にも触れないように保護した。
神殿文書は、その配置も大きさもすべて記録が取られたあと、ひそかに一式が慎重に櫻館に運び込まれた。素人では無理だ。ソン・ララが呼ばれた。ルナ大神殿調査の責任者を務める考古学・古文書学の世界的学者だ。彪吾とカイ以外には知らされていないが、レオンの親族――元カトマール皇帝の義理の姪――にあたる。
ルナ大神殿もシャンラのルナ神殿遺跡も発掘され、人類共通の文化遺産として尊重されている。神殿文様を読み解くことが、世界の危機を救うためには必要だ。一方、カランでは地上神殿と地下神殿が二重構造をなす。地上神殿は滅び、学術調査の対象だ。だが、地下神殿は太古の姿を留めたまま、神殿巫女の一族によってひそかに守られてきた。地域の記憶をつなぐためだ。
では、この孤島の地下神殿は――?
この神殿は長くひとを拒んできた。〈選ばれし者〉を待ち続けた。そして、色を変えながら〈選ばれし者〉を迎え入れ、扉を開いた――この神殿は、この地のこの場所にあってこそ己が役割を果たす。〈選ばれし者〉が望むなら、ふたたび悠久の眠りにつかせるべきだろう。
カイから次第を聞いたソン・ララは、孤島の神殿遺跡に息を呑んだ。
「美しい。この島にこれほどのルナ神殿があるとは――」
島のウル遺跡がルナ古王国の遺跡であることまでは推測していた。だが、孤島にこれほどの神殿遺跡が眠るとなると、ルナ古王国の政治体制と信仰体系の通説が根底からくずれる。この神殿自体は公表できない可能性が高く、ミグル文書もルナ古王国文書もすべてを利用できるかどうかは不明だ。そもそも絵文字が解読されていない。
「ああ! マキ・ロウ博士がいれば!」
ソン・ララが口惜しそうに言った。アイリも風子も顔を見合わせた。
マキ・ロウ博士はカランに出かけ、いまなお消息不明だ。リトとディーンが探しているはず。
「教授、通説が根底から変わるってどういうことですか?」
サキが率直に聞いた。通説が何かすら知らないのだから。
櫻館のメンバーが会議室に集められ、ソン・ララの講義が始まった。スクリーンに写真や図が写る。解説は明快だ。
「ルナ古王国の建国は七千年前と推定されています。で、五千年前に滅んだ。つまり二千年間、続いた超大国なんです」
「へええ。すごいなあ!」
一番前の席を陣取った風子が目を輝かせながら聴いている。
「通説では、ルナ古王国は、いまのカトマールのルキア付近を中心に発展した王国とされます」
「その拠点が、ルナ大神殿なんだよな?」
どの講義にも白けまくる天才アイリが身を乗り出している。
「そう。ルナ大神殿は、行政・司法の中心でしたからね。通説では、祭祀の中心でもあったとされてきたんですが、今回、月神殿が見つかったことで、通説がひっくり返りました。祭祀の拠点は月神殿だったからです。ファン・マイさんの説が正しかったことが証明されました」
サキの目頭が滲む――マイ、あんたの努力は報われたよ!
「通説では、ルナ古王国はルキアを王都とする農業主体の大陸国家とみなされてきました。ファン・マイさんはこれにも異議を唱え、ルナ古王国はルキアから蓬莱群島とシャンラに広がる海洋連合王国だと考えたのです。活発な交易が行われ、王都は蓬莱群島のなかにあったと推測しました。五千年前の大地震と津波で崩壊し、海に沈んだ都です」
風子もアイリもシュウもフムフムと頷く。なにしろ、時空を超えてその都に行ったのだから。
「わたしも別の資料からそのような推測に至っていましたが、ファン・マイさんの結論はとても明快で論理的であり、わたしは唸ってしまいました。その後、各地で発掘されたルナ神殿の位置は、ファン・マイ説を裏打ちすることになりました。そして、ファン・マイ説の根拠になったのが、都築凛子博士の研究です」
風子がグズッと鼻を鳴らした――覚えていないお母さんの研究だ。
「その上、今回の神殿です。神殿は小さいのですが、非常に華麗で、伝説のミグル文化の粋を表しています。ウル大帝国に招かれたミグル族は〈文化と芸術の民〉と呼ばれ、帝国で非常に大きな役割を果たしたと伝わります、それが仇となり、他国に拉致されようとした結果、みずから神殿とともに犠牲になったのです」
オロが目を輝かせた。文化と芸術の一族――ミグル族は、龍族とあわせて自分の大事なルーツだ。
「孤島の神殿には、ミグル文書とルナ古王国文書の二つが残されています。どちらもいまだ解読されていない古い絵文字を使っています。ミグル文書については、ミグル文化の継承者であり、ミグル最高の教導師であるマロさんが許可を与えたもののみを見ることができます」
また、オロが胸を張った。
「ルナ古王国文書は、いまのところ、だれも読めません。けれども、この櫻館ではルナ文様の解読が進められているとか――おそらく、今回の文書の解読には役立つでしょう。解読がすすめば、人類古代史が塗り替えられることになります。わたしはみなさんのお手伝いをするためにここに来ました」
ソン・ララ教授はにっこりと微笑んで、十五歳チームの面々を見回した。




