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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第四十六章 西の地下神殿
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ⅩLⅥー7 壊れた家――母の記憶と神殿の絹織物

■壊れた家

「ふうう」

 リトとディーンは駆け戻った。地縛霊が現れた家は壊れたまま――ひび割れた湿地帯に残骸が晒されていた。


「雨露はしのげそうだけど……」

 ディーンの言葉に外を見ると、細い雨が降り始めていた。空はにわかに曇り、遠雷が響く。雨の冷気が家の中にも及んでくる。

「寒いね」

 ディーンは家の中を見回した。囲炉裏に乾いた薪をいくつか放り込み、残っていたマッチを擦る。パチパチと火がはぜ、火の熱が顔を照らし始めた。


「ああ、あったかい!」

 リトがうれしそうに声をあげた。ディーンは鍋に井戸の水を汲み入れ、囲炉裏にかけた。ぐつぐつと湯が沸き、蒸気が部屋に漂い始めた。


 クロが囲炉裏端で寝そべった。リトはその背を撫でている。

 雨の中を走っていったクロは、河で魚を捕まえて来た。何度か往復し、四匹の魚が揃った。リトがそれを木の串に刺し、囲炉裏端に刺している。雨で濡れた黒い毛を、リトは懸命に拭いていた。


 それを見ながら、ディーンはリトに白湯、クロに水を差し出した。

「ああ、たしかにうまいな!」

 リトは明るい笑顔を見せた。

「そうだね」

 ディーンも笑顔で応じた。


 ヘビが首をあげて言った。

「玄武さま。お命じくださりませ。閉じよと。さすれば、結界が張られ、風雨が入って来なくなりまするぞ」


「閉じよ!」

 とたんに室内が明るくなった。

「へえ。こんなこともできるんだ……」

 ディーンは自分の力に驚いた。


 これまで、フクロウを使い、限られた範囲内だが別の場所に移動することはできた。天月の森で玄武だと言われ、洞窟の岩戸を開けることができた。時空が歪む世界で道を見極めることもできた。そしていま初めて結界を張った。

 できることがどんどん増えている。


 だが、銀麗月カイならば、もっと高いレベルで、より多くのことができるのだろう。生まれてから二十年間、天月の厳しい生活で鍛え抜かれたはずだ。


――ボクが自分の特別な力に気づいたのは、十年前。母を喪ったときだ。そのあともなんら訓練を受けたわけではない。ただ、エリナの道具にならぬよう、必死で身と心を守った。エリナを見下し、半ば憎みながら、エリナに忠誠を誓う密偵を演じ続けた。


■エリナと母

 カトマール第一副大統領エリナは、母の親友だった。二人とも名家出身の才媛。共和国に転じたカトマール人民大学で出会い、すぐに親しくなったらしい。


 当初、ラクル出身のエリナはルキアで部屋を借り、一人暮らしをしていたという。母がエリナをたびたび自宅に呼んでもてなしているうちに、エリナは母の家に下宿するようになったとか――。まるで双子のように仲が良かったと言う。

 母の結婚とともにエリナは母の家を出た。その後も母とエリナは交流を続けたようだが、大統領暗殺の直前にエリナは姿を消し、その後の消息は完全に途絶えた。エリナは反政府組織のメンバーに加わったようだ。


 母が亡くなった後、ボクは食べ物もなく、栄養失調で倒れた。

 気が付くと病室にいた。見たことがない女性がいた。

「わたしはエリナ――あなたのお母さんの友人だったの。これから、わたしがあなたの面倒をみるわ。いいわね?」

 有無を言わせぬ圧力があった。

「けれども条件がある。聞く?」

 ボクは頷いた。拒否できるはずもなかった。


「あなたはディーン。これからディーン・タルコフに生まれ変わりなさい。決して本名を名乗ってはならない。元大統領の孫だと知られてもならない」

 ボクはまた頷いた。


 病室の窓から歓声が聞こえた。新しい政府が誕生したという。人びとが熱狂的に新しい大統領を迎えていた。その隣に彼女がいた――エリナだ。

 そのときに知った。ボクは「孤児救済プログラム」で拾われた十歳の孤児だった。


 あまりにも幼かった。

 あまりにも非力だった。

 なにもできない。なにも知らない。なにも自分で決めることができない。

 けれども、生きなければ――明日はあるのだから。


 見知らぬ学校に放り込まれた。森がすぐそばにある小さな学校だった。孤児のための学校だと教えられた――後で知った。孤児の中から優れた資質をもつ者を選び出す選別のための学校だと。

 友だちをつくるのは禁じられた。一人でなにがどこまでできるかを試された。

 ボクに課されるテストを分析してみた。どんな子が望まれているのか。

 簡単だった。


――孤独に強く、聡明で判断に迷いがなく、やり通す強い意志力とやり遂げる強靭な身体を持ち、固く秘密を守る者。


 だれかと協力するより、リーダーとして多くの者を率いるより、一人でやる方が早い。ボクは感情を表に出さない。怒りも喜びも悲しみも――ひとたび心を外にさらしてしまえば、歯止めがなくなる。五歳の時、祖父と父と家を失ったときにも泣かなかった。


 ボクは見込まれた。選別学校からバルジャの学校に移されたあと、アカデメイアに来た。バルジャの学校は、カトマール軍事政権時代の人民大学や特別英才学校の関係者が作ったものだった。国家や個人への忠誠を教え込まれた。これにも黙って耐えた。


 新政府は、旧軍事政権の中にいたエリート人材――抹殺するには「惜しい」人材――を集め、バルジャで一時的に保護した上で、共和国政府と大学に戻すつもりだったようだ。計画は首尾よく進み、新政府成立後八年ほどたって、彼らはカトマールに居場所を得て復活した。それとともにバルジャの学校は閉鎖された。ボクもまたカトマールに戻り、国費留学生としてアカデメイアに送り込まれた。


 エリナに疑念を持つようになったのは、アカデメイアに来てからだ。

 外から見ると、カトマール政府のトロイカ体制――大統領とエリナおよびシャオ・レンの二人の副大統領からなる体制――は盤石とは言い難い。


 シャオ・レンは、抵抗運動のシンボルだ。クーデターで家族と財産をすべて失い、亡命生活を送ったのち、亡命者支援のおかげでアカデメイアで学び、抵抗運動のリーダーになった人物だ。活動資金として、妻のアユ夫人が私財をなげうったという。国民の幅広い支持を得ている。

 一方、大統領とエリナはもともとカトマールにいて抵抗運動に参加した者たちだ。大統領はある種のたたき上げで、一兵士から革命運動に身を転じた立志伝中の人物だ。軍隊内に一定の支持勢力をもつ。

 エリナは、ラクルの裕福な財閥の養女だった。家族と縁を切り、革命運動に転じた人物で、自らの意思で財と名誉を投げうった美談の持ち主だ。ラクルの財閥などを中心に経済界とのパイプが強い。


 三人三様だ。当初はこれがうまく機能した。だが、十年もすると、綻びが目立つ。政治は三人の権力闘争の様相を帯びている。


 あるとき、ふと思った――エリナが母の前から姿を消したのは、母方祖父の大統領が暗殺される少し前だったらしい。なぜだ?

 マウル・リエンスキー大将軍が覇権を握るために親友の大統領を暗殺した――十五年前のカトマール初代大統領暗殺事件はそのように語られる。ボクにとっては、父方祖父が母方祖父を殺した忌まわしい記憶だ。だから、ボクが過去を隠すのは当然だった。ボクは暗殺者、裏切り者の孫なのだから。


 けれども、アカデメイアでカトマール軍事政権時代の取材を始めると、まったく違う景色が見えてきた。


――マウル・リエンスキーは〈戦うな〉〈死ぬな〉と語り続けた人物。


 父方祖父は暗殺者ではない――そう気づいたとき、すべてが変わった。


 エリナはことあるごとに祖父の事件を仄めかす。母とボクを救ったことの感謝を求める。だが、祖父を失ってから五年間、母は精神を病み、政府からの保護も失い、最後は自死した。狂気にとらわれながら、母は何人もの女性の名を挙げ、父を奪ったと恨んだ。その中にエリナの名もなかったか――?

 ボクはいつもの妄想だと取り合わなかった。


――まだ疑念のままだ。確証はない。けれども、もしやエリナが?


■相槌

「さっきどうして、ヤバいって言ったんだ?」

 焼き上がった魚を平らげたあと、火箸で灰をかき混ぜながら、ボクはリトに尋ねた。

「ああ、じつはね」

 リトはラクルの地下都市の話をしてくれた。

 驚いた。そんな高度な技術を地下で開発しているというのか?


 思わず言った。

「ラクルか……」

「知ってる?」

「うん。一度行ったことがある。旧市街も見たよ」

「オレも行った。弓月財閥の染織博物館にも、温泉にも」

 リトの目がフッと遠くなり、指がギュッと締まり、ポッと頬が赤らんだ。

(またカイか……?)


 ボクの不審そうな目に気づいたのか、リトが話題を変えた。

「あ、そうだ。玄武の神殿に紫色の布があったろ?」

「うん」

「あれ、ラクルの絹の里の絹織物だと思うんだ。あの紫色は独特だから」

「ラクルの絹の里?」

「そう! あの弓月財閥の最高級絹織物を生産している村だよ」

「へえ。でも、不思議だね。あの神殿は五千年前のものだよ。絹織物が色褪せずに残るものなの?」

「だから、驚いたんだ。キミもだろ?」

「うん。まるで時間が止まってるみたいだった」

「そうなんだ。時間が止まってるとオレも思った。でももっと驚いたのは、あの絹織物技術だ。五千年前にあんな高度な織物技術があるものなの?」


 ボクはヘビに聞いた。

「どうなんだ?」

 ヘビは部屋の奥から神妙に這い出てきた。明るく、暖かい場所は苦手らしい。

「はい。あの絹織物は当時から珍重されておりました。どこから運ばれてくるのかはわしらには教えられませんでしたが、〈月の一族〉と玄武さまのような神につながるお方のみがお手に取ることができました。しかも、特別な儀式のときにのみお召しになるお衣装でござりまする」

「特別な儀式?」

「はい。月蝕のときに神に祈るための神殿衣装でござりまする」


 リトがつぶやくように言った

「神殿衣装――?」

「どうしたの?」

 ボクが聞くと、リトは目を輝かせながら、こう言った。

「つながるかもしれない。ラクルとこの湿地帯! なあ、一緒に調べよう!」

「うん!」

 ボクは頷いた。


――うん。

 たった一言――うん。

 魔法の言葉だ。

 ボクはこの言葉をリト以外には使わない。


――キミを愛している。

 その長い言葉をボクは万感の一言に託す――うん。

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