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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第四十六章 西の地下神殿
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ⅩLⅥー6 漆黒の神殿を越えて北の湿地帯へ――二人の青年が見たもの

■闇の通路

 神殿から遠ざかるほど、カラン神殿の白い明るい光が背の奥に遠ざかり、ついにほぼすべてが闇にまみれた。クロの金色の目とヘビの赤い目だけが浮かび上がる。

 ディーンの身体が緊張で固まってゆく。足元は悪い。通路の石壁が一部剥がれ落ち、地面のあちこちに転がっている。その塊が見えにくい。空気は乾いているが、風はなく、二人の足音は地面に囚われたように消えていく。壁に手をやるとそのまま吸い込まれそうだ。あまりに冷たい。生きものの気配はまるでない。


「うわっ!」

 ディーンの片手をリトが強く引っ張った。躓きそうになったディーンをリトがとっさに支えたのだ。

「ありがとう……」

「大丈夫? ますます足元が悪くなってきちゃったね」

「キミこそ大丈夫?」

 リトが笑った気がした。

「オレはいいんだ。暗闇でも見えるから」

「へええ」


「さすがにここまで暗いとちょっとビビるな。夕暮れ時の黄昏時みたいだ。ちょっとボヤッとしてる」

「でも、見えるんだね? すごいな」

「あはは、そうかな?」


 リトはディーンの手を固く握った。

「オレから手を離さないで」

「うん」


 リトの手は温かかった。ディーンの心を縛る氷の楔が溶けてゆくようだ。胸の奥を甘やかな香りが駆け巡る。ディーンはリトの手をギュッと握りしめた。


 とたんに、苦い毒に身が浸された気がした。


 リトの記憶が流れ込んだ。

 どこか知らない山奥――二人の少年が手を繋ぎ、軽やかに駆け上る光景。


 リトだ!

 そして、もう一人は――カイ?


 リトの思いはカイでいっぱいだ。

 繋いだ手の記憶から、カイとの過去を思い出しているのだろうか?


 カイといるときのリトは、いつもわずかに照れながら、それでもカイから目を離そうとしない――それは、つまり、ディーンを見ないこと。

 そのたび、ディーンの心臓は凍り付く。


 リトの手からカイの影を感じながら、それでも、ディーンは手を振りほどかなかった。

――いつか、きっとボクがカイに替わってみせる!


 ふたたびよろめいたディーンにリトが心配そうな声をかける。カイとの記憶がリトから消えた。ディーンはリトの背に詫びた。

「ああ、ゴメン。また、躓きそうになった」

「仕方ないよ。ほらもっとオレに近寄って。ぜったい離れないように!」

 リトが強くディーンを引く。ほとんど抱きかかえるかのようだ。

「……うん」

「落ちてる石は切石ばかりだ。尖ってるから、転んだりしたら打ち身じゃすまないぞ」


■迷路

 慎重に歩を進めた。しばらくすると、リトが突然足を止めた。

「どうした?」

「迷路だ」

「迷路?」

「うん。道が三つある。正しい道を選ばないと、迷路に閉じ込められる。迷路を永遠にグルグル回り続けるんだ。例の洞窟と同じだ」


 ディーンには見えない。

「ひょっとして、ボクが何か言えば、正しい道はわかるのかな? ヘビよ、どうなの?」

「仰せの通りです。地下は玄武さまの支配領域。お命じなさいませ」


「玄武が命ずる。正しい道を示せ」


 リトがギュギュッとディーンを抱き寄せた。

「やったあ! 道が光ったぞ。さすが、玄武!」


 ディーンには道は見えない。光も感じない。けれどもリトが喜んでいる。それでいい。

 リトはディーンを引っ張るように早足で進み始めた。地面にはもはや石は落ちていない。けれども、リトはディーンの手を離さず、ディーンもリトの手を握りしめたままだった。


 どれほど歩いただろう。

 長かったのかもしれない。短かったのかもしれない。地下では時間と距離の感覚が狂う。通路の先がほの明るくなってきた。出口が近づいてきたのだろう。


――この手を離さないといけないのか?


 もっと暗闇が続けばいいのに――そう思ったとたん、ほの明るい光がすぼむように途絶えた。

「あれ?」

 リトが怪訝そうに首を傾げる。

「出口に来たと思ったのに、違ったのかな?」

「さあ……」

 ディーンがとぼけると、腕のヘビが笑った気がした。


 ヘビは遠い昔を思い出していた。

(あの頃、お二人はよくご一緒にお出かけになっていた。いつも弦月さまが手を差し出し、玄武さまがその手にご自分の手を重ねられ、お二人は微笑みあっておられたものだ)


■地下の黒き神殿

 ふたたび光が射してきた。

 二人の目の前に、黒い神殿が光に浮かび上がった。輪郭がしだいに鮮明になる。黒の御影石だろうか。石そのものが光を放っている――荘厳な沈黙の神殿だった。


「地下神殿?」

 二人は顔を見合わせた。

「ここは玄武の神殿ってこと?」

 ディーンにはわからない。なにしろ見たのは初めてだ。聞いたこともない。

 腕のヘビが厳かに言った。

「さようです。玄武の神殿――漆黒神殿でござりまする」


 ヘビはディーンの腕から離れ、武者姿になって、あちこちを点検し始めた。足取りがどんどん軽くなり、飛び跳ねるがごとくだ。

「玄武さま。この神殿はほとんどもとのままでござりまするぞ」

「もとのまま?」

「はい。五千年前に玄武さまがこの地から追放されたときのままの姿でござりまする。おお、なんとなつかしい!」


「じゃあ、案内できるのか?」とディーンが問えば、

「はい。よろこんでご案内いたしまする」と武者は嬉々として答える。


 天井は高く、あちこちにレリーフ文様があしらわれている。やはりルナ神殿文様だ。ところどころに金銀の細工が控えめにあしらわれており、年月を経ても輝きを失っていない。


「この神殿は、玄武さまのお住まいも兼ねておりました。玄武さまはいくつか宮殿をお持ちでしたが、なかでも一番のお気に入りがこの漆黒神殿――奥にはご寝所、浴場なども調っておりまする」

「ふうん。さすがに五千年もたつと、建物以外は何も残っていないみたいだね」


 武者が自慢そうに言った。

「いえいえ。どうぞこちらをご覧下さい」

 武者が青銅の扉を開いた。

 中には、色鮮やかな布や家具、装飾品がそのままの形を留めていた。

「すべて、玄武さまがこの神殿をお去りになった最後の日のままでござりまする」


 リトはその中の布を思わず手に取った。

(これ――ラクルの絹織物だ。しかも、紫の色! どういうことだ?)

 壁には玄武の紋章。ルナ神殿で見たものと同じだ。

 ディーンとリトは息を呑んだ。


――時が止められている?


■北の湿地帯

「さあ、こちらでございまする」

 武者は、二人を階段に案内した。ここから地上につながるという。


 階段もまた黒御影石の重厚な造りだった。

 登り切ると、見知らぬ洞窟の中に出た。

 鍾乳石が幾重にも重なる中で、光が綾をなしている。


「ここは?」

「北の湿地帯に近い森の洞窟でございまする」

「森? 冷たき森?」

「いいえ。ここは銀月の世界――人が住み、獣が暮らす普通の森でございまする」

「普通の森?」

「さよう――近くには泉があり、さらに行けば小さな湖もございまする。玄武さまはよくこの森で獣たちと語らっておられました」

「泉――?」(もしや、祖母がよく行ったという泉か?)

「その泉に案内してくれないか」


 お伽噺のように小さな美しい空間だった。木漏れ日に水が煌めき、木々が水彩画のような淡い影を水面に映し込む。

――祖母はここで疲れを癒し、ここで祖父と出会ったのか?


 ディーンは、両手で水を掬って口に含んだ。

「湿地帯は塩分が強い土地と聞くが、この水は甘いな」

(祖母のことを教えてくれたあの地縛霊も言っていた――水が甘いと)


「はい。湿地帯のほとんどは塩分濃度が高く、農業には向きませぬ。しかしながら、この森とその周辺の一角だけは真水が出るのです。しかも、天然に濾過された非常にうまい水でございまする。どうぞもっとお飲みくださりませ。この泉は村人の命の水でもござりました」

「どうして湿地帯は塩分濃度が高いのだ?」

「もとは海だったところが地殻変動で隆起したからと伝わりまする。湿地帯からは良質の塩が取れましてな。塩は人が生きるのになくてはならぬもの――この湿地帯は天然の塩田として活用され、北の人びとの生活を潤したのでございまする」


 リトが口を挟んだ。

「塩かあ――昔は、塩は金よりも高かったと言われるくらいだもんな」

「さようです。カトマール南部には岩塩が取れるところもござりまするが、この湿地帯の塩にはかないませぬ」

「いまじゃ、塩は人工的に精製できるものね。天然塩のニーズは限られてるよ。この湿地帯が貧しくなるはずだ」

 リトは、感慨深げになおも泉の周りを見つめているデヴィーンに呼びかけた。

「ディーン、行こう! 森を出てあの家を探そう。虹色の石があった家!」


■再開発

 森を出て二人は絶句した。冷たき森を経て到達した湿地帯とは、まるで様相が違う。

 かつての塩田だった湿地帯にいくつものビルが建っていた。


「どういうこと?」

 ディーンは武者を見たが、武者は絶句し、ヘビの姿に戻って硬直してしまった。コロンと地面に転がっている。


「土地改良して、再開発したってことかな? 海を埋め立てて工業地帯にするのはよくあるもの。湿地帯なら海以上にやりやすいはずだ」

「再開発……なんのために?」

「だれかに聞いた方が早いな。まずは、町に行ってみよう」


 歩いて一時間ほどの距離だった。

 ちょうど昼時らしい。多くのひとが出入りするカフェに入った。聞こえてくる会話は、ほとんどがバルジャ語。この湿地帯にはバルジャの企業がいくつも入り、カトマールでの事業展開の拠点になっていた。

 どうやら、新共和国政府になって十年のうちに、様変わりしたらしい。大統領肝いりの経済・外交政策――経済特区――らしい。レオンから聞いたことがないのは、ラウ財団は排除されているからだろう。


 立派なビル、広い舗装路、ちょっとレトロな街路、緑地と花が溢れたおしゃれな空間にしゃれたカフェやショップが並び、バルジャ語が飛び交っている。

(まるで映画みたいだな。でも、どっかで見たような……)

 リトは首を捻っていた。ディーンがコーヒーを片手にささやいた。

「この町、きれいだね。きれいすぎるのが逆に不気味だけど」


 ふと思い出した。

(そうだ! ラクルの地下都市! あの都市の生活空間に似てるんだ)

 だが、ここはバルジャ向けの特区のはず――カトマール財閥の一つである弓月財閥が入ることができるのか? しかも、ラウ財団を差し置いて?


 弓月御前のラクル地下都市と同じなら、監視都市のはず。あちこちに監視カメラが仕掛けられているかもしれない。

 リトは立ち上がった。

「ディーン、行こう! ここはちょっとヤバそうだ。もとの場所に戻ろう」

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