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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第四十六章 西の地下神殿
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ⅩLⅥ-5  野望の衝突――黒獅子組と弓月御前

■黒獅子組

「どうだ? 娘の様子は落ち着いたか?」

 会長室を訪ねた女性秘書は頷いた。

「さきほど眠りにつかれました。お医者さまが鎮静薬をくださったおかげです」

「そうか……で、ヤツはまだ見つからんのか? 消えてからもう三日だぞ」

 女性秘書は肩をすぼめた。

「総出で探しておりますが、どこにもおりません。アカデメイアを出国した気配はないとのことです」

「鷹丸組はどうだ?」

「若さまが気まぐれにあちこちお出かけになるのは日常茶飯事なので、ほとんど気にも留めていないようです。このたびのパーティも出席が義務付けられていたわけではございませんし、婚約披露パーティでもございませんでしたので」


 ワシはウっと詰まった。正論だ。

(娘のためにと先回りして仕掛けたのはこのワシだ)


 動揺など、黒獅子組会長らしからぬふるまいだ。だれにも見られてはならぬ。

 蓬莱群島では、黒獅子組と鷹丸組――俗に言う〈ヤクザ〉――の対立抗争がもう数十年も続いてきた。いずれも表向きは合法的組織に衣替えしたとはいえ、利権を争う構図は変わらない。縁組は二つの組織の和睦の象徴であった。

 むろん、そんなきれいごとなどワシの目指すところではない。鷹丸組の乗っ取りこそが本来の目的だ。


 だが、娘はワシのそんな思惑など知らぬ。十五の時にヤツに会って以来、ずっとヤツを恋し続けているけなげな娘だ。美しく、賢く、強い自慢の娘だ。その娘が泣き崩れている。

 期待が大きすぎたのか。婚約者に逃げられた娘は真っ青になって、ブルブル震えた。悲しみか、不安か、屈辱か、それはわからぬ。


 秘書が淡々と告げる。

「いつもなら、一週間もすればお戻りになるそうです」

「いつもなら……か」

 今回の逃亡が、いつもと同じとは限らぬ。


――そんなに我が娘がイヤか? そんなに黒獅子組がイヤか?


 娘のために膝を屈して縁談を申し入れたのに、ワシのメンツはどうしてくれる?

 いや、それより、かわいい娘をこんなに泣かせるなど、とうてい許せん。

 どうしてくれようか?


 鷹丸組――いまはTMカンパニー――の乗っ取りをさきに進めるか。ヤツが二度とワシに逆らえないように。そして、娘を裏切ることができぬように。


 そこまで考えたところで、ワシは思考を切り替えた。

「客人を通せ」


■麗しき客人

「会長、お変わりなく」

「弓月御前こそ。いつも相変わらずお美しい。わざわざお越しいただき、恐縮ですな」


 弓月御前は、優美な紫色のシルツ・スーツを着こなし、深紅のネイルをつけた白い指をすべらせながら、椅子に腰かけた。結い上げた髪から見えるパールのイヤリングは上質なものだ。深い光を放っている。襟元にもパールのネックレス――いつ会っても、上品で知的なたたずまいだ。


(だが、この女はどうも苦手だ)


「〈蓮華〉の土地のことですけれど、訴訟がうまくいっていないようにお見受けいたしましたが、いかがですか?」

 御前の言葉はいつも明瞭だ。ごまかしは通用しない。

「おっしゃる通りですよ。予想外の苦戦ですな。無能弁護士とたかをくくっておったのですが、有能者弁護士まで仲間についたようですし」


「二人の弁護士のことはわたくしも聞き及んでおります。よもや、ドロップ建設の件が汚職事件になど発展しないでしょうね?」

「はあ。一部マスコミが騒いでおりますが、たいした証拠はもっていません。立証するのは難しいでしょうな」

 ワシは余裕を見せた。この女には下手に出ると足元をすくわれる。


 御前は表情一つ変えずに言いのけた。

「難しい、など。そんなレベルではとうていダメです。証拠は一つとて握られてはなりません。一つでも穴が開けば、せっかくの計画がまたたくまに崩れますよ」

 このワシにここまで厳しい言葉を投げかける者はほかにいない。

 おもわず苦笑いした。

「いやはや、いつもながら手厳しい」


「ご存じでしょう? カトマール西部の山岳地帯に大統領令が出されました」

「ええ、ニュースで」

「動いたのはシャオ・レン。事実上は、ラウ財団筆頭秘書のレオンです」

「え? まさか? どうして、ラウ財団が?」

 これには心底驚いた。大統領令の発布は、バルジャの執拗な介入と長年続く山岳部族の独立機運にとうとう根負けした結果ではないのか? 

 一見、大統領の敗北に見える。だが、山岳民族の反乱の目を摘み、今後の協力を取り付けたとも言える。政治的な駆け引きに成功したに等しい。


 御前は一瞬皮肉な表情を浮かべた。

「いまさら、どうしてと問い返すことの方にわたくしは驚いておりますが」


――うむむ!

 自分の顔がカッと赤くなるのを感じる。ひどい屈辱だ。だが、言い返す言葉が見つからない。


「まさか、大統領の不正蓄財に気づいたということではないでしょうな?」

「気づいたのです。証拠をそろえて大統領に取引を持ち掛けたとか」


 絶句するワシの顔から眼をそむけ、御前は決然と告げた。

「早急に手を打つ必要があります。これ以上、シャオ・レンとレオンに弱みを握られてはなりません」


 思わずうろたえたワシは、あろうことか口走ってしまった。

「どうすれば?」


 御前は強い目で、反論を封じるように、命じた。

「アカデメイアの訴訟をさっさと閉じてください」


(意味がわからぬ)

「閉じるとは?」

 御前は平然とこう言いのけた。


「負ければよいでしょう。〈蓮華〉を含む環境保護区の開発計画自体は違法ではない。けれども、これほど市民の反対が強い以上、市民の理解を得られない開発は中止する、と市長に言わせればよいのです。あなたは裁判に負けて、相応の賠償金を支払えば済むこと。だれも傷つきません」


(これまで数年をかけて準備してきたプロジェクトを手放す?)

「ですが、〈蓮華〉の土地に執着しておられたのは御前ですぞ」

「ええ。いまもあきらめてはおりません。ですから、別の方法を考えます。今のやり方はスジが悪すぎます。わたくしが提供した資金の返還は不要です。ですから、あとはそちらでうまく処理してください」


 ワシが、天下の黒獅子組会長が、この女の前では手も足も出ない。

 武術はワシよりも上、胆力もワシを上回る。頭の切れはとうていワシの及ぶところではない。この女の言う通りにしなければ、泣きを見るのはワシだ。


 弓月御前は、ゆっくりと手の位置を変え、話題も変えた。

「このたび、黒獅子組のご息女と鷹丸組の御曹司がご婚約の運びだとか」

「ええ。まだ公表はしておりませんが」

「公表前であれば、ぜひ、お願いがあります」

「何ですかな?」

「婚約を取り消してください」

 絶句した。事業停止以上の驚きだ。怒りのあまり、礼儀など吹っ飛んだ。


「な、なにを。これは家族の問題。あんたに指図される筋合いのものではなかろう!」

「いえ、こちらにも十分利害があります。鷹丸組の御曹司は、婚約を嫌がって逃げ出したとか。婚約公表後に同じことが起こったら、メンツ丸つぶれですよ。あなただけでなく、お嬢さまが世間の笑い物になります」


 ワシはもはや怒りを止められなかった。そんなことは重々承知だ!

「そうならんように十分に手を打っておる」

「TMカンパニーの買収ですか? おやめなさい」


 言葉に詰まったワシは、一瞬息を整えて、声を絞り出した。

「なぜ? なぜだ?」

 御前はまた手を組み替えて、今度はワシを見た。射抜くようなまなざし――鷹のように鋭い目だ。

「TMカンパニーは弓月財閥が吸収するつもりだからです」

「つまり手を出すなと?」

「そうです。理解が早くて結構」

「イヤだと言ったら?」

「おほほ。どうなるかは、あなた自身がよくご存じでしょう」


 足の力が抜けていく。

「ヤツにも――タダキ弁護士にも手を出すなと、そういうことか?」

「さようです。不幸な結婚になるだけですよ」

 握りしめた拳がわななく。ワシの額に脂汗が滲んだ。


「何より、あの者はあなたが考えているよりもはるかに有能です。鷹丸組を取るどころか、黒獅子組が危ない」

「は?」


 御前の目にチラリと嘲りの色が浮かんだような気がする。

「鷹丸組の会長がなぜあなたの提案を呑んだのか、いまだわからないようですね。息子を通じて、黒獅子組を乗っ取るためですよ。乗っ取ったとたん、あなたもあなたのお嬢さんも簡単に切り捨てられる――目に見えるようです」

「そ……そんな」


 ワシはもはや踏ん張り切れなかった。ドサッとソファに座り込み、頭を抱えた。呻くようにつぶやいた。

「あんたは得体が知れん。いったい何者だ? 何が目的だ?」


 御前は眉一つ動かさない。

「わからなくて結構――そんな簡単に底が割れるようでは、大きなことはできません。では、ごきげんよう」


 弓月御前の背を見ながら、ワシはわなわなと震えた。

 ムムム!


 だが、御前に逆らった者の末路はよく知っている。自分もそれを手助けしてきたのだから。その手助けから得たおこぼれで黒獅子組は大きくなってきた。

 アカデメイアでも、カトマールでも、ミン国でも、シャンラ王国でも、弓月財閥に吸収合併された企業は数限りなくある。雇用は維持される。弓月財閥の雇用条件は良好で、社員たちはむしろ喜ぶ。だが、経営陣は一掃され、ほぼすべてを失う。金も名誉も地位も。

(やむをえん。ここはいったん引くしかあるまい)


 ワシは受話器をとった。市長につながるホットラインだ。

「例の開発の件ですが――」


■弓月御前

 弓月御前は会長室を後にした。


 カツカツと靴音を響かせながら、秘書を連れて、VIP用エレベーターに向かう。このエレベーターは地下の専用駐車場と直結し、秘密裏に会長に面会できる。


――タダキは、〈カラン神殿の巫女〉の末裔。念願であったカラン地下神殿の手掛かりがつかめるかもしれぬ。黒獅子組に与えるには惜しい。

 あの会長秘書は役に立つ。あの者からの情報がなければ、タダキを奪われていたやもしれぬ。薬物を飲ませて部屋に運び込む。わざとありきたりの方法を使ったのは、タダキに気づかせるため。気づかぬようなら、タダキを見捨て、別の方法を考えるつもりだった。だが、あの者は予想以上に見事な脱出劇を演じた。会長もそう簡単にはあきらめぬだろう。なにせ、娘がぞっこんだ。これはこれで手を打たねばならぬ。

 だが、なにより、黒獅子組は〈はぐれミグル〉、鷹丸組は〈島ミグル〉。ミグルは古代ウル大帝国に仕え、予言と予知をつかさどり、帝国の繁栄を築いた一族。本流の〈神殿ミグル〉から分離した〈はぐれミグル〉は諜報、〈島ミグル〉は航行の高い技術を持つ。これら二つのミグルが長年にわたって培ってきた闇のネットワークは捨てがたい。二つの組が勝手に手を結び、わたくしの支配を逃れようとするなど言語道断!


 地下駐車場に降りた御前は秘書に二言、三言ささやいた。秘書は即座に密偵――朔月の顔に変わった。

 彼は頷いたのち、御前とは別の車に乗り、自らハンドルを握った。朔月は御前に一礼し、さきに駐車場を出て、どこかに消えた。


 御前は、もう一台の車に乗り込み、運転手に指示を与えた。

「天月そばの館に行け」


 車中で御前は思慮を巡らせた。

――さて、〈蓮華〉図書館のことはどう片付けるべきか? あの地下にルナ古王国の王宮跡があるのは明白。時空が歪む場所だ。緋月の村への入り口のひとつのはずだが、舎村国主エファは動いていない。すでに閉じられたのか、それとも、わたくしの見立てが誤っているのか?


 天月山は月光の中で黒々と静まり返っている。ときおり天月の森からフクロウの声が聞こえるほか、音がない空間に、丸い銀月が翳りない光を山の背に注いでいた。天月山の輪郭だけが漆黒の世界に浮かび上がる。銀色の淡い光が微細な粒になって闇に砕け散る。


 天月山のふもとにある館は小さいながら、瀟洒な建物だった。


「母上!」

 美麗な娘が出迎えに現れた。縁者から迎え入れた養女ランだ。高い異能の素質をもつが、まだ修行中だ。万全ではない。いまは、天月宗主の儀礼用衣装を仕立てるために送り込んだ絹の里最高の職人の弟子として、天月で過ごしている。天月の情報をまとめて、御前に届けるのが役目だ。密偵活動というよりも、教育の一環だった。


 弓月御前は、家僕にコートを渡して、居間に入り、ゆったりとした背の高いソファに腰を下ろした。

 ランが銀製のポットを手に、豊かな香りの紅茶を注ぐ。金箔を贅沢に用いた絵柄をあしらった優美なカップの中で琥珀色の透明な茶が揺れた。香りはしっとりと高雅だ。


「天月にはもう慣れたか?」

「はい。日々楽しゅうございます」

「楽しむためにそなたをいかせたのではないぞ」

「承知しております。天月で気づいたことを詳細にまとめましたので、あとでゆっくりごらんください」

「うむ。そなたの観察眼は鋭いからな。楽しみだ」


 御前は、カップを手に取り、茶を口に含んだ。

「よい香りだ。落ち着くな」

「はい。母上のためにご用意いたしました。天月の特別な茶でございます」

「ほう。天月の茶がよく手に入ったものだ」


「はい。わたしに懐いてくれる子がいて、いろいろなものを運んできてくれるのです。この茶は、銀麗月と九鬼彪吾、ラウ財団のレオン秘書たちを招いて、天月宗主が茶会を開いたときに用いた茶葉でございます。少し余ったものをその子が特別にもらったようです」

「ほう――宗主の茶会か」

「はい。わたくしはもちろん出席はかないませんでしたが、その子のおかげでひそかに銀麗月たちの姿を見ることができました。噂以上に美麗でした」

「そうか」


 御前がゆっくりと茶を一口のみ、カップをソーサーに置くのを見届けて、ランは話をつづけた。

「そのとき、〈蓮華〉の子どもたちやアカデメイアの大学生たちも来ていたのです」

「なに?」

「〈蓮華〉の生徒が一人行方不明になって、たいへんな騒ぎになりました」

「天月で行方不明? 解せぬな」

「はい。天月の森に迷い込んだらしく、何人かが探しに行って、無事見つけたそうです」

「ほう――」


 ランはさらに続ける。思った通り、御前は強い興味を示している。

「その間、〈蓮華〉の関係者は銀麗月館に泊まり込んだようです」

「まさか! 銀麗月館によそ者を泊めたというのか?」

「はい。宗主は初代銀麗月の衣を銀麗月の宝物庫に移しました。宗主の新しい衣を仕立てるために、われわれも一度だけ見ることを許されたのですが、じつに見事な衣装でした。そのとき、〈蓮華〉の連中がいることに気づいたのです」

「ふうむ――隠そうとしたわけでも、表立って動いたわけでもないということか」


 御前は眉間に軽く指をあてた。

「アカデメイアの学生が来ていたということは、朱鷺リトもいたのか?」

「はい。彼とディ―ン・タルコフという青年が捜索に出向きました」

「ディ―ン?」


「はい、とても麗しい青年でした」

 ランは思わずポッと頬を染めた。御前はそれに気づいたが、気づかぬ素振りをした。

(恋に興味を持つ年頃だ)


「その青年とは、何者だ?」

「カトマール国費留学生の一人だそうです。最優秀学生だとか」

 ランの声は弾んでいる。ディ―ンを自慢できるのがうれしいらしい。


 御前はもう一度カップを手に取った。

(カトマールのエリート候補だな。政府幹部とも近しいだろう。そんな者が銀麗月や弦月とともにいるというのか?)

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