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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第四十六章 西の地下神殿
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ⅩLⅥー2 地下神殿と神殿巫女――旅立つ者・見送る者・語る者

■岩戸

「わたしとリトが見てみます」

 カイはリトとともに白く浮かぶ階段の下に消えた。ディ―ンはそれをぼんやりと見つめた。


――二人だけで行った……ボクはいつも一人残される。


「おい、ディ―ン。ボケっとするな! こっちを手伝え!」

 アイリだ。

 閉じられた岩戸を開けようとしている。

「おまえ、玄武だろっ! なんかできないのかよ?」またアイリが毒づく。


 腕のヘビがクビをもたげた。

「玄武さま。お命じください」


「玄武が命ずる――岩よ、開け!」


 ゴゴゴゴ……大きな岩がわずかに横にずれた。

「ほれ! みんな出ろっ!」

 サキが子どもたちを追い立てる。

 

 ディーンは動かない。

「ボクはリトを探します」

 サキは頷いた。

「頼むぞ。蓮華図書館でも時空がゆがんだ。ゆがむ時空はひとを喰う。気をつけろ!」


■階段の下

 異様な光景だった。


 洞窟は光が届かず、薄暗かったが、階段の下には光が溢れている。


 ディーンはあたりを見回した。

 人の姿は見えない。だが。気配は響く――地面を揺らすわずかな音がディ―ンには聞こえる。


 ルナ異本の物語の通りだった。

 青銅の扉があった。奇怪な文様が彫り込まれている。第一の扉、第二の扉、第三の扉をクリアした。


 広場のような空間に出た。空が見える。緋月がかかっている。夜ではなく、昼でもない。


「ようこそ。玄武どの。お待ち申しておりました」

 どこから現れたのか、白い衣の女性が優雅に手招きした。頭にも、首にも、腕にも、美しい細工が施された金の飾りものがきらめいている。


「あなたは?」

「カランの巫女でございます」

「わたしは友を探しているのです。二人の青年がここに来ませんでしたか?」

「おいでになりましたよ。銀麗月どのと弦月どの――奥の間でもてなしております。ご安心なさいませ」


「ここは?」

「もちろん、カラン神殿でございます」

「地下神殿ですか?」

「さようです」


「では、もう一つ教えてください。女性が来ませんでしたか?」

「ああ……洞窟には来たようですが、ここにはおりません。あの者にはこの神殿に入る資格がございませぬゆえ」

「では、どこに?」

「洞窟のどこかにいるのではないでしょうか? 迷い人は逃げ出すことがかないませぬゆえ」

 巫女は低いが凛とした声で言った。冷たい微笑みは張り付いたように動かない。


■神殿

「ディーン!」

 リトが立ち上がって、喜びを溢れさせた。


「サキ先生も子どもたちも無事だ。洞窟から逃げ出すことができたはずだ」

「そうか! よかった。キミが岩戸を開けてくれたんだね?」


 リトがうれしそうにディーンの手を取った。カイの眉がピクリと動いた。

 ディーンはリトの手を握り返し、つぶやくように言った。

「でも、マキ・ロウ博士は見つからない……」


 カイが、二人を引き離すように話題を導く。

「リト、覚えているか? ラクル地下都市につながっていた放棄された小さな地下都市だ」

「うん!」

(……ボクが知らない二人の世界)声が出ない。ディーンの胸が塞がる。


 カイとリトの会話が続く。

「この地下神殿の構造はそれに似ていると思わないか? それに、アイリさんが地図を重ね合わせたとき、不自然な線がいくつもあった」

「そうだったね」

「この神殿から各地につながる地下通路ではないだろうか?」

「なるほど! じゃ、北に延びていたのは、湿地帯につながるってことだよね?」

「湿地帯……?」

 リトの口から出た意外な言葉にカイは驚いた。


「うん。この前からずっと気になってたんだ。リクを救うには〈森〉の長からリクを守らなきゃならないけれど、〈森〉の消滅はリクも風子も望んでいない。それに、マキ・ロウ博士はきっと湿地帯に向かったと思うんだ」

「なぜ?」

「北から虹色の石の声が聞こえるんだ。ほんのかすかだけどね。きっと博士もそれを感じたんじゃないかって」

 ディーンも頷いた。たしかに大地を通してかすかに音が響いてくる。澄んだきれいな音だ。


 リトが立ち上がった。

「オレ、行こうと思う」

「リト……危険だ」

 カイには止められない――わかっていても言葉が口を突いた。


「大丈夫だよ。ディーンにも一緒に行ってもらうから。北の森は玄武の森――玄武がいれば、危なくない」

 ディーンの顔が輝いた。

「もちろん一緒に!」

 

 感情を示さないカイの目がわずかに曇った。しばらく黙ったあと、ゆっくりと口を開いた。

「わたしはこの神殿をもう少し調べてみよう」

「うん! 任せたよ。カイならいつでも地上に戻れるはずだもん」

 リトの肩にはクロが乗り、ディ―ンの腕に巻き付いたヘビも行く手に頭を伸ばす。


 しだいに小さくなる二人の背をカイは静かに見つめた。


――リトが去ってゆく……。

 神話の中の玄武と弦月さながら、二人の影が長く伸び、やがて視界から消えた。


 カイは傍らの女性に向かって尋ねた。

「わたしをここに呼んだのはなぜですか?」

「おほほ。おわかりでしたか?」

「ええ。むろん」


「〈月の一族〉につながるお方をお待ちしていたのです。もう三十年……いえ、この神殿が棄てられてから三千年もの間、あなたをお持ちしておりました」


■タダキ

 同じころ、櫻館一行は、カラン北部の小さな宿にたどり着き、一息ついていた。

「サキ先生、少しお話できますか?」

 タダキがイ・ジェシンと連れ立って、サキの部屋を訪れた。


「ルナ異本といい、わらべ歌といい、わたしのルーツに関わるかもしれないんです」

「ルーツ? あんたのおばあさんのことか?」


 タダキは、勧められた座布団に腰を下ろした。

「わたしの母は鷹丸組の直系――父は婿養子です。母の父――わたしの祖父は、ある事件がもとで突然亡くなりました。組が崩壊の危機を迎えたため、母はやむなく父の片腕であった男と結婚したのです。それがわたしの父です。望まぬ結婚であり、母は父を愛しませんでした。このため、わたしは早くから父と引き離され、このカランで母方祖母に育てられたのです。祖父方である鷹丸組のルーツは〈島ミグル〉――オロくんやスラさんの〈神殿ミグル〉とは微妙な関係にある一族です。カランにある祖母方のルーツは、〈カラン神殿の巫女〉にさかのぼると伝わります」


「カラン神殿の巫女?」


「はい。カラン神殿は〈神殿の更新〉によって人びとの記憶をつなぎとめる場所――そこで務める巫女は、神と人びとをつなぐ存在とされました」

「カラン神殿が祀る神は、白虎か?」

「そうです。神殿は〈森〉と〈地〉と〈海〉の結節点とされたそうです」

「では、あの洞窟は?」

「まさしく、三つが交わるパワースポットのような場所だと考えられます」


「あんたのおばあさんの一族は、巫女族としてあの洞窟を守ってきたのか?」

「そうです。五つの洞窟は子どもたちの遊び場だったのですが、村の鎮守の社でもあったのです。神殿はとうになく、神殿巫女の役割はほとんどありませんでした。ただ、洞窟を白虎の住まいに見立て、年に一度、村全体で祭りを行ってきました。祖母の一族は、このあたり一帯の大地主として敬意を集めていたそうです」

「ほう……」


「ですが、三十年前のカトマールクーデターで巫女の一族はすべてを奪われました。香華族ではないとして命はとりとめましたが、すべての宗教的特権と土地支配権を奪われたのです。それらは天志教団に吸収されました」


「なに? 天志教団?」

「はい」


「で? それからどうなった?」

「当時、一族の長はわたしの大伯母――祖母の姉でした。大伯母は家に残されていた祭具一式を持ち、どこへともなく姿を消しました」

「姿を消した?」


 タダキは頷きながら続けた。

「大伯母に代わって家を継いだのが祖母です。祖母に懐いていた幼いわたしを抱き、祖母はこの地に戻ってきたのです。軍事政権とはいえ、当初はさほどひどくはなく、普通の生活が維持されました。ただ、香華族狩りは熾烈で、わたしをかわいがってくれた人も香華族として引っ立てられました。だからわたしは法律家を目指したのです。罪なき人を守ろうと」

「なかなか立派なこころがけだな」


「それから十年後の大統領暗殺事件の頃から治安が急速に悪化し、食べ物にも事欠くようになりました。ただ、カラン盆地はもともと豊かな土地です。森や川に行けば、何らかの食べ物を手に入れることができました。わたしが地の利を知り尽くしているのは、食べ物を求めてこのあたりを歩き回ったからです」

「そうだったのか……」


「母は祖母を助けるため、さまざまな物資をひそかに手配し、村に運び込んでいました。闇流通を抑えている鷹丸組は、こういうときに力を発揮します。祖母は届けられた物資を村人に惜しみなく分け与え、この村には飢える者は出ませんでした。結局、わたしはアカデメイア大学に入るまでこの村にとどまりました」


 サキは納得したように頷いた。タダキの声が少し強くなった。

「没落しても旧家には旧家の強みがあります」

「なんだ?」

「山岳少数部族との絆です」

「山岳少数部族だと? 今度の騒動で利用された人たちか?」


「はい。天志教団に対抗するために、かねてから山岳部族はカラン神殿と深い関わりを持ってきたのです。カラン神殿の主神は白虎です。白虎は南部山岳地帯の守り神でもあるのです。遠い昔、カラン盆地全域を白虎が治めたという神話に由来するとか。月の山から西一帯にかけての山脈は伏せた虎が咆哮するように見えるため、〈白虎の背〉と呼ばれています」

「ほう……」


「これゆえ、カラン神殿は山岳部族にとっても聖なる神殿――特に白虎の洞窟は神聖な場所でした。彼らの神話では、カラン神殿は月の山にまで地下でつながり、白虎はそれを行き来したというのです」

「まさか、地下神殿と地下通路か?」

「はい」

「ふうむ……カランの白虎伝説は奥が深いんだな」

「祖母は近くの村で暮らしています。なにかあればお役に立てると思います」


■防御の砦

 十五歳たちはワクワクしていた。いつもどんなときも、〈ばあちゃん〉に助けられている。


 大きな農家だった。風子の記憶に残る曾祖母の家に近い。大地主の名残だろう。

 軍事政権下では紛争が絶えなかった。そのたび、村人はこの屋敷に籠り、嵐が過ぎるのを待ったという――ここは支配と権威の拠点ではない。命を守る防御の砦だったのだ。


 迎えた老女は、美しい人だった。とても八十歳を超えているとは思えない。

 きれいな銀髪、シャキッと伸びた背、優雅な物腰――タダキ弁護士に似た端麗な美貌だった。


「あらあら、いらっしゃい。お待ちしていましたよ」

 老女は上品な笑顔を向けた。


 広い庭に面した座敷には、心づくしの地元料理が並ぶ。アイリとオロが目を輝かせた。

「うちのヒョンジュンがお世話になっているようで、ありがとうございます」

 老女は、サキとイ・ジェシンに丁寧に礼を述べた。

 タダキ弁護士は、タダキ・ヒョンジュンという名らしい。


「カランの白虎伝説にはいろいろなものがあります。土地ごとに都合よくアレンジされているからです。されど、一番古い原型は、わが一族が伝えるものでございましょう」


――記憶もない古い時代のこと。

 この豊かな地を治めたのは白虎。〈森の王〉だ。昼は麗しい青年の姿、夜は雄々しい白虎になって、土地を守った。

 カラン盆地を守るために、王たる白虎はさまざまなものを生み出した。月の山、虎江、北の森――。

 白虎は、カランの山にある五つの洞窟に住んだ。洞窟は不思議な場所――白虎は望むところに行くことができた。

 ある日、虎江のほとりで、白虎は青年の姿になり、一人の美しい娘に会った。

 娘は青年を愛した。だが、青年が白虎だと知ると、姿を消した。

 娘は白蛇の化身――白虎とは相いれぬ定め。だが、思いは断ち切れぬ。娘は女の子を産み落とし、二度と人間に戻れぬまま、大地の奥に姿を消した。

 娘の子は、カランの地に父と母を祀る神殿を建てた。一千年、その子は神殿巫女として仕えた。銀月と緋月が重なった夜、老いて死んだ。だが、その身体から赤子が産まれ、また一千年の時を巫女として仕えた。

 カランの神殿はいまも月光に鎮まる――。


「まるで〈月の一族〉の再生神話のようだな」とサキ。

「でも、ルナ神話とは逆――。こっちでは、白虎が最初で、再生族はその子孫で巫女だというんだもん」とサキの横で風子がつぶやいている。


「白蛇伝説は玄武みたいだ」とオロが言えば、

「白虎と玄武の婚姻という話にもなるよ……」とシュウが首を傾げる。


「洞窟を使ってどこにでも行けるってのが気になるぞ」とアイリが立ち上がり、地図を凝視した。

「地下神殿かもしれんな」とサキがその姿を目で追う。


 サキは老女に向き直り、尋ねた。

「カラン神殿は〈神殿の更新〉という理念をもつと聞いています。これは地元ではどう語り継がれているのですか?」


 老女は微笑みをたたえたまま、ゆっくりと語り始めた。


――〈更新〉などという難しい言葉は使いません。

 我らの神殿は、一千年に一度の月食の夜に、生まれ変わるのです。一千年かけて築き、集め、守ってきたものを壊して、埋め戻します。すべてのものは大地が恵んでくださったもの――それらを大地にお戻しするという儀式です。

 そうして神殿をならした上に、新しい神殿を建てます。新しい一千年を生き始めるためです。

 ひとはだれも一千年を生きることはできません。けれども、神殿は、生まれ死ぬ我らはかない人間を見守ってくださいます。

 一千年という区切りをもうけるのは、人間の愚かさを戒めるためです。ともすれば、人間は思い上がり、神を忘れます。一千年ごとの神殿の生まれ変わりを通して、人間は神に尽くし、神に見守られる喜びを共有するのです――。


「壮大な世界観ですね」とサキは感動しながら老女に自然に(こうべ)を垂れた。


 老女は表情を崩さず、声の調子も変わらない。

「いえいえ、我らは世界のほんの一粒――できることも、考えることも、限りがあります。神とは世界――自然といっても、宇宙といってもよいのですが、世界は我らの理解を軽々と超えます。人間は思い上がってはならない。けれども、知ろうと努力し、近づこうと歩みを続けることは必要です。人間たる存在の宿命であり、存在意義といえるでしょう」 

「宗教というよりも、ほとんど哲学のようですが……」とサキ。


 老女の柔らかな笑みは変わらない。

「どうお考えになろうとご自由です。白虎信仰はあくまで信仰――自然への畏敬です。天志教のような宗教ではありません。それを目指しもしません。我らは、人智を超えた万物の存在そのものを〈神〉と呼んでいるのです。ただ、神殿の生まれ変わりは三回で止まりました。四回目は訪れませんでした。ウル大帝国時代に行われた宗教改革で弾圧を受けたからです」

「そうでしたか……」

 驚いた。ウル宗教改革の波はここにも及んだのか?


「その宗教改革に連なるのが天志教団です」

「なんだとおっ!」

 サキが立ち上がるより早く、アイリとオロが叫びながら飛び上がった。


 それまでいささかも揺るがなかった老女の瞳がわずかに翳った。

「ウル大帝国の野心に満ちた宰相は、カランの小さな土着宗教を利用しました。カランの白虎信仰を抑制するためです。神殿は潰され、二度と生まれ変わることはないまま、存在すら忘れられ、歴史に埋もれてきたのです」


 彼女は目の前のサキと子どもたちを見つめた。温かなまなざしだった。

「神殿の発見はたしかに喜びでした。けれども、我らは洞窟の秘密を隠しました。結果としてはそれがよかったのです。洞窟は天志教団には知られぬまま、土地の素朴な守り神として放置されましたゆえ」


 老女はゆっくりと両手を付き、深々と頭を下げた。

「あのわらべ歌は、そもそもは神殿への奉納歌――洞窟で海を見る者こそ、我らが何千年も待ち望んだ者でございます。みなさまがたをお迎えすることができた以上、いかなることもお手伝いいたします」

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