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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第四十五章 虹色の石
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ⅩLⅤー2 木兎の謎――リクの力が目覚める

■木兎

 いつものように、アイリは木兎を撫でた。

 手彫りの小さな木兎――父が母に残し、母がアイリに与えたものだ。


――あれっ?


 朱い目に触れた瞬間、強烈な記憶が流れ込んだ。眉根を寄せて立ちすくむアイリの足許で、モモがクーンと鳴き、心配そうに見上げる。

 ベッドの布団を整えていた風子が気づいた。

「どうしたの?」

「あ……いや、何でもない。さあ、寝るぞ」


 いつもなら十二時きっかりに深い眠りへ落ち、六時まで熟睡するアイリ。そのルーティンが崩れた。


 窓から差し込む月光が強すぎるせいだろうか。アイリは苦しげに呻き、寝返りを打つ。

 目を覚ました風子が不安げに見守り、モモはアイリの手を舐めて励ますように寄り添った。


――うううっ!


 アイリの身体がよじれ、額に脂汗が滲む。悪夢にうなされているのだろうか。


「アイリ……アイリ……」

 控えめだった風子の呼び声は、次第に切迫したものへ変わる。

「アイリっ!」

 揺すっても、抱き起こしても、アイリは目を開けない。呼吸さえ苦しげだ。


 風子は慌てて部屋を飛び出した。

 二人のばあちゃんが駆けこんでくる。


■朱い目の秘密

「いったい何があった?」

 月光草を嗅がせたおかげで、アイリの容体はひとまず落ち着いた。


 風子は涙目だ。腕の中のモモもアーモンド型の瞳を翳らせている。

「わかんない……いつもと同じなの。木兎を撫でて、モモをベッドに置いて、十二時に寝ただけなのに……」


「ふうむ。今日は例の石を検分したな」

「うん」

「光や音……いろいろあったが、その後でアイリに変わった様子は?」

「ないよ。晩ご飯もオロと取り合いしてたし、食欲もあったはず」

「そうか。心配はいらん。明日には元気になるじゃろう。さあ、おまえは向こうで寝ろ。明日は学校があるでな」


「……うん。でも、ここにいたい。アイリのそばにいたい。ダメ?」

 ばあちゃんは風子の頭を撫で、静かに頷いた。

「かまわん。おりたいなら、おれ」


 二人のばあちゃんは部屋を調べ始めた。注目したのは月光だ。

「ルナがらみの事象は、月の光が強く影響することが多いが……今回もそうかのう」

「おう。光が部屋の奥まで射しこんでおる」


 セイばあちゃんが木兎を手に取り、風子に尋ねる。

「これか? アイリが寝る前に撫でているというのは」

「うん。アイリの宝物。すごく大事にしてる」


「ほう……この木は火の谷にだけ生える特殊な木じゃ」

「火の谷は、アイリの故郷だよ」

「そうじゃ。だが、この木は火の谷でも滅多に採れぬ場所に育つと言われる伝説の木じゃ。木目が緻密で色も美しいゆえ、カトマール皇室にも献上されてきた。ただ、非常に硬く、削るのは難しい」


「では、これほど精巧に木兎を彫るには、相当の力と技が必要ということか?」

「わしはそう思う。しかも朱い目を埋め込んでおる。これも見事な技じゃ」

「この朱い石、自然石か? 人工石か?」

「わからん。じゃが、ガーネットやルビーではない。皇室で多くの宝石を見てきたが、カットもせずにこれほど美しい朱色を放つ石など見たことがない」


■朱い石

「昼間、虹色の石が緋色に変わったよ」

「そうじゃったな。ん? これも色変わりの石か?」

 ばあちゃんは木兎を月光にかざした。

 だが変化はない。虹色の光も出ない。

「違うようじゃな」


「ば、ばあちゃん! 見て!」

 風子の指さす先を見て、二人のばあちゃんは固まった。

 白い壁に何かが映っている。まるで木兎の目から投影されているかのようだ。


「こ……これは?」

「なんじゃ?」

「数式か図式のようじゃが、わしには読めん」

「オロを呼んでくる!」

 風子が走り出す。


 くしゃくしゃの頭でオロが現れた。眠りを邪魔され、機嫌は最悪だ。

「なんだよっ!」

「オロ、これが何かわかるか?」


 壁を見たオロは、手にした枕を落とした。顔色が変わる。

「こ……これ……」

「なんじゃ?」

「都市の設計図……ラクルの地下都市に似てる……」

「なんじゃとっ!」

 ばあちゃんが声を上げ、風子は再び廊下へ走った。


 リトとカイが駆けつけ、サキも眠気が吹き飛んだ顔で呆然と立ち尽くす。


 白い壁の図面は数分ごとに切り替わり、全部で十枚ほど。

 月光が翳るにつれ、像は薄れ、やがて消えた。


■リクの力

 夜が明けた。


 アイリはまだ目覚めない。呼吸は安定し、血色も戻っているのに、眠りは深いままだ。風子はアイリの手を握りしめて離さない。


 ばあちゃんたちは会議室で本格的な検討に入った。

 木兎の朱い目はもう映像を映さない。


 オロは図面をすべて記憶しているが、図を描けない。アイリがいなければパソコンに再現できない。カイならば記憶を読めるが、オロはカイが触るのを拒む。議論は紛糾した。オロはついにキキを抱えて逃げ出した。

 

 リクとシュウも目覚め、異様な空気に気づいて風子の部屋へ来た。

 横たわるアイリを見て驚き、駆け寄る。

「どうして……?」

「わかんない……ばあちゃんは大丈夫って言ったけど、まだ目覚めないの……」

 風子は泣きそうな声で訴える。

 少しでも早く目覚めるように、アイリの腕にはモモが抱かされていた。


 朝食もランチも歓声が響かない。アイリがいないとオロまで食欲をなくす。ツネさんとキュロスが丹精込めて夕食を用意したが、ダイニングはどんより――学校を休んだ風子は部屋に籠り切り、アイリのそばを離れない。


「今日一日、なんもできんかったのう……」

「そうじゃな。アイリがおらんと、ことが進まん……」

 二人のばあちゃんがボソボソとしゃべる。

 

 月がのぼった。清冽な銀月だ。


「風子……?」

「ん? ああ、リク……」

「まだ目覚めない……?」

「うん……」


 月の光が射しこむ窓際に座り、アイリを覗き込んでいた風子が目をあげた。

「ツネさんがこれをって……」

 リクは手にした小さな盆を風子に差し出した。湯気があがっている。温かい粥だ。

「ありがとう……」

 風子の声は途切れがちだ。目が赤く腫れている。


 木兎はいつもの場所に戻されていた。だが、月の光を受けても、何ら変わらない。淡く長い影を落とすばかり。


 リクは風子のそばにそっと座った。右手でアイリの手を、左手で風子の手を取る。


 銀月の光に、リクの横顔が浮かび上がった。光が強まる。シュルルと生きもののように広がり、月の光は風子とアイリを包み込んだ。


 リクとつないだ風子の手が熱を帯び始めた。


「リク……?」


 リクの目は緋色を帯び、髪が一瞬だけ銀色に変わる。

 その強いまなざしが横たわるアイリに注がれた。


――この者を目覚めさせて。


 リクの胸の奥深く、〈気〉が沸き起こる。


 いつも、〈気〉は(ぬえ)のように不気味な姿に変わり、リクの魂を喰い破ろうとする。それを阻むには、魂を閉ざすしかなかった。息を止め、血流を止め、記憶を止める。

 だがいま、立ち上る〈気〉はひたすら清浄で、魂を覆う(もや)を洗い流すかのようだ。


――リクの力が強まっている!


 風子は握り締める手をさらに強く握った。そして、リクを見上げ、その横顔をじっと見つめた。

 

――やっぱり、〈森〉の少女はリクだったんだね?


 リクは頷いた。


――風子、あなたが解き放ってくれた。わたしの魂を……。


 銀月の光が木兎をわずかに揺らした。

「う……ううん……」

 アイリが寝返りを打つ。モモがアイリを舐める。


 ゆっくりとアイリが目を覚ました。


「アイリっ!」

 風子がアイリに抱きついた。リクの瞳は黒色に戻っていた。三人の少女の背後で、木兎が揺れを収めた。


 そのとき、別室で不思議なことが起こった。

 テーブルに置かれた虹色の石が、光もないのに輝き始めたのだ。


 三つの石が互いに光を放つ。

 緋、青、白――重なり合う光は、綾を織るように揺らめいた。


 リトが驚いて立ち上がった。

「うわ……きれいだ!」

 ディーンが首を傾げた。

「ヘンだな。さっきまで自分で光を出していたのは一つだけだったのに……」

 

 カイは青ざめた。そして、小さくつぶやいた。


――まさか……『天月秘録』に記された〈光の舞〉……?

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