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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第四十四章 からみあう因果
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ⅩLⅣー7 エピローグ―― 将軍の花嫁

■玄武の子孫

「誇り高き玄武の血を引くことを忘れてはならぬ」

 母は、いつもわたしにそう言った。


 北の大地は貧しい。鄙びた村に残るわずか十数軒の家で助け合ったところで、なにができよう。

 日々、生きるのが精いっぱい。食べるものに事欠き、着るものもみすぼらしい。古代の知恵をいくら授けられても、新しい学問を学ぶ機会などない。あかぎれに痛むひび割れた手をさすった。


――誇りだけでは生きていけない。


 その朝、めずらしく日が射しこんだ。森の小動物たちがうれしそうに姿を現す。その一匹である野ウサギに矢が飛んだ。


「お嬢さま。今夜はごちそうですぜ」

 村一番の狩りの名人タロウは、仕留めたウサギを意気揚々と担いで去っていった。


――残酷な現実だ。


 わたしは、野ウサギをかわいがり、懐いた野ウサギはそれゆえに姿を現して、命を落とした。なんど経験しても、慣れない。


 二間だけの家でも、他の家より大きい。タロウの家は一間限りだ。

 わたしは作業に移った。わずかに採れた野菜をつけ込み、苛酷な冬に備えねばならない。終われば、森に木の実とキノコを採りに行く。


 髪の毛を無造作に結んだ紐がはらりと揺れる。空気はそよとも揺らがない。


――だれかが見ている!


 胸の奥がひやりと縮む。ゆっくりと慎重にあたりを見回したが、森は静まり返ったままだ。落ち葉が一枚ひらりと舞い上がった。


 前掛をはずし、いつものように籠を下げて森に向かった。


■出会い

 森には楽しみがあった。木の実とキノコを採り終えたわずかな休憩のささやかな楽しみ。

 わたしは小さな泉のそばに腰を下ろした。誰もいないことを確かめて、泉に向かって語りかけた。

「おはよう! 今日も物語をお願い!」


 泉が湛える清らかな水に、波紋のような絵が広がる。地の底から響くのは、柔らかな女性の声。

 わたしはじっと耳を傾けながら、繰り広げられる絵物語に見入った。


――誰も知らない、わたしだけの秘密。


 ほんの十分ほどの水絵巻だ。

 玄武が囚われ、使者が大蛇になり、玄武と別れる場面だった。


「だれっ?」


 ビクッとして、振り向いた。何も変わりはなかった。森はいつものように静かで、風もそよがない。

 わたしは耳を澄ませた。遠い音も聞き分ける耳だ。


――カサッ。


 わずかな音も聞き逃すはずはない。気取られないように身を固め、何ごともなかったように籠を持って立ち上がった。


――ビュッ!


 その瞬間、短剣が飛んだ。目にもとまらぬ速さだ。短剣が飛んだ向こうから、人の姿が現れた。

 手に短剣の柄をつかんでいる。


「危ないなあ……」

「何者だっ!」

「怪しい者じゃありませんよ。あっと、もう短剣を飛ばさないでください。次は()けられない」


 背の高い青年だった。立派な軍服を着こんでいる。表情は柔和で、明瞭な声だった。


 わたしはじりじりと後ずさりした。目は離さない。だが、身体がおののく。


――このわたしが! 後ずさりするなど……!


 青年は泉を覗き込み、目を細めた。

「きれいだね。こんな泉があるなんて」


 わたしは答えない。答えられない。

 彼の声は柔らかいのに、足音だけが妙に確かで、距離を詰めてくる。


「ごめんね、驚かせてしまった」

 青年は籠から散乱した木の実とキノコをひとつひとつ拾い上げた。

「大切な食べ物だ。せっかくの森の恵みをひとつも無駄にはできないよね」


 落ちた木の実を目指して、一匹のリスが近寄ってきた。青年はリスから木の実を奪わなかった。

「代わりの木の実をボクが取ってきてあげる。だから、これはリスにあげてもいいよね」


 わたしの緊張がフッとゆるんだ。

 青年は大きな身体を曲げ、小さなリスが木の実を拾い集めるのを楽しそうに見ている。隙だらけで、まったく無防備だ。


――今なら!


 だが、気持ちとは裏腹に、握り締めた剣の束から、わたしは手を離した。


「あ、この籠を借りるよ!」

 やがて、青年は森の奥に消えた。


 しばらくすると、快活な表情で戻ってきた。

「ほら、これくらいでどう? あんまり採り過ぎると、森の生き物たちが困っちゃうからね」

 いつもわたしが採る量の五倍はあった。これなら、しばらく森に来なくても済む。でも、それだと、泉と話せない。

 わたしの微妙な表情に気づいたようだ。


「あ、そっか。一度に持って帰ると、ここに来る理由がなくなるね。それはボクも困る」

 怪訝そうに見上げたわたしに、彼はウインクした。

「だって、キミに会えなくなっちゃうから」

「な……なにを!」


 うふふ。


 好ましい笑いだった。

「あ、そうだ。向こうに小さな洞窟があるんだ。そこに木の実を隠しておこうよ。そしたら、明日もここに来られるだろ?」


■バルジャの襲撃

 名まえも知らない青年だ。どうして、うかうか付いていったのだろう。


 わたしの気持ちを察したように、彼は名乗った。

「ボクは、マウル。マウル・リエンスキー。カトマール帝国軍の軍人だよ」

「帝国軍?」

「そう。キミたちの村をバルジャ軍が狙っているっていう報告が入ったんだ。だから、偵察に来たわけ」

「バルジャ……? それって何?」


 青年マウルは驚いた顔をした。

「バルジャを知らないの?」

「……うん」

 彼は笑い飛ばしたりしなかった。むしろ真剣な顔つきに変わった。


「……それなら、村はいっそう危ない。バルジャは西の大国――戦いと無縁の村など、バルジャ軍にとっては赤子の手をひねるみたいなもんだ」

「戦いが起こるの?」

「うん。きっとバルジャ軍がここに攻めてくる」

「どうして? ここには何もないのに?」

「バルジャが狙っているのは、ルナの秘宝らしい」


「え……?」

 わたしが青ざめたのに気づいたのだろう。


 マウルは言った。

「キミたちの村は、カトマール帝国軍が守るよ。でも、軍隊には不埒な者もいる。なによりも、キミたちの命を自分で守って。そして、大事な宝物は誰にもわからないようにどっかに隠して」


 わたしが疑いの目を向けたからか。

「もちろんボクにもわからないようにね。ボクが知っていると誰かが気づいたら、ボクが脅されちゃうからね」


「バルジャが来るのはおそらく十日後。帝国軍もそれまでには到着するはずだ。でも、どこかで足止めされたら遅れる。村は一時間ももたないだろう。ともかくどこかに逃げて! 命だけは助かるように」


■棄てられた村

 わたしは村長である母に次第を告げた。母は青ざめた。

「その偵察兵が言うことがまことなら、われらは村を棄てねばならん」

「どこへ行くの?」

「言えぬ。言えば、そなたが危うい」


 慌ただしく、だが、密かに、ことが進んだ。

 二日後の深夜、村人は着のみ着のままで女子ども、老人を先頭に、村を棄てた。長く続く足跡は、この時期にはめずらしい雪が消してくれた。わたしも群れに従った。


 新しい村の位置はわからない。以前の村とほとんど変わらない光景の中に、いくつかの小さな家が点在した。聞けば、こうした事態にそなえて、玄武の村は、秘密の予備村をもってきたという。


 新しい村で、いつも通りの生活が始まった。

 わたしは狭い畑を耕し、森で木の実とキノコを採る。


 だが、あの泉はない。

 森のあちこちを探した。

 わたしのたった一つの楽しみは奪われてしまった。


 そんなある日、聞いたことがある足音が響いた。

 わたしの目が輝いた。


「やあ、探し出すのに苦労したよ」

 マウルだった。

「どうして、ここが?」

 うれしい反面、警戒も強まる。

「森の動物たちに教えてもらったのさ。キミは動物たちの人気者だからね。遠く離れても動物たちが会いに行くと思った」


 わたしは彼を睨んだ。信じろというのが無理だ。

「そんなに睨まないでよ。ホントのことを言うから」


「ここは北の湿地帯――荒廃するに任された、だだっ広い大地だ。そもそも人が捨てたこの大地に住むのはキミたちの一族だけ。まともな地図さえないけれど、ある程度の予測はつく。河や森、気候の情報を組み合わせて推測したんだ。そして候補をいくつかに絞った。ここはその候補地の四番目だよ」

 ますます警戒を強めたわたしの火のようなまなざしを、彼は笑いながら受け止めた。


「キミのその目をもう一度見たかったんだ。苦労した甲斐あったよ。ほら、あのとき洞窟に隠した木の実もここに持ってきた」

 手のひらいっぱいに木の実が広がった。

「新しい森で木の実を見つけるのはたいへんだろう? ねえ、ちょっと座らない?」


「元の村は焼け落ちたよ。バルジャ軍は、やっぱりあれから十日後にやってきた。村はすでに空っぽだった。お目当ての秘宝が残されているはずもない。怒り狂って、村を焼いたようだ」

 そうか……村は焼けたんだ……。


「帝国軍の到着は遅れてね。途中でバルジャ軍に足止めされたんだ。密偵が潜り込んでいたんだろう。まあ、お互いさまなんだけどさ」

 わたしは青年を見た。

 事前に知らなかったら、誰にも守られず、村人はみな命を落としていただろう。

「安心して。新しい村のことは、ボク以外、誰も知らない」


 わたしの口から出たのは意外な言葉だった。

「泉は……ここから遠い?」

「ううん。それほど遠くない。以前の村からここへは森を迂回するから、かなりの時間がかかったはずだけど、森を横切ればさほど遠くない。まあ、森を横切るのは、若者でもかなりキツイけど。キミやボクなら一時間ほどかな。動物たちが獣道を教えてくれるから」

「じゃあ、今から行ける?」

「いいよ。一緒に行こう」


 泉の光景に変わりはなかった。だれにも知られず、ひっそりと森の奥で清らかな水を生み出し続けていた。わたしは急いで、泉に語りかけた。泉は応えてくれた。


 泉に映った絵物語は、いつもの優しい調べではなかった。

 一人の軍人が、何かを掲げ、勝ち誇ったように歩いている。まわりにいる大勢の兵士を威圧する姿だ。立派な服の胸にはキラキラ輝くものが何個もひらめいていた。


 胸がざわつく。


 わたしは泉に問いかけるように、マウルを見た。

 マウルの顔は強張っていた。

「これ、誰? 何をしてるの?」

 わたしの問いに、マウルは口を引き結び、答えようとしなかった。


 やっと、彼が声を絞り出すように言った。

「キミたちが秘宝を隠した場所に気づいた者がいるみたいだ……」

「えっ?」

「彼はさほど秘宝に執着していなかったけれど、誘惑に勝てなかったのかな……」

「どういうことッ?」


 マウルは苦しそうに顔を横に向けた。

「彼は、カトマール帝国軍の将校……ボクの親友だ」


 わたしは、わたしを裏切った男についていくことに決めた。わたしのせいで秘宝が奪われたなど、村人にはとても言えない。


 マウルを愛していたのか、憎んでいたのか……いまでは、それすらも覚えていない。

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