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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第四十四章 からみあう因果
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ⅩLⅣー5 〈閉ざされた園〉からの脱出――青い蝶の導き

■青い蝶

 〈閉ざされた園〉の空にかかる緋月は、丸く大きい。

 動く生き物はもとより、花も草も高い木々もその光を浴びる。


 ヒラヒラと蝶が舞った。青い蝶だ。

 深い青ながら極上の絹のように薄い羽根は、月の光を浴びると透き通るように煌めく。


 蝶は、櫻の梢に止まった。


 〈園〉に時間がないように、季節もない。けれども、獣が歩き、虫が飛ぶように、花もまた咲いては散るを繰り返す。


 ほぼ満開になった櫻の木を、風子ネズミはじっと見上げた。ふと何かを決意したように、木を登り始めた。ネズミの姿はまことに都合が良い。灰色の小さな風子ネズミは、かなり高くまで登って、幹と枝が分かれる場所に腰を落ち着けた。


 遠くまで見渡せる。


 〈園〉には境界はないのだろうか。地平線が見えるわけではない。遠くは霞に包まれている。どの方位を見ても同じだった。


――なんかヘン!


 〈園〉の地上では、湖があり、河が〈園〉と森を隔てているはず。なのに、この櫻の木の上からは、草原しか見えない。ところどころに生い茂っていた高い木も見えない。


 降りようとして、風子ネズミはすくみ上った。


――高い。


 昇ってきた以上に高い場所にいる。

 声をあげるが、〈園〉のだれにも届かない。目を凝らすと、〈園〉では、銀狼もサキキツネもモモも見えない。もしやアイリカラスが飛んでこないかと待ったが、空を飛んでいる鳥はいない。


「サキセンセー! アイリィ! モモォ!」


 風子ネズミの小さな身体が風に煽られた。

「ウワッ!」

 必死で枝にしがみつく。櫻が揺れて、風子ネズミの灰色の毛並みの上にハラハラと花びらが舞い落ちた。

 シッポを小さな枝に巻き付け、風子ネズミは丸くなって、安定を図った。


――どうしてこうなった?


 地上とこの櫻の木の上では世界が違うのだろうか?

 思案に暮れていると、青い蝶が飛んできた。風子の目に映るただ一つの〈動くもの〉だった。蝶は青い粉を振りまくように、風子ネズミのそばに止まった。


「わたし、風子。あなたは?」

 蝶はフッと飛び上がる。去っていこうとする蝶の糸のように細い足を風子ネズミは捕まえた。

「行かないで!」

 風子ネズミの目から、涙が飛び散った。その涙を受けた蝶の羽が、フルフルとわずかに奮えた。


「何かしたいの?」

 青い蝶は、この上なく美しい声で、風子ネズミに尋ねた。

「ウン!」

 風子ネズミは大きく頷いた。


■月の揺らぎ

「銀月の世界に戻りたい?」

 青い蝶は驚いたように問い返した。風子ネズミは大きく頷いた。

「わたしだけじゃない。櫻館の仲間みんな一緒に!」


 青い蝶の羽色が濃くなった。羽ばたきを止めたからだ。

「ここは、来ることはできても、戻れぬ場所……知ってる?」

「ウン! そう聞いた。でも、わたしは一度来て、向こうに戻ることができたよ」

 青い蝶が激しく羽を震わせた。

「まさか……」


「あなたもそうじゃない?」

 蝶はひるむように、羽を後ろに引いた。

「ルナ遺跡で何度かあなたを見かけたよ! たしか、ルナ古王国でも見かけた。あなただったのか、あなたの一族だったのかまではわからないけど」


 青い蝶は、じっと風子ネズミを見つめた。羽音も立てず、足も動かさず、大きな目で見つめてくる。


 フイに月がわずかに暗くなった。

「月の揺らぎよ」

「揺らぎ?」

「緋月は満ち欠けはしないけれど、ときどき揺らぐ。その揺らぎにあわせて、〈園〉が微妙に歪む。銀月の世界から、強い風が吹き込むことがある」


「ありがとう!」

 風子ネズミは木を駆け下りようとして、ハタとすくんだ。すでに〈園〉に銀月の風が吹き渡っているのだろうか。雲の上にいるように、〈園〉への視界が遮られている。

 隣を見ても、青い蝶はすでにいない。


「よし!」

 風子はシッポを枝から放し、決死の覚悟で下へと向かった。真っ逆さまに落ちるわけにはいかない。小振りな枝を探し、枝を伝うように、ジグザグに進んだ。


 雲を抜けるとき、ヒンヤリと冷気に包まれた。そのとき、声も聞こえた。

「風子! 頑張れ!」

 シュウの声だった。


 ストン!


 〈園〉に辿り着くと、アイリカラスがモモと戯れていた。


「行こう!」

 風子の強い声に、オロネズミも銀狼も身を起こした。サキキツネは一瞬で事態を悟ったようだ。

「よし、みんな、風子に続け!」


 めずらしい嵐が吹き荒れていた。ほとんどの動物は身を低くして、嵐が通り過ぎるのを待っている。そんな中、風に逆らって進むのは、風子たち一行だけだった。

 オロネズミは〈園〉にとどまってリトを探そうとしたが、銀狼に首根っこを咥えられ、抵抗空しく、一行に加わっている。


 〈園の管理人〉牡鹿は、ただ見送るしかなかった。月が翳ったとき、〈園〉の生き物はだれもが動けなくなる。動けるのは、銀月の世界の記憶を残す者のみ。


 どれほど歩いただろう。風が収まりかけた。

「急いで! 風が止まったら、出口が閉じちゃう!」


 見えた!


 黒く細い亀裂が閉じようとしていた。

 風子、アイリ、モモ、サキ、オロを咥えた銀狼が、次々と亀裂に飛び込んだ。


 転がった一行の背で、亀裂が消えた。

 あの地底湖のある洞窟だった。


■リク

 銀麗月の館で、リクはまどろんでいた。

 いつもの夢だ。〈絵の森〉で少女がさまざまな生き物と戯れる夢……。

 その〈森〉に少女がやってきて、「風子」と名乗り、〈森〉の少女に「リク」という名を与えた。

 名を得た少女は、リクとして生まれ変わった。


 そのときからだ。夢が変わった。緋月の光の中で生きるすべての生き物が影を持つようになったのだ。

 〈森のリク〉にもまた迷いが生まれた。悩みも生まれた。そして、希望が生まれた。


「行きたい! あの子と一緒に」


 〈森のリク〉は幸せなはずだった。命を生み出し、たわむれ合い、歌い、踊れる。

 だが、そこは閉ざされた世界――あの子と一緒に行くことはできない。阻むのは、自分が兄と慕う者――〈森の長〉。


――意思を縛られている。


 そう悟ったとき、はじめて、リクは〈森〉を出たいと思った。風子に何度も呼び掛けた。


――わたしを迎えに来て!


 そう叫ぶといつも目が覚める。目の前に広がるのは、天月の森。フクロウが舞い込み、リクのそばに止まって、リクを見上げる。


――この子は、ずっと昔に助けたフクロウの子ども……わたしを見守ってくれてたんだ。


 そう気づいたのも、〈絵の森〉で風子に出会ってからだ。


 いままでは、夢の記憶を残すことはなかった。〈絵の森〉で、こちらのリクの記憶を引きずることもなかった。だが、〈リク〉という名を得てから、すべてが変わった。


 二つの記憶が混ざり合う。


 最初は混乱した。自分が自分でなくなっていくようで、ひどく困惑した。だが、ようやく慣れてきた。異なる記憶を持つ二人のリク。どちらもリク――わたしだ。

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