ⅩLⅣー4 湿地帯の二人 ――虹色の石が呼ぶ
■北の廃村
強い風が吹き抜けた。
あばら家はガタガタと揺れ、戸板のない窓から吹き込む風が、リトの髪をふわりと持ち上げる。
二人は藁の上に座り込んだ。
――ここは五十年近く前の北の湿地帯。戦の爪痕が残り、略奪の影が広がる。人影はない。生命の気配すらない。
「この湿地帯のどこかに虹色の石がある……いったいどこ?」
持ち主を自ら探し出すという虹色の石――五千年の時を経て、石は目覚めるだろうか?
「……広すぎるな」
ディーンの声は重く、風にほつれて消えた。吹きさらしの窓から白いものが舞い込む。いつのまにか、吹雪に変わったようだ。冷気がリトの頬を刺す。
ブルリと身震いし、リトはディーンを見た。
――いつものディーンと違う。
緊張が走る。触れることすらためらわれた。
研ぎ澄まされた五感を総動員し、ディーンは何かを感じ取ろうとしている。
針のような雪の痛みに耐えながら、リトはただ待った。
類まれな耳を持つリトでさえ、何も聞こえない。
吹雪は音を持たなかった。ただ一面の冷気とひたすら白い世界。
「感じない……声も、音も、光も、熱も、匂いも、そして気配すら……」
ディーンの胸がわずかに上下する。左腕に巻きついたヘビが、不安げに彼を見上げた。
「不思議なほどに……何も感じない。虹色の石は、ボクを拒んでいるようだ」
リトは強く首を振った。
「いや、違うよ! 玄武が何も感じないのなら、きっとそこに意味があるんだ」
「意味……?」
「うん。雲龍に伝わる話があるんだ――〈探されたくないウサギ〉の話」
リトは語り始めた。
――森に消えた子ウサギ。
総出で探す人々の大声に怯え、木のウロで耳を折り、目を閉じ、息を潜め、ついには気を失った子ウサギ。誰にも見つからず、数日後、住処を探しに来たヘビに偶然助けられた子ウサギは言った。
見つかったらオオカミに喰われていた。だから必死で祈っていた、と。
「探そうとすればするほど、かえって危険が大きくなるってこと?」
「うん。虹色の石も、そうやって敵から身を守ってきたんだ。だから味方にも見つけてもらえなかった。でも、それはきっと玄武を待つためだよ」
「ボクを……待つ?」
「うん。感じようとせず、探そうともせず、気のおもむくままに動いてみれば?」
ディーンは目を瞬かせ、リトを見つめた。
快活でまっすぐな青年――その発想はいつも驚くほどシンプルで、迷いがない。
「外に出てみようよ。吹雪も収まったし、ブラブラ散歩でもしない?」
リトが微笑み、ディーンの手を取った。
満ち欠けを知らぬ緋月が二人を照らす。
通ってきた〈冷たき森〉は、こうして見ると陰影に富んだ美しい樹林だった。
「森も空も、こんなにきれいだったんだ……」
「ホントだね。空気も甘い」
ディーンはリトの手をぎゅっと握った。
「しばらく……手をつないでくれないかな。なんとなく、そうしたくて」
リトは驚いたが、すぐに頷き、歩調を合わせた。
クロはリトの肩に乗り、長いシッポをゆらゆら揺らす。
そのシッポがときどきディーンの左腕のヘビに触れ、ヘビが首をくねらせる。
まるで、ヘビとシッポのダンスだった。
――温かい……。
幼いころの父の手を思い出す。大きな手だった。
――ああ、ずっとこの時間が続けばいいのに。
突然、雨が降り出した。北の湿地帯は、めまぐるしく天気が変わる。
リトに引かれ、ディーンは大きな木の下へ駆け込んだ。
密な樹冠、太い幹――何千年も生きてきたクスノキだろう。
雨粒がきらきらと輝く。
リトが木を見上げた。
「この木に登りたいな」
「どうして?」
「遠くまで見渡せるから。自分のちっぽけさも感じるけど……」
通り雨は去った。
ディーンがリトを誘う。
「どう? 二人で登ってみようか」
「え? キミも?」
「うん、ボクも」
二人はクスノキを登り始めた。
高くなるほど、北の湿地帯の全容が見えてくる。
「かなり広いね」
「うん。予想以上だ」
「でも家はほとんどない。バルジャ軍に焼かれたのかな」
「だろうね」
リトが尋ねた。
「バルジャのこと、知ってる?」
「ある程度はね」
「教えてよ。オレ、ほとんど知らないんだ」
■西方の大国バルジャ
ディーンは語り始めた。
――もとはほとんど顧みられなかった土地なんだ。たしかに、古くから住む人はいた。東方を追われた少数民族だ。狩猟で生計を立てていたらしい。
五百年ほど前、金鉱が発見された。群がるように人が集まった。古来の住民は追い立てられ、先住民と呼ばれた。抵抗すると見せしめのように拷問にかけられ、公開で処刑された。残った人々は手を縛られ、足を鎖でつながれて、強制移住させられたんだ。「嘆きの行進」と呼ばれる。
彼らは、耕作にも狩猟にも不向きなわずかな土地に縛り付けられたという。
そうして興った国がバルジャだ。土地を占有した者たちが寡頭制を敷いた。いまもその構造は変わっていない。金鉱は莫大な富を生み出した。おまけに広い油田も見つかった。
支配者たちはまるで王族のように国を支配した。国民には恩恵を施した。従順であることの見返りだ。
たしかに、税は安く、働く場所もある。バルジャは大国にのし上がり、国際的影響力が大きい。
けれども、そんな国は長持ちしない。油田はあと数十年で枯渇するはず。金鉱からはもはや金が出ない。そこで、周辺国に目をつけた。周辺国を属国にして、利益だけを取ろうとしたんだ。
国民を責めるわけにはいかないよ。選びようがないんだから。逃げることもできない。特に、先住民は苛酷な目にあった。軍隊の最前線に配置され、多くの若者が命を散らした。
いま、バルジャが狙っているのが、カトマール西部だ。希少なレアメタル鉱脈があると見込まれているからね。
リトは怒りを隠さなかった。
「そんなの侵略戦争じゃないか!」
「そうだよ。でもバルジャは〈自衛〉だと言っている。国境地域には混血も多いし、文化も融合しているから、守るべきだと主張している」
「で、死ぬのは先住民の若者たち?」
「そうだ……」
「理不尽だよ!」
ディーンは続けた。
「でも、一部の国民が、バルジャによるカトマール侵略を歓迎しているのも事実だ。そうした国民が大統領を熱烈に支持している。しかも、カトマールには、その大統領と裏取引している政治勢力がある」
「ええっ?」
「……エリナ第一副大統領」
「まさか!」
「事実だよ。巧妙に隠しているけどね。しかも、エリナの背後にいるのが天志教団と天明会」
リトは息をのんだ。
「二つの組織は争いをあおり、信者を増やし、隙をついて利を得ようとしている」
「利って……金?」
「金じゃない。何かの悲願を達成しようとしているみたいだ」
「どうしてそこまで知ってるの?」
「簡単さ。ボクはエリナの密偵だから。エリナはボクが裏切れないと思い込んでいる」
リトの黒い瞳が揺れた。
「……ディーン、つらかったろ?」
ディーンは自嘲気味に笑った。
「さあ、どうだろうね。それ以外に道はなかったし、生きられただけでももうけものだったよ」
「……あのたいへんな時代をよく生き抜いたね」
リトの言葉に、ディーンの胸の奥で何かが解け始めた。
――つらくなどない。誰も信じられない。
そう思い続けた記憶の塊がゆっくりと解きほぐされていく。
それでも、ディーンは意地を張るようにリトから顔をそらし、つぶやいた。
「……ほかの密偵がいずれ届ける情報を、先に届けるだけで〈有能〉に見える。情報を選別されていることに気づかない者は、密偵を使う資格がない。密偵に情報を盗まれる者もね」
「それがエリナ副大統領……?」
「まあね。上昇志向が強くて、用意周到に見えるけど、出世欲にかられてボロも出している。ボクが手を下すまでもない。いつか誰かが気づくさ」
「そのとき犠牲になるのは?」
「国民だよ。カトマール西部の国民。この湿地帯で起きたことが、繰り返される」
「そんなの絶対ダメだ!」
リトが叫んだ。
「キミが死ぬのもイヤだ!」
リトの温かな鼓動が聞こえた。抱きすくめられ、ディーンは息をするのも忘れた。
リトは泣いていた。
二人に、緋月の光が落ちた。
そのとき――ディーンが身を固くした。
「どうした?」
「胸の奥……何かが震えた」
彼は胸を押さえ、背を丸めた。
「おい! 大丈夫かっ!」
リトはディーンを抱きかかえたまま、木から飛び降りた。
「ありがとう……」と言いながら、ディーンは自力で立ち上がり、大きく息を吐いて呼吸を整えた。
――眩暈か?
長身の体がぐらりと揺れ、リトに倒れかかる。
ディーンの目は閉じられ、顔は青い。息はある。だが、荒い。
リトの大声が響いた。
北の湿地帯が波打つように揺らぐ。
――ここに来て……。
ディーンは聞いた。
呼ぶ声を。




