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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第四十四章 からみあう因果
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ⅩLⅣー4 湿地帯の二人 ――虹色の石が呼ぶ

■北の廃村

 強い風が吹き抜けた。


 あばら家はガタガタと揺れ、戸板のない窓から吹き込む風が、リトの髪をふわりと持ち上げる。

 二人は藁の上に座り込んだ。


――ここは五十年近く前の北の湿地帯。戦の爪痕が残り、略奪の影が広がる。人影はない。生命の気配すらない。


「この湿地帯のどこかに虹色の石がある……いったいどこ?」

 持ち主を自ら探し出すという虹色の石――五千年の時を経て、石は目覚めるだろうか?


「……広すぎるな」

 ディーンの声は重く、風にほつれて消えた。吹きさらしの窓から白いものが舞い込む。いつのまにか、吹雪に変わったようだ。冷気がリトの頬を刺す。


 ブルリと身震いし、リトはディーンを見た。


――いつものディーンと違う。


 緊張が走る。触れることすらためらわれた。

 研ぎ澄まされた五感を総動員し、ディーンは何かを感じ取ろうとしている。

 針のような雪の痛みに耐えながら、リトはただ待った。


 類まれな耳を持つリトでさえ、何も聞こえない。

 吹雪は音を持たなかった。ただ一面の冷気とひたすら白い世界。


「感じない……声も、音も、光も、熱も、匂いも、そして気配すら……」

 ディーンの胸がわずかに上下する。左腕に巻きついたヘビが、不安げに彼を見上げた。

「不思議なほどに……何も感じない。虹色の石は、ボクを拒んでいるようだ」


 リトは強く首を振った。

「いや、違うよ! 玄武が何も感じないのなら、きっとそこに意味があるんだ」

「意味……?」

「うん。雲龍に伝わる話があるんだ――〈探されたくないウサギ〉の話」


 リトは語り始めた。


――森に消えた子ウサギ。

 総出で探す人々の大声に怯え、木のウロで耳を折り、目を閉じ、息を潜め、ついには気を失った子ウサギ。誰にも見つからず、数日後、住処を探しに来たヘビに偶然助けられた子ウサギは言った。

 見つかったらオオカミに喰われていた。だから必死で祈っていた、と。


「探そうとすればするほど、かえって危険が大きくなるってこと?」

「うん。虹色の石も、そうやって敵から身を守ってきたんだ。だから味方にも見つけてもらえなかった。でも、それはきっと玄武を待つためだよ」

「ボクを……待つ?」

「うん。感じようとせず、探そうともせず、気のおもむくままに動いてみれば?」


 ディーンは目を瞬かせ、リトを見つめた。

 快活でまっすぐな青年――その発想はいつも驚くほどシンプルで、迷いがない。


「外に出てみようよ。吹雪も収まったし、ブラブラ散歩でもしない?」

 リトが微笑み、ディーンの手を取った。


 満ち欠けを知らぬ緋月が二人を照らす。


 通ってきた〈冷たき森〉は、こうして見ると陰影に富んだ美しい樹林だった。

「森も空も、こんなにきれいだったんだ……」

「ホントだね。空気も甘い」


 ディーンはリトの手をぎゅっと握った。

「しばらく……手をつないでくれないかな。なんとなく、そうしたくて」

 リトは驚いたが、すぐに頷き、歩調を合わせた。


 クロはリトの肩に乗り、長いシッポをゆらゆら揺らす。

 そのシッポがときどきディーンの左腕のヘビに触れ、ヘビが首をくねらせる。

 まるで、ヘビとシッポのダンスだった。


――温かい……。


 幼いころの父の手を思い出す。大きな手だった。


――ああ、ずっとこの時間が続けばいいのに。


 突然、雨が降り出した。北の湿地帯は、めまぐるしく天気が変わる。


 リトに引かれ、ディーンは大きな木の下へ駆け込んだ。

 密な樹冠、太い幹――何千年も生きてきたクスノキだろう。


 雨粒がきらきらと輝く。


 リトが木を見上げた。

「この木に登りたいな」

「どうして?」

「遠くまで見渡せるから。自分のちっぽけさも感じるけど……」


 通り雨は去った。

 ディーンがリトを誘う。

「どう? 二人で登ってみようか」

「え? キミも?」

「うん、ボクも」


 二人はクスノキを登り始めた。

 高くなるほど、北の湿地帯の全容が見えてくる。

「かなり広いね」

「うん。予想以上だ」

「でも家はほとんどない。バルジャ軍に焼かれたのかな」

「だろうね」


 リトが尋ねた。

「バルジャのこと、知ってる?」

「ある程度はね」

「教えてよ。オレ、ほとんど知らないんだ」


■西方の大国バルジャ

 ディーンは語り始めた。


――もとはほとんど顧みられなかった土地なんだ。たしかに、古くから住む人はいた。東方を追われた少数民族だ。狩猟で生計を立てていたらしい。

 五百年ほど前、金鉱が発見された。群がるように人が集まった。古来の住民は追い立てられ、先住民と呼ばれた。抵抗すると見せしめのように拷問にかけられ、公開で処刑された。残った人々は手を縛られ、足を鎖でつながれて、強制移住させられたんだ。「嘆きの行進」と呼ばれる。

 彼らは、耕作にも狩猟にも不向きなわずかな土地に縛り付けられたという。


 そうして興った国がバルジャだ。土地を占有した者たちが寡頭制を敷いた。いまもその構造は変わっていない。金鉱は莫大な富を生み出した。おまけに広い油田も見つかった。

 支配者たちはまるで王族のように国を支配した。国民には恩恵を施した。従順であることの見返りだ。


 たしかに、税は安く、働く場所もある。バルジャは大国にのし上がり、国際的影響力が大きい。

 けれども、そんな国は長持ちしない。油田はあと数十年で枯渇するはず。金鉱からはもはや金が出ない。そこで、周辺国に目をつけた。周辺国を属国にして、利益だけを取ろうとしたんだ。


 国民を責めるわけにはいかないよ。選びようがないんだから。逃げることもできない。特に、先住民は苛酷な目にあった。軍隊の最前線に配置され、多くの若者が命を散らした。

 いま、バルジャが狙っているのが、カトマール西部だ。希少なレアメタル鉱脈があると見込まれているからね。


 リトは怒りを隠さなかった。

「そんなの侵略戦争じゃないか!」

「そうだよ。でもバルジャは〈自衛〉だと言っている。国境地域には混血も多いし、文化も融合しているから、守るべきだと主張している」

「で、死ぬのは先住民の若者たち?」

「そうだ……」

「理不尽だよ!」


 ディーンは続けた。

「でも、一部の国民が、バルジャによるカトマール侵略を歓迎しているのも事実だ。そうした国民が大統領を熱烈に支持している。しかも、カトマールには、その大統領と裏取引している政治勢力がある」

「ええっ?」

「……エリナ第一副大統領」

「まさか!」

「事実だよ。巧妙に隠しているけどね。しかも、エリナの背後にいるのが天志教団と天明会」

 リトは息をのんだ。


「二つの組織は争いをあおり、信者を増やし、隙をついて利を得ようとしている」

「利って……金?」

「金じゃない。何かの悲願を達成しようとしているみたいだ」

「どうしてそこまで知ってるの?」

「簡単さ。ボクはエリナの密偵だから。エリナはボクが裏切れないと思い込んでいる」


 リトの黒い瞳が揺れた。

「……ディーン、つらかったろ?」

 ディーンは自嘲気味に笑った。

「さあ、どうだろうね。それ以外に道はなかったし、生きられただけでももうけものだったよ」

「……あのたいへんな時代をよく生き抜いたね」


 リトの言葉に、ディーンの胸の奥で何かが解け始めた。


――つらくなどない。誰も信じられない。

 そう思い続けた記憶の塊がゆっくりと解きほぐされていく。


 それでも、ディーンは意地を張るようにリトから顔をそらし、つぶやいた。

「……ほかの密偵がいずれ届ける情報を、先に届けるだけで〈有能〉に見える。情報を選別されていることに気づかない者は、密偵を使う資格がない。密偵に情報を盗まれる者もね」

「それがエリナ副大統領……?」

「まあね。上昇志向が強くて、用意周到に見えるけど、出世欲にかられてボロも出している。ボクが手を下すまでもない。いつか誰かが気づくさ」

「そのとき犠牲になるのは?」

「国民だよ。カトマール西部の国民。この湿地帯で起きたことが、繰り返される」

「そんなの絶対ダメだ!」

 リトが叫んだ。


「キミが死ぬのもイヤだ!」

 リトの温かな鼓動が聞こえた。抱きすくめられ、ディーンは息をするのも忘れた。

 リトは泣いていた。

 

 二人に、緋月の光が落ちた。


 そのとき――ディーンが身を固くした。


「どうした?」

「胸の奥……何かが震えた」

 彼は胸を押さえ、背を丸めた。


「おい! 大丈夫かっ!」

 リトはディーンを抱きかかえたまま、木から飛び降りた。

「ありがとう……」と言いながら、ディーンは自力で立ち上がり、大きく息を吐いて呼吸を整えた。


――眩暈(めまい)か?


 長身の体がぐらりと揺れ、リトに倒れかかる。

 ディーンの目は閉じられ、顔は青い。息はある。だが、荒い。


 リトの大声が響いた。

 北の湿地帯が波打つように揺らぐ。


――ここに来て……。


 ディーンは聞いた。

 呼ぶ声を。

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