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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第四十四章 からみあう因果
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ⅩLⅣー3 二人のシン――〈園〉の来訪者たる黒狐シンと〈園〉の管理人たる牡鹿シン

■神隠し事件

 黒狐シンは何度も〈園〉と現世を行き来しているらしい。風子によると、だんだん成長しているようだ。つまり、黒狐は正確に〈園〉の風子の場所を特定し、数ヶ月に一度、〈園〉に戻ってきているということだ。


 小じいちゃんによれば、シンおじさんは、母の初恋の相手――同級生の少女――を〈園〉に連れてきて置き去りにしようとしたらしい。シンおじさんが十歳のときにおこった神隠し事件だ。

 母は、憔悴し、真実を知って激怒したらしい。シンおじさんは母の同級生を連れ戻した。だが、その後、シンおじさんは二度と戻ってこなかった。母は罪の意識に苛まれ、初恋の相手と別れて、男性遍歴を繰り返すようになった。


(皮肉なもんだ。それで生まれたのが、わたしたち姉妹とリトなんだもんな……母さんの初恋が実ってたら、わたしたちは生まれなかったってことだ)


 母の初恋の人は、現シャンラ首相。

 ばあちゃんによると、神隠し事件が起こった時、母は同級生には異能がないと真っ青になっていたらしい。それは、自力で戻る手立てはないことを意味する。


 異能者でなくとも、〈園〉に迷い込むことはある。だが、たとえ異能者であっても、あるいは異能者が同伴しても、〈園〉から逃げ出すなど、よほど強力な異能者の助けがない限り、難しい。

 かつて、〈園〉にばあちゃんとスラが迷い込み、風子とオロが助けに向かったとき、おそらくはリョウ――〈森の王〉たる白虎――の協力があった。それゆえ、〈園〉から脱出できた。


 だが、母の同級生の場合はどうだ? いったい、だれが力を奮った?


 ばあちゃんは言った。シンおじさんには弦月の力があるようだと……。ただし、リトの力には及ばないらしい。


――弦月……?


 シンおじさんの母親メイ――ばあちゃんの妹――は、カトマール帝国大学に留学し、恋人ができて子を孕んだが、出産は命がけのリスクとなり、日本に戻ってきて、シンおじさんを産み落として亡くなったという。

 メイ大叔母は、ばあちゃんに匹敵するほどの高度異能者だったらしい。カトマール帝国大学きっての美貌と才能で有名だったとは、当時をよく知るパドア――ラウ伯爵の乳母――の言葉だ。しかも、恋の相手は、カトマール皇帝の従兄弟。皇室を揺るがすスキャンダルに発展した。恋が成就しないことを悟った侯爵家若君は、出奔したという。

 本香華の男性は、香華族女性以外と婚姻することはできない定め――子が生まれず、子が育たないからだ。本香華の男性の血を享けた胎児は、香華族以外の女性にとっては毒になるという。

 だから、メイおばさんは亡くなったのだろう。けれども、子は産まれ、育った。子の父親を隠したのは、知られると、子を奪われるからだ 。(⇒第六章3)


 ばあちゃんは、シンおじさんには弦月の力があると考えていた。それは、シンおじさんの父からの血統だろうと推測していたが、なんとカトマール侯爵家若君とは……。


 だが、これも論理的にはありえない。


 香華族は母系でつながる。

 本香華の女性は自由に配偶者を選べる。相手の身分や素性など問わず、本人の素質や能力だけが重視される。ただ、相手の身分が低い場合などは婚姻せず――つまり、婿として本香華に迎えることはせず――、子の父の情報を明かさないこともしばしばだ。婚姻戦略よりも、すぐれた子孫を得ることの方が重視されたからだ。このため、配偶相手の選択は、女性本人に委ねられてきた。


 ただし、香華族女性は弦月男性とだけは交わってはならぬ定め――弦月の場合、血も異能も強く、ひとたび弦月の血が入ると、やがては香華族を圧倒するからだとか。

 若君の父親が弦月の血を引く者であったならば、侯爵家の姫君は、恋人の素性を知らずに息子を設けたのかもしれない――とすれば、シンおじさんは、九孤族と香華族と弦月の血を引くきわめて希少なハイブリッドだ。


 雲龍九孤族は、狐族であり、〈森の一族〉の傍系だ。だが、九孤一族は、九尾のばあちゃんを筆頭にする最高位の孤族である。

 九孤族は、随意にキツネに変身できるし、ばあちゃんレベルだと自他のサイズを自在に変えることもできる。けれども、空間移動の力は持たないし、念力も透視力もない。〈園〉で出会った管理人たる黒狐は五尾だったという。五尾の霊孤ともなれば、異能はかなり強い。

 未熟なサキは三尾だ。弦月たるリトは、キツネではなく、ウサギに変化(へんげ)したという。


 〈森の一族〉である以上、銀月世界の森や山を神域として保護するのは、九孤族の務めであった。それは、結果的に緋月の世界の〈園〉や〈森〉を守ることにつながったのだろう。だが、九孤族が自由に緋月の世界に行くことなどありえない。 

 だがもし、シンおじさんが九孤族であり、かつ、弦月でもあるとすれば、話は違ってくる。弦月は、時空を歪める力を持つからだ。空間移動の異能も持つ。


 いま、玄武たるディーンと弦月たるリトが行動をともにして〈森〉を調べているとすれば、全面的に二人に任せた方が良い。二人が揃っている以上、生命の危機は自ら乗り越えられるし、時空の狭間にある〈森〉をかなり自由に動けるはずだからだ――オロが加わると、二人にとっては足枷になるだろう。


 だが、この〈園〉はどうだ?

 たしかに生命の危険はない。だから、リトたちは風子たちをここに残したのだろう。けれども、脱出は非常に難しい。唯一可能性があるとすれば、シンだ。黒狐シンであれば、同伴者を現世に連れ戻すことができるかもしれない。


■もう一人のシン

 黒狐シンは、大好きな〈園〉にくるたびに出会うネズミたちの一行がお気に入りだった。

 灰色ネズミは、「こっちにおいで」とシンを招いてくれた。一緒に遊んでくれる。シンの言うことも聞いてくれる。


 小さな灰色ネズミは、元気が良く、ちょこまかとよく動き、裏表のないまっすぐな性分だ。赤毛の柴イヌは頼りない甘えんぼだが、主人の灰色ネズミを一生懸命守ろうとしている。一見怖そうな銀狼もじつはやさしい。


 〈園〉に行くたび、一行のメンバーが入れ替わっていた。もとのウサギとカメとネコとヘビがいなくなり、いまは、キツネと白ネズミとカラスが加わっている。


 シンが〈園〉に出入りできるのは月蝕の夜。半年に一度だ。最初は、それを特別なこととは思わなかった。日常生活の中で、フッと移動するからだ。まるで白昼夢のように、おぼろな記憶が残る。

 だが、行き来を「危険」と大人たちに諭されるうちに、事実を知った――銀月世界の雲龍の森と異世界たる〈閉ざされた園〉を行き来できるのは、自身が特別な異能をもつからだと。


 あるときから、黒狐シンは二つの世界を行き来することに抵抗も驚きもなくした。そして、もう一人のシンがいることに気づいた。それは牡鹿――いまの管理人だ。


 同じ名をもつ者は、共鳴する。


 牡鹿シンは、黒狐シンを気にかけた。牡鹿は、管理人でありながら、〈園〉の外の世界に関心を示した。黒狐シンをしばしばそばに呼び、話を聞いた。

 牡鹿シンも、おそらくはかつて銀月世界に生きた者なのだろう。すでに記憶はない。なのに、黒狐シンが迷い込み、たびたび向こうの世界とこちらの〈園〉を行き来するようになってから、変わった。


 黒狐シンは、ある独特の空気をまとってくる。木々、土、生き物――銀月の世界で生きるものの息吹をこの〈園〉にもたらすのだ。それは、ほんの小さな攪乱にすぎない。おそらく、牡鹿シン以外に気づいた者はいないだろう。

 だが、牡鹿は気づいた。そして、その攪乱を最初は怖れ、やがて、楽しみにするようになった。


 堅固な結果たる河を越え、対岸の〈森〉に入ることができるのは、管理人たる牡鹿のみ。

 管理人の務めは、この〈園〉の住人の安寧を図り、〈園〉への新参者の能力を見極めること。挨拶を受けたときに、新参者の能力を推し量る。何らかの異能を見いだした場合には、〈森〉に伺いを立て、〈森〉に送り出すこともある。


 最初の青年二人については、すぐに異能に気づいた。非常に高度な異能者だった。

 高度な異能者ならば、〈園〉に迷い込むことはない。来るとすれば、何らかの目的を持ち、意図的に入ってきた場合だ。

 

 青年二人の目的は、すぐにはわからなかった。だが、むしろ〈森〉の方から指示があった。

――二人を〈冷たき森〉に引き渡せ。


 〈冷たき森〉に入ったあとの二人の消息はわからない。〈冷たき森〉は苛酷だ。相当に苦労していることだろう。


 一人残された少女は、かわいらしい灰色ネズミの姿で、チョロチョロとよく動く。銀狼と赤茶毛のイヌに守られ、何かと世話を焼かれている。


 牡鹿は、いつの間にか、小さなネズミの姿を目で追いかけるようになった。ふと気づくと、つい微笑んでいる。


 そのときも灰色ネズミの姿を見ていた。灰色ネズミは、〈園〉のあちこちをめぐって、何かを探しているようだ。


 突然、赤茶毛のイヌが走り出した。次いで、銀狼がネズミの許に駆け寄り、背中にネズミを乗せて疾走した。しばらくすると、向こうで大きな泣き声が響いた。

 〈園〉のだれもが驚いた。この〈園〉は楽園――泣く者などひとりとていない。だが、泣き声はしばらく続き、〈園〉の景色を揺るがすほどだった。


 牡鹿は、白鹿に新参者を連れてくるよう命じた。

 現れた三人はいずれも異能者だった。〈園〉に無意識に迷い込んだのではなく、意図的に入り込んだのだろう。だが、女性の異能にはムラがあり、少年少女の異能はたしかに強いが、未熟だ。目的は明らかだ。灰色ネズミの少女を連れ戻しに来たに違いない。


 牡鹿はふと思った。

――あの子を渡したくない。


 だが、遠く映る光景は、小さなネズミを囲んで再会の喜びに震える姿であった。


 失くしたはずの未練が、牡鹿シンの胸をかすめる。いつのことだったか――遠い過去に、あの少女に似た快活なひとの声を聞いたような気がする。

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