ⅩLⅣー1 北の湿地帯――虹色の石と甘い水
■〈森〉を抜ける
リトとディーンは、〈北の湿地帯〉に向けて出発した。
どうやらこの〈森〉は、いくつかの層に分かれているようだ。〈迷い森〉と〈絵の森〉は、〈森〉全体の中では辺境にあたる。むしろこの〈冷たき森〉が大部分を占め、〈森〉を抜けたところに湿地帯があるらしい。〈迷い森〉と〈北の湿地帯〉が、〈冷たき森〉の両端をなすようだ。
――不思議だ。
〈森〉では、玄武も弦月も異能が制限される。異能がなくなったわけではない。相変わらず、ディーンの異能は細やかに作用し、温かさを維持し、疲れを癒してくれる。リトは空腹を満たすための食べ物を見つける能力を発揮し、一行は飢えることはない。
だが、移動手段が限られている。一定距離を飛ぶことはできるが、一挙に、湿地帯に到達することはできない。冷たい吹雪に抗いながら、一行は〈森〉を進んだ。
この移動が無意味だったわけではない。玄武と弦月の一行は、お披露目の道を歩んだと言ってよい。そこかしこで視線を感じた。二人を見てヒソヒソとささやく声がリトの耳に届いた。けれども、姿を現した者はひとりとてない。
〈冷たき森〉のさらに北には別の〈森〉があるようだ。だが、〈冷たき森〉を超えて北に向かおうとすると、強い結界に跳ね飛ばされた。
グリ作成の地図と照らし合わせるならば、〈冷たき森〉は、カトマール北部の大河に沿って、その北側に広がっている。玄武が開いた「道」は、銀月の世界の大河を辿るルートにあたるようだ。だが、緋月と銀月の二つの世界の関係は、まだわからない。
昼夜の別がないため、何日かかったのかはわからない。だが、途中で三度ほど仮眠を取った以外は歩き続けて、ようやく視界が開けた。
■北の湿地帯
荒涼たる大地が広がっていた。その光景は、かつてディーンが訪ねた銀月の湿地帯よりもいっそうわびしい寂寥にまとわれていた。
「むかし、どうして、北の湿地帯を訪ねたの?」
「祖母が生まれ育った村があると聞いたからだ。でも、どこにも村はなく、荒れ果てたいくつの廃屋だけが残されていた」
「そこに行こう! 場所は覚えてる?」
リトに促されるように、ディーンたちは大地を横切った。地面は割れ、草すらもない。大水に覆われたあと、干上がったような景観だった。
向こうに、数件の小さな家が見えてきた。どれもみな、壁は剥がれ、屋根は傾き、いまにも崩れそうだった。その中の一番大きな家に、一行は足を踏み入れた。戸はない。だが、風と雨はしのげる。残されていた藁を敷き詰めると、クロが喜んで飛び降りた。かまどもあり、鍋もある。部屋の中央には囲炉裏があった。
囲炉裏に火を灯すと、明るく、温かくなった。
室内にはさまざまなものが残されていた。衣類も、布団も、保存食も……。だが、すべて散乱していた。何からの事情であわてて村を棄てたのだろう。庭の井戸からは、水が汲み取れた。鍋に水を入れ、囲炉裏で湯を沸かして、残されていた杯で白湯を飲むと身体がほこほこと温まってくる。
「なんだか妙だな」
「なにが?」
「普通の人びとの暮らしがそのまま残っている……。ここは狭間の世界――生活空間じゃないはずなのに」
「たしかにそうだな」
「それに、ここにいたのはいったいどんな人びとなんだ? そして、どこに行ったんだろう?」
二人は家の中を見回した。ごく普通の農家だ。だが、電気はなく、水道もない。
「なんだか、百年くらい昔の田舎のようだ……」
ディーンがハッとした。
「それだ! ここは時空が歪む世界――ボクたちは百年くらい前の湿地帯に迷い込んだんだ!」
「え? なんで?」
「たしか、百年前にルナ遺跡が発見されたのは、大地震で河の流れが変わって、湖も干上がって、湖の下から遺跡が姿を現したからだよね?」
「うん」
「この光景は、そのころの光景じゃないかな? だから、いろいろなものがバラバラになっている」
「なるほど」
「でも、ボクたちがなぜここに導かれた?」
「〈森〉の長が言ったのは、森が欠け始めてるから、それを修復する方法を見つけよ、だったよね」
「うん」
「森が欠けるって、どういうことだろう? 普通は、アマゾンのような森が消えるって言えば、木が切り取られて、森面積が減るってことだけど……」
「この湿地帯が広がっているのかもしれない……」
「キミが見たときと比べてどう?」
「ボクが湿地帯に来たのは五年ほど前……たしかに、そのときの湿地帯はいまよりも広がっていたような気がする。家もなかったよ」
「つまり、湿地帯が広がり、村はつぶれたってことか?」
「そうだね……」
「キミのおばあさんがここにいた頃っていつのこと?」
「五十年ほど前のはずだ。いま生きていれば七十五歳くらい。祖父は、祖母を助けて、ルキアに連れて来たって母は言ってたから、なにかが起こったんだろう」
「その頃はまだカトマール帝政時代――ファウン皇帝の時代だな」
「そうだ。祖父は皇帝奨学金を得て、ルキアの国立軍事大学校で学んでいた。そこで、後の大統領と出会って、親しくなったと聞く」
突然、クロが毛を逆立てた。フウッと全身で威嚇する。
家の隅――二人の背後で何かがおぼろに揺れた。
■地縛霊
「なーにーもーのーだあ~」
おぼろな影が、掠れるような声を出した。
ディーンが、キッと影を見据えた。
「おまえこそ、何者だ?」
「わたし? わたしは~この大地に~縛り付けられた霊~だ」
「地縛霊?」とリトが尋ねた。
「さあて。名は知らぬ」
「あんた、ここに長くいるの? いつからいるの?」
「わからん……気が付けば、ここにいた」
「教えてよ。ここで何があったの?」
「何…? 何があった? はて、何が?」
かげろうのような姿がしだいに形を成し始めた。それとともに記憶ももどってきたようだ。
「そうだ……村が襲われたのだ」
「襲われた? 誰に?」
「バルジャ……バルジャの軍だ!」
「バルジャが、どうしてここに攻めてきたの?」
「わからん……そうだ、何かを採りに来たと言っていた」
「何か?」
「そうだ。貴重な石――虹色の石だ」
「虹色の石?」
「そうだ。あいつらは石を探していた。そのため、一つずつ村をつぶした。三つ目の最後が、この村だった」
「やられたの?」
「いや。ルキアから皇帝軍が駆け付けてくれた。わしらを守ってくれた」
「よかったね」
「よくはない。二人の将校がいた。一人は、虹色の石を持ち去った。もう一人は、お嬢さまを連れ去った」
「お嬢さま?」
「そうだ。この湿地帯全体を統べる長さまのお嬢さまだ。お嬢さまは虹色の石を取り戻すとおっしゃって、いやいやながら将校について行かれた」
「戻ってきたの?」
「戻ってはこられなかった。風の便りに、将校の妻となり、子を産んだと聞いた」
ディーンとリトは顔を見合わせた。そのお嬢さまこそ、ディーンの祖母に違いない。
「み……水をくれ……」
リトが差し出した水をさもうまそうに飲み干し、影は言った。
「ああ、甘い。この大地の水は甘い……命の水だ」
そう言いながら、影はほろほろと崩れるように散っていった。
影が消えたあと、家の外を見回すと、さっきと光景が変わっていた。荒地は農地に変わっていたが、農地は踏みつぶされ、収穫前の穀物が散乱していた。
「五十年前の湿地帯だろうな……」とディーンがつぶやいた。
「時間がどんどんめぐってるってこと?」
「そうだろうね……ひょっとしたら、だれかがわざとボクたちにこれを見せてるのかな」
「見せる……? オレらに何かを伝えようとしてるってこと?」
「そんな気がする……」
さきほどから、ヘビが何かを言いたそうに首を伸ばしている。ディーンは腕に巻いたヘビに尋ねた。
「虹色の石について何か知っているか?」
ヘビはかしこまって答えた。
「かつて玄武さまが大切になさっておられた石でござりまする」
「玄武が?」
「さようです。異能を与える特別な力をもつ石だとおっしゃっておられました」
二人は驚いた。
「そんな石があるのか?」
「はい。〈土の一族〉が大切に守ってきた宝でございまする。全部で三つあるとされ、どれもが七色の光を持ちまする。玄武さまは最高の石をお持ちでしたが、追放時に虹色の石を奪い取られました」
「そう……」
「ですが、残りの二つの石を玄武さまは巧妙に〈北の湿地帯〉に隠されたのでござりましょう。ただ、さきほどの影の話ですと、この村にあった石の一つはカトマール将校に持ち去られたようでございまするな」
「石はどうなる?」
「光は放ちまするが、異能を生み出す力は発揮できないでしょう。虹色の石は、しかるべき場所と、しかるべきひとが持ってこそ、初めて力を発揮いたしまする」
「……そうか」
「恐れながら、玄武さまがこの地に導かれたということは、この荒れ地にもう一つの虹色の石が残っているということではございますまいか。虹色の石は持ち主を探すと伝わりますゆえ」




