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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第四十三章 璃空(リク)の物語
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ⅩLⅢー7  エピローグ――透けるような魂が〈絵の森〉に迷い込んだ月蝕の夜

■夢の中の〈森〉

 十年前、森で子フクロウを助け、危篤に陥ったとき、リクは高みから自分の姿を見ていた。


 ベッドで苦しそうに横たわり、父と虚空おじさんが必死で治療している。そばに行って、大丈夫だよと耳元でささやいたが、伝わらなかったようだ。


 身体から分離した魂は空高く上がっていった。山全体に広がる森の全景が見える。

 ふと、森の片隅がキラリと光った。

 リクの魂は吸い寄せられるようにそこに向かって飛んでいった。


 自分と同じくらいの幼い女の子が、子犬を抱いて震えていた。森の夜の空気は冷たい。女の子は次第に意識を失っていった。リクは、女の子の周りをグルグルとめぐった。そして、そっとその手に触れた。


 女の子は目を覚まし、二・三度軽く頭を振って、歩き始めた。森へ――禁じられた森へ。浮遊していた魂のリクもまた女の子とともに森に入った。その女の子が風子だった。


 森の中には、奇妙な生き物がたくさんいた。そして、その中央には、目が覚めるほど美麗なひとがたたずんでいた。少年なのか、少女なのか、風子にはわからなかった。性を超越した美貌だった。

 一陣の風とともに花吹雪が舞い上がり、森が緋月の光に覆われた。その光に一瞬眩暈(めまい)を感じた風子は、地面に(くずお)れた。


 大きな茅葺屋根の下で、稲子は、生涯を閉じようとしていた。魂が肉体から離れていく。

 その魂に、曾孫の姿が映った。

 風子が森に招かれている。五歳で森に消えた双子の姉と同じように……。


 稲子は遠く森に向かって祈った。

――どうか曾孫を戻してくだされ。代わりにわしの魂を差し上げまする。

 稲子の魂がスッと消えた。


 森の中に横たわる風子は、曾祖母の声を聞いた。

――生きるのじゃぞ。何があっても生き抜くんじゃ。


 風子は目覚めた。すでに緋月はなく、あのひとも獣たちも姿が見えない。風子はトボトボと家路をたどった。


 その月蝕の夜から、この物語のすべてが始まった。


■〈絵の森〉

 〈絵の森〉は古い。〈森〉の長はもう何千年も絵を描き続けていた。絵に命を与えることもできた。数千年を経て、〈絵の森〉は多様な木々とともにさまざまな生き物が暮らす豊かな森に変わった。


 だが、この百年ほど、力の衰えが著しい。描いても命が宿らない。力を取り戻すには、強い生命力を持つ者を迎え、そばに置く必要がある。これまでも力が衰えるたび、そうしてきたように。

 そのような生命力あふれる者は、月蝕の時に特異な光を発するという。蝕が強いほど、光は強くなる。長はその者を待ち続けていた。そして、やっと見つけたのだ。

 四国の山奥の大きな茅葺屋根を持つ古い家の庭先――一人で遊ぶ小柄な女の子だった。


 銀月と緋月が交わる大月蝕は千年に一度。だが、小さな普通の月蝕はたびたび起こる。数年に一度の皆既月食の夜には、二つの世界――銀月の島と緋月の村――が近づく。


 二つの世界の狭間に位置する〈絵の森〉を治める長は、一つの決意をしていた。

――月蝕の夜、あの子を〈森〉に迎えよう。


 〈絵の森〉に来ることは、銀月の世界での「死」を意味する。長は、傷ついた子犬と凍えた女の子をともに〈森〉に召喚するつもりだった。

 だが、失敗した。

 老女の祈りと、魂浮遊の幼子の力によって、子犬と女の子は銀月の世界で命を繋いだ。


 老女は、滅びゆく己が肉体から魂を分離して、〈森〉に向けて魂を飛ばした。だが、〈森〉には入れず、曾孫のつたない絵にその魂をとどめた。曾孫を見守り続けるために。

 闇に透けるような魂だけの幼子は、子犬を抱いた女の子が気になったようだ。その子の周りをグルグルとめぐり続けた。女の子に連れ添って〈森〉に一緒に入り、そのまま〈森〉の奥へと迷い込んだ。


 〈森〉の長はとまどった。迎えようとしたはずの女の子は来ず、別の幼子の魂が〈森〉にやってきたからだ。

 入れ違った者を取り替えることはできない。


 長は、初めて見る幼子の手を取った。魂だけの幼子は、〈森〉の中で姿を持った。その幼子は、命を与える力を持っていた。長が描いた絵にことごとく命の輝きを与えていった。


 しばらくすると、幼子は〈森〉から去っていった。だが、またやってきた。そんなことが何度か続き、長は確信した。


――この子は、身体と魂を分離する力を持つ稀有な子だ。


 こうして、長は〈絵の森〉をふたたび整え続けることができるようになった。その子こそ、リク。


■〈森〉を創る

 銀月の世界で、リクは、豊かな表情も美しい声も失った。記憶すら曖昧だ。

 だが、緋月の世界で、名を持たぬ少女の魂は自在に駆け巡る。


 〈森〉にストンと降り立つ。森の中の小さな広場だ。見慣れた動物たちが迎えてくれた。みんなと言葉が通じる。少女は満面の笑顔を見せた。


 向こうから、一人の青年が姿を現した。

「やあ、待っていたよ」


 〈森〉のあちこちを青年が案内してくれた。行く度に、二次元が三次元に変わり、生命が息づく。

「どうして?」と聞くと、青年はやさしそうに微笑んだ。

「キミのおかげだよ。わたしが描いた絵にキミが命を吹き込んでくれるんだ」

「命を吹き込む? わたしが?」

「そうだよ。キミは、〈命を与える者〉だから。ほら、キミが触ったり、言葉をかけたりした者はみんな命を持つようになっている」

「ふうん」

「どう? 体はつらい?」

「ううん。全然」

「やっぱりね。キミの力はこの森では、まったく衰えない。むしろ強まるみたいだ」

「この森って、どこの森? 四国の森に似てるんだけど……」

「キミが望む森だよ。キミが森を決めるんだ。だから、キミが四国の森にしたいと思えば、そうなる」

「ふうん」

「これからも、キミとわたしで森を作っていこう。協力してくれるかな?」

「いいけど、どうして森を作るの? そもそも、森は作るものなの?」

「作る森もあるんだよ。この森は、わたしが絵を描いて、キミが命を与える特別な森なんだ」


 毎夜、リクは森を訪れた。名を持たぬ少女として、青年と二人で森を作り続けた。笑顔とはしゃぎに満ちた幸福な時間だった。


 だが、夢から目覚めると、リクは笑わない。

 夢は引き潮のように消えてゆく。夢を語る言葉すら失われてゆく。


 銀月に照らされる景色は移ろう。だが、夢の中の〈森〉は変わらない。

――いつまでも〈森〉は変わらない。


 そう信じてきた。けれども、森の端がすこしずつ欠けているという。

 その理由はわからない。


 ある日、〈絵の森〉の向こうでさざめく楽し気な声を聞いた。

――ここに来て!

 そう念ずると、一人の少女が〈森〉に迷い込んできた。強い生命力を持つ少女だった。

 長は驚いた。あのとき迎えそびれた女の子ではないか。


 最初こそ目を丸くしていたが、少女はすぐに〈森〉に慣れた。そして、言った。

「わたしはフウコ。風の子だよ」

 

 風子は、魂だけの少女に名付けをした。

「リクだよ! あなたはリク!」

 名を得た魂だけの少女の実体が強まった。力も増した。笑顔も増え、忘れかけていた歌をふたたび歌うようになった。


――風子を〈森〉に留めよう。

 長はそう期待した。だが、迎えがやってきた。銀狼と赤茶色のイヌと黒いネコ――やがて、彼らを探して、強い異能者が現れた。


――玄武と弦月ではないか……。

 長の記憶が(うず)いた。かつて、〈森の王〉の命令を受けて、玄武を洞窟に封印したのは自分だ。玄武が弦月と戻ってきた以上、その力を〈絵の森〉に押しとどめることなどできまい。


 長は賭けた。

 強い生命力をもつ少女と最高異能者たる玄武と弦月――彼らが〈森〉に来たのは偶然ではあるまい。

――彼らの力を借りながら、〈絵の森〉の修復をはかることはできないものか?  

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