ⅩLⅢー5 三人の少女――夢と現(うつつ)の狭間でリクは幻を見る
■アイリ
アイリの名が出るたび、ディーンはピクリと反応する。鈍感なリトですら、これに気づいた。単純なリトは考えた。
――ディーンはアイリに関心があるのか?
「アイリが大変なヤツだってことはわかってるよな?」
「ああ。カトマール国費留学生みんなが振り回されてるよ。まったく協調性がないからね」
「そうだろうな。おまけに口が悪いし、愛想がない。アイツが言うことを聞くのは風子だけだ」
「なぜ、風子?」
「モモだよ。モモにとっては風子が一番、アイリは二番なんだ。モモ命のアイリは、風子には頭が上がらないってことさ。ああ、オロとはケンカ仲間だな。天才アイリに対抗できるのは、天才オロだけだ。あの二人のケンカは見ていて飽きないぞ。ものすごーくしょうもないことで張り合うんだ」
ディーンがフッと微笑んだ。リトの胸がドキンと波打った。
「アイリの腕と足が義肢だというのは本当か?」
「本当だよ。子どもの時の火事が原因らしい。レントゲンにかけても義肢だとわからないくらい精巧なつくりだ。人造皮膚も人間の皮膚そっくりだしね。あいつの研究は、身体の欠損を補う研究みたいでさ。カイの発話補助具も作っちゃった」
「発話補助具?」
「そうだよ。カイは生まれつき声が出せないんだ。スゴく努力して、相手のくちびるを読むことができるし、思念交換もできるから、相手の言うことは理解できるけど、自分ではしゃべれなかった。侍従のカムイ――三足烏なんだけど――が、代弁してたんだ。だから、アイリが補助具をプレゼントした。いまは普通にしゃべっているみたいに見えるだろ?」
「……知らなかった」
カイはすべてに恵まれていると勝手に思い込んでいた……ディーンは目を伏せた。
「それに、アイリはロボットも作ってるよ。いつか櫻館に来たらいい。アイリがつくったアンドロイドが二体あるから」
一瞬落ち込んだディーンの気もちを引き立てるように、リトがわざと明るく言った。
「あ、でも、これは秘密だよ。アイリの技術をねらってとんでもないことが起こるから。以前にも一度アイリが拉致されたことがあるんだ」
「そうだったのか……」
アイリもアイリなりに苦労しながら、自分の道を切り開いているのか……。(⇒第一話第七章1)
「アイリの出身地はどこ?」
「カトマール南部の火の山の谷にある小さな村だよ。親はいなくて、おばあちゃんに育てられたんだって。でも、優秀すぎたんだろうな。五歳になって、ルキアの特別教育院に入れられてさ。ずいぶん寂しい思いをしたみたいだよ」
「特別教育院……か」
「知ってる?」
「もちろん、有名だからね。カトマール国立の超エリート校なんだ。だれもが入りたがるけれど、アイリは嫌がったのか……」
「そうみたいだよ。だから、早くからアカデメイアに留学してきた。こっちの方が自由みたい」
ディーンは、さも当然という顔で言いのけた。
「そうだろうな。カトマールでは、エリートは国家に忠誠を尽くすことを徹底される」
「キミも?」
「まあね。国費留学生の宿命だよ。まあ、ボクは国家に忠誠を尽くす気なんてさらさらないけどね」
「そんなこと言って、大丈夫なの?」
「あまり大丈夫ではないね。知られるとスゴくヤバイ。だが、いまの大統領政権は腐敗している。そんなものに本気で関わったら、こっちまで腐り果てる。利用しようとするヤツには、利用されないように自衛するしかないんだ」
ディーンの口調は、いつになく強い。
リトがあわてた。
「ディーン、いまの、オレ以外に言っちゃダメだよ」
「どうして?」
「危なすぎる。キミに何かあったらたいへんだ」
「ホントにそう思う?」
「うん。どうして? 友だちのことを心配しないヤツなんていないだろ?」
ディーンはフッと笑った。目が寂しそうだ。
「友だちか……。でもまあ、アイリも苦労しているってことだね……」
「そうみたいだよ。天才ゆえの苦労だね。だから、オレたちにすら本音は見せない。けれど、風子やモモといるときは、まったく普通の子だよ。ちょっとワガママなだけの普通の十五歳」
「普通か……いいな」
■北の湿地帯
リトが驚いたようにディーンを見た。
「大秀才ディーンが普通の人生を望むなんて……」
「望むよ。ボクは、ボクじゃない人間に生まれたかったから……」
「そんな! キミはカトマール若手の筆頭だよ。いずれは国を背負う立場じゃないか」
ディーンは苦笑した。
「あは。ボクは利用されてるだけだよ。利用価値はあると踏まれている。だから、その役割を演じてるだけだ。カトマールのような権威主義国家では、それが生き延びる知恵だ」
「うわ……」
「でも、ボクは、立場上、トップに行けないから、利用価値があるんだ。トップに立とうとしたとたん、消されるよ」
「け……消されるって?」
「いまのカトマールは、そういう国なんだ。権謀術数が渦巻いていて、組む相手を見誤ると、蹴落とされる。目立ってはいけない。でも、無視されても危ない」
ディーンはまたフッと口端を上げた。
リトと同じ二十歳――ディーンのきれいな横顔に、炎の影が映った。
「すごく重いものを背負ってるんだね。オレなんかが想像できないほど……」
ディーンはリトを見た。リトは愛想をしない。語る言葉はすべて本音だ。
リトの表情は、同情でも、哀れみでも、畏敬でもない。ただ、友に寄り添う共感の表情を浮かべていた。
――これだ! ボクはリトのこの表情に惹かれたんだ。
ディーンの口から、ポロリと名前がこぼれた。
「サアム・リエンスキー……覚えてる?」
「もちろん! 調査対象だもん。すごい科学者だったけど、研究を諦めて政治家になったって。レッティーナ・ヒックス所長が嘆いてたよね」
「うん……」
「どうかしたの?」
一呼吸おいてディーンが言ったことに、リトは固まってしまった。
「ボクの父なんだ」
「父……え? お父さん? サアム・リエンスキーって、たしか、元大統領の娘婿……。じゃ、キミ、元カトマール大統領の孫なの?」
「……そう。だから世間には隠してる。でも知っているひともいて、ボクを利用しようとする」
「うわ……そりゃ、すごくたいへんだ……大丈夫だよ。もちろん、秘密は守るから」
「わかってるよ。キミを信じてるから。だから、こうしてしゃべってる……」
「マキ・ロウ博士が父の同僚であったことは知ってるだろ?」
「うん。ヒックス所長からそう聞いたし、櫻館に博士を招いたこともある。地質学について教えてもらったんだ。博士がどうかした?」
「父の恋人かもしれない……」
ポロリ。
焚き木の火を強めようと手にした棒が火の中に落ちた。リトがあんぐりと口を開けている。
「こ……恋人? でも、ヒックス所長は、二人は犬猿の仲だったって」
「世間を欺くためさ」
「ま……ま……まさか、不倫ってこと?」
「さあね。きっと、二人は恋人同士だったけど、大統領の命令で、父はボクの母と結婚させられたっていうのが事実なんじゃないかな? 父はボクにも母にもやさしかったけど、母は父に愛されていないと感じてたようだから」
「は……はあ……」
「十五年前、クーデターが起こった時、父は姿を消した。そのとき、マキ・ロウに会いに行ったんじゃないかって思うんだ」
「マキ・ロウ博士に?」
「しばらく匿われたんじゃないかな? それから数ヶ月後に、北の湿地帯で、唐突に父は姿を現した。でも、結局捕まらず、どこかに消えたらしい」
「わざと姿を現したってこと?」
ディーンは頷いた。(⇒第二十二章)
「父が異能者だったら、そうとしか考えられない……。おそらく、マキ・ロウを守るためだろう。あのころ、追跡が厳しくなって、サアム・リエンスキーの知り合いはことごとく捕縛されていたから――父は、自分が捕まって、マキ・ロウから追跡者を引き離そうとしたんじゃなかなって……」
愛する人のために自分を犠牲にする――リトには、その気持ちはとてもよくわかる。きっと迷うことなく、自分も同じことをするだろうから。
「それから二年くらいして、マキ・ロウは地質学の研究のためと称して、カトマール全土を歩き回るようになったらしい。でも、ホントの目的は父を探すことだったんじゃないかな? ボクと同じように……」
「そういうことだったのか……」
「でも、いま、世界でカトマールの地質や植生、動物の生息に一番詳しいのは、マキ・ロウだ」
ディーンの言葉に、リトも頷いた。あの地下都市を見つける時、マキ・ロウの緻密な分析が大いに役立った。(⇒第三十七章4)
「だから、この〈森〉のこともできるだけ詳しく情報を集めて、マキ・ロウ博士に分析してもらうつもりだ。協力して欲しい」
「わかったよ!」
ディーンはしばらく沈黙した。まだ何か言いたそうだ。リトは待った。
やがて、ディーンが目をあげ、リトをじっと見つめた。
「もう一つ、秘密を聞いてくれる?」
「うん」
「アイリの母親はマキ・ロウかもしれない……」
「ええっ!」
もっと大きなビックリに、リトは大声をあげた。
へそ天のクロが、ムニャと体を起こし、また、ドテッと寝転んだ。今度は横向きに寝て、四本の足をピンと伸ばしている。ヒゲの一部に寝ぐせがついている。
リトはうろたえてしまった。
「……マキ・ロウ博士がアイリの母親? ……でも、全然似てない……」
「若いころは似てたみたいだよ。それに、アイリはボクの父にも似てる……」
「なんで、アイリがキミのお父さんに?……」と言いながら、リトはあわてて口を抑えた。
「きっと……アイリは、おそらくサアム・リエンスキーとマキ・ロウの娘――ボクの異母妹だ」
「ア……アイリは知ってるの?」
「いや、知らないだろう。マキ・ロウが母親らしいことは気づいているかもしれないけれど」
「そ……それはまた、あまりに衝撃的な……」と言いながら、リトは妙に納得したような頷いた。
「だけど、キミとアイリが兄妹だというのは、言われてみればなるほどという気もする。どっちも、抜群の頭脳と美貌の持ち主だ。しかも、玄武と朱雀だしね。協力し合う運命にあったのかも……」
「そうかな?」
ディーンが遠い目をした。
「ボクとアイリは協力できるだろうか? ボクは、いまもマキ・ロウに対する母の恨みを引きずっている……。なのに、玄武でいていいのかな……?」
■風子の奮闘
〈園〉には変化が乏しい。昼夜もなければ、悪天候もない。通り雨のようなきれいな雨が降ることはあるが、すぐにやみ、〈園〉の緑が洗われたようにきれいになる。
風子たちは、あちこちを歩いていた。お腹もすかないし、喉も渇かない。ただ、動きすぎると少し疲れる。そんなときは草原に座って寝転ぶ。そよ風は心地よく、花の香りもかぐわしい。
「ホントに楽園だなあ……」
広い〈園〉で行き交う動物たちはみな苦しみや悲しみから解き放たれているようだ。風子のように悩みをもつ者はいない。
子狐はいつのまにかいなくなって、また、いつのまにか姿を現した。少し大きくなっている気がする。
風子の耳には、リクの声が聞こえる。
「迎えに来て……」
声の聞こえた方向に走っていって、リクを探すが、どこにも姿が見えない。風が吹くばかり。
■リクの夢
その日も、明け方に目覚めたリクは、いつもように着替えて、バルコニーから森を見た。天月の森は広く、深い。すでに落葉の季節は終わり、裸の枝が、杉のなかに見え隠れする。
リクは無表情のまま、片手を伸ばした。
その手に、一羽のフクロウが舞い降りた。ディーンのフクロウ、アロだ。神経質なアロは、ディーン以外からエサを受け取らない。森で衰弱していたアロを見つけたリクは、アロに手を差し伸べた。その日から、アロはリクのそばにいるようになった。
リクは、不思議な夢を思い出していた。
――きれいな森の中、いつものように、さまざまな動物たちと会話していた。そんなある日、風子がやってきた。ひとしきり楽しくおしゃべりしたが、プツンと夢が途切れた。
その後見る夢には、風子のすがたはない。何度夢見ても、風子は現れない。だから、風子を呼ぶ。もう一度、あのおしゃべりのひとときを楽しみたくて――けれども、風子の返事はない。
夢のあとはとても気だるい。食もあまりすすまない。
セイばあちゃんが心配して、何かと世話をしてくれる。セイばあちゃんの薬湯を飲むと、少し気分が良くなる。でも、夢の中のような元気は出ない。
――あれは、わたしだったのだろうか? それとも、わたしではないだれかだったのだろうか?
問うても答えは見つからない。
セイばあちゃんに相談しようと思った。なのに、いざ相談しようとすると、記憶に残る夢の場面が、粉々に砕けてしまって、言葉にならない。
夢が壊れてがっかりすると、翌朝の目覚めで、夢が蘇っているのを感じる。いつしか、夢の中にアロも一緒にいるようになった。
――誰にも言ってはいけないんだ……。
リクは、いつものようにぼんやりとした夢見心地のまま、一日を過ごす。ただ、アロだけが、リクのそばでリクと夢を共有していた。
その夜も風子の夢を見た。きれいな〈園〉に風子がいるのが見える。小さな灰色ネズミの姿だ。思わず笑ってしまった。あまりにかわいらしくて、あまりに風子らしい。
風子ネズミはリクを探しているようだ。でも、近寄れない。
――迎えに来て。わたしも一緒にそこに行きたい。
そう願っても、風子には届かない。
リクは、〈絵の森〉の中をあちこち動いた。どこかに、風子がいる〈園〉への道がないか……。
探せども、探せども、道は見つからない。ただ、行く先々で瀕死の生き物を見かけた。動物のときもあれば、木や花のときもある。リクはそれらに命の息吹を与えた。
〈絵の森〉では、リクの力は衰えを知らない。他者に命を与えても、リクの心にも体にもダメージはない。生き物の感謝を受けて、むしろ、リクの力はますます強まった。リクの笑顔はいっそう華やいだ。
とても幸せな気分で夢から醒める。
でも、醒めたとたん、リクの表情が凍り付く。幸せが現実でないことに打ちのめされるからだ。夢の中での幸せが高まるほど、現世でのリクの絶望が強まった。絶望が強まるほど、夢の時間が短くなる――〈絵の森〉に滞在する時間が縮まってしまう……。
リクは重い頭をかかえて、階段を降りた。そこに風子の姿はない。




