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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第四十三章 璃空(リク)の物語
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ⅩLⅢー4 〈冷たき森〉――玄武の語りと涙

■地図

「北の湿地帯? 〈冷たき森〉?」

 ディーンがつぶやいた。父方祖母の故郷か? だが、ここは時空の狭間のはず。特定のリアルな場所と結び付いているのだろうか?

 ヘビが助言した。

「〈冷たき森〉とは、暗い針葉樹林と沼地が広がる森で、寒く冷たく、光はほとんど届きませぬ。お寒うございましょう。いまのお召し物に空気を含むようお命じくださりませ。寒さがしのげることでしょう」

 ヘビの言う通りに命じると、ダウンを着込んでいるように暖かくなった。リトの服も同じようにした。靴も防水用に変えた。玄武の力はかなり便利なようだ。細かいところまで指示が行き届く。


 ディーンはヘビを左手に巻き付け、リトはクロを肩に担ぎ、二人は慎重に歩き始めた。ぬかるんだ大地は、ともすればひとを飲み込みそうになる。その都度、ディーンは大地に命じた。

「玄武が命ずる。道よ、開け」

 〈迷い森〉とは違い、〈冷たき森〉は頑固なようだ。道は開くものの、長くは続かない。何度も命令を繰り返した。

 同じような光景が続くばかりで、先が見えない。さすがに疲れ始めた頃、岩場が見えてきた。洞窟もあるようだ。


 洞窟の中は、ヒカリゴケでほんのりと明るかった。ヘビの助言で、ディーンは灯火をもうけた。湿気た小枝を術で乾かし、薪にして燃やすと、すぐに洞窟全体が温まった。ヘビもクロも床に降りて、身体を伸ばした。


「腹が減ったな……」

 リトがボソリと言った。

 ディーンがヘビに訊ねた。

「さっきの〈園〉ではまったく空腹も渇きも感じなかったが、この〈森〉では感じる。何か食べたり、飲んだりしてもいいのか?」

「大丈夫でございます。〈園〉は楽園ですので、あらゆる殺生は禁じられており、生き物はすべて欲望とは無縁になります。果実や酒を食すことはありますが、それは辛さや悲しさを忘れるため。記憶とは、悲喜こもごもの思い出――悲しみを忘れるとは、喜びを忘れることでもあります。これゆえ、〈園〉で食すとしだいに記憶を失うのだと、かつて玄武さまがおっしゃっておられました」

「そうか」


「この〈森〉も時空の狭間にありますが、陰鬱な空間――空腹や渇きを感じる以上、何かを食べても記憶を失うことはないはずです。ただ、この〈森〉に、果たして食べ物があるかどうかは、わかりませぬ」

 リトは洞窟の奥を見てから、洞窟の外を見た。

「水は大丈夫だよ。湧き水が出ている。それに、外には湖がある。魚が釣れるんじゃないかな?」


 細い枝に魚を突き刺し、火であぶると、香ばしい臭いが洞窟内に立ちこめた。熱々の白身魚はうまかった。ついでに、リトは茸も採ってきた。毒茸と食用茸の区別などは朝飯前らしい。さすが、雲龍九孤忍術の使い手だ。忍術ではサバイバルはあたりまえ――リトの面目躍如にディーンが感嘆している。

 人心地ついて、相談が始まった。しばらくはこの洞窟を拠点に動くことに決めた。水と食べ物を確保しやすく、雨露がしのげる。


 ディーンは、銀麗月館で見たカトマール地図を思い出していた。そこには北の湿地帯も描き込まれていた。そのリアルな湿地帯とこの〈冷たき森〉がどこまで重なるかはわからない。だが、針葉樹林と沼地と洞窟と湖の距離感は、描かれた地図そのままだった。


――とすれば、この森の南方には広い河があり、その向こうにルナ神殿があるはずだ。北は雪と氷に閉ざされた氷原。おそらく西には、〈森の民〉が暮らす集落があるのではないか。東に向かうと海のはず。


 およその地図を地面に描くと、リトが驚いた。

「スゴいな! あの地図を一回見ただけで覚えたなんて。まるでオロか、アイリだ」

 ディーンは、オロの力もアイリの力も知らない。いずれは協力する四神だ。リトは、二人の異能を説明した。


■語り

 焚き木の火がパチパチとはぜる。火のそばでクロがへそ天で寝転がり、イビキをかいている。ヘビは明るさと熱を避けて、洞窟の奥の方でとぐろを巻いている。寝ているのだろう。

 時空の狭間では、月の満ち欠けがない。ときは流れるが、時間をはかる尺度がない。リトとディーンは話し込んだ。二人がここまで語り合ったのははじめてだった。


 ディーンが長いまつげを伏せ気味に語り始めた。

「自分が玄武だなんて、まったく思いも寄らなかった。でも、いま思い起こせば、いくつか心当たりがあるような気がする」

「そうだったの……」

「父方の祖母の家系が、玄武の血を引くんじゃないかって思うんだ……」

「玄武の血? たしか、お父さんの方のおばあさんが北の湿地帯の出身だって言ってたよね。この〈森〉となにか関係あるってこと?」

「さあ……ボクも北の湿地帯のことはほとんど知らない。ただ、一度だけひそかに行ったことがあるんだ。暗い土地に、ポツンと小さな村があった……すでに村は捨てられていて、廃屋ばかり――だれもひとはいなかった」

「そう……」


 ディーンの声はやや低めで、いつも落ち着いている。なのに、今に限っては、ごくわずかに震えている。

「父方の祖父は貧しい農民出身で、異能とは無縁だった。父も母も異能者じゃなかった。でも、ひょっとしたら、父は異能を隠していたのかもしれない」

「どうして?」

「カイを見ていてそう思ったんだ。カイは最高の異能者だけど、異能はほとんど発揮しない。むしろ隠している」

「うん」

「ボクの父もそうだったんじゃないかって。一度だけ、妙なことがあったんだ。ボクが庭の木に登って落ちたことがある。まだ三歳くらいかな。フッと身体が浮いて、気がつくと、父に抱えられてたんだ。そのときはわからなかったけど、今思えば、父は異能を使ってボクを助けたんじゃないかって気がする」

 なつかしそうな、寂しそうな、うれしそうな、微妙な表情でディーンはリトを見た。


「キミの身体を止めたか、時を止めたか、だね?」とリトが言った。

「きっと……ね」

「どちらも強い異能だね。異能塾で習ったよ。ものを止める念力は、〈土の一族〉に強い異能なんだって。でも、じつはアイリもその力を持つみたい。時を止めるのは、〈水の一族〉の異能だ。オロはその力を持っている」

「そうだったんだ……ボクは、まだほとんど何も知らない。突然、玄武だと言われてとまどっているというのが正直なところだ」

「わかるよ。オレだって、弦月だって言われてるけど、自分ではさっぱりわからない。何が弦月の力なのか、じつはよくわからないんだ。ただ、弦月の力をむやみに発揮すると、オレの身体がもたないらしい。気をつけろとばあちゃんに厳しく言われてる……」


「ふうん。キミの力はお父さんの力? それとも、お母さんの力?」

「どっちでもないみたい。雲龍九孤族は〈森の一族〉の系統なんだ。ばあちゃんはものすごい異能者で九孤族宗主なんだけど、オレの母親はその力を受け継がなかったみたい。むしろ、一番ばあちゃんに近いのはサキ姉だよ。父さんはまったく異能に無縁なはずだ。でも、そもそも父さんは捨て子だったから、ルーツはまったくわかんないんだ」

「捨て子?」

「そうだよ。すごくいじめられたし、苦労したみたい。中学の時に知り合った先生のおかげで大学に行けたんだ。その先生の研究を引き継いで、学者になったんだよ」

「へええ」


 リトは懐かしそうな目を上げた。

「父さんは母さんに一目惚れしてね。十歳以上年下なのに、母さんに猛アタックして結婚したみたい。でも、離婚しちゃった。母さんが初恋の人と再会して、父さんはその人には叶わなかったんだって。オレと父さんは九孤族の村に引き取られて、ばあちゃんや姉たちと暮らすようになったんだ。オレの姉妹三人は、みんな父親が違う。そのせいか、キャラも違うし、見た目もずいぶん違う」

「でも、仲がいいね?」

「ケンカもしょっちゅうするよ。でも、最後は助け合うかな。家族ってそういうものじゃない?」

「さあ……ボクにはそんな家族はいない」

 ディーンの一言に、一瞬、気まずい空気が流れた。


「もし、ボクの父が〈土の一族〉の血を引く異能者だったら、奇妙なんだ」とディーンが続けた。

「何が?」

「父は、もう十五年間、行方がわからない」

「十五年も?」

「うん。どんなに探しても見つからなかった。だから、死んだんじゃないかって諦めてたんだ。でも、もし父が高度な異能者なら、やすやすと命を失うはずがない。つまり、死んでいないってことだよね?」

「きっとね」

「なのに、十五年も姿を現さない。どうしてだろうって、この前からずっと考えてた。でも、この〈森〉に来て、ふと思ったんだ。父もまた〈森〉のどこかにいるんじゃないかって」


 リトが驚いて顔を上げた。

「お父さんが〈森〉に?」

「そうだ。ひょっとしたら、〈緋月の村〉にいるのかもしれない」

「〈緋月の村〉?」

「うん。ヘビによると、玄武ならあり得るらしい」

「〈緋月の村〉って、ルナ一族全体のルーツだろ? その村にいるってこと? それは、ルナ一族として迎えられたってことを意味するって神話に書かれていたよ」

「そうなの……?」

「でも、〈緋月の村〉から、こちらの〈銀月の島〉に来られるものなの? そもそも、この〈森〉は二つの世界の緩衝帯だ。緩衝帯を設けるのは、二つの世界を接触させないためって、森の長も言ってなかった?」

「そう言ってたね」


「でも、お父さんに会いたいんだよね?」

「……うん。でも、会いたいのは、懐かしいからとは限らないよ。ボクの母は、父に愛されなかったことを恨み続けて亡くなった。死ぬまで父を恋しがりながら、父の心にいる女性を呪い続けた。ボクが父を探し続けたのは、母の恨みを晴らそうと思ったからだ」

「……ディーン」


 リトは、ディーンの手を握った。リトの手に温かい涙が落ちた。ディーンは、肩を震わせて泣いていた。その背をリトは抱きしめた。

 リトの腕の中で、ディーンは泣き続けた。十五年間の辛さや苦しみが解きほぐされていくような温かな胸だった。

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