ⅩLⅢー1 園と森の秘密――〈閉ざされた園〉で出会った黒い子狐
■岩戸の向こう
リトもディーンも言葉を失った。
煌めくような湖が広がっていた。静かな湖面には、岸の木々が映り込み、天の緋月は太陽のように輝いて、湖面のわずかなさざ波をキラキラと動かしている。
対岸に広がる森の向こうに宮殿の尖塔がわずかに覗いている。どうやら、洞窟を経て、森の反対側に来たようだ。長によると、この先で森がすこしずつ欠けているらしい。
「なんで、ここ?」と風子が目をクリクリさせながら、ディーンを見上げた。
りりしい顔の大きなカメが首をかしげた。
「なんでだろ?」とそのカメが隣を見た。やんちゃそうな野ウサギがいた。リトらしい。
風子は小さな灰色ネズミに変わっていた。
「ここって、〈閉ざされた園〉みたいなんだけど……」と風子がつぶやいた。
「なにいっ?」やんちゃウサギが飛び上がった。
「ほら、河もあるよ!」
風子が指さす向こうから、白い鹿が近づいてきた。
「これは、これは、ようこそお越しになりました。どうぞこちらへ。園の管理人さまのもとにご案内いたします」
風子ネズミがみんなにそっと告げた。
「何か食べたり、飲んだりしちゃダメだよ。記憶をなくしちゃうから」
歩みの遅いカメとヘビは、ハタと困った。どんなに急いでも、リトウサギにもモモにもまったくついていけない。
銀狼がかがんで、カメとヘビに背に乗るよう促した。カメは自分のサイズを小さくした。ちっちゃな風子ネズミはモモの背に乗っけてもらった。クロはリトウサギに興味津々で、何かとちょっかいをかけている。
白鹿について歩む園は、たしかに非常に美しかった。どれもみな動物の姿だが、のんびりとくつろいでいる。
向こうに大きな木が見えた。その下には、立派な角を持つ牡鹿が立っていた。
白鹿が跪いた。
「管理人さま。新しい入園者でございます」
「うむ」
「あれ、その子?」
牡鹿のそばには、かわいらしい黒狐がちょこんと座っていた。まだ子どものようだ。
「そうだ。また、園に迷い込んできたようだ」
風子ネズミが黒狐に近寄った。
「こんにちは! あたし、風子だよ。あんたは?」
「……シン」
「よろしくね!」
リトはあきれた。こんなときにも風子はめげない。
園のどこでも自由に過ごしてよいと言われた一行は、日当たりのよい場所でゴロリと寝転びながら、相談しはじめた。
――ここは〈閉ざされた園〉。
かつて、ばあちゃんとスラを探しに行った場所だ。そのときは、戻ってくることができた。であれば、必ず脱出できるはず。
リトが長い耳を半分に折りながら、風子にそっと訊ねた。
「だけど、そのときは、トラネコの助けがあったんだよな?」
「うん」
「いまは何の助けがある?」
「うーん、ないよね」
「うちのばあちゃんですら、自力では脱出できなかったんだぞ! いったいどーする?」
風子ネズミは、そばの岩の上に寝そべるカメを見た。
「ディーンさんはどう思う?」
「ディーンでいいよ」
「うん! じゃ、ディーンならどうする?」
「うーん」と、ディーンカメが考え込んだ。
風子ネズミがつい見とれた。カメなのに、かっこいい!
すこし離れたところで、黒狐がこっちを窺っている。ひとりぽっちで来たばかりで、まだ知り合いがいないのだろうか。
「あの子、ここに来たいみたい」
「よせ! 秘密がバレるぞ」
「うん……でも……」
風子ネズミは黒い子狐が気になってしかたがない。
ふと思いついたように言った。
「あ、そうだ。このまえと管理人が違うよ。このまえは黒い狐だった。いまは角のある鹿……案内人は同じだけど」
「じゃあ、管理人が代わったってこと?」
「そうなのかも……」
リトがフッと考え込んで、黒狐を凝視した。
「まさか……まさかね」
「なにが?」
「いや、あの黒狐が成長したら管理人ってことあるのかな?」
「ここに成長なんてことあるの?」
「さあ、わかんないけどさ。ばあちゃんが言ってたろ? オレの叔父さんが、子どもの頃、〈園〉に消えていなくなったって。それでその〈園〉で見た管理人の黒狐が叔父さんだったって……叔父さんの名前はシンだ……」
全員が顔を見合わせた。
「うそっ? 時間が戻ってる?」
「そうかも……まあ、時空の歪みだモンね」
「だったら、あの子にいろいろ聞いた方がいいかもしれない」
■子狐
手招きすると、子狐はうれしそうに近寄ってきた。風子とモモと銀狼が気に入ったようだ。ほぼ同じ大きさのモモとさっそくじゃれあっている。
「どうやってここに来たの?」と風子ネズミが聞くと、子狐は無邪気に答えた。
「わかんない。森にいたら、ときどき、ここに来るんだ」
「ときどき? じゃ、もう何度もここに来たことがあるの?」
「ウン!」
「じゃ、帰り道もわかる?」
「ううん。園でぼうっとしてるといつの間にか森に戻ってるんだ」
「は……はあ。ぼうっとしてると、ねえ。いいなあ。森と園を行き来できるなんて」
「そうだろ? お姉ちゃんもそう思う? ボクもそう思うんだけど、おとなたちは危ないって。ボクを叱るんだ」
「誰に叱られるの? お母さん?」
「ううん。お母さんはいないよ。おばさんがいるけど、叱るのはおじさん」
「ふうん。寂しいね」
「ううん。寂しくなんかないよ。ボクにはお姉ちゃんがいるから」
「お姉ちゃんが大好きなの?」
「うん! 世界でいちばん好き!」
リトがビクッとして子狐を見た。この子がシン叔父さんなら、「お姉ちゃん」は母さんのはず。
リトウサギがおそるおそる訊ねた。
「キミのお姉さんってどんなひと?」
「すごく強くて、すごくやさしいんだ。とってもきれいだし」
「強いの?」
「ウン! ケンカはだれにも負けないよ。走るのも速い。武術の腕はピカイチだよ」
「けんかってだれと?」
「村の男の子たち。ボクをイジメるんだ。魔の子って。だから、お姉ちゃんがやっつけてくれる」
「魔の子?」
「ウン……ボクのホントのお母さんは悪い人だったんだって。お父さんはだれかわかんない。お母さんはボクを産む代わりに死んじゃったんだ。だから、ボクは悪い人の子どもで、その人を殺したもっと悪い子……」
リトは絶句した。
――とんでもないイジメじゃないか!
でも、あの雲龍の村でそんなイジメがあるなんて信じられない。
ディーンがノソノソと子狐に近づいた。
「嫌われたのは親の責任、死んだのは親の運命だ。子が背負う必要はないよ」
子狐がカメをじっと見つめた。カメも負けじと子狐を見つめた。
ツイと子狐が前足で、カメを押した。カメが岩から転がり落ち、甲羅を下にひっくり返った。
風子ネズミはあっけにとられた。
「なにすんの!」
ひっくり返ったカメは足をバタバタさせていたが、クロがヒョイと裏返してやった。カメはまだビックリしている。
風子ネズミが小さな手で、子狐の尻尾を掴んだ。
「あんた! そんなイタズラはダメだよ!」
子狐が振り返った。シッポを一振りすると、風子ネズミが飛ばされた。
「ヤダよ! コイツひっくり返って、おもしろいもん!」
即座にヘビが子狐の首に巻き付き、締め付けた。
「こやつっ! 玄武さまをどなたさまと心得る!」
「わあああ! 痛いよう!」
子狐がもがいた。
なりゆきを見ていた銀狼が割って入った。
銀狼はヘビを子狐から引き離したが、自分の後ろ足でシッポを踏みつけた。
「黒狐シンとやら。きちんとお詫びを申し上げなさい。ここにおられる方々は、おまえごときがかなう相手ではない」
子狐は涙目で銀狼を見上げた。銀狼は厳しい目をしていた。
「ごめんなさい……ちょっと遊んだだけなんだ……ボク、遊び相手がいないから……」
聞けば、村のいじめっ子たちが、カメをひっくり返して遊んでいたという。
風子ネズミが子狐に近寄り、その三角耳に向かって大声を張り上げた。
「そんなことしたら、いじめっ子と同じじゃん!」
三角耳がしおれるように横に下がった。
「ごめん……カメさん、ゴメンね」
ディーンカメが首を伸ばした。
「わかった。許すから、一つ教えてくれないか?」
「なーに?」
「キミは、河の向こうの森に行ったことはあるのか?」
子狐は、ブルッと身震いした。
「あるけど……」と言葉を濁す。
「薄暗くて、ヘンな動物ばっかり。ちょっと怖かった……」
リトウサギが訊ねた。
「ヘンな動物って?」
「こっちの園にはいないような動物……馬に羽があったり、虎だか人間だかわかんない姿だったり……みんな、ボクを睨むんだ」
ディーンカメが身を乗り出しながら聞いた。
「その森へはどうやって行ったのか?」
あっけらかんと子狐が答えた。
「河を飛び越えたの」
風子ネズミは改めて河を見た。ものすごく広い河だ。流れはさほど急ではないが、相当深そうだ。
「飛び越えた? この河を?」
「ウン! それで、また飛び越えて戻ってきた。森はあんまりおもしろそうじゃなかったから。こっちの園の方がきれいで明るいもん」
風子は頭を抱えた。
――あのきれいな「絵の森」とは違う別の森があるってこと?




