ⅩLⅡー4 朝靄の湖――描かれた大蛇、移された魂
■湖
朝靄が薄くかかる。
早朝の湖はひっそりと静まりかえっていた。
「さてと、説明してくれる? どうして大蛇に会う必要があるの?」
ディーンのまっすぐな目に、リトもまっすぐな目を向けた。
「風子ならきっと大蛇に会って、さらにその先に進んでると思うからだよ。風子は特別な子だから」
「特別な子?」
「うん。うちのばあちゃんによると、〈異能の媒介者〉らしい」
「〈異能の媒介者〉? 聞いたことないんだけど……」と、ディーンが首を捻った。
「オレも知らなかったけど、〈異能の媒介者〉は、異能者の荒ぶる〈気〉を抑えて、異能を最高度に発揮できる状態に導くことができるらしいんだ。つまり、異能者の守護者になる存在みたい。ただし、風子自身はその力を自覚してないんだけど」
「異能者の守護者?」
「そうだよ。カイやうちのばあちゃんみたいに、長年の訓練によって自分をコントロールできる者には風子のような存在は不要だ。だけど、未熟な異能者にとっては、風子がそばにいないと暴発するかもしれないんだって」
「暴発?」
「未熟すぎて、自分の異能の強さに自分の心身が破壊されるってことらしい。オレもその未熟者の一人ってわけ。具体的にはどうなるのかわかんないんだけど……」
「ふうん……きみが未熟者なら、ボクも未熟者ってことか」
「きみが未熟者かどうかまではわかんないけど、玄武は桁違いの異能者なんだって」
「そうなの?」
「うん。ばあちゃんが言ってた」
「……きみのおばあさんは、雲龍九孤族の宗主だって聞いたけど……物知りなんだね」
「そうだよ。ばあちゃんはものすごく博識だし、異能の力も段違いだ。〈九孤の賢女〉って呼ばれている。一度話してみたらいい。ばあちゃんは、以前からきみのことを玄武じゃないかって思ってたみたいだしね」
「え? そうなの?」
「うん。年末にルナ大神殿そばの飲み屋でみんなで宴会したんだろ?」
「うん」
「そのときに、ひょっとしたらって思ったみたいだよ」
「え……? どうして……? ボク自身が自分のことを何も知らなかったのに?」
困惑するディーンを前に、リトはちょっとだけニヤッとしてこう告げた。
「あの天月亀が〈気〉が見えるって言ってたろ?」
「うん」
「きみの〈気〉はカイにもオレにも見えないんだけど、うちのばあちゃんにはチラッと見えたみたい。〈気〉っていうのは生命力であって、精神力でもあるから、心が大きく動いたときに、チラリと揺らぐことがあるんだって。普段は見えない〈気〉でも、揺らいだときには、一瞬見えることがあるらしい。特にばあちゃんみたいに最高レベルの異能者には見えるらしいよ。でも確信は持てなかったみたいでさ。いろいろ調べたんだって。そしたら、黒い〈気〉の意味がわかったって言ってた」
「そうだったの……で、きみはそのことをいつ知ったの?」
「昨日だよ。大蛇のことでばあちゃんに相談したら、教えてくれた。風子を助け出すには、きみの力が必要だろうって」
ディーンはどこかホッとした。リトは、玄武目当てで自分に近づいたのではないようだ。
「おばあさんは、どうして、ボクが必要だって言うのかな?」
「玄武の力はすさまじいんだって。でも、きみはまだ覚醒したばかりだから、十分な力は使えないだろうってさ。だけど、大蛇の方は玄武の力を知り、その存在を感じることができるはずなんだって。だから、きみが近くに現れた機会を逃すはずはないだろうって。そして、きみに忠誠を誓うはずだって言ってた」
「そうなんだ……」
「それに、もっとすごいことがある」
「なに?」
「きみが玄武なら、四神が揃うらしい」
「四神?」
「うん。玄武、白虎、青龍、朱雀の四神」
「え?」
「四神が揃って、天満月が登場すれば、いろいろな秘密が解き明かされるんだって」
「秘密?」
「オレも詳しいことは知らない。カイの方が詳しいよ。戻ったら、直接カイに聞いて」
ディーンがぼそりとつぶやいた。
「……結局はカイなんだね」
「え? なに?」
「いや。ねえ、きみにとってボクはなに? ディーン、それとも、玄武?」
リトは迷わず言い切った。
「ディーンだよ。きみが玄武になったって、やっぱりディーンだ。でも、それってマズイのかな?」
ディーンの顔が輝いた。
「いや、マズくなんかないよ。ボクはディーン、きみはリトだ」
鏡のようだった湖面に波が立った。
一匹のヘビが姿を現した。小さなヘビだった。天月蛇よりもはるかに美しく、鱗は虹色に輝いていた。
ヘビはスイスイと水を切り、ディーンのそばに近づいてきた。
水から上がったヘビは、ディーンのもとにふれ伏した。
「偉大なる玄武さま。長い間、お待ち申しておりました」
■大蛇の洞窟
暗い洞窟に次第に目が慣れてきた。
ディーンとリトは連れだって、洞窟の奥深くにとぐろを巻く大蛇の前に立った。
大蛇が低いダミ声でディーンに詫びた。
「玄武さま。すみませぬ。本来なら武者姿でお迎えすべきところ、こんな姿でお目にかかり、申し訳ございませぬ」
「いや、かまわない」
大蛇がひたすら恐縮している。
迎えに来たヘビは、武者姿に変わっている。
「弟はもはやこの姿以外になることができませぬ。ご容赦くださいませ」
ディーンは傅いていた武者を立たせ、訊ねた。
「ボクが玄武と言われても、じつはよくわからないんだ。玄武にふさわしい異能もない」
武者が|頷きながら、言上した。
「ごもっともでございます。あなたさまは覚醒したばかり――玄武としてのお力は、これから徐々に発揮されていくことでございましょう。ご心配には及びませぬ」
「そうなの……じゃ、ボクたちがここに来た理由ももうわかってる?」
「はい、一昨日ここを訪れた三匹の獣のことでございますな?」
「獣?」
「銀狼、赤茶色の子イヌ、黒い痩せたネコでございます」
リトが声を上げた。
「えっ? クロたちがここに来たの? そのとき、女の子はいっしょだった?」
「いえ、三匹のみでござる」
「その子たちはどうしたの?」
「もうここにはおりませぬ」
武者姿のヘビが苦笑した。
「銀狼どのは其れがしの旧知の者――少し弟の相手をしてくだされと頼んだら、かなり派手に暴れてくれましてな。ほれ、この通り、洞窟の中でも硬い岩が崩れました。おかげさまで、天井が高くなり、久しぶりに、弟も身動きできるようになったというもの」
「へええ。じゃ、そのときに湖もできたの?」
「いえ、違いまする。弟がやり込められた後、弟が守っておった扉が開いた時でございます。洞窟全体はもとより、われらが結界を張って守ってきた神域全体が大きく揺れました。そのときに地底湖の一部が地表に露出したと思われまする」
「扉が開いた?」
武者が大蛇の背後を指さした。
「ほれ、向こうの岩戸でございます」
「ええっ? あの岩戸が開いたの? ものすごく頑丈に見えるけど」
「わしも腰が抜けるほど驚きました。岩戸が開いたのを見たのは、この洞窟に入って以来、はじめてでございまするゆえ」
「近くで見てもよいか?」と、ディーンが言った。
岩戸は分厚く、ビクともしない。その正面には奇妙な文様が刻まれていた。
「ねえ、クロたちはどうやって、この扉を開けたの?」とリトが聞く。
「わしにもよくわからないのですが、赤茶色の子イヌが何かを叫んだときに、扉がスッと開いて、三匹は扉の向こうに吸い込まれました」
「扉の向こうには何があるの?」と、ふたたびリト。
「森があるということ以外はわかりませぬ。わしらも行ったことはありませぬゆえ。ただ、わしらを不老不死にしてくれた者が森の支配者であるようでして、わしらを不老不死にするかわりに、わしらが森を守るという契約を交わしたのでござりまする」
「森……か?」
「リト、何か心当たりがあるの?」
「心当たりと言えるかどうかわかんないけど、この銀月の世界と異世界たる緋月の世界との間に狭間空間があるらしくてさ。それが園だったり、森だったりするみたい」
「じゃあ。扉の向こうはその狭間時空?」
「その可能性があるかなって」
「森の長はいかなる者であったのか?」と、ディーンが武者に尋ねた。
「二十歳代半ばの青年でございました。繊細な美青年で、さまざまなものを生み出す力を持っているようでした」
「生み出す力? 創造主ってこと?」
「創造主かどうかははっきりしませんが、長たる青年は、森や湖や獣を描き、それに命を与えることができるのです。わが兄弟も瀕死のところを救われ、描かれた大蛇に魂を移して、今まで生き延びてまいりました」
「魂を移す?」
「〈月の一族〉に伝わる異能のようです。弟は完全に大蛇に転じましたが、わたしは大蛇と小ヘビのどちらにもなれますし、こうして元の武者姿にも戻れます。二人とも大蛇のままでは不都合だろうとの長どののご配慮でございました」
リトとディーンは顔を見合わせた。
――〈月の一族〉の異能……?




