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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第四十一章 〈禁忌の森〉ふたたび
242/275

ⅩLⅠー5 大蛇と三匹の獣たち――モモの決意、クロのためらい、そして、大蛇が動いた

■大蛇

 くわっと大きな口を開けた大蛇の頭が、銀狼の前に一気に振り下ろされた。


――もうダメだ!


 クロは目を閉じて身をすくめた。モモは震えながらも頑張って目を見開き続けた。


 不思議なことが起こった。

 大蛇が動きを止めたのだ。舌先だけがチョロチョロと動いていた。


――え?


 モモは大蛇の舌先に目を移した。銀狼の耳があった。銀狼はピンと耳をたて、その耳を大蛇が舐めていたのだ。


――えええっ?

 モモの大声にクロも目を開けた。

「ありゃ? 喰われてねえぞ! もうオレは死んだのか?」

 そう言いながら真正面に大蛇の口を見たクロは、ふうーっと気を失った。


「銀狼のおばちゃん……?」


 銀狼は大蛇が耳を舐めるに任せている。しばらくすると満足そうに大蛇が口を閉じた。

「久しぶりだな」

「ええ、お久しぶりです」


「えええっ?」

 モモはクロを揺り起こし、二匹は銀狼と大蛇を何度も交互に見た。

「ど……どういうこと?」


「こちらの大蛇どのは、わたしの旧友なのですよ」

 クロが恨めしそうに愚痴った。

「えーっ! そんならそうと早く言ってくださいよ。命が縮みましたぜ」

「すみませんね。でも、天月山には大蛇がもう一匹いるのです。そのどちらかわかりませんでしたからね」

「も……もう一匹?」

 クロがひっくり返りそうになった。


 大蛇が口を開いた。野太い低い声だった。

「そうじゃ。おい、そこの軽そうな黒いの、そんなに驚くな。わしともう一匹の大蛇は双子でな。いまは眠っておる。わしはいたっておとなしいが、弟はヤンチャで、暴れん坊じゃ」

「お……おとなしいって、生け贄を食らうんじゃねえの?」と、クロは後ずさりしている。

「そんなもの食らうはずがなかろう。生け贄を食らうのは弟の方じゃ。やめとけと何度言い聞かせても聞く耳持たん。そのせいか、ますます凶暴になりおったわい」


 クロがおそるおそる訊ねた。

「で、いま、その怖いヘビさんはどちらに?」

「奥の洞窟じゃ。起こすか?」

「と、とんでもない! さっさと戻りたいんですが!」

「戻る?」

「へい! 地上に!」

「ムリじゃな」

「え、ええええっ?」

「いちいちうるさいヤツじゃな」

「だ、だってえええ!」

「そんなに大声で騒いだら、弟が目を覚ますぞ」

「ひえっ……ご勘弁を!」


■大地が割れた理由

 銀狼が丁寧な物腰で願いを述べた。

「大蛇どの。どうか教えてください。そもそも、わたしたちが天月山の奥深くに入ってきたのは、天月山のある谷の近くで大地が割れて、ある少女が大地に飲み込まれたため。その子を探し求めています。なにかご存知ではないですか?」


「大地が割れただと? いつのことだ?」

「四日ほど前のことです。月蝕でもないのに、銀月と緋月が一瞬交差したとか」

「なんだと? 二つの月が交差したのか?」

「さようです」

 大蛇は考え込んだ。


「天月山は堅固な岩山じゃ。多少の地震くらいではビクともせん。おまけに、この数百年、山に地震など起こっておらん。地震でないとすれば、考えられるのは二つ」

 モモがつぶらな瞳で大蛇をじっと見上げた。大蛇が思わずニッとモモに笑いかけた。多少不気味だが……。モモも「ワン!」と笑い返した。


「一つは、弟がかんしゃくを起こした場合――弟は、気に食わぬことがあると、うなり声を上げ、身体を震わせて、その余波で山の一部に亀裂が入ることがある。じゃが、この半年ほど、弟はずっと眠っておる。かんしゃくを起こしたはずはあるまい」

「なるほど」


「いま一つは、この洞窟と重なり合っておるもう一つの世界に何らかの異変が生じた場合じゃ」

「もう一つの世界とは?」

「深い森よ。〈禁忌の森〉とも呼ばれる異世界じゃ。緋月の世界への入り口があるとも言われる」

「では、その異世界に起こる異変とは?」


「うーむ。異変そのものはわしにもよくわからん。じゃが、〈禁忌の森〉は、ときどき不規則に開くぞ」

「わたしたちも行けますか?」

「行けぬことはないだろうが、戻ってこられるかどうかはわからんぞ。わしも行ったことはない」

「不規則に開く入り口とはどこにあるのですか?」

「聞かぬ方が良いのではないか?」


「ねえ、おじいちゃん、どこ?」と、モモが訊ねた。

「おうおう、この子はかわいいのう!」


 大蛇は首を後ろに向けた。

「あっちじゃ」

「あっちって……」と、クロが青ざめた。

「まさか、怖いヘビさんのいるところ?」

「そうじゃ。入り口は、弟が塞いでおる。弟をどけない限り、森へは行けぬだろうよ」


 銀狼はモモに聞いた。

「どう? お母さんの匂いがする?」

「うん! 向こうのほうで匂いがする!」

「それじゃ、行くしかないですね!」

「おいおい、銀狼よ。あんたまで行くのか? 冥土か地獄に行くようなもんだぞ」

(ここも十分地獄だよ!)とクロがつぶやいた。


「はい。ただ、この二匹を守るために、弟の大蛇さんと戦わねばならないかもしれません。よろしいのですか?」

「なるほどの。攻撃はせんが、防御はするということじゃな」

 銀狼は微笑んだ。


「弟は手強いぞ。天月山で史上最強の銀狼といえども、勝てるかどうかはわからんぞ」

「勝つつもりはありません。この子たちを守るだけですので」

「ほ、ほう! さすがじゃな。銀狼。見上げたものじゃ。あんたなら、大丈夫じゃろう。この山に籠もって数千年――弟は、自分を負かす者はおらぬと驕り高ぶっておる。ちっとはお灸を据えてやってくれ」


 クロはモモにしがみついた。

(お灸って……生け贄をたらふく食らう大蛇だぞ。何千年も生きてきた大蛇だぞ。いくら銀狼が強くたってかなうはずないじゃないか!)


 モモがクロを振り落とした。

「クロ兄ちゃん、ジャマ! あたしたちも頑張らなくっちゃ!」

「頑張るって……おまえ、そんな小っこい身体でムリに決まってるだろ!」


 大蛇が、おもしろそうに二匹のやりとりを見物している。

「やるっきゃないの!」

「う……お、おまえ、そーいう無鉄砲なとこ、風子にそっくりだな!」

「うん! お母ちゃんの娘だもん!」


 大蛇がにやついた。

「おう、黒いの。この小っこい犬ころがこうまで言ってるんだぜ。おまえはどーすんだ?」

 銀狼もじっとクロを見ている。無理強いするつもりはないとでも言いたげだ。


 クロは腹をくくった。

「ようし! こうなりゃ、やけくそだ! やってやろうじゃないの!」

「決まりだね! 大蛇のおじいちゃん、行き方を教えて!」


■奥へ

 洞窟の奥は湿った淀んだ空気に満ちていた。イヤな匂いがどんどん強くなる。やがて、大きなうなり声が聞こえてきた。イビキだった。


 とぐろを巻いて眠りこけている大蛇は、先ほどの兄大蛇とはずいぶん見た目も違う。兄大蛇は、きれいな銀色の鱗だったが、弟大蛇の鱗は薄汚れてヘドロ色だ。異常に太っている。周りも汚泥ばかりで、ところどころに骨が転がっている。ゾッとするほど醜悪な雰囲気だった。


 異世界の森への入り口は、大蛇の向こうの岩壁のようだ。だが、太りすぎた大蛇は動く気配もなく、向こうに通り抜ける空間すらない。


 足元の泥がまつわりつく。ヒルだろうか。奇妙な生き物もいるようだ。クロがさかんに払いのけている。


 三匹は途方に暮れた。

 大蛇の向こうに行くには、大蛇を起こして、その太った身体をどかさねばならない。だが、ひとたび眠りから起こされた大蛇が黙っているはずはない。

 兄大蛇は三匹にこう注意した。

「あいつは、寝ているところを起こされるのが一番嫌いなんだ。ものすごく怒りまくって、辺り一帯吹き飛ぶぞ」


――粗暴な凶悪ヘビ。


 どうしたものか。

 銀狼は慎重に周囲の壁を見定め始めた。


 セイばあちゃん特製の眠り薬は持参した。

「これはな、月香草と天月草と天月茸を混ぜて作った眠り薬じゃ。戦いには役に立つじゃろう。じゃが、注意せよ。この薬が効果を持つのは体重一トンくらいまで。しかも一時間ほどじゃ。それ以上の大きさになると、よほど体力が落ちてからでないと効き目はないぞ」


 目の前の大蛇は、五トンは下るまい。眠り薬はトドメにとっておくしかなかろう。


「ニャゴッ!」

 クロが思わず大声を上げた。

 モモがヒル集団に襲われそうになったのを必死で払いのけたのだ。


 ノソリ。塊が動いた。

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