ⅩLⅠー4 〈禁忌の森〉の長一族――天月山の地下洞窟に眠る大蛇
■洞窟の音と匂い
深い闇の底へと銀狼が岩を蹴りながら下りていく。
銀狼のたてがみにへばりつくように必死で堪えながら、モモとクロは声も上げず、目も伏せて、ひたすら銀狼にすべてを委ねた。
ストン!
衝撃はなかった。
柔らかな感触の地面に着地したようだった。
あたり一面、ヒカリゴケがうっすらと七色の光を発している。
「うわ……! キレイ!」
銀狼の背から飛び降りたモモがうれしそうに足を踏みしめた。足の肉球の下はひんやりと柔らかいが、湿ってはおらず、草がからむ感触もない。
「けど、あのイヤな臭いがする! 探していた匂いの大元がいるんじゃねえかな?」
クロがしきりに鼻を鳴らしながら、顔をしかめた。
「うん、でも、お母ちゃんの匂いもするよ。ほんのちょびっとだけど……」
モモがそう言って、銀狼を見た。
銀狼は、じっと遠くの一点を凝視していた。
――そうだった! これから、大蛇のエサになるかもしれない!
モモとクロは身体をすくめた。
いきなり、クロは岩を登り始めた。だが、ズルズルと落ちてしまう。モモがクロのシッポを前足で押さえた。
「クロ兄ちゃん。ジタバタしてもムダだよ」
「お、おまえは平気なのか? エサになるんだぞ。喰われるんだぞ!」
「戦おうよ! 銀狼のおばちゃんは戦えないけど、わたしたちは何も約束してないもん!」
「う……そりゃ、そうだ」
銀狼の視線の先には横穴が伸びていた。かなり大きな洞窟で、奥へと長く伸びているようだった。直線で見通せるわけではない。枝分かれもしているようだった。
「ついてきなさい」
銀狼の言葉に、二匹は素直にしたがった。銀狼は寡黙だが、その言葉には抗えない力が宿る。
似たような景色が続いたが、突然、まぶしいほど明るくなった。
広く大きな空間に出たようだった。
目が慣れてくると、そこはただ、だだっ広いだけの空間だった。
「耳をすませて音を聞いて! できるだけ遠くまで匂いを嗅いで!」
銀狼の言葉に、モモもクロも精神を研ぎ澄ませた。
静かだと思っていた空間は、かすかな音に満ちていた。モモが答えた。
「いろんな音がするよ。サーッ、ピチョン、シュー、ザザッ……」
景色のない殺風景な空間は、カラフルな匂いを漂わせていた。クロがつぶやいた。
「黒色、灰色、朱色、いろんな緑、黄金色、白銀の色……瑠璃色もある」
突然、クロが叫んだ。
「うわああああ! 出たあ!」
岩だとばかり思っていた大きな塊がのっそりと動いた。真ん中から何かが上がってくる。
楕円形の膨らみの両脇には、灼熱の火に熱せられたガラスのような二つの玉が見えた。
その玉で三匹の姿を捉えたのか。
くにゅりと首が曲がり、三匹に顔を近づけてくる。さっきまで開いていなかった口がかぱっと大きく広がり、中から朱色の舌がするすると伸びてきた。
クロは震えながらモモにしがみつき、モモは四つの短い足で踏ん張って、巨大な怪物を見上げた。
銀狼は、二匹を守るように怪物の前に立ちはだかった。
■銀の髪と緋の瞳
「こんにちは。わたし、風子。あなたは?」
忘れ得ぬ少女に出会った風子は夢心地だった。
幼い時には問うこともできなかった。でも、今はできる。年の頃はほぼ同じ――十五歳くらいだろう。
銀の髪と火の瞳をもつ少女は、抑揚のない声で答えた。
「わたしには名はない」
さっきの奇妙な少女よりも低い声だった。アルトの含み声で、じんわりと胸に染み入る。
「じゃあ、わたしが名付けてもいい?」
「名付け?」
「ウン! あなたの呼び名! リクって呼んでもいいかな?」
「リク……?」
「あなたは、わたしの友だちに似ているんだ。イヤだったら、別の名前を考えるよ」
少女は少し考えたようだった。
「いや、いい。リクでかまわない。あなたは……風子、だったか?」
「うん! よろしくね!」
そばでキキは目を丸くしていた。
(このお方は、〈禁忌の森〉を統べる長さまの妹君。それをまあ、気軽に友だち呼ばわりかい!)
「ねえ、ここは〈禁忌の森〉なんでしょ? ここのことを教えて!」
「なぜだ?」
「知りたいもん。何にも知らなけりゃ、この森から出る方法もわからないでしょ?」
「森から出たいのか?」
「うん! わたしの世界には、いっぱい友だちがいるもん。みんなのところに戻りたい!」
向こうから、一人の青年が姿を現した。二十歳くらいか?
「兄さま」
少女が膝を折って、挨拶した。
「おや、その子は?」
青年は、美麗な顔を風子に向けた。やさしげな声だ。
どこかなつかしい。
「風子と言います!」と、風子は元気よく挨拶した。
「風子。わたしも妹も名を持たぬ。この森では、ほとんどの者が名を持たぬ。かつていた世界のときの通り名を覚えているキキは例外だ」
「兄さま。いま、その子がわたしに名付けをしてくれたのです」
「名付け、だと?」
「はい。リクという呼び名を与えてくれました」
「そなたはそれを受け容れたのか?」
「はい」
青年は、妹リクと新参の風子を見て、ゆっくりと微笑みを浮かべた。
「そうか……そういうことであれば、そなたを大切に迎えねばならぬな。二人ともついてまいれ。キキも一緒だ」
青年が手を挙げると、また景色が一変した。壮麗な宮殿の中だった。
――いつか見たことがあるような気がする。
風子はそう思いながら、あたりをぐるりと見回した。
多くの人や動物が行き交っている。
でも、みんなすこしずつ奇妙だ。人に鹿の角が生えていたり、耳がウサギのように長かったり。動物は、大きさがまちまちだ。ふわふわの毛をもつ大きなネズミが二本足で歩いている。クマはぬいぐるみのように小さく可愛らしい。上半身が人間で下半身が馬のケンタウルスのような者もいる。
改めて青年と少女が、風子の前に立ち、椅子に座るよう勧めた。
少女の瞳が緋色というのもめずらしいが、青年の耳はイヌのようにすこし尖っていた。髪の毛は金色だ。
風子はワクワクしていた。
幼いときに大ばあちゃんから聞いた物語そのままの生き物たちが目の前にいた。
森の世界は、母が残してくれたキサラギ・シンの絵本さながらの美しい色彩豊かな世界だった。キサラギ・シンの絵本は、ルナ神殿の発掘をきっかけに着想されたと聞く。たしかに、〈蓮華〉の仲間と一緒に調べたルナ神話やルナ神殿のモチーフが実体となって姿を現していた。
目をキョロキョロさせながら興奮気味の風子を、青年はおもしろそうに眺めていた。
■楽園の危機
「楽しそうだな」と、青年が風子に笑いかけた。
「ハイッ! ずっと物語や絵本の中で想像していた世界が広がってるんですから、うれしくてたまりません!」
「そなたが予想していた通りの世界なのか?」
「はいっ!」
青年は思案気に目を伏せた。風子は明るい笑顔だ。
キキは思った。
(さっきまで泣きべそをかいていたのは、どこのどいつだ?)
青年が立ち上がって、バルコニーに風子を誘った。
「向こうを見よ」
はるか遠くまで森が広がる。
さらに遠くは霞がかかっているようだ。
「霞がかかってるみたいですね」
「霞……そなたには、そう見えるのか?」
「はい。違うんですか?」
「あれは、世界が欠けつつあるのだ」
「世界が欠ける?」
「うむ。いつか、この世界は消えるだろう」
「そんな! そんなのダメですっ! こんなにきれいで、こんなに豊かな世界が消えるなんて!」
「そなたは本気でそう思うのか?」
「もちろんですっ!」
青年が手を挙げると、また変わった。部屋には、青年とリク、風子とキキしかいない。
「秘密の話ゆえ、空間を閉ざした。心配するな。話が終われば、またもとに戻るゆえ」
「そなたがここに来たのは偶然ではない」
「え?」
「わたしが呼んだのだ」
「呼んだ?」
「〈禁忌の森〉を知り、それを大事に思ってくれる者が必要だったからだ」
「それが、わたし?」
「うむ」
「銀月と緋月の二つの世界のことは知っておろう」
「はい」
「二つの世界の緊張が高まっている。二つの世界が接触したら、この森は消える。二つの世界も無事ではすまない」
「どうしたらいいんですか?」
「五枚の神聖石盤が揃い、古代五族が集って協力すれば、活路は開けるだろう。知っておるか?」
「神聖石盤? 古代五族? 櫻館でちょっと学びましたけど……」
「そうか」
「神聖石盤はまだ揃っていないし、五族も〈土の一族〉と玄武が不明、天満月もわからないって聞きました」
「おおむねその通りだな」
「おおむね?」
「うむ。〈土の一族〉は天月に存在するからだ。だが、公にはなっていない」
「どういうことですか?」
青年はしばし目を閉じ、おもむろに語り始めた。
「天月に天月仙門が成立するはるか昔、蓬莱地域は〈土の一族〉が支配した。まだ、島が大陸とつながっていた頃のことだ。だが、大地震で土地が割れ、大津波で都は沈んだ。それは、〈土の一族〉と他の一族との争いでもあったのだよ。〈土の一族〉は強大な暴力と破壊の異能を持った。これゆえ、他の一族を脅かす存在となっていたのだ。他の一族は結束して、おごり高ぶった〈土の一族〉を破り、天月山の地下に封じ込めた。二度と現れぬように、入り口は固く閉ざされ、いつの間にか、だれにもその入り口すらわからなくなってしまった」
「ふうん」
「いつしか、〈土の一族〉の長は大蛇に姿を変えた。そのとき無数の小さなヘビが生まれた。地上の他の一族を偵察するためだった」
「そうだったんですか」
「だが、失敗した。地上に出ることができたのは、天月蛇だけだったからだ。天月蛇は、小さいが、最も賢く、最もおとなしいヘビだった。小ささは利点にもなる。天月蛇はわずかな隙を見つけて、地上に出ることに成功した。だが、ひとたび地上に出ると、もはや地中に戻ることはかなわなかった。やむなく天月蛇は高く高く這い上り、天月の山頂に居着いたのだ」
「へええ」
「天月蛇の長は、大蛇のことを決して語らぬようヘビたちに固く命じた。そして、年に一度、大蛇に地上の報告を行い、生け贄を捧げて、一族を存続させてきた」
「〈土の一族〉って、そんなに嫌われ者だったんですか?」
「そうだな。だが、歴史も神話も勝者が作るもの。どの立場にあるかによって、見える真実は異なる」




