ⅩLⅠー3 叡智と狡智――銀の瞳と緋の瞳をもつ少女
■叡智と狡智
「ウーッ!」
天月山の山頂近い岩穴――銀狼の後ろで、突然、うなり声がした。モモだ。モモが、ヘビ長に唸り声をあげている。
「お、おい!」と、クロがあわててモモを抑えようとした。
コロリ! クロが払いのけられた。
銀狼が思案げにそれを見ていた。
何かを察知したのか、銀狼はサッと身を翻し、モモとクロの前に立ち、二匹を守るように、ヘビ長に対して攻撃姿勢をとった。
ヘビ長が驚いたように訊ねた。
「銀狼どの、なにをするつもりじゃ?」
「二匹を守るのです。あなたこそ、何者ですか?」
「わしは、天月蛇の長じゃ。見て分かろうが!」
銀狼の後ろで、モモが叫んだ。
「このヘビ、おじいちゃんヘビじゃないよ! さっき、入れ替わった!」
クロがクンクンと匂いを嗅いだ。モモの陰から首だけを突き出し、クロも言った。
「ホントだ! さっきと微妙に匂いが違うぞ!」
銀狼がヘビ長を睨み付けた。モモのうなり声など遠く及ばないほど、低く、太く、怖ろしげなうなり声が洞窟中に響いた。
「やむをえんな」
ザザーッと音がした。洞窟の中に潜んだ大量のヘビが姿を現した。
「銀狼どのならよく知っておろう。我が天月蛇の毒は侮れないと」
モモは震えながらも、気丈に立っている。クロは腰が抜けて、モモにしがみついている。
銀狼は、隙を見せず、大きな体躯で、二匹を守ろうと立ちはだかったままだ。
「ならば、おまえたちも知っておろう。天月蛇の毒は、わたしには効かないと」
「むろん。だが、その二匹はすぐにあの世行きだぞ」
じりじりとヘビたちがモモとクロに迫ってくる。
「動くな!」と二匹に命じたあと、銀狼は向かってきたヘビたちを次から次へとかみ殺した。
ヘビたちは怖じ気づいたのか、動きを止めた。
ヘビたちの中央が空き、一匹のヘビがこちらに向かってきた。
「長! どういうつもりか?」
本物の長だった。身代わりの長は、本物に場所を譲った。
「我が一族を守るためじゃ。そなたに害を加えるつもりはない。だが、そこな二匹を見逃すわけにはゆかぬ」
「なぜ? 何の力もない者たちです」
「ここまで来たからじゃ。大蛇さまとの約束なのじゃ」
「約束?」
「さよう」
長は、こう告げた。
「天月蛇は、大蛇さまの僕――地上に出てからは、年に一度、大蛇さまにさまざまな報告をお届けし、生け贄を捧げてきた。ところが、このたび、生け贄に予定されていたヘビの一匹が逃げ出した」
「えっ? それって、あの資料館のヘビのこと?」とモモが思わず声をあげた。
長は、落ち着き払っている。
「さよう。大蛇さまがお怒りになっての。ヘビは要らぬ。代わりに、珍しい獣を二匹用意せよと申された」
銀狼が、冷ややかな声で長に問うた。
「それが、このネコとイヌなのですか?」
「うむ。ずっと代わりの生け贄を探し求めてきたが、どの獣を捧げても、大蛇さまのお気に召さぬ。困り果てていたところに、そなたたちが転がり込んできたというわけじゃ。銀狼どのを差し出すわけにはゆかぬ。銀狼どのであれば、大蛇どのと戦い、傷を負わせてしまうであろうからな。だが、そこな二匹であれば、力も異能もない。わしら山の生き物にとっては、じつに珍しい獣じゃ。痩せた黒いのはあまりうまくないであろうが、赤茶色の方は、柔らかく美味であろう」
モモとクロがブルブル震えた。
(大蛇のエサになっちゃうってこと?)
銀狼の目は怒りに震えていた。
「天月蛇は叡智の生き物と聞いておりましたが、よもやわれわれを騙すとは……」
「狡智も知恵じゃ。叡智と狡智は表裏の関係――そなたが素朴すぎたようじゃな」
「この二匹を渡すわけにはまいりません。わたしを生け贄として捧げるがよろしかろう。抵抗もしません」
「ほう……! それは、主人レオンさまへの義理立てか?」
「いえ、自分の不明の後始末を自分でつけるだけのこと」
「ふむ……そうじゃな。ここで二匹を捕らえて生け贄にすれば、わが一族にも甚大な被害が出よう。そなたが大暴れするだろうからの。銀狼は、天月山の百獣の王。他の動物たちも黙っておるまい」
「……また、狡智ですか?」
「そうよの。どうすれば良いかの? そなたが二匹をすんなり渡すはずがなかろうからの」
「われわれをもとの場所に戻すつもりはないようですね」
「さよう。生け贄が必要じゃからな」
「では、こうしましょう。われわれ三匹を大蛇のもとに送ってください」
「そんなことをすれば、大蛇さまを傷つけ、天月蛇は全滅してしまうではないか」
「大蛇に攻撃は加えぬと約束しましょう」
「約束? もし違えたら?」
「銀狼が約束を違えたことがありますか?」
「ないの……よし、では、ついてまいれ。みなの者、いっさい手出しをするな。大蛇さまには健康な生け贄が必要だからな。ただし、入り口は隙間がないようにピッタリと防げ。もしどれか一匹でも逃げ出したら、すぐに噛み殺せ」
クロがビビり上がってモモに囁いた。
(オレたち、喰われちゃうの?)
モモはすでに冷静になっていた。
(ううん。きっと、狡智には狡智で報いるってことだよ)
洞窟の奥に来た。
天月蛇の長が、銀狼に告げた。
「ここから飛び降りよ。さきほどそなたたちがいた断崖に行き着くだろう。だが、出入り口はない。ひとたび下りたら、ここに上がってくることも叶わぬ」
闇が深く深く鎮まっている。
銀狼は、モモとクロに背に乗るよう促した。
「行くぞ! わたしの背にしっかりとつかまれ!」
■銀の髪と緋の瞳
――〈禁忌の森〉。
キキがシッポを振った。景色がまた一変した。
懐かしい四国の山の中だった。一面の山櫻だ。この世界では、季節の理がないようだ。
風子は森へと歩みを進めた。そばにキキが付き添う。
「ほれ、足もとに気をつけろ。ところどころ、ぬかるみがあるぞ」
「うん!」
しばらく歩くと、少し高台に出た。森と里が見渡せる。どこもかしこも櫻で覆われていた。
「うわあああ、キレイ!」
「そうじゃな。見事な櫻じゃ。わしも初めて見るわい」
「ねえ、キキばあちゃんは、もともとここにいるって言ったけど、わたしが大ばあちゃんとこの島に来てから十カ月にもならないよ」
「ほう、十か月か……ここでは時空が歪むでの。わしも時を数えたことはない」
「ふうん」
「時はたしかに流れるが、年や月日をつけたのは人間の都合にすぎん。ここは、人間が支配する世界ではないからの。人間の常識は通用せん」
「ふうん、そうなんだ。じゃあ、元の世界の記憶はないの?」
「いや、あるぞ。まだ残っておる。じゃが、わしのように、外から来て、記憶を残す例は珍しいらしい」
「へえ、そうなんだ」
「いつだったかははっきりはせんが、わしはオロに拾われたんじゃ」
「オロに?」
「オロ一家も放浪の一家でな。あちこちをさまよった挙句、島に流れ着いた。オロがわしを拾ったもんじゃから、一家みんなで島に居つくことになった。ネコを連れて放浪は難しいからのう」
「ふうん」
「おお、だんだん思い出してきたぞ。オロはまだ小さかった。五歳くらいかのう。利発じゃが、落ち着きのない悪ガキでな。じゃが、わしにはやさしかったぞ。わしが事故に遭いかけた時、オロは時間を止めて、わしを守ってくれた」
「時間を止める? オロが?」
「そうじゃ。知らんかったのか?」
「オロが龍族だっていうのは知ってる……でも、どんな力を持っているかはよく知らない」
「そうか。まあ、それもええじゃろ。人間を超えた力を発揮すると、心も身体も痛めるからの」
「危ない力ってこと?」
「そうじゃな。一人では危ない。じゃが、オロにはおまえもいるし、ほかにもいろいろな異能者がそばにおるようじゃ」
「知っているの?」
「ある程度はな。ここからは時々、おまえたちの世界が見えるんじゃ」
「そうなの?」
「おまえたちの世界からも、ほんとは時々見えておるんじゃぞ。ただ、それを夢とか、幻と言うとるだけじゃ」
「ねえ、じゃあ、わたしもみんなを見ることができる?」
「できるが、今すぐにはムリじゃな。月の加減があるからのう。この世界では月は満ち欠けをせんが、多少、明るくなったり、暗くなったりはする。おまえがここに来たときは、一番明るかった時じゃ。次にもう一度明るくなったら、光の向こうにぼんやりと見たいものが見えるぞ」
風子は空を見上げた。太陽だと思っていたまぶしい丸いものは、月だった。いまはまぶしさが落ち着き、緋月が輝いている。世界は十分に明るい。
「つながってるってことだよね? この世界と元の世界は、つながってる!」
「突然、何を言い出す?」
「うん! つながってさえいれば、必ず戻れる!」
風子は、老ネコキキの手(前足)を取って、ほがらかな笑顔を見せた。
(ほう! この子はいたって素直で前向きな子じゃな。あのきかん気のオロのそばにおれるはずじゃ)
ふと気配がして振り向いた。
風子は固まってしまった。
――あの人だ!
五歳の時、〈禁忌の森〉に迷い込んで出会った忘れえぬ人――ただ一人鮮明に記憶に残る人!
銀の髪と緋の瞳をもつその人は、静かに立ち尽くし、風子とキキを見ていた。長い髪がさらさらと風になびく。だが、緋の瞳は瞬きもせず、いっさいの感情を映さない。




