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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第四十一章 〈禁忌の森〉ふたたび
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ⅩLⅠー3 叡智と狡智――銀の瞳と緋の瞳をもつ少女

■叡智と狡智

「ウーッ!」

 天月山の山頂近い岩穴――銀狼の後ろで、突然、うなり声がした。モモだ。モモが、ヘビ長に唸り声をあげている。

「お、おい!」と、クロがあわててモモを抑えようとした。

 コロリ! クロが払いのけられた。


 銀狼が思案げにそれを見ていた。

 何かを察知したのか、銀狼はサッと身を翻し、モモとクロの前に立ち、二匹を守るように、ヘビ長に対して攻撃姿勢をとった。


 ヘビ長が驚いたように訊ねた。

「銀狼どの、なにをするつもりじゃ?」

「二匹を守るのです。あなたこそ、何者ですか?」

「わしは、天月蛇の長じゃ。見て分かろうが!」


 銀狼の後ろで、モモが叫んだ。

「このヘビ、おじいちゃんヘビじゃないよ! さっき、入れ替わった!」

 クロがクンクンと匂いを嗅いだ。モモの陰から首だけを突き出し、クロも言った。

「ホントだ! さっきと微妙に匂いが違うぞ!」


 銀狼がヘビ長を睨み付けた。モモのうなり声など遠く及ばないほど、低く、太く、怖ろしげなうなり声が洞窟中に響いた。

「やむをえんな」

 ザザーッと音がした。洞窟の中に潜んだ大量のヘビが姿を現した。


「銀狼どのならよく知っておろう。我が天月蛇の毒は侮れないと」

 モモは震えながらも、気丈に立っている。クロは腰が抜けて、モモにしがみついている。

 銀狼は、隙を見せず、大きな体躯で、二匹を守ろうと立ちはだかったままだ。

「ならば、おまえたちも知っておろう。天月蛇の毒は、わたしには効かないと」

「むろん。だが、その二匹はすぐにあの世行きだぞ」


 じりじりとヘビたちがモモとクロに迫ってくる。

「動くな!」と二匹に命じたあと、銀狼は向かってきたヘビたちを次から次へとかみ殺した。

 ヘビたちは怖じ気づいたのか、動きを止めた。


 ヘビたちの中央が空き、一匹のヘビがこちらに向かってきた。

「長! どういうつもりか?」

 本物の長だった。身代わりの長は、本物に場所を譲った。


「我が一族を守るためじゃ。そなたに害を加えるつもりはない。だが、そこな二匹を見逃すわけにはゆかぬ」

「なぜ? 何の力もない者たちです」

「ここまで来たからじゃ。大蛇さまとの約束なのじゃ」

「約束?」

「さよう」


 長は、こう告げた。

「天月蛇は、大蛇さまの僕――地上に出てからは、年に一度、大蛇さまにさまざまな報告をお届けし、生け贄を捧げてきた。ところが、このたび、生け贄に予定されていたヘビの一匹が逃げ出した」

「えっ? それって、あの資料館のヘビのこと?」とモモが思わず声をあげた。

 長は、落ち着き払っている。

「さよう。大蛇さまがお怒りになっての。ヘビは要らぬ。代わりに、珍しい獣を二匹用意せよと申された」


 銀狼が、冷ややかな声で長に問うた。

「それが、このネコとイヌなのですか?」

「うむ。ずっと代わりの生け贄を探し求めてきたが、どの獣を捧げても、大蛇さまのお気に召さぬ。困り果てていたところに、そなたたちが転がり込んできたというわけじゃ。銀狼どのを差し出すわけにはゆかぬ。銀狼どのであれば、大蛇どのと戦い、傷を負わせてしまうであろうからな。だが、そこな二匹であれば、力も異能もない。わしら山の生き物にとっては、じつに珍しい獣じゃ。痩せた黒いのはあまりうまくないであろうが、赤茶色の方は、柔らかく美味であろう」


 モモとクロがブルブル震えた。

(大蛇のエサになっちゃうってこと?)


 銀狼の目は怒りに震えていた。

「天月蛇は叡智の生き物と聞いておりましたが、よもやわれわれを騙すとは……」

「狡智も知恵じゃ。叡智と狡智は表裏の関係――そなたが素朴すぎたようじゃな」


「この二匹を渡すわけにはまいりません。わたしを生け贄として捧げるがよろしかろう。抵抗もしません」

「ほう……! それは、主人レオンさまへの義理立てか?」

「いえ、自分の不明の後始末を自分でつけるだけのこと」

「ふむ……そうじゃな。ここで二匹を捕らえて生け贄にすれば、わが一族にも甚大な被害が出よう。そなたが大暴れするだろうからの。銀狼は、天月山の百獣の王。他の動物たちも黙っておるまい」


「……また、狡智ですか?」

「そうよの。どうすれば良いかの? そなたが二匹をすんなり渡すはずがなかろうからの」

「われわれをもとの場所に戻すつもりはないようですね」

「さよう。生け贄が必要じゃからな」


「では、こうしましょう。われわれ三匹を大蛇のもとに送ってください」

「そんなことをすれば、大蛇さまを傷つけ、天月蛇は全滅してしまうではないか」

「大蛇に攻撃は加えぬと約束しましょう」

「約束? もし(たが)えたら?」


「銀狼が約束を違えたことがありますか?」

「ないの……よし、では、ついてまいれ。みなの者、いっさい手出しをするな。大蛇さまには健康な生け贄が必要だからな。ただし、入り口は隙間がないようにピッタリと防げ。もしどれか一匹でも逃げ出したら、すぐに噛み殺せ」


 クロがビビり上がってモモに囁いた。

(オレたち、喰われちゃうの?)

 モモはすでに冷静になっていた。

(ううん。きっと、狡智には狡智で報いるってことだよ)


 洞窟の奥に来た。

 天月蛇の長が、銀狼に告げた。

「ここから飛び降りよ。さきほどそなたたちがいた断崖に行き着くだろう。だが、出入り口はない。ひとたび下りたら、ここに上がってくることも叶わぬ」

 闇が深く深く鎮まっている。


 銀狼は、モモとクロに背に乗るよう促した。

「行くぞ! わたしの背にしっかりとつかまれ!」


■銀の髪と緋の瞳

――〈禁忌の森〉。


 キキがシッポを振った。景色がまた一変した。


 懐かしい四国の山の中だった。一面の山櫻だ。この世界では、季節の(ことわり)がないようだ。

 風子は森へと歩みを進めた。そばにキキが付き添う。


「ほれ、足もとに気をつけろ。ところどころ、ぬかるみがあるぞ」

「うん!」

 しばらく歩くと、少し高台に出た。森と里が見渡せる。どこもかしこも櫻で覆われていた。


「うわあああ、キレイ!」

「そうじゃな。見事な櫻じゃ。わしも初めて見るわい」

「ねえ、キキばあちゃんは、もともとここにいるって言ったけど、わたしが大ばあちゃんとこの島に来てから十カ月にもならないよ」

「ほう、十か月か……ここでは時空が歪むでの。わしも時を数えたことはない」

「ふうん」


「時はたしかに流れるが、年や月日をつけたのは人間の都合にすぎん。ここは、人間が支配する世界ではないからの。人間の常識は通用せん」

「ふうん、そうなんだ。じゃあ、元の世界の記憶はないの?」

「いや、あるぞ。まだ残っておる。じゃが、わしのように、外から来て、記憶を残す例は珍しいらしい」

「へえ、そうなんだ」

「いつだったかははっきりはせんが、わしはオロに拾われたんじゃ」

「オロに?」

「オロ一家も放浪の一家でな。あちこちをさまよった挙句、島に流れ着いた。オロがわしを拾ったもんじゃから、一家みんなで島に居つくことになった。ネコを連れて放浪は難しいからのう」

「ふうん」


「おお、だんだん思い出してきたぞ。オロはまだ小さかった。五歳くらいかのう。利発じゃが、落ち着きのない悪ガキでな。じゃが、わしにはやさしかったぞ。わしが事故に遭いかけた時、オロは時間を止めて、わしを守ってくれた」

「時間を止める? オロが?」

「そうじゃ。知らんかったのか?」

「オロが龍族だっていうのは知ってる……でも、どんな力を持っているかはよく知らない」


「そうか。まあ、それもええじゃろ。人間を超えた力を発揮すると、心も身体も痛めるからの」

「危ない力ってこと?」

「そうじゃな。一人では危ない。じゃが、オロにはおまえもいるし、ほかにもいろいろな異能者がそばにおるようじゃ」

「知っているの?」

「ある程度はな。ここからは時々、おまえたちの世界が見えるんじゃ」

「そうなの?」

「おまえたちの世界からも、ほんとは時々見えておるんじゃぞ。ただ、それを夢とか、幻と言うとるだけじゃ」


「ねえ、じゃあ、わたしもみんなを見ることができる?」

「できるが、今すぐにはムリじゃな。月の加減があるからのう。この世界では月は満ち欠けをせんが、多少、明るくなったり、暗くなったりはする。おまえがここに来たときは、一番明るかった時じゃ。次にもう一度明るくなったら、光の向こうにぼんやりと見たいものが見えるぞ」


 風子は空を見上げた。太陽だと思っていたまぶしい丸いものは、月だった。いまはまぶしさが落ち着き、緋月が輝いている。世界は十分に明るい。


「つながってるってことだよね? この世界と元の世界は、つながってる!」

「突然、何を言い出す?」

「うん! つながってさえいれば、必ず戻れる!」


 風子は、老ネコキキの手(前足)を取って、ほがらかな笑顔を見せた。

(ほう! この子はいたって素直で前向きな子じゃな。あのきかん気のオロのそばにおれるはずじゃ)


 ふと気配がして振り向いた。

 風子は固まってしまった。


――あの人だ!


 五歳の時、〈禁忌の森〉に迷い込んで出会った忘れえぬ人――ただ一人鮮明に記憶に残る人!


 銀の髪と緋の瞳をもつその人は、静かに立ち尽くし、風子とキキを見ていた。長い髪がさらさらと風になびく。だが、緋の瞳は瞬きもせず、いっさいの感情を映さない。

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