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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第四十一章 〈禁忌の森〉ふたたび
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XLⅠー2 〈禁忌の森〉ふたたび――時の狭間に立つ少女

■光の中

 奇妙な感覚だった。


 風子は、フワフワと揺れるような心地で光の中を漂っていた。

――どこに行くんだろう?

 怖さよりも、懐かしさが先に立つ。


 向こうにひときわ明るい光が見えた。

――えいっ!

 風子は水中でスッと足を蹴るように光の束を蹴り、両手を前に揃えて、頭を腕の間に挟んだ。平泳ぎのような体勢だ。


――スルリッ!

 どこかを抜けた感じがした。目を開けたが、まばゆさで焦点が定まらない。しばらく目をパチパチしていると、目の前にきれいな狼がいた。金色の毛並みが輝くようだ。

――銀狼に似てる?


 狼は黄金の目で、突然の来訪者をじっと見た。唸りもせず、威嚇もしない。

「ここはどこ?」

 風子が訊ねると、金狼が答えた。

「森です。あなたがた人間たちが〈禁忌の森〉と呼ぶ聖なる森です」


〈禁忌の森〉?

 幼い頃の大ばあちゃん――曾祖母稲子——の声が蘇る。

「風子や。あの森に行ってはならんぞ」


 次第に目が明るさに慣れてきた。木々が繁り、花が咲き、鳥たちが飛び、さまざまな虫が忙しげに動いている。

 ふと、からまるような視線を感じた。獣たちが、風子を遠巻きにして観察していた。テレビで見たことがある動物もいれば、初めて見る動物もいる。だが、すこしずつ、何かが違う。

 豹に翼がある。虎に角がある。ウサギには目が三つある。


 中央に寝そべる少女は風子をじっと見つめている。

――どこかで見たことがあるような……。

 ああ、五歳の時、迷い込んだ森で見た女の子だ!


 その子は、鹿の角と白鷲の羽をもつあどけない少女だった。ふわふわとした花の海に投げ出された手足は、見慣れた猫のよう。

 花びらが舞い上がり、少女が立ち上がった。


「おまえはだれだ?」

 鈴の音のような声が響く。


「わたし、風子。あなたはだれ?」

「わたしには名はない」


「〈禁忌の森〉には、ほかにだれかいるの?」

「いまはいない」


「わたしは元の世界に戻りたい」

「それはムリだろう」


「どうして?」

「わたしも知らぬ。だが、この森に来て、森を出た者はおらぬはず」


「でも、ずっと昔に、わたしは一度この森に来て、元の世界に戻ったよ」

「初耳だ」


「わたしは絶対に戻る!」

「ムダなことはしないほうがよい」


「イヤだ! わたしは、わたしが思うとおりにする!」

「ついてこい」


■繰り返される時間

 奇妙な少女に導かれて進むと、古ぼけた宮殿があった。


「その扉に触れろ」

 風子が扉の取っ手を握ると、景色が一変した。宮殿はキラキラと輝きを取り戻し、枯れていた堀に清らかな水が流れ始めた。鳥のさえずりが聞こえ始め、そよ風が花の香りを運んでくる。


「時が目覚めたようだ」

 少女は一言そう言って、宮殿の中に入った。風子も続く。

 大きな広間に出たが、だれもいなかった。


「きゅーん」

 後ろでか細い声がして振り向くと、子イヌが鳴いていた。見たことがある光景に変わっていた。岬の上病院の庭の片隅だ。けれども、病院はオンボロではなく、きれいだったし、子イヌは、段ボールではなく、フワフワのタオルの上にお座りをしていた。

「モモっ!」と駆け寄り、子イヌに触れた途端、フッと子イヌの姿が消えた。


「こんにちは」

 明るい声に振り返ると、リクがいた。長い髪を風に翻して、にこやかに手招きした。

「リクっ!」と駆け寄ると、手を握ったとたん、リクの美しい姿がかき消された。


「元気で良かったね」

 リトの声だ。病室ではなく、どこか学校の教室のようだ。人なつっこい笑顔はそのままだったが、リトは十歳に戻っていた。


――触れると消える!

 風子は、慎重にリトの周りをグルグルとめぐった。

「どうしたの? 鬼ごっこ?」

 尋ねるリトは十五歳くらいに見えた。

「違う!」

 風子が答えたとたん、リトも消えた。


 きれいな花畑の向こうから、少女が手を振った。アイリだ。

「おーい、風子! 散歩に行こう!」

 腕に、小さなモモを抱き上げている。アイリは快活で、人なつっこい笑顔を向けた。


――触れても、答えても、消える。


 そのまま様子を見ていると、今度は、サキ先生が姿を現した。いつもの着古した服ではなく、制服姿だ。サキ先生も十五歳に戻っている。

「心配したぞ。はやくこっちに来い!」


 やがて、シュウが現れ、「待ってたよ!」ときれいな顔をほころばせた。隣にそっくり同じ顔のリョウがいる。二人とも十五歳の健康な少年だ。


 すると、オロがリュックサックを持って登場した。リュックサックはくたびれた安物の黒いものではなく、赤いきれいなリュックサックだった。

「ほら、リュックサックをおまえに返すよ」


 風子の目に涙が溢れてくる。

――みんないる! 

 でも、触れると、泡のように消え、答えると、霧のように砕け散る。


――思い出が繰り返されている。でも、少しずつ違う。


 記憶が書き換えられている!


 座り込んだ風子に、仲間たちが近づいてくる。


「違う!」と風子が叫んだ瞬間、みんな消えた。

 広間には、さきほどの幼い少女もいなくなっていた。


「モモお、アイリい、リクう、シュウう、オロお、リトお、サキセンセー!」

 声を限りに、次々と名前を呼んだが、むなしくこだまするばかり。


――寂しいよう! 戻りたいよう! だれか迎えに来てえ! モモお、アイリい! サキセンセー!


■涙の向こう

 どれほど時間がたっただろう。

 コトリという音に、風子は顔を上げた。涙も涸れ果てて、疲れ切っている。


「こっちにおいで」

 大ばあちゃんの稲子だ。

 風子は駄々っ子のように首を横に振った。

「わしになら答えても、わしは消えはせんぞ」

 風子は疑いを残した目で、じっと老女を見た。


「ほれ、触ってもわしは消えんぞ」

 老女は風子に近づいてきて、風子を抱きしめた。

 消えなかった。

「大ばあちゃん!」

 風子は、大声で泣き始めた。

「困った子じゃな。ほれ、このまんじゅうを喰え。うめえぞ」

 差し出した手は五歳児の手だった。風子は五歳に戻っていた。


「うん。ありがとう。でも、食べない。お腹はすいていないから」

 異界でモノを食べると戻れなくなる――大ばあちゃんから何度も教えられた言いつけを風子は守った。

 だから、食べ物を勧めるこの老女は、ホントの大ばあちゃんじゃない!


 大ばあちゃんの姿がスッと消えた。かわりに丸っこい太った白いネコが姿を現した。


「キキ……?」

「そうじゃ」

「キキもこっちに呼び込まれたの?」

「違うな。わしはもともとここにおる。おまえのひいばあさんと魂が入れ替わっての」


「え?」

「向こうの世界で、おまえたちのそばにおるキキは、おまえのひいばあさんじゃ。わしがこちらにくるときに魂の居場所を譲ってやったんじゃ」

「ふうん。そうだったんだ。大ばあちゃんはずっとそばにいてくれたんだね」

 風子がちょっと鼻をすすり上げた。十五歳の風子に戻っていた。


「じゃ、あなたは本物?」

「本物とは?」

「いままで、ここに現れた人たちはみんな幻だった。でも、あなたは幻じゃなさそう」

「まあ、そういう意味では、魂は存在しとるのう。魂が実体を映しておる」


「じゃあ、教えて! ここはいったいどこなの?」

「時の狭間じゃ。二つの異なる世界の間に設けられた時空でな、二つの世界のそのときどきの力関係によってスポンジのように伸び縮みする」

「時の狭間? さっき出会ったかわいい女の子は〈禁忌の森〉って言ってたよ」

「時の狭間には、いくつか特徴をもつ時空があってな。〈禁忌の森〉はその一つじゃ」


「じゃあ、〈閉ざされた園〉も時の狭間の一つなの?」

「こりゃ、驚いた。〈閉ざされた園〉を知っておるのか?」

「うん、一度行ったことがある」

「なんと! 〈閉ざされた園〉に行って帰るなど、普通はできんぞ」

「でも、この〈禁忌の森〉にも来たことがあるよ。十年前に」

「ほ、ほんとか?」

 風子は頷いた。


 白ネコキキは、ぶよぶよした腹を見せながら立ち上がり、石段に腰掛け直して、マジマジと風子の顔を見た。

「ふーむ」

「何か?」

「いや、時の狭間を代表する二つの空間に行って戻ったとは、おまえは、とんでもない力の持ち主に違いない」

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