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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第四十章 玄武への手がかり
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ⅩLー6 エピローグ――天月の森を舞うフクロウの秘密

■正装の刺繍文様

 イ・ジェシンは驚いた。そばのグリもポカンと口を開けている。

「こりゃ、すごい……」


 初代銀麗月の正装が置かれている宝物室だ。

 感動している場合ではない。時間は限られている。ジェシンは、あちこちを確認してまわった。


 刺繍文様は、基本的にルナ神殿文様をアレンジしているようだ。

 上衣には、真珠がところどころに縫い付けられているが、色のある宝玉は用いられていない。全体は上品なアイボリーで統一され、陰影が際立つように配慮されている。表地はやや厚地のシルクだ。裏地は薄めのシルクで、表地よりも刺繍は地味だが、一面びっしりと施されている。

 帯地には細い金糸や銀糸が織り込まれており、縁には大粒の真珠があしらわれている。

 内衣は、半透明の薄生地を何枚も組み合わせたもので、裾と襟に見事な刺繍が施されている。


「刺繍だらけだな……」とジェシンがぼやいた。

「パパ……大丈夫?」とグリが顔を上げる。

「大丈夫だよっ! パパにできないことはないからね。安心して!」

「うんっ!」


 だが、現実問題として、これと同じレベルで刺繍をするとしたら、いったいどれくらい時間がかかるだろう……。


 宗主を交えた茶話会と打ち合わせを終えたカイが戻ってきた。

「わおっ……!」

 あまりの美麗さに、ジェシンもグリも見とれた。

 隣のリトがジェシンの視線を追い払おうとして、何度もジェシンの邪魔をする。


「着替える前に、イメージを持っていただこうとここに立ち寄りました」

 ジェシンは、リトの視線を意に介することもなく、何度も周りを回って、刺繍の見え方やドレープの出方を確かめた。衣装のデザインや品質、格は違うが、本質的なコンセプトは共通するようだ。


 着替えたカイが、一服の茶を飲みながら、ジェシンに訊ねた。

「そうですか。あの上衣の刺繍は、ミン国国宝の刺繍文様とほぼ同じなのですね?」

「でも、天月の正装の方が一千年も古いよ。ミン国国宝のほうがコピーだね」

「ですが、奇妙ですね。この文様は秘伝のはず――たしかに、ルナ神殿模様を原型にしているのですが、ルナ神殿はずっと土に埋もれていたはずです。だれもが知りようがない文様が、どうやってミン国に伝わったのでしょうか?」


 銀麗月にさえわからないことが、イ・ジェシンにわかるはずはない。


 ジェシンはアカデメイアの〈蓮華〉で学んだが、ミン国出身であることを誇りにするようにとの祖母の願いを受けて、ミン国式文人男子の個人教育も受けて来た。休暇中は、ミン国におかれた祖母の別邸で過ごすことも多かった。ジェシンにとって、ミン国別邸は、厳しい母から逃げるための避難所でもあった。


 国宝の刺繍文様は、ジェシンたち文人男子を目指すものが究極のお手本にしてきた絵柄だ。何度も練習している。刺繍するのは難しくない。だが、かなりの時間がかかることも見通せる。


 いまのところ、法律事務所の依頼案件は、違法開発事件だけだ。法律事務所としてはヒマだ。ヒマすぎて、倒産寸前だ。この刺繍の対価は、十分に支払われる予定だ。


――うーん。弁護士よりも刺繍家になれってことか? 


 それにしても、初代銀麗月の正装は、二千五百年前のものだとか。ミン国国宝は、一千五百年前のもの――どこでどうなって、この刺繍文様がミン国に辿り着いたのか?


■フクロウ

 風子はまだ見つからない。


 アイリは、風子もモモもいない生活に耐えられないらしい。ずっと外を見てはため息ばかり――毒舌すら、どこかに置き忘れたみたいだ。ケンカ相手のアイリが元気でないと、オロまで意気消沈する。

 シュウは、風子が心配で夜も眠れないほどだ。隙を突いて何度も森に飛び出そうとするので、キュロスが厳重に見張りをしている。そばで、リョウが、シュウが倒れると気を揉んでいる。


 サキは、これほど自分の不甲斐なさを呪ったことはない。

――何もできない!


 見かねたリトは、カムイに頼んで、ばあちゃんとセイばあちゃんを背に乗せて運んできてもらった。

 ばあちゃんを見るなり、サキはばあちゃんに飛びついて、「悔しい」と言い続けた。ばあちゃんがよしよしとサキの背をさする。

 セイばあちゃんは甘い薬湯をつくり、みんなに飲ませた。


 みんなの焦りが募る中、グリは、ヘビの一言が気になっていた。

――見たことのない鳥に運んでもらって山を下りて、野ウサギの子どもたちに導かれて月香草の谷に向かった。


 カイに告げると、カイは、珍しく「うーむ」と考え込んだ。


 単純なリトは、発想も単純だ。

「天月にはいっぱい鳥がいると思うけど、山頂からいつも天月の山を見下ろしている天月蛇が見たことがない鳥ってのは、ちょっとヘンだね」

「うむ」

「あっ! ひょっとしたら、以前にオレがみた鳥かも! ほら、銀麗月しか行けない断崖からだれかが鳥を飛ばしてたろ? 夜目が利く夜行性の鳥とすれば、フクロウとか、ヤマシギだよ」


 カイが慎重に言った。

「天月には固有種のフクロウが存在する。シマフクロウに似た大型種で、耳のような羽角をもつので天月ミミズクとも呼ばれる。銀色の大きな羽をもち、胸元の毛は白黒の縞模様――とてもきれいなフクロウだ。絶滅危惧種に指定されており、天月でも大切に保護されている。誰かに飼い慣らされるなどはありえない。ヤマシギはこのあたりでは旅鳥だ。それに小型だから、天月蛇を運ぶのは無理だろう」

「じゃ、どっちも違うのか……」

 リトが肩を落とした。


「うむ……ただ、別の種類のフクロウという可能性はある」

「別の種類?」

「そうだ。小型で、ペットにもされるフクロウもいると聞く。例えば、北半球に多いウラルフクロウは、天月には生息していない。羽角もないし、顔つきも天月ミミズクとはずいぶん違う」


 ここぞとばかり、グリが付け加えた。

「あの谷でみんなが倒れたとき、高い梢に一羽のフクロウが止まっていました。あのフクロウなら、風子さんが消えたのを見ているかもしれません」


 やおら、リトが立ち上がった。

「フクロウか……ちょっと森を見てくるよ。まだいるかもしれないから」

「わたしも一緒に行こう」とカイも腰を上げた。

「なら、ボクも」と言いかけたジェシンをグリが引っ張って、首を横に振った。


――あ……そうか。

 ジェシンが納得したように頷いた。

「じゃあ、どうぞお二人で! ボクたち、ここでカメさんネットワークが持ってきてくれた情報をまとめて、天月山の奥山地図を作っておきますよ!」


 天月の森の空気は冷涼だが、清々しい。


 リトとカイは、久しぶりに二人で歩いた。舗装路からいったん森に入ると、落ち葉が積もった細い道を踏みしめながら歩みを進めることになる。


 銀麗月の館の近くには、広葉樹林が広がる。

 春は櫻と若葉にあふれ、秋は錦を織りなす。だが、いまはすでに葉が落ちて、枝が重なり合うばかり――ところどころに高く伸びる樫や楠が、大きく樹冠を広げている。少し遠くには、樹齢一千年は超えていそうな天然杉が何本も林立している。


 さまざまな野鳥が飛んでいた。足元では、リスやウサギなどの小動物が戯れる。キツネのシッポも見える。


「いいところだね。雲龍にいるみたいだ」と、不謹慎ながらちょっとだけウキウキして、リトがカイを見た。

(久しぶりに二人で散歩だ! デートみたいだ!)


「雲龍の山も深いのだろう?」とカイが尋ねると、リトは「ウン!」と大きく頷いた。

(キミは覚えていないけど、キミとボクはその雲龍で出会ったんだよ! 十歳の時に)(⇒第一話第三章4参照)


 思いがけず、カイが言った。

「十歳の時、わたしはご老師さまとあちこちを旅した。そのとき、雲龍にも行った記憶がある」

「ホントっ? 覚えてるのっ?」

「……いや、なぜか、雲龍の記憶だけがはっきりしないんだ」

「……どうして?」

「おそらく、ご老師さまがわたしの記憶を封じたのだろう」


「記憶を封じる? どうして?」

「心の平穏を保つためだ。きっと、そのとき、わたしは何か見てはならないものを見たか、知ってはならないことを知ったのだろう」

「封印を解くことはできないの?」

「できないことはないが、封印をかけたご老師さまの術を勝手に破ると、ご老師さまのお身体に差し障りが出よう」


 ふたりは無言のまま歩いた。

 もどかしい。


――やっぱり言おう! ボクたち、雲龍で会ったことがあるって。言うだけだったら、封印を破ることにはならないよね?


 やっと決意してカイを見たリトは、カイのはるか向こうの高い梢に止まる一羽の鳥に気づいた。

 告白より、こっちが先だ。


「カイ、フクロウがこっちを見てる。気づかないふりのまま、ボクと話を続けて!」

 カイは目で頷いた。


 リトは、カイを連れ回す形で、あちこちを歩いた。フクロウは、わずかに飛んで場所を動きながらも、その大きな目は二人から離れない。


 さんざん歩いて館に戻ったときにはもう日もとっぷり暮れていた。ずっと二人を見ていたフクロウは、扉を閉めると、やっと飛び去ったようだ。

 カイはカムイに秘かにフクロウを追いかけるよう指示した。


 しばらくして、カムイが戻ってきた。

「あのフクロウ、カイさましか行けないはずの断崖に向けて飛んでいきましたぜ」

「だれがいた?」

「わかりやせんでした。黒ずくめでマントを羽織ってましたもんで。かなり背が高いヤツでした」


 リトが膝を叩いた。

「黒いマントの背が高い人物? あのとき、断崖にいた人物だよ。ひょっとしたら、ルキアの祭りで見かけたヤツかもしれない!」

「……ルキア? では、カトマールの者か?」


 カイとリトは顔を見合わせた。

「いま、天月にいるカトマールの者は……」

――ディーン……?


 だが、二人は、カムイのさらなる言葉にもっと驚いた。

「おまけに、ソイツ、消えたんです!」

「消えた?」

「へい。断崖の上からスッと姿を消したんでござんす。あわてて断崖に向かったんですが、跡形もなく消えてました」

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