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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第三十九章 天月秘宝
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ⅩⅩⅩⅨー4 仕立て屋とその弟子――技能に込めた矜持と憧れ 

■櫻館の織物部屋

 一人、二人と部屋を出て行った。

 就寝時間をとっくに過ぎている。夜十二時にきっかり寝るはずのアイリが、決死の表情でパソコンに集中し、寝る気配はない。

 モモがドアの外でクーンクーンと鳴き始めた。風子はそっと部屋を出てモモを抱き上げ、寝室に向かった。


 明け方、パソコン室を覗くと、アイリはまだパソコンに向かっていた。鬼気迫る形相だ。モモを暖かいベッドの上に残したまま、風子はパソコン室に入って、アイリの背中を見つめていた。

(身体を壊しちゃうよう!)


「やったぞ!」

 突然アイリが立ち上がった。

「できたの?」

 尋ねた風子を振り返り、アイリが顔をほころばせた。

「ああ! みんなをたたき起こしてこい!」


 ゾロゾロと寝起きの顔でみんなが集まってきた。レオンとカイは、こんなときも端然としているが、リトは寝ぐせの髪のままだし、オロはまだ目が開ききっていない。サキもぼうっとしていた。


「できましたか?」とカイが尋ねると、アイリが誇らしげに頷いた。

「ほら、これが、ラクル絹織物のデータとシステムだ」

 数字のような記号のようなものが何段にもわたってズラリと並んでいた。


 カイはじっと画面を見つめ、ぼそりと言った。

「わかりません……」

 リトがカイを見た。カイがわからないというのは、よほどのことだ。

「ですが、アイリさんが言うなら、そうなのでしょう」


 リトが尋ねた。

「おい、アイリ。このデータで、何を、どうするんだ?」

「絹織物をつくるんだよ! そのためにハッキングしたんだろうが!」

「……それはわかるけど、どこで?」とリトが重ねて聞く。

「どこって、ここだよ!」

「だけど、材料もないし、機械もないぞ……」

 リトが困惑したように周りを見回した。


 アイリがイライラしながら立ち上がった。

「材料はどっかで調達しろ! 織る機械は、ここであたしがつくる」

 リトがドンびいた。

「つくるったって……そんな簡単に?」

「織機はさほどむずかしいもんじゃない。ここのデータにも情報が入っている。絹の里のものと同じ複製品を作るんだ。大量生産するわけじゃないから、手織り機は一台で十分だし、全自動にして、一枚織り上げりゃいいだけだ」

「そんな簡単に……?」と、リトと同じ言葉をサキが繰り返す。


――できてしまった!


 数日後、櫻館の一室に小さな織物工場ができた。絹の里の手織り機の複製品が置かれ、ロボットが手織り作業をしている。

 いまは、普通の絹糸での試し織だとか。風子やオロがものめずらしそうに覗きに行く。


「あのデータは、職人が手織りするときの速度や強さを記録しているものだったんだ。それをロボットにおぼえさせて、人間の代わりに作業させてるってことさ」と、アイリが説明した。


 自身の手足の補助具やカイの発声装置、マロの擬足、金色ゴキブリ、赤色テントウムシなど、アイリは人体機能やロボット開発で成果を挙げてきた。そうした経験や技術が結集したのが、機織りをするロボットだった。


「うーん。もうちょっと人間ぽくしたいが、今は時間がない。ごめんな、いずれはもっとかわいくしてやるよ!」と、アイリは、ロボットの頭を撫でた。アイリの手のぬくもりに反応して、ロボットがわずかに頷いた。


「一枚織るのに、どのくらい時間がかかるんだ?」と、サキが尋ねた。

「休みなしに二十四時間働いて、人間の十倍で動くから、まあ、二週間だな」

「すごーい!」と、風子が手をたたいた。


「だが、生糸がないぞ」と、リトが思案気だ。

「やめろ! 盗みに行こうもんなら、確実につかまるぞ!」と、サキは浮足立つ弟を抑え込んだ。

「いまから蚕を育てるわけにもいかないし……」と、風子。


「そうだ! 蚕だ! 生糸は生産番号とかを打って管理しているかもしれんが、蚕はどこにでもゴロゴロいるだろう」と、アイリが叫んだ。

「でも、最高級の絹織物は蚕も特別だって聞いたよ」と、風子が心配そうな声を出す。


「いいんだ! どうやら、絹の里では、蚕に喰わせる桑にごく少量の月香草を混ぜているらしい。月香草は、蚕が嫌う物質を含んでいないみたいだ。新鮮な桑の柔らかい若葉と月香草の新芽を組み合わせりゃ、ここでも最高級の生糸が作れるぞ」


「では、絹の里の蚕以外でもいいということですか?」と、いつの間にか姿を現したレオンが尋ねた。

「多分な」

「ミン国に良質な蚕の産地があります。手配してみましょう」と、レオンが言った。


 部屋を出ようとしたレオンがふと足を止め、振り返った。

「初代銀麗月の正装には、表にも裏にも、繊細な刺繍が施されています。それをどうするかについても。考えておいていただけませんか?」


「し、刺繍……?」

 アイリが真っ青になった。

「そんなの、聞いてないぞお!」

 すでにレオンはおらず、アイリが頭を抱えて座り込んだ。


「まったく、どいつもこいつも、いったいあたしを何だと思ってるんだ!」

 アイリを宥めるように、風子がアイリの背中を撫でた。

「みんなアイリに期待してるんだよ。アイリならいつもちゃんとやり遂げてくれるって信じてるから」

「そ……そうか?」

「うん!」


(うわ……さすが、風子! アイリ操縦術はオロをはるかに上回るな)

 サキは、目の前で繰り広げられる光景に、ちょっと感動した。


■仕立て屋の矜持

 天月専属の仕立て屋(尚服局(しょうふくきょく))は、天月では中規模の組織だった。


 尚服局長の下に男性親方と女性親方がいて、それぞれが職人三人、徒弟見習い五人を抱えている。予算管理や在庫管理担当の者も十人ほどいる。さまざまな儀礼で用いられる天月の衣装は、すべてこの尚服局で仕立てられた。


 そんな尚服局にとっても、宗主正装の仕立てはめったにない大仕事だ。張り切っていたら、弓月財閥が紹介したラクルの仕立て屋が、一番目立つ上着マントの仕立てを担当するという。


 ラクルの仕立て屋とその弟子には、天月ゲストハウスの居室が与えられた。さながら2LDKの趣の居住空間だった。さすがに室内のプライバシーは守られているが、部屋から一歩外に出ると、不審な動きは監視されている。


 尚服局は、独立した建物にある。天月の仕立て屋たちは、ラクル仕立て屋を歓迎しなかった。だが、宗主直々に招いたというではないか。邪険にはできない。「慇懃無礼による無視」という古典的な嫌がらせを始めた。


 五十歳くらいの女人であるラクル仕立て屋親方は、一向に気に留めなかった。このタイプの幼稚な嫌がらせなど慣れている。弟子は、二十歳くらいの女人で、こまごまと気を配り、天月仕立て屋にも愛想が良い。


 ある日、突然、尚服局の空気が一変した。ラクル仕立て屋が、最高級の絹織物を広げた時だった。


 みんなが思わず、見事な生地に見入った。


 繊細で優美な織模様の絹織物は、鋏を入れるのがためらわれるほど美しい。だれもがため息を漏らした。ラクル最高級の絹織物の噂は聞いていたが、現物をこれほど間近に目にし、仕立てる場面など初めての経験だった。


 全員が息を呑む中で、ラクル仕立て屋が最初の鋏を入れた。スーッと生地が分かれていく。ほつれも歪みもなく、鋏はまっすぐに進み、やがて、いくつかのパーツに分けられていった。


 その間、ものの数分。


 一反数千万円の生地に、仕立て屋は臆することもない。よほど刃先を研磨された断ち鋏なのだろう。当てるだけで生地にスッと切れ目が入る。


 思わず、周りから拍手が起こった。


 天月仕立て屋たちは、ラクル仕立て屋の技術の高さに脱帽した。慇懃無礼が敬慕に転じた瞬間であった。


 プロにはプロの技術の高さがわかる。高い技術を持つ者を貶めるのは、自分を否定するに等しい。

 その日から、宗主正装の作成作業は、すべてラクル仕立て屋の指示にしたがって動くようになった。


 親方が尊敬を集めるようになっても、弟子の態度は変わらない。相変わらず、愛想が良く、気配り上手だ。どちらかというと、仕立て作業の補助というよりも、親方の秘書兼世話係として付いているようであった。しかし、仕立て技術も相当のものであることは、すぐにわかった。


 尚服局では、徒弟見習いは十代だ。職人はいずれも三十歳代以上なので、二十歳ほどのラクル仕立て屋弟子ランは、徒弟たちにとってちょうどいいお姉さん格になった。


「ねえ、ラン姉ちゃん!」

 徒弟の中でも一番年少の十二歳のカズは、ラクル弟子をラン姉ちゃんと呼んで、いち早く親しみを示すようになった。


「なあに? カズくん」

「これ教えてくれる? 縫い方がわかんないんだ」

「ああ、どれどれ。あはは、こうすればいいんだよ!」

 ランは明るく、カズに仕立て技術を教える。

「あ、そうか!」


 物覚えのいいカズは、一度教えたことは忘れない。次から次へとランに質問を浴びせ、すべてに答えてくれるランから離れようとしない。しかも、生来、手先が器用で、美的センスも抜群だ。親方が見込んでいる徒弟らしい。


「やれやれ、カズはランさんの追っかけをしてるみたいだな。カズの相手をしてくれて助かるぜ!」

 カズの質問攻めに辟易していた職人は、肩の荷を下ろしたようにホッとしている。


 天月は教育機関でもある。カズのように特別に秀でた能力を持つ者は、通常教育と並行して、技能教育を受ける。カズは学校から戻ってくると、ランに張り付くようになった。


■仕立て屋とその弟子

 深夜、ラクル仕立て屋の居室――。


 親方ワサビは弟子ランに向かって頭を下げていた。

「いかがでしたか? 何かおわかりになりましたか?」

 ランは疲れたように足を投げ出した。


 ワサビは、ランに茶菓子を用意し、テーブルに整えた。

「いや、まだ何もわからぬ。天月宗主エルは、予想以上にガードが堅いようだな」

「はい。御前さまもそうおっしゃっておられました」

「そうだな。さしもの母上も、天月宗主とウル国主には手を焼いているらしいな」


「さようです。それにひきかえ、カトマールの大統領や第一副大統領は、手なずけやすいとか」

「そうなのか? わたしはまだ会ったことがない」

「これからのことでございますよ。御前さまは、順次、ランさまにさまざまな人を引きあわせるおつもりなのでしょう」


「ところで、美麗と評判の銀麗月は、ここにはいないのか?」

「そのようでございますね。ただ、たとえおられたとしても、ほとんど人前には姿を現さぬそうですので、お目にかかることはむずかしいと存じます」

「そうか……残念だな」


「おほほ。ランさまは、美しいお方にご興味が強うございますね」

「むろんだ。ひとでも、ものでも、美しいものは、その美しさだけでも価値がある」

「ランさまもたいそうお美しくていらっしゃいますよ。いつも見習い弟子の貧相な服装で申し訳ございません」


「いや、これはこれで動きやすくて良い。さすがはワサビだ。細かいところに配慮が行き届いている」

「お褒めにあずかって恐縮です。ランさまも、まことの見習い弟子のように見えますよ。織物や縫い方についてなんでもご存知ですし、お手先も器用でございますし」

「ホントか! ワサビに褒められるとうれしいな。なんたって、ワサビは絹の里最高の仕立て屋だからな」

 ワサビはニッコリ微笑んだ。


 ランは賢く、素直な性分だ。知識欲も旺盛で、人を身分や地位で差別したりしない。


 絹の里では、幼少期から染織、縫物、布地などに関して、徹底的に教え込まれる。その中でも、ランは特別に秀でた資質を持つ美少女として、早くから注目を浴びていた。

 弓月御前の娘という位置づけだが、実子ではない。御前の姪にあたる。幼い時に御前の許に迎えられ、ありとあらゆる学問や技術を叩き込まれてきた。特に、伝統絵画とその知識に秀でる。


 現在、ランの実力を上回る若手はいない。弓月御前が、親方ワサビにランを付けたのは、その意味では妥当な人選だった。


 菓子をかじりながら、ランがふと漏らした。

「カズによると、宗主の側近であるリシア高師を時々、天月の森に向かう道で見かけるらしい」

「天月の森に向かう道でございますか?」

「森には野ウサギの巣があるようで、カズはよくそこに行って野ウサギを見ているそうだ。野ウサギが見つかったらイヤだと言って、場所は教えてくれないがな」  

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