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月下の神殿――銀麗月と聖香華  作者: 藍 游
第三十九章 天月秘宝
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ⅩⅩⅩⅨー3 絹織物の謎――初代銀麗月の正装をめぐって交錯する思惑

■天月宗主の正装

 天月宗主エルは、弓月御前から届けられた絹織物の手触りを確かめた。ふつふつと喜びが沸き上がってくる。宗主の正装は何着か用意されているが、エルが自分で選び、仕立てさせる正装は初めてだ。


 若かりし頃、宗主の代替わりのたびに見事な正装を目にしたエルは、その衣を身に付ける自分を想像して密かに興奮したものだ。代々の宗主のものよりももっと見事な正装をあつらえたい――そう思い続けてきた。

 慣例にしたがって、ラクルの絹織物を指定した。今では、弓月財閥が一手に注文と販売を請け負っている。上着、ドレス、帯、小物、下着などの一式を揃えるには相当の時間と予算がかかる。

 注文を受けた弓月財閥の当主弓月御前は、わざわざ挨拶に訪れた。手土産は、ラクルの高級絹織物だった。手土産ですら、ちょっとした式典で着用するのにちょうどよいものだ。


 弓月御前と相談する中で、希望を聞かれたエルは、モデルとして初代銀麗月の正装を挙げた。


 二千年以上も前に作られたものであるにもかかわらず、今なお燦然とした輝きを放つ。弓月御前は、それを見たいと望んだ。見本にしたいというのだ。

 宗主館の秘宝を軽々しくよそ者に見せるなど、普通はしない。

 だが、見本があれば、それを上回るものを作ってみせようと、御前は言った。


 初代銀麗月の正装を目の当たりにした弓月御前は、大きく目を見開いた。言葉を失うほど、心底驚いたようだった。御前の驚嘆ぶりに、エルは大満足した。


 御前によると、初代の正装の絹織物は、ラクルの絹の里でもすでにその技術が継承されていないほど貴重な織物とのこと。絹糸も最高レベルとのことであった。


 その後、御前はラクルの絹織物職人を伴い、数度、宗主館を訪れた。

 熱心に模様や織り方を調べて、「必ずやご満足いただけるものをお作りしましょう」と約束した。

 それから二年――やっと、織物が届けられたのだ。


 初代の正装と並べても遜色はなく、むしろ新しい分、鮮やかで、華やかだった。


 弓月御前は言った。

「お衣装の仕立てですが、よろしければ、我が財閥が抱える超一流の仕立て屋をご紹介いたしますが、いかがでしょうか?」

「仕立て屋?」

「はい。かつてカトマール皇室のお衣装の仕立てをすべて引き受けていた一族でございます」


 エルはぐっと唾を飲み込んだ。

「そのような者がいるのか? だが、我が天月にも専属の仕立て屋はおる」

「ええ。もちろんでございます。ですので、天月のお仕立てを邪魔することなく、最もむずかしい上着の仕立てだけを、この天月に泊まりこんで行うというのはいかがでしょうか?」

「上着?」


「さようです。上着に絹糸の刺繍を施し、随所に宝玉をあしらえば、それは見事なものになることでございましょう」

「刺繍と宝玉?」

「宝玉を縫い付けるだけならばさほど難しくございませんが、絹織物の風合いを生かしながら刺繍を施すとなると、その技術をもつ者は限られるのです」

「そうか……?」


「こちらをご覧くださいませ」

 弓月御前は、ハンカチのような布を広げた。

「お届けした生地の端切れに、今申した仕立て屋が刺繍を施したものでございます」


 宗主エルは驚いた。繊細な刺繍が自己主張をせず、生地を上品に引き立てている。

「たしかに見事であるな……」

「ラクルで生地をお引き取りし、仕立てることもできますが、こちらで作業をさせていただければ、宗主さまのお身体にあわせて微妙な調整がいつでもできます」


 弓月御前が紹介したラクル指折りの仕立て屋が、ひとりの弟子を連れて、天月宗主館を訪れたのはそれから間もなくのことであった。


■綿織物と絹織物

 アイリは奮闘していた。


 ラクルの絹の里の中央システムに入るのは容易ではなかった。いくつかの穴があったが、アイリはそれを使おうとしなかった。


「きっと罠だ。これほどのシステムでこんな穴など、入ってくださいというようなものだ。ヘタに入ったら、こっちの情報が全部盗まれるぞ」

「じゃあ、どーすんだよ?」と、オロが息巻く。


「絹は最高の機密情報のはずだ」とアイリが言えば、「うん」と素直にオロが頷く。

 アイリが、「だが、綿はそれほどでもない」と続けると、「綿?」と風子が首を傾げた。

「風呂敷包だな。向こうは、あたしらがおくるみ風呂敷を調べてるなんて思っていないはずだ」とのアイリの説明に、オロは大きく頷いた。

「そりゃ、そうだろうな」


「でも、綿織物でも、ラクル紫は貴重なはずじゃなかったっけ?」と、風子が少し上を向いて疑問を口にすると、「そうだが、茜色や藍色はありふれている」とアイリが答えた。

 風子は一瞬納得したように、「うん」と言いながら、「え、そうなの?」と驚く。


 アイリはニヤッとして宣言した。

「だから、茜色や藍色の綿織物の情報から調べるぞ」

 風子がわからなさそうに尋ねる。

「情報って?」

 アイリはすでにパソコンに向かいながら、言った。

「生産・販売・売上の情報だ。普通の小売店とネットでつながっているだろう」


 茜色や藍色のラクル綿織物の販路は思いのほか、限られていた。カトマール、シャンラ、ミン、蓬莱群島止まりで世界展開はしていない。日用品として定着しているようだ。


 けれども、ラクル紫は別だ。高級品として、大都市の専門店やデパートで販売されていた。引き出物に使われることも多いようで、一度に大量の発注を受ける場合も少なくない。


「あれ?」と、アイリが指を止めた。

「どーした?」とサキが問うと、「大量発注先の一つは、ヨミ神官団だよ」と言いながら、さらに画面をスクロールしながら、大声で叫ぶように告げた。

「あ、天志教団も大口顧客だ。おまけに、ウル舎村もそうみたいだぞ」


 サキが身を乗り出した。

「ウルもか……。ラクル紫って、人気があるんだな。天月はどうだ?」

「天月は発注リストにないな」


「で、ラクル紫の大口顧客を知ってどうする?」とサキが尋ねると、「……まだ、わからん」とアイリの声が小さくなった。

「ま、焦らず考えろ」と、サキがなぐさめた。


 アイリの隣でじっと画面を見ていた風子が、突然、素朴な質問を発した。

「ねえ、これらの大口顧客って、絹織物の顧客でもあるのかな?」


 一瞬アイリがポカンとして、とたんに顔色を変えた。

「それだ!」

 アイリがパソコンに向かった。


 かなりの時間が経ち、みんなが疲れてソファに寝転び始めた頃、アイリが叫んだ。

「やったぞ! 絹織物の顧客リストだ!」


 顧客情報には個別にリンクが張られている。しかし、大量の顧客がいる綿織物と違って、絹織物の顧客リストには厳重なパスワードがかけられており、アクセスチェックが何重にも設定されている。ハッキング警報も厳重なので、アイリは苦労したようだ。


 一覧を見て、みなが絶句した。

 だれもが名を知っているような有名人の個人名がずらりと並んでいた。購入日、品物(品番)、価格などの一覧もセットでついている。


「うわああ……むちゃくちゃ高いよ!」

 ほとんどの顧客が、一点数百万ルピ(≒円)の絹織物を何度も購入している。


 天月宗主が購入した絹織物は、一点が数千万ルピを超えており、それを数点セットで購入していた。

「ひゃあああ!」


「これが、初代銀麗月の正装を真似て作らせた織物か……」と、サキが放心したようにつぶやいた。価格帯がサキの理解可能な範囲を超えており、ついていけない。


「そうですね」

 いつの間にかカイが来て、画面に見入っていた。

「天月宗主は、今回の正装を整えるのに儀礼費を使っていますね。しかも、複数年に分けて、年間予算に影響が出ないように工夫しているようです。宗主が個人的に使うにも、年間儀礼費としても、大きすぎる金額ですので」


「儀礼費をごまかしているってことか?」とサキが尋ねた。

「いいえ。ラクル絹織物の価値は天月幹部ならだれもが知っていますので、価格が高いことをとがめたりはしません。ただ、一時に集中すると、他の予算に影響が出ますので、支出を数年に分けてならしているのです」

「ほう……」とサキが目を見開くのと同時に、カイがアイリに伝えた。


「儀礼費は、天月の公式予算です。会計監査がありますので、いつ、どこに振り込んだかもすべて記録が残っているはずです」

「じゃ、そっちからも調べることは可能か?」とアイリが聞くと、「おそらくは……セキュリティは厳重でしょうが、絹の里よりは破りやすいでしょう」とカイは平然と答えた。


 サキは仰天しながら、思わずカイを凝視した。カイは涼しい顔だ。

(いいのか? 天月のトップが、天月のネットワークをハッキングしろと唆しているぞ!)


 アイリが猛然とパソコンに向かった。さほどの時間はかからなかった。

「やったぞ! 絹の里の財務情報にアクセスできた。中央の情報だ」


「あれ?」と、画面に見入っていた風子がアイリを振り返った。

「額が少ないような気がするけど……」


 アイリの目が血走るほど、ギラギラと燃えた。

「なんだとおっ?」


「二重帳簿のようなものかもしれませんね。どうやら絹織物の情報が間引かれています」と、カイ。

「なんでだっ?」と、アイリが食ってかかる。


「莫大な金額になるし、年間一枚という希少性が作り話であることがわかってしまうからかなあ?」と、リトが言うと、カイが頷いた。

「だから、絹織物顧客リストは極秘情報なのでしょう」


 カイがアイリに顔を向けて、ニッコリ微笑んだ。

「その極秘情報にアクセスできたのです。すばらしいですね、アイリさん。お目当ての情報までもう少しかもしれませんよ」


 カイの美麗な微笑みはアイリには通用しないが、カイの褒め言葉はアイリの自尊心を大いにくすぐったようだ。

 アイリは、気をよくして、パソコンに向き直り、さっきよりもさらに猛烈な集中力で作業を続けた。

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